恋愛シーソー 延長戦5





「――で、したんだ?」
夏休みに入って、沢田は精力的にバイトで忙しくなった。
その合間を縫って、しかしちゃんと秋篠との時間を作ってくれてもいる。
嬉しいことだけれど、秋篠はそれを拒んだ。
情けない声が携帯の電話越しに聞こえようとも、秋篠は実は身体を重ねた終業式の日以来沢田と会ってはいない。
逃げるように沢田を避けて、今日はしかし羽崎に呼び出されて暑い中外に出てきた。
その羽崎は秋篠を見るなり、どうなったかを当てたのだけれど、秋篠は真っ赤になった顔を上げないことで肯定してしまった。
駅前に広く作られた公園で、木陰にあるベンチにアイスを買って二人で並ぶ。
「どうだった?」
「・・・・・っ」
あっさりと感想を聞く羽崎に、秋篠は冷たさが歯にしみようともアイスを噛んで勢いよく食べた。
何かを誤魔化している、と思われようとも思考はあの日のベッドに飛んでしまって何も言えない。
その秋篠を見て、羽崎はふぅん、と頷き、
「そっか・・・良かったのか」
「ははははっ羽崎っ!!」
「え? 良くなかったのか?」
沢田さん、下手? と首を傾げられて、秋篠は真っ赤になる顔を困らせて、
「そ・・・そん、なんじゃ・・・っ」
ただ、思い出しても口に出来るような行為はひとつもなかった、と鮮明な記憶を巡らせる。
そもそも、最初から押し付けられるように強請られた行為も秋篠のキャパを超えていて、そこからは本当にされるまま、言われるままになってしまったのだ。
確かに痛みを覚え、恐怖もあったけれど、それが快楽に変わる瞬間も身を持って教えられた。
あんなこと、と頭を振って記憶を追い出そうとするけれど、気付けば何度も脳裏に甦り秋篠はとてもじゃないが沢田と顔を合わせられないのだ。
「それで、沢田さんと会ってないの」
「・・・だって、バイトで、忙しいみたいだし、」
何度も電話で会いたい、と言われつつも、断っているのは秋篠だ。
「それでも、時間作ってくれるだろ、あの人なら」
「・・・・・」
「それとも・・・一回やって、飽きちゃった?」
「・・・・っ」
真っ赤になった顔で驚けば、まさに否定しているようなものだ。
「そ・・・そうじゃ、ないんだよ、あの・・・」
「なに?」
躊躇う秋篠に、羽崎は根気よく待って言葉を聞き出す。
「僕は本当・・・・・いやらしいんじゃないか、と思って」
「・・・・・・・・はい?」
「ああ、あの、ええと・・・だからさ、あの、あれから・・・」
「・・・やってからってこと?」
「う・・・うん、それから、僕、ずっと・・・・考えちゃって、」
「へ?」
「あの・・・羽崎は、ない? こう・・・あのさ、あれ、あれを、ずっと・・・し、して、たい、とか・・・っ」
「・・・・・・・」
「や! あの! しし、したいわけじゃ、あの! だだだって、あんなに僕怖かったのに拒んでたのにっいきなりこんな・・・っ」
気持ひとつ違うだけで、強姦だった行為は違うものになって秋篠を襲う。
その変化がおかしいのでは、と秋篠は困った顔に不安を滲ませて、
「僕が、こんな・・・・っい、いやらしいヤツだって、知ったら・・・」
沢田はきっと呆れてしまうのでは、と落ち込みを見せるのに、羽崎はたっぷり30秒は黙りこんで、
「・・・・秋篠、」
深く溜息を吐いた。
友人にも呆れられただろうか、と秋篠が泣きそうになったけれど、羽崎は落胆というよりほっとしたものを吐いて、
「ああ・・・うん、そうか・・・そうだよな、初めてだもんな」
秋篠には解からない納得をされてしまう。
「え・・・なに? なにが?」
「やー、俺達さぁ、やりたいサカリのコーコーセイだぜ? 気持いいこと、いっぱいしたいって思ったっておかしくないじゃん?」
「は、羽崎・・・っ」
「大丈夫大丈夫、秋篠だけじゃないから」
「え? え?」
「みんなそう思うし、俺だって好きだよ、セックスー気持ちいいもん」
「羽崎・・・っ」
秋篠はここ数日、ずっと考えて悩んでいたことを、あっさりと受けて流されて、それでいいのか、と戸惑ってしまう。
羽崎は秋篠の肩を安心させるように何度か叩き、
「沢田さんのこと嫌いになったのかと思ったけど、セックスしつこいってさ」
「は?! な、なんで? そんなこと、思わないよっ」
ただ、いきなり世界が変わった気がしたのだ。
今までの秋篠の世界は、活字の中を泳ぐように変化もなく穏やかなもので、それが嫌だとも変えたいとも思ったことはない。
けれど知ってしまった新しい感情と忘れられない出来事に、違いが大き過ぎて戸惑ってしまうのだ。
羽崎は吊った目を楽しそうに笑わせて、秋篠は本当に猫みたい、と感じた。
「良かったよ」
「なにが?」
「良かったよ、な?」
羽崎は笑顔のままで、二人で座っているベンチの後ろへ声を向ける。
後はちょうど植え込みになっていて、ベンチに影を差す木の後ろに人影があるのに秋篠は羽崎の視線を追って初めて知った。
「え・・・っ」
