恋愛気分 1 僕と菊池は、その日から一応「お付き合い」を始めた。 でも、だからといって何が変わったわけではなく、僕は変わらない日常だと思っていた。 ただ、ちょっと放課後一緒にいたり、たまに昼休みにお弁当を一緒に食べたりするくらいだ。それは美術準備室が多くて、やっぱりここは菊池たちの溜まり場所のようだった。 初対面でかなり晒し者にされて、菊池の友人達がすごく酷い人に見えたけれど実際よく話してみれば、普通の人たちだ。 あの日、僕を追いかけて行った菊池の慌てようが面白かった、と教えてくれた。 彼らには、菊池が遊びかそうでないかは、解るのだろうか。 付き合うと言っても、何をしたらいいのか解らない僕は、やっぱりただ一緒にいることぐらいしか出来ない。 他愛もない会話をして、時々、菊池がキスを求めてくるくらいであとは同じ日常だ。 それを見る他の生徒、特に瀬厨ははっきりと言った。 「すごい、珍しい」 珍しいって、・・・どういう意味? 僕が不思議そうな顔をすると、瀬厨は自分のことのように楽しそうに、 「だって! あの菊池先輩だよ? なのに、こんなに五十嵐にメロメロなんてさ!」 め、メロメロ・・・ それって、どういう表現?どういう時に使用するの? それは、僕に対する菊池の態度が、それらしい。 菊池と話をするのはとても楽しい。 菊池が僕の知らないことをなんでも知っているから。あまりに小さなことだけを見てきた僕の世間が、どれだけ狭かったか解る。 それでも、時折見せる顔は、あのときの顔だ。 つまり、切なそうな、顔。 これって、やっぱり・・・・したい、と思っているのかな。 僕が俯いてしまうと、菊池はすぐに笑ってそんな感情を消し去ってくれる。 菊池はどうして、僕としたいんだろう。 それは・・・・まぁ、つまり、僕を・・・・・・・好き、だから? らしいんだけど? でも、それに僕はどうしたらいいんだろう。 好きだからしたい、の? なら僕は、まだ菊池を好きじゃないのかな・・・・・ 「五十嵐って、どれ?」 僕の日常だと思っていたそれは、その言葉で消えた。 一時間目が終わったばかりの教室で、次の移動教室のために皆準備を始めて動き出したときだった。 ざわついた教室で、また僕は視線を浴びる。戸口に立っていた生徒が、それで僕を目指して近づいてくる。 「お前?」 僕の目の前まで来て、じろじろと僕を見た。それはもう、上から下まで全部、観察するようだった。 僕も自然と相手を見るけれど、さっぱり知らない人だ。襟の校章で一つ上の二年生だと解るだけだ。 その人の向こうで、こっちを心配そうに見ている瀬厨が視界に入った。僕はそっちに顔を見せて、 「あ・・・先に、行ってていいから」 休み時間は長くはない。 もう移動しなければ遅れてしまうのだ。僕がそう言うと、瀬厨たちは心配そうな顔で、それでも教室を出て行った。 休み時間だというのに、静かな教室で僕はその知らない先輩と向かい合う。 ほんとに、誰だろう? 相手はただじっと僕を観察していて、それが気が済んだのかふん、と鼻で笑った。 ・・・・・態度悪い! 言っておくけれど、やっぱり僕の性格は悪い。 そんなに簡単に改善されるものではない。 「・・・なにか、用ですか」 きつく睨むように相手を見上げた。 「別に? たいしたことないじゃん、お前」 「・・・あの、どういう意味ですか? そもそも、あなたは誰ですか?」 相手は少し驚いて見せて、 「・・・俺を知らないの?!」 「知りません」 素直に答えた。 言っとくけど、菊池だって知らなかった僕だ。この学校では知らない人間のほうが多いのだ。 「羽崎 哲規、二年D組」 組までは訊いてない・・・ その羽崎は改めて僕を見下ろして、 「ハルが入れ込んでるって言うから、見に来たのに・・・つまんないな、お前」 「・・・・はい?」 ハルって、菊池のことだよな? 「全く、ハルもちょっとも待てないんだよな。すぐ帰ってくるって言っておいたのに」 羽崎は全く僕のことを聴いていないように言葉を続けた。 「ハルは、俺のなの。横から手ぇ出すなよな」 「・・・・・」 俺の? 俺のって、あれ? 