夢の忘れ物 6
「アーリースちゃん、こっちにも持ってきてー」 「ばかやろう、飲みもんはセルフサービスだよっ」 教室机をあわせただけのテーブルに座る生徒にアリスに扮する楓は笑いながら答える。 楓は自分の横のロボットウサギに手を回す。 「うちのクラスの目玉。時計ウサギの自販機、百円入れてねっ」 アリスらしくかわいく笑う楓は学校に溶け込んでいる。このクラスは人気らしく、開店直後からすごい人だかりだった。後輩に連れられて、芦江もぎごちなく中を覗く。 賑やかな笑い声の中心にいるのはアリスの格好をした夢に出て来た少年だ。 しかし、夢とは決定的に違う。 その笑顔は自分に向けられたものではない。 芦江の顔を見て、「知らない」といわれて酷く辛かった。本当は雅でも楓でもないのかもしれないのに、楓に言われたことがショックだったことに気づいた。 自分の胸を押えて、本当におかしいのかも俺、と思いつつ、ドア口にずっと立っている。 しばらくして、楓が雅に近づいた。 「雅、なに飲みたい?ついでに英地も」 「ついでかよ、俺は」 「じゃ、アイスティ」 「俺はコーヒー」 雅と英知が口々に言ったものを、アリスはスカートのポケットから小銭を取り出しウサギにコインを入れる。雅は後ろで呆然としている、それでも楓から視線を外さない芦江に声をかける。 「先輩は?」 「・・・え、あ、あの・・・」 言われて、気づいて芦江は雅を見た。 「何か飲まれますか?」 「あ・・・うん、いや・・・」 曖昧な返事をして、再び楓に視線をやると、自分には目もくれない。それを見て、芦江は静かに決めた。もう一度雅に視線を戻して、出来るだけ笑って見せた。 「嫌、もういいんだ。気は済んだから」 「先輩?」 「西寺、日野原、迷惑かけたな」 誰もが止める間もなく、芦江は教室を背にした。人並みを縫って、早く校舎から出られる場所を探す。 道を間違えたのか、一気に人気のないところへ出てしまった。裏に通じる昇降口のようで、そこは公開されてない場所のようだ。そこまで来て、一息つく。 落ち着かせると、自然と自嘲する。乾いた笑みだ。 「・・・何やってんだ、俺・・・」 呟いたとき、すぐ後ろに人の気配を感じた。 振り返って、驚いた。芦江が振り返ったことに驚いたアリスが目を丸くして見上げている。 「・・・・」 あまりのことに、芦江は声が出てこない。先に、照れたように俯いた楓が口を開く。 金色のウィッグを頭から外す。下から、楓の顔に良く似合う黒髪が覗いた。 「雅が、ウルサイから・・・」 だから、きたのだ、と芦江を見ないままに手に持っていた缶コーヒーを渡す。 芦江は伏せた目とコーヒーを見比べて、受け取る。 「獅谷・・・楓くん?」 「・・・はい」 俯いたまま、頷いた。 「・・・あの日、俺といたのは君?」 「・・・ちがいます」 楓は首を振った。 「知らない、です。俺、芦江さんなんか・・・」 「名前、言ったっけ・・・?」 芦江に言われて、楓が体中で動揺したことが判る。 「・・・み、雅が、さっき・・・」 「言ってない。・・・西寺は俺のこと、芦江さん、なんて言わないよ」 「・・・・・」 黙ってしまった相手の肩に手を置いた。びくッと揺れても、気にせずに俯いた顔を 覗きこむ。 「俺のこと・・・何度も呼んだだろう?芦江さん、芦江さん、て泣きながら」 「し、知らないよっ」 「そうかなぁ・・・俺の夢の中で何度も泣くんだよね。忘れてね、好きですって、あんな目で見られたら、欲情しないわけないだろう・・・?」 「よっ・・・欲・・・?!」 真っ赤な顔を思わず上げた。楓は芦江と目が合って、その目が揺れた。 「知らないってば・・・それに、忘れてって言われたのに、何で覚えてんの・・・ッ」 「忘れられないくらい、可愛かったから・・・」 「おれ、俺じゃないよ、芦江さん、俺じゃない・・・」 「君がいい」 楓は少しずつ、近づいてくる芦江の顔に気づいて、その身体を押し返す。 が、腕が腰と背中でがっちりと回され、楓は力も抜けてまともに抵抗もできない。 「や、だよ・・・俺じゃないってば・・・」 「もう遅い・・・黙って」 「・・・んっ」 しっとりした唇が重ねられて、口をずらされると楓は思わず口を開いて相手の舌を受け入れてしまう。 今、ここの同じ校舎内で文化祭が行われて普段よりずっと賑やかだということもすっかり忘れてしまうほど、二人の周りだけ静かだった。