驚くと、そこから気まずい顔をした沢田が顔を覗かせる。
「・・・・・良かった、」
そして誰よりも安堵した声で呟くのに、秋篠は今までの会話を全て聞かれたのだと知り、さらに顔を染めて羽崎を睨んだ。
「羽崎・・・っこれ! な、なにっ、」
「えー? だってさ、この人がすんげー落ち込んで、秋篠に嫌われたーっつって泣きついてきてさぁ・・・秋篠、沢田さんヘタレだから、なんでも思ったこと言ってやったほうがいいよ」
いい加減、こっちもウザイ、と笑われて、秋篠は恥ずかしさに声も出せない。
「じゃ、まぁ後は二人で話して」
今度遊ぼうな、と羽崎は笑顔だけ残し、さっさとベンチを立ちあがって行ってしまった。
その後に植え込みを超えて沢田が座り、正面から秋篠を見つめてくる。
「シノ」
「・・・・は、い」
赤い顔をどうにかしようにも、あの会話を聞かれていたのならもう隠すことも出来ない、と秋篠は観念して答える。
「マジで勘弁して・・・」
「はい?」
「あんなことして、嫌われたかと思っただろ・・・っ」
嫌われたら生きていけない、と落ち込む沢田に、秋篠は酷いことをしたのだ、と初めて理解した。
「す、すみません、あの、き、嫌ったわけじゃ・・・」
「うん・・・それは分かった、嬉しい、良かった」
ベンチに座りながら、沢田は腕を伸ばして秋篠の身体を引き寄せる。
顔を赤くしながらも、大人しくその腕に抱かれ、しかし沢田が何も言わず黙っているのに、
「・・・あの、暑くないですか?」
手に残ったアイスが溶け始め、どうしよう、と秋篠は戸惑って口を開く。
「夏だからな」
「・・・あの、沢田さん、バイト、は・・・」
「ああ・・・今日は休み」
「え?」
「こんな状況で行けねぇ」
「はい?」
「家帰ろう」
「ええ?」
沢田はゆっくり腕を離し、その顔を覗き込んで、
「そんで・・・気持いいこと、しよう」
「・・・・っ」
戸惑う秋篠に、もう迷わない、と沢田は笑って、
「好きだよ、シノ」
「さ・・・っ沢田さん・・・!」
「いっとくけど、あれで全部じゃないから」
「はい?!」
「セックス、この前のはまだ序盤」
「・・・はい?」
「もっと、気持ち良くなるから、覚悟しとけよ」
「・・・・・っ!」
秋篠にとっては、もうあれ以上のことはない、と思っていたのに、沢田に笑って言われて、悔しさを滲ませてしまう。
秋篠が嫌だ、と一言言うだけであんなに落ち込み情けなくもなる男が、好きだと言うだけでこんなに自信に溢れることが不思議でならない。
手を引いてベンチを立ち、人の目も気にしないでそのまま家路につきながら、秋篠は楽しそうにする沢田を見上げて、面白くない、と唇を尖らせた。
「シノ?」
それにどうした、と問われれば、秋篠は冷静な目で見つめ返し、
「・・・沢田さん、課題、しました?」
この夏、沢田には出席率を補うために多くの課題が出されているはずだった。
沢田はどうして今そんなことを、と顔を顰めて、
「あー・・・ええと、いや、うん・・・」
肯定も否定もしない言葉は、はっきりとしていない、と言っているようなものだ。
秋篠は握られた手の温度を強く確かめながら、
「僕、学校で、沢田さんに会いたいんですけど」
「・・・・・・・」
「毎日、ちゃんと、沢田さんと、会いたいんですけど」
一緒に卒業したいし、と真っ直ぐに目を見つめれば、さっきまでの自信はどこへ行ったのかうろたえる沢田の目が揺らぐ。
「う・・・あー、あの、シノ・・・」
「この前、僕、おかしくなっちゃうかと思って・・・不安でした」
「シノ・・・?」
「今も、そうですけど・・・沢田さん」
「・・・え?」
「こんな僕を、一人に、するんですか・・・?」
「・・・・・っ」
握られた手に、秋篠は指を絡めて見上げれば、困惑して苦しそうに顔を歪める沢田が舌打ちを殺す。
「シノ・・・っ」
卑怯だ、と吐き捨てるのに、秋篠はそれはこっちの台詞です、と言い返す。
「ちゃんと通えたら・・・あと一年と半年、ずっと一緒ですね」
それまでは、この手は離れることはないだろう、と秋篠は安堵する。
だからお願い、と微笑むと、沢田は負けた、と眉根を寄せて、
「シーノー・・・・っ部屋帰ったら、覚えてろよ」
また泣かせるからな、と意趣返しで低く呟いた。
秋篠はまた笑った。
二人の間で揺れる手を見て、この手が繋がっている限りどんなことでも平気だと思うのだ。
ぶつぶつと愚痴めいたことを呟く沢田に、秋篠は良かった、と呟いた。
「あ? なにが?」
訊き返されて、秋篠は笑う。
「沢田さんを好きになって・・・良かった、って言ったんです」
「・・・・・・」
舌打ちを隠さない沢田が、何か酷いことを言った気がするけれど、それは唇の中に消える。
まばらに人もいる街中で、不意打ちにされたキスに、驚きながらも秋篠はこの夏の暑さを忘れない、と目を閉じた。


fin.



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