夢だとしても 1
「転校生だ」 いつもの教室は騒がしく、HRが始まると自然と静まるものだがその日は違った。 全員、口を開けていた。 それでいて、誰も何も言えないでいた。 担任教師が連れて入った生徒は、この学校の制服を着ているものの見たことがない。 確かに、その言葉通り転校生なのだろう。 しかし、それで驚いたのではない。 背中まである長い髪は輝くばかりに梳かれ、大きな瞳は誰をも魅了するように輝いていた。 美少女だった。 見れば誰もが振り返り息を呑むであろう、美しい少女だった。 その小さな赤い唇が開かれるのを、生徒たちは見逃すまいと視線を注いだ。 「椎名砕です。よろしくお願いします」 頭を下げると、流れるように髪が零れた。 再び顔を上げて見えたその笑みに、男子生徒どころか女子生徒まで息を呑んだ。 担任はその生徒たちを哀れんでいるように見た。 こうなることは解っていたが困ったように 眉間に皺を寄せ、軽く頭を振った。 これから生徒たちに事実を告げなければならない。 その自分が気の毒でならなかった。 そのとき、教室の後ろのドアが開いた。 HRも始まっている時間だというのに、落ち着いた音だ。 前の転校生に見とれて呆然としていた生徒たちが一斉に我に返り、振り向いた。 入って来た男のほうが驚いた。 学生服を着て、この学校の生徒でありこの教室のクラスメイトでもある彼は、ただ寝坊しただけだ。 いつもなら担任に小言を言われ、クラスメイトたちにも苦笑され、それで終わるはずが驚いた顔が自分を見つめているのだ。 しかも無言で、だ。 身じろぎをして、うろたえた。 「な・・・何だよ、」 生徒たちも同じ行動を取ったことに苦笑し、そして全員が同じ思いをしたことに和みかけたそのとき、再び教室に緊張が走る声が聞こえた。 「カイエン!」 その声は喜びと驚きを混ぜた心からの叫びで、その声の主を驚いて振り返ろうとした瞬間、自分たちの間を駆け抜けて遅刻してきた生徒に飛びついた。 あっけに取られて誰も何も言えないでその光景を見ているしかなかった。 「やっと見つけた・・・逢いたかった」 声が震えている。 その大きな瞳からは溢れんばかりに涙が浮かんでいる。 その目を見て、身体が自然と動いた。 その腰に手を回し、顔を近づけたのだ。 「ディアナ・・・?」 呟いて、その唇を重ねた。 驚くのを通り超えて、教室中は固まった。 自分の今目の前にあるのはいつもの朝の風景ではない。 いつもならまだ眠そうに、一日の始まりを過ごしているときだ。 何が起こっているのかさっぱり解らなかったが、驚きすぎて何も言えなかった。 いや、思考能力がまだ回復していなかった。 そこに、これまた生徒たちと一緒に呆然としていた担任の男は、それでも生徒たちよりは現実を知るのが早かった。 転校生と、自分の生徒がしている目の前の現実はHRのこの時間にあるべき行動ではない。 「鐘河!」 静まり返った教室に響いたその声に、我に返った生徒は勢い良く身体を離した。 驚愕の目で、今まで抱き合っていた相手を見つめる。 その転校生は不思議そうに見返した。 どうしたの、と可愛らしく首を傾げている。 鐘河みずき<かねかわみずき> は現実に戻った。 しかし状況がまだ飲み込めていなかった。 頭の中を疑問符が駆け巡っている。 脂汗まで掻いて見つめられた転校生、椎名砕<しいなさい> は疑問に思って擦り寄った。 「どうしたの・・・?」 「待て! お前・・・誰だよ?!」 みずきのこの叫びに驚いたのは言われた本人だけではなかった。 教室中が驚いた。 「――――解らないの・・・?」 泣きそうな声だった。 事実、またその目には涙が浮かんでいる。 しかし先ほどの喜びを表したものではない。 世界中から裏切られたような痛切な表情だ。 解らない。解るはずもない。 遅刻して、教室に入って、いきなり飛び込んで来た顔はまったく見覚えがない。 心臓が早鐘のように鳴り響いている。自分を落ち着かせようとして、自分の行動を思い返してみた。 今朝は、夢を見たのだ。 時間を少し戻って、最近、夢をよく見た。 いや、昔から見ていたのだが最近になってその夢の回数が増えてきた。 以前はその夢をたまに見るだけで、自分の空想も凄いなとみずきは感心するだけだったが、厭にリアルなのである。 何かの話の流れや、連続した話になっている訳ではない。 ただ、一人の女性が出てくる。 ショートカットフィルムの様に、その人が笑っている顔だったりあるいは、泣いていたり動きはその女性だけだ。 ある野原で花を摘んで編んで見せたり、そよ風のような音色で唄っていたり。 それを見ているのは自分だけだ。 その女性はみずきにだけ笑いかけ、みずきだけを見ている。 世界に二人きりのように。 何もかもを包み込むような笑顔は愛おしかったし、泣いているところを見ると心臓を鷲掴みにされたように悲しかった。 しかし、起きると女性の顔を忘れている。 あんなにもリアルだったのに、よく思い出せないでいるのだ。 その夢に引き摺られて、最近寝起きが悪かった。 今日は両親共にさっさと仕事に出掛けて行ってしまい、気付くと急いでも間に合わない時間だったのだ。 仕方なくゆっくりいくことにした。 そして悪びれもなく教室のドアを開けた。 クラスメイトの視線を浴びて驚き、次に飛び込んで来たその顔に釘付けになった。 夢の女性と一致したのだ。 どこが、といえば答えられないが、どちらかと言えばもう少し大人びていたような気がするが、この女だと直感したのだ。 すると身体が動いた。 聴いたこともない名前で呼ばれて、夢の中でさえ一度も呼んだことのない名前を呼んだ。 何故かは解らない。 そう、彼女はディアナだ、と魂が叫んだ。 それが声に出たに過ぎない。 みずきは相手の身体から離れ、じっくりと見た。 驚くほどの美少女だった。 なら、自分が覚えていないはずはない。 しかし、知らない顔だ。 夢に出てきた人物と同じであるとどこかで言っていた。 しかし、いくら自分の記憶を巡っても見たことのない相手なのだ。 困惑に苦しめられて、みずきは唸り声すら上げた。 それを助けたのは担任の声だった。 「鐘河、取り敢えず席に着け。椎名、お前も紹介が途中だっただろう」 現実に目を向けた担任は今の出来事を抹消することにした。 切り離して、初めからやり直そうとするのだ。 生徒たちはなんとも言えない顔だったが自分たちですらどうしたらいいのか解らないのだ。 みずきは助かった、とばかりにそれに従った。 砕は名残惜しそうにみずきに視線を残しながら、再び前に歩いた。 「えー・・・」 担任はいつになく、歯切れが悪かった。 気まずそうに堰をして、誰とも目を合わさないように口を開いた。 「彼は家庭の事情で転校して来て、」 一瞬、何を聞いたのか解らなかった。 今、全員が違う単語を聴いて不思議に思った。 聞き間違いかと思ったくらいだ。 しかし担任は首を振り、肯定した。 「・・・・星陵高校からの、転入生だ」 「え―――――――――っ!!!」 その叫びは両隣の教室どころか静かなHR中の全校まで響いた。 星陵高等学校は、ここから近いと言えば近い、隣の市の超絶進学校だったのだ。 その偏差値の高さは県下において知らぬものなどいないほどの有名男子校だった。 |
to be continued...