それから? 1
朝、教室に入ると視線が集中した。 「・・・お早う?」 砕である。 「どうしたんだ?!」 「――――何があったの?!」 全員の叫びだった。 昨日の泣きはらした目はすっかり引いていて、いつもの笑顔だった。 ただ、その格好が違う。 あってはならないはずの、違和感があるのだ。 砕は、学生服を着ていた。 綺麗に梳かれた髪は後ろで一つに結ばれている。 美少女から美少年に早替わりだった。 半ばあっけに取られた全員の視線を浴びて、砕はいつものように可愛く小首を傾げた。 「・・・変かな?」 変だ。 いや、生物学的にはこれが正しい格好なのだが、あまりにもスカートが似合っていたため、その変化に付いていけなかったのだ。 砕はその視線の中を進んで、自分の机の上に突っ伏して動かないみずきに近寄る。 寝ているのだ。 今日は母親が居たため、起こされてどうせなら学校に行って寝てきなさい、と追い出された。 「・・・みずき? おはよう」 その顔を覗き込んで言うとみずきはぴくり、と眉を反応させてゆっくり瞼を上げた。 間近にあるその顔を寝ぼけた顔で見つめて、やがて身体を起こした。 それから椅子の上で上体を反らして伸びをしながら欠伸をした。 改めて砕を見て、 「・・・似合うじゃん」 にやり、と笑った。 その言葉だけで砕は破顔する。 何人かの女子生徒がすぐに詰め寄って驚きと悔しそうな声を上げる。 「いきなり、どうしたの?」 「セーラーだって、似合ってたわよ!」 「みずきくん、昨日砕くんちに行ったんでしょ? そこでなんか言われたの?」 みずきはそこでぼそり、と呟いた。 「・・・何しても悪いのは俺かよ」 それは黙殺されて、 「ううん、でも、こっちのが良いって言うから・・・」 嬉しそうに言う砕を見て、一瞬誰も反応できなかった。 みずきはまだ眠たそうに呆っとした声で、 「・・・著しく言葉に問題があるな・・・」 その呟きに視線がみずきに移り、それを受けて、 「言っとくが、そんなヘンタイじみたことは言ってない。こいつの言葉に御幣があるだけだ」 きっぱりと言い切った。 しかしこのクラスはやはり順応性が高かった。 次々に似合うよ、と声をかけてくれたのだ。 その横でみずきは再び睡魔に落ちそうになる。 腕を枕にして、目を閉じようとする。 それに前の席の友人である、蓮見愁<はすみしゅう>が声をかける。 「本気で眠そうだな? なにやってたんだ?」 「バイト、」 一言答えて、愁は納得した。 しかしそれに反応したのは砕だった。 「バイト? ・・・昨日? バイトがあったの?」 みずきは話すのも億劫そうに口を開く。 「急に入ったんだよ、人が足りないからって・・・呼び出されて」 「・・・バイトなんてしてたんだ」 そんなことは初めて知った砕は寂しそうに呟く。 「週末とかに、たまにな・・・」 「なんのバイト?」 愁は砕のほうを見れなかった。 みずきは一瞬黙って、しかし平然と答えた。 「ウェイター」 愁はなんとも言えない笑みを浮かべてみずきを見る。 気配が、黙ってろよ、と伝わってくる。 「ふうん・・・どこのお店? 今度行っていい?」 「駄目だ」 即答されて、砕は眉を寄せる。 「・・・どうして?」 「客に知ってるやつがいるのが嫌だ」 「じゃぁ、見るだけ・・・」 「駄目だ」 「なんで?」 はっきりと顔に不満を表した砕に、そこへ丁度チャイムが響く。 「HR、始まるぞ」 ざわつきながらも席につくクラスを見て、はっきりと話を逸らす。 「・・・みずき」 小さく呟いて、しかしその視線はみずきから一瞬たりとも外さない。 みずきはため息を吐いて、 「危ないからだ」 「俺は、平気だよ」 確かに、砕に勝てる人間はそういないだろう。 みずきもそれは目の前で見て知っている。 しかし、頷かなかった。 「俺が気が気じゃない。嫉妬で殺す気か?」 じろり、と睨まれて、砕は目を見開いた。 嬉しいやら悔しいやらで複雑な表情をしている。 HR前のざわついた瞬間だった。 話に誰も気付いていない。 が、その前にいた愁ははっきり聴いた。 「・・・・・」 表情を凍らせて、今の台詞の意味を考える。 確認のためみずきを見ると、大きくため息を吐かれた。 仕方がない、という表情だ。 落とされるしかなかったのだ。 悪足掻きも終わりだった。 愁はその決断をした友人に心の中で拍手をし、そしてこの先の試練を思いひっそりとエールを送った。 HRの話題は期末試験のことと、その後の夏休みの話だった。 HRが終わって担任が出てゆくと、砕はさっきの話など忘れたように明るい声でみずきを振り向いた。 「ねぇ、夏休み、一緒に別荘に行こう?」 「・・・・・・どこだって?」 嬉しそうに、素晴しい提案を思いついた、と笑う砕にみずきは顔を顰めて相手をまじまじと見返した。 「別荘」 机にのめり込むほどの脱力感が全身を襲った。 そしてその会話が聞こえて振り返った愁に助けを求める。 「砕・・・別荘持ってんのか・・・」 愁の声も途方に暮れていた。 「俺のじゃないよ、うちの。毎年家族で行くんだ」 「パス」 みずきは復活して、即答した。 砕は驚いて、 「どうして?」 「・・・俺はまだお前の親と四六時中一緒にいる度胸はない」 きっぱりと言い切った。 もう少し自身が付いて、自分の思いも揺るぎがなくなり、あの家の中で平常心が保てるようになるまでは、無理だった。 「度胸なんていらないよ・・・」 肩を落とした砕に、面白そうに愁が訊く。 「なに、砕の親、怖いのか」 人事だ、と笑っていた愁に砕は首を振る。 「普通だよ、極道は仕事だもん。普通の親だよ」 「普通ね」 みずきは外に視線を移して呟いた。 どの辺りに基準があるのかをじっくり世間と比べてみたいものである。 「まぁでも、別荘かぁ、どこなんだ?」 愁が苦笑しながら訊くと、 「軽井沢。群馬に近いから、結構山の中で静かなんだよ」 砕は答えながら、その目に輝きを増した。 「・・・そうだ! じゃ、みんなで行こう?」 「は?」 「家族じゃなくて、友達と、合宿みたいにさ、大丈夫、おっきいから、二、三十人くらい泊まれるよ」 その声は大きかったので周りがすぐに反応した。 「え? 旅行?」 「どこどこ? みんなで?」 「行きたい! あたしも参加!」 砕は楽しそうに提案を広げる。 しかし、みずきはあっさりと言った。 「・・・俺はパス。前半はもうバイトを入れた」 目に見えて落胆する砕に、全く、と愁が助けてやる。 「じゃ、後半、八月に入ってから、どうだよ」 他の人間に、異存はない。 まだそれでも戸惑っていたみずきは、どうしようかと思っていたとき、砕が嬉しそうな顔で呟いた。 「・・・友達と旅行なんて、初めてだよ・・・」 その素性から、まさにその通りだったのだろう。 友達と呼べる人間がいたことすら、なかったのかもしれない。 盛り上がるクラスの中、みずきは人知れずため息を吐いた。 行くしかないのだ。 選択権は無い。 テスト勉強の予定を立てるより早く、決まってしまった。 |
to be continued...