歌姫  1





「お前はもう自由だ」
王さまは歌姫に云いました。




砂埃の絶えない砂漠近くの街で、盗賊たちが棲家にしていた崩れかけた家屋が一掃された。
その陣頭指揮を執った二人の男は、人気のなくなったその場所を最後の改めに見回っていた。
「ツェンー? 何かあったか?」
大声を出せば家の端から端に届く距離だ。
伸びた黒髪を無造作に後ろでひとつに括っただけの、彫りの深いカジクが相棒を呼んだ。
いつもならすぐに、ない、とだけ返ってくるはずの返事がない。
カジクは意識を向けて奥に居るはずの相手を探す。
「ツェン?」
食堂らしい部屋の奥の壁の前に立ち尽くした相手を見つけて、その背中に問いかけた。
その髪が赤茶気ているのは、日に焼けすぎたせいだろう。根元は確かに黒かった。
振り返ったのは表情が無ければ怖い、とカジクの新妻によく言われるほどの真剣な顔で、残バラに切り落とした髪を押さえつけるように布で巻き、その下から見える双眸は闇夜に良く光るほど強い。
埃を防ぐための短めの簡易マントの下に片手があるのは、腰帯に挟んだ短剣を手にしているからだろう。
カジクを振り返ったツェンはその手を引き抜き、
「ここ、隠しだな」
変哲もない壁に当てた。
「ここだけ冷たい。向こう側がある」
「え、ほんとに」
カジクも驚いてその手に習うと、確かに気温の高いこの街では驚くほどひんやりとしていた。
「押すぞ、手伝え」
「おう、」
鍵も何もないとすでに見たのか、ならば後は力づくだという結果しかない。
扉と思う片側に二人で肩を当て、目一杯の力で押した。
ゴリ、
と石壁が擦れる音が立ち、その後は思ったよりもあっさりとその隠し扉は姿を見せた。
ゴリゴリゴリ、と扉を開け放つと、地下へ続く石段が見える。
「・・・おいおい、盗賊の隠し金でもあんのか?」
この仕事の報酬は、全て現地払いだ。
カジクはまだお宝がある、と声を嬉しそうに上げた。
その隣でじっと光のない下を見ていたツェンは、
「・・・どうかな」
一言だけ呟いて華燭を取りその中に足を踏み入れた。


