夢の忘れ物  8




「・・・っう、ひっ・・・く、うっ・・・」
しゃくりあげて、泣き始める。
追いかければいいのに、追いかけて、嘘だから、と言いたいのに。足も動かなくなるほどの衝撃だった。
「っん、く・・・ごめ・・・ッ違うから・・・ずっと、ずうっと、好きだったのに・・・っ」
自分から、そう言ってしまったら全てが夢になる様な気がして。
「抱いて・・・もらって、嬉しかったのに・・・っ雅じゃなくて、俺がっ」
芦江がもう自分を構わなくなる気がして、言えずにいた。
「俺、おれ・・・っと、好きだったのに・・・っ芦江さぁん・・・やだぁー・・・」
小さな子供のようにぐずる。
親に捨てられたかのように、世界で自分ひとりしかいないかのように、何もかもから見捨てられた子供のように、泣いた。
「芦江さぁん・・・っあし、えさ・・・っ」


「泣くくらいなら、何で初めからそう言わないんだ」
一番聞きたかった声が、頭上で響いて泣き顔を上げる。
困った顔が、怒りたいのに怒りきれずにいる顔が、自分を見ている。
密かに、自分の作戦が成功したことに笑みが零れる。
「・・・っなん、で・・・っ」
「嘘だよ、西寺のことなんか。同じ顔でも、楓にしか反応しないよ。あんまり楓が強情だから、ちょっと試しただけだ」
「っひ、ッど・・・!」
罵りたいのに、込み上げてきて言葉が出ない。しかし芦江も負けてない。
「始めに嘘ついたのはどっちだ?」
「だってっ・・・覚えて、無いと思ったし・・・っはじめ、雅と間違えたんじゃないの・・・?」
「楓を知ってたら、すぐ楓に走ったよ」
泣きぐずる楓が可愛くて、芦江はその身体を腕のなかに収めた。
「・・・楓で、間違いないだろう?」
あの日、何もかも忘れるほど呑んでも、忘れられなかった相手。
その腕の中でしゃくり上げて、何度も頷く。ごめんなさい、と言いながら、その胸にしがみ付いた。もう、いいよ、と芦江は優しく背中をなでて、それからゆっくりと楓の身体を離した。
「楓」
名前を呼ぶと、素直に顔を上げる。芦江はにっこり笑って、顔を近づけた。
うっとりと、キスに酔って、離れたくないとばかりに芦江の服を握り締める楓に、その可愛らしい仕草に、顔がにやけてしまって、濡れた唇を離して再び腕の中に楓を抱きしめる。
「・・・しまったな・・・」
まったくそんなこと思っていないような甘い声を、楓の耳元で囁く。
「さすがにここじゃ押し倒せない・・・」
楓は真っ赤になって、さらに芦江にしがみ付いた。
しばらくそのままでいると、ようやく楓が身体を動かす。
「・・・うち、来ますか」
「楓んち?近いの?」
「・・・歩いて・・・十分くらい」
「家の人は?俺、今抑え効かないから、手加減なんて出来ないよ」
芦江のはっきりとした言葉に、楓は真っ赤な顔を上げることもできず、しかし答えた。
「・・・月曜まで、誰もいないよ」
「何で?」
「田舎のおばあちゃんちに、・・・二ヶ月に一度は帰るようにしてて、雅もたぶん、今頃は・・・」
いつもなら、楓もこの日は早くに家に帰り、両親とともに出かけている。
「楓はどうしていかなかったんだ?」
答えに詰まった楓に、芦江は答えを待った。
赤い顔が、俯いて答える。
「・・・芦江さんが、来ると・・・思って」
芦江の表情が明るくなる。
「俺が来るから?期待してたって、自惚れていいのかな?楓は、俺のことなんかお見通しなの?」
「それはっ」
にこにこと笑いかけられて、楓は困惑して、
「・・・芦江さんの方じゃん・・・俺のこと、何でも、判ってて」
「まさか。俺ね、楓のこと、顔以外ほとんど覚えてないよ。教えてよ、楓」
「・・・・・」
楓はさっきからどうしても勝てずにいる相手に、気になっていることを訊いた。
「あ・・・芦江さんは、いつ気がついてたの?」
「なんに?」
「雅じゃなくて・・・俺だって」
「あの文化祭のとき、アリスの楓に会ったときだよ」
「な、なんで・・・」
芦江は自信満々だった。それが楓には不思議だった。
芦江は苦笑して、
「さすがに、確信がないと毎日通えないよ」
「・・・俺のこと、覚えてないってゆったのに・・・」
「楓は、西寺から何で俺が楓の学校に来たか、聞いた?」
首を左右に振って、きょとんと芦江を見る楓に、にっこりと微笑む。
「なのに、楓はあの時理由を知ってたじゃないか」
あ、と楓は納得した。
パニクっていた楓は自覚が無かったのだ。
自分で、墓穴を掘っていたことに。
「だから確信した。この可愛い子が、俺をメロメロにさせたこだって、ね」
「め・・・っ」
顔どころか、首まで真っ赤になった楓は、とうとう芦江に背を向けた。
「ど、どうしてそうゆう恥ずかしいこと・・・っ」
「恥ずかしいって・・・本心だから?」
もっと恥ずかしい、と楓は固まってしまう。
「楓の家、行こうか」
芦江が手を取って、足を踏み出す。
そこに行って、何をするのか判ってても、恥ずかしくても、楓は止められない。芦江がすることなら、何でも許してしまえる。
後悔なんかしない。
あの日の決断と同じように、芦江だけを見て、動き出した。


fin



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