シュリ 2 シュリは深い雪の中を、一歩一歩確かめるようにして歩く。 足取りは重い。 息も荒かった。肩に背負うロープが、重かった。しかしシュリはその手を離さない。細い肩に、ロープが食い込み、小さな身体が雪に沈もうとも絶対に離さなかった。 その先に、簡易のソリを作り、その上にブルーを横たえた。寒くない様に、部屋にあったありったけの布団をくくりつけた。 シュリはある一点だけを目指す。もう、そこしか希望はないのだ。 ブルーが大事だった。 そんない長くではない。独りで生きてきた時間に比べれば、なんと短い時間を過ごしてきただけのアンドロイドに、こんなにも、想いが募る。 ひとりにしないで。 ブルーと一緒に生きたかった。そのためなら、