地下はそれほど深くはなかった。
そしてその部屋らしきものには扉もない。
乾燥地域には珍しいほどのひんやりとした湿気を持った空気が溜まっている中を、ツェンは華燭を掲げて照らす。
「・・・・・・」
ツェンの後ろから覗き込んでいたカジクも声を失くして照らされた場所を見た。
その部屋にあったのは、簡易なベッドとその上に転がったガラクタだ。
そのガラクタは、確かに人の子供のような形をしていて、何も身に着けていなかった。
さらに足を投げ出して座り俯きがちの顔は表情もなく光に照らされても視線すら動かない。
「・・・アンドロイドかよ」
そう呟くカジクの声は少し嬉しそうだ。
この時代、アンドロイドは高く売れる。故障しているのなら修理が必要だが、と思っているとツェンに華燭を手渡されて引き受けた。
喜んだものの、そのガラクタになった状態を近くで見てカジクは顔を顰める。
元々は美しかったのだろう姿は、傷と汚れで見る影もなく、さらにその身体を痴情に使われたのだろうとした形跡が拭われもせず残してあった。
ツェンが手を伸ばし、動かない人形の状態を調べているのを見つつ、
「盗賊が・・・買ったわけじゃねぇよな、盗んできたのか」
そして、ここに押し込められて欲望の中に落とされていたのだろう。
「だろうな」
背中を見ていたツェンが低く同意する。
「買えるはずがない」
「なんで?」
アンドロイドといってもピンからキリまであり、下流階級であってもある程度のものは買えるものもある。
しかしツェンの言葉ははっきりとそれも否定する。
「これを見ろ」
「ん?」
艶も無くなったくせ毛の黒髪を、その襟足を持ち上げて首の後ろをカジクに見せる。
そこにあったのは家紋にも見える痣で、カジクにもそれがなんの模様であるのかは理解できた。
「うあ・・・アリストテレスの・・・っ?!」
「金持ちがその身代を潰すほどの高嶺の華だぜ」
「じゃ、これAタイプ・・・?」
「なんだろう」
その文様は知る人ぞ知る北の国に住むアンドロイド製作者のものだった。
その男の作るものはまるで人間のようで、しかし生身の人間よりも美しくある。
精巧なそれは未だ誰一人として超えたものはいない。
「こんなもの盗んだら、世界政府から目を付けられるぜ」
その博士はどうやってか、世界中の要人と繋がりを持ち世界中の権力者の一人としても名を知らしめていた。
「どうすんだよ? 元の持ち主探すったって・・・」
この状態では探しようもない。
カジクはもはや売ることも頭になく、返すことを考えた。
その方が安全だからだ。
ツェンは素直に頷き、
「返せばいい」
「だから、誰に?」
「元の持ち主に」
「って・・・」
「この、アンドロイドの製作者に」
さらりと言ったツェンの言葉に、カジクは驚愕に目を開く。
それも気にしないのか、ツェンは少年の身体を改め元々は白磁のそれだった肌の上で、腰骨の上にある文字に気づいた。
汚れと一緒になって、よく見ないと気付かないものだ。
「・・・アリタータ?」
目を凝らしつつも、ツェンはそれを読んだ。
しかし、読みながらその文字にツェンは驚いた。
今はすでに亡き文字だったからだ。カジクは後ろから顔を出し見ても、良く読めるな、と呆れただけだ。
「本当、無駄に物知りだよな、ツェンは・・・」
言いかけて、カジクは声を止める。
ツェン自身も驚いた。
まるで壊れたものだった人形が、何に反応したのかゆっくり顔を上げたのだ。
瞬きもないその双眸が、しっかりとツェンを見て止まる。
華燭の光のせいなのか、金色に見えるその目にツェンは驚き、しかしもう一度口を開く。
「アリタータ、と言うのか?」
少しだけ動いた人形は、その閉じられた口を開くことはなくただツェンを見上げる。
「さすがAタイプ、ここまでなっても壊れてないみたいだな」
ツェンは言って、自分のマントを取り人形の身体を包み抱き上げた。
「アリタータ、博士のもとに連れてってやる」
「おい、ツェン・・・っ」
驚いたのはカジクだ。
この砂の街から、聞こえ知るその博士の場所がどれほど離れているか想像しただけでも簡単ではない、と知るからだ。
ツェンは人形を抱いたまま相棒を振り返り、
「新婚のお前を連れて行こうとは言わねぇよ、一人で行ってくる。まぁ三ヶ月もあれば往復できるだろう」
「だろうってさ、お前・・・!」
カジクは呆れたけれど、その意志は誰の声をもってしても止められないことは良く知っていた。
言い出した相棒は最早決めてしまえば実行するだけだった。
「まったく・・・次の雨季には間に合わせろよ」
乾燥したこの地帯には、一年に一度だけ雨の降る季節がある。
一年分の水を溜めるそれに、仕事は有り余るほどあるのだ。
ツェンは目を細めて、それに了解した。

     *

アリタータにとって、世界は無でしかなかった。
ある日突然、アリタータの視界は塞がれたように闇になったのだ。
幼く見える身体に、どんなことが訪れようともアリタータは反応する術もなかった。
人間から人間に移り、場所をどれだけ移動しようとも扱いは変わらない。
そのうちに、アリタータの名前を呼ぶものも居なくなった。
記憶の片隅にある風景は、性能の良さのせいで薄れはしない。
しかしアリタータはそれを押し込めた。
思い出しても戻りはしないのだ、とどこかで知っていたからだ。
いったいどれほどの時間をそうして過ごしたのか、アリタータは不意に音を聞いた。
機能は全て落ちていると思っていたのに、全身に響くように声が聴こえた。
「アリタータ」
それは名前だった。
もう誰も呼ばない、アリタータの名前だ。
声に見上げると、それまで闇だった世界に人間が映った。
野性味のある、人間の雄がアリタータを見て微笑んでいた。
その腕に抱き上げられ、場所を移動すると風景が視界に映る。
ここはどこだろう、と思っていると、細身の人間の雌の前に差し出された。
「レヒェン、洗って着替えを頼む」
「どこで拾ってきたの? それより、私は雑用係じゃないのよ」
「知ってるよ、カジクの奥さんだろう」
「知ってたの、無駄なことしか知らないのだと思ってたわ」
「無駄なことって?」
「どうでもいい知識は生きていくのに必要ないのよ、明日の小麦の値も知らないで生きていこうなんて、良く思えたものね」
「生きていくだけなら出来る」
「あのね・・・!」
「まぁまぁ、レヒェン、頼むよ、この子一言も話さないんだ」
「・・・・カジクったら、本当、甘いわね・・・いいわ、名前は?」
「アリタータ」
「アリタータ、お湯を沸かしてあげるわ、いらっしゃい」
名前をまた呼ばれた。
人間の雌はとても優しく笑い、アリタータの手を引いてその通り身体を清め洗い、柔らかな服を着せてくれた。
「私の子供の頃の服だから・・・女の子のものだけど、平気よね」
可愛い、と人間の雌が微笑む。
アリタータの髪を梳き、額に唇を当てた。
アリタータは身体に感覚が戻ったことを知った。


to be continued...



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