菊池は、羽崎と付き合っていたの? 「ちょっと事故って入院してただけだ、なのにお前なんかに余所見して・・・」 僕は、性格が悪い。根性も悪い。 言っておくけど、こんな風に言われて黙っておくなんか出来ない。 たとえ、羽崎の言っていることが本当でも。 本当は、かなり傷ついているとしても。 僕は真っ直ぐに羽崎を見上げて、 「・・・でも、菊池先輩は、今までの遊びとは僕は違うって言ってくれました」 きっぱりとした僕の言葉に、言い返されるとは思っていなかったのか羽崎はむっとした顔を隠さず、 「ハルは口が巧いから、簡単に騙されるんだよね、みんな」 口が巧い? 菊池が? あの抱きしめてくれた腕も、優しく笑ってくれた顔も、全部嘘? そんなこと、信じられるはずがない。 だって、僕はこの羽崎のほうが全然知らない人だからだ。 僕は、僕の気持ちを待つって言ってくれた菊池を信じなければ、どうする? 「菊池先輩は・・・僕のこと、本当に大事にしてくれてますから!」 「最初だけな、ほんと、飽きたらハル、手放すの早いから・・・」 飽きたらって、どういう意味?! 「僕の気持ちを待ってくれるって言って、本当に何もしないで・・・」 だから、真剣に思ってくれている。そう思ってたのに。 羽崎がすごく驚愕しているから、僕は言葉を止めた。 なに?なんで、そんなに驚くの? それからいきなり、吹き出した。 「っあはははは! なぁんだ! そうなんだ!」 「・・・え?」 笑うところ? 変なこと、言った? 羽崎は一頻り笑って、それでも笑いを堪えきれない顔で、 「・・・なぁんだ・・・やってないのか、お前・・・どうりで、お子様なわけだよな、ほんと・・・」 「・・・な、なにが・・・」 「余所見どころか、本当に遊んでただけなんだ、わざわざ来てみて損した」 「なに、を・・・なんですか?!」 羽崎は何がそんなに面白いのだろう? どうして、菊池が遊びだななて思うの? 「・・・お前、知らないんだろ?」 「・・・・え?」 「ハル、すげぇ巧いよ? セックス」 「・・・・・っ!」 僕は顔が熱くなるのが解った。 それを見て、羽崎が面白そうに顔を歪めて、怒りも混じってますます熱くなる。 「それに、セックス好きだしなー」 「そ・・・それが?」 「気持ち良いこと、ハルが止めるわけないじゃん・・・他に、誰でやってんだろ?」 僕は一瞬、思考が停止した。 なん、て言った? 羽崎はもう、僕に興味はないように外面のような微笑で、 「悪かったな、突っかかって。まぁ、もう少し、ハルが気にするようなら、遊んでやって?」 遊んでやってだって? それ、羽崎が言う言葉じゃないよね? まるで、菊池が自分のもののように・・・・ 「じゃな、五十嵐クン?」 羽崎は動けずにいた僕を残して、教室を出て行った。 一体、なんだって言うんだ? 一体、何しに来たの? 何が、言いたかったの? 菊池が、なんだって? 遊びじゃないって言った菊池を、僕は信じなければ・・・だって、あんなに真剣に言ってくれた。 それでも、菊池は、セックスが好きなんだ? 僕が立っているのは、美術準備室の前だ。 授業はもう始まっていて、廊下はいつも以上に静かだった。そのまま中を伺っていると、人の気配はする。けれど、いつものように騒がしくはない。あのいつものメンバは居ない。当たり前だ。授業中なのだ。中には、講師が一人いるだけだろう。僕は漸く手を上げて、ドアをノックした。 「・・・はい?」 中から、声がする。僕はゆっくりとドアを滑らせて、中を覗いた。 「・・・・五十嵐?」 やっぱりそこにはいつもの講師が一人だけで、椅子を回転させてドアのほう、僕を驚いて見ていた。 すぐに表情を緩めて笑って、 「どうした? サボリか? 珍しいな・・・入りなさい」 安堂と言うこの講師が、好かれるのが解る。 絵の具で汚れた白衣の下は細身であるけれど、この笑顔はとても安心できるものなのだ。 何度かここに通っていて、僕にもそれが解った。 だから思わず、ここに来てしまった。 菊池のことを、訊くのも安堂が一番早いとも思ったからだ。 安堂は僕をソファに勧めて、奥のドアから隣へ入り、また出て来たときには手に缶ジュースを持っていた。 