否、ただ耳に入っていないだけかもしれない。 「・・・っん、んん・・・」 口腔をなぞられて、舌を絡められて、楓はずっと自分が望んでいた相手のなすがままになっている。ゆっくり唇が離れても、啄ばむようなキスが降らされる。 「ん、んっ・・・俺・・・」 「・・・何」 「やだ、ちょっ・・・んっ」 身体を抱えてキスを繰り返す芦江に楓は身体を捩ってその胸を押し返す。 見上げると、真剣な芦江の目とぶつかって楓は恥ずかしくなってその腕から無理やり逃れた。顔も合わせられなくて、俯いてしまう。 「・・・なんで俺なの?雅じゃないの?」 「・・・それは」 「雅には英地がいるから?だから俺?」 「俺は」 「俺、雅のスペアじゃないよ」 「知ってるよ」 「違うよ!何で俺なの!芦江さんなんか知らないのに!」 今までやっとで堰きとめていた涙が瞬間に溢れ出した。 「・・・本当に知らないのか、俺を?」 芦江は驚いたけれど、パニックになり始めた楓の腕を掴んだ。 「離せよっ俺、芦江さん知らないもん、知りたくないもんっ、帰れ、帰って!俺とずっと会わないで・・・!」 あまりに泣きながら叫ばれて、芦江は思わず手を離した。 涙の止まらない目を擦りながら、楓はいつの間にか落としていたヴィッグを拾って、廊下を駆け出した。その背中が自分の何もかもを拒絶するので、芦江は一歩も動けなかった。 楓の背中が廊下の向こうに消えるまで。 芦江はそれから楓の教室に向かうわけにもいかず、校門のところで雅と英地を待った。 それほど待たず、後輩が現れると、心配そうな二人をよそに芦江は落ち着いていた。 「西寺、あの子に俺がここに来た理由、言ったか?」 雅は驚いたが、首を振る。 「いいえ・・・そんな暇なくて・・・楓もなんか落ち着きがなくなってて、クラス中に怒られてたし・・・」 「先輩、楓に何か・・・?」 英地の質問は大事な幼馴染に対する危惧が含まれていた。 芦江は何も、と首を振る。 しかし芦江は余裕を見せるほど、落ち着いていた。 それから楓は、雅に当てられてた通り、クラス中に怒られていた。 やる気がなかったからである。ぼうっとして、何をしても反応が遅かった。 素直に頭を下げる楓に、昔からの友人たちもどうしたんだ、と反対に心配してしまった。 文化祭が終わっても、学校中がいつもの生活を再び始めても、楓は浮上しなかった。 今までの経験からクラスメイトも様子のおかしい楓にいろいろと話を持ち上げたりもので釣ってみたりするのだが、まったく効果がないとお手上げ状態である。 そして、最後の手段として、本人に直接訊いてみた。 「楓、どーしたんだよ、お前らしくねぇな」 楓は何も見ていなかった目を動かして相手を一瞥すると、 「・・・俺らしいって、なんだよ」 「らしい・・・って」 冷たい一瞬の視線と言葉に、声をかけた方が戸惑う。そこへ、別の友人が入った。 「やめろよ楓、お前が悪い。心配してもらってんのに」 「・・・・」 楓は忠告してくれた同級生たちを見て、ふい、と視線をそらして「ごめん」と誤った。 再び、周りの方が困る。誤って欲しくて言っているのではないのだ。 「何があったのか、相談もしてくれないのか?そりゃ雅に比べたら、俺たちは頼んないかもしれないけどな・・・」 「・・・ごめん、違うんだ」 楓はいつも笑っている顔の眉を寄せて、その目を伏せた。 「自分のことだから。自分のことなのに、自分でどうしたらいいのか判んなくて、迷ってるとこ・・・」 「好きなやつでも出来たのか?」 「・・・っ」 いきなり図星を付かれて、詰まって肯定してしまった。 「え?え?誰?どこの子?!」 友人たちの方が、楓より焦って問いただす。楓は隠しようもない赤い顔を俯けて、 「・・・違うよ」 いくらそう言っても、体中で動揺している。友人たちにとっても初めてのことだったので好奇心がプラスされる。 「違うよ、違う・・・好きなやつなんていないよ・・・」 「そっかーそれで変だったんだな、お前」 「違うって言ってんだろ!」 怒鳴って否定しても、身体が肯定している。その顔が真剣で、その目が泣きそうに見えて、友人たちも何も言えなくなってしまった。 楓はそんな同情された視線から逃れたくて教室を出た。 「忘れよう」 楓はそう思った。それが、一番楽な方法なのだ。 しかし、それを裏切るかのように事件は放課後、起こった。 |
to be continued...