「悪いな、珈琲今切らしてて・・・これしかない」 ここで飲み物を出されたのは初めてで、僕は少なからず驚いた。それに気付いたのか、 「・・・菊池たちには内緒な? あいつらは、一回出すとキリがないから・・・」 困ったように笑った。僕も、それにつられてしまった。 それから受け取ったジュースに視線を落とし、僕は口を開いた。 「・・・さっき、羽崎という人が来ました」 「・・・・・ああ」 納得したような声に、僕は隣に座った安堂を見る。 「知ってるんですか?」 安堂は苦笑して、 「・・・結構、顔が良かったろ? 男子校だしな、顔のいいのはすぐに話題にあがる。それに・・・」 言葉を切った安堂の、その続きを僕は分かった。 「・・・菊池先輩と、付き合っているからですか・・・」 「付き合ってない、と思うよ・・・菊池は、昔から特定の相手を作らなかった」 「でも・・・・」 しているのだ。 羽崎は、僕の知らない菊池を知っている。 「・・・菊池先輩、セックスが好きなんですか?」 突然の脈略のない質問に、安堂は目を見開いて、 「なん・・・だって?」 「巧いって、本当ですか?」 「・・・・五十嵐」 困った安堂を見て、僕は俯いた。 「・・・すみません」 安堂に訊いても、仕方のないことだ。 僕は一体、何がしたいんだろう。 安堂にこんなこと訊いたって、仕方ないって分かるのに。 心が騒ぐ。 落ち着かない。 菊池は、僕が好きになるのを待つって言ってくれたけど、どのくらいまで待ってくれるんだろう。 僕がずっと好きにならなかったら、菊池はどうするんだろう。 傍には、いてくれないだろう。 もう、一緒には居られないだろう。 セックスをさせない、僕なのだ。 どうしよう。 なんで、こんなに胸がドキドキするんだろう。 「五十嵐? 大丈夫か?」 心配そうな安堂の顔が見えた。 僕はどんな顔をしてる? それから校内で、菊池を見かけた。 一人じゃなかった。その腕に、羽崎の腕が絡んでいる。 何を話しているのか、僕のところまで聴こえなかったけれど、菊池はその腕を振り払ったりしない。 僕は隣にいた瀬厨を振り返って、 「瀬厨くん、訊いていい?」 「なに?」 瀬厨は菊池には気付いていない。きょとんとした顔で僕を見返すだけだ。 「初めて、セックスするときってどんなものなの?」 瀬厨の顔が驚愕して、それから一気に赤く染まった。 「な・・・っな、んで?!!」 全身で動揺した瀬厨は、思わずあたりを見回していた。 大丈夫だ。 近くには幸い誰もいなく、会話を聞いている人などいない。 僕だって、こんなことを訊きたくはないけれど、でも他に男と付き合っている人間を知らない。 「い、五十嵐? どう、したんだ?」 真っ赤な顔で瀬厨は戸惑いを隠せない。 「どうも・・・しないけど、他に聞く人を知らないから」 「だ、だって、そんなこと・・・っい、五十嵐は、どうだったんだよ」 「したことない」 きっぱりと答えた僕に、瀬厨は驚きを隠さずに、 「え・・・・っな、なんで?!」 この反応は、当然なのだろうか? そんなに驚くほど、菊池はやはり手が早いのだろうか? 「だから、聴きたいんだ。痛いの? 気持ち良いの?」 首を傾げた僕に、瀬厨は戸惑いながらも、 「え・・・っと、俺は・・・っ」 赤い顔を俯かせて、 「い、痛く・・・ないことも、ないけど、いやじゃ、なかった、から・・・っ」 「痛いの?」 「で、でも、あれは、慣れだと・・・っ」 「慣れたら、痛くないんだ?」 「や、えっと! た、多分・・・っ?! あ、相手が菊池先輩だと、痛くないんじゃないかな・・・っ?」 「どうして?」 「だって、慣れて・・・上手そうだし・・・?」 「・・・・そういうものなの?」 瀬厨は真っ赤な顔で、ただ首を縦に振った。 そうか。 そういうものなんだ。 相手が、菊池なら、大丈夫なんだ。 痛くないなら、怖くなんかない。 「・・・・ありがと」 瀬厨も言いにくいことだったはずだ。それでも答えてくれたことには感謝する。 僕はそれで、決めたのだから。 |
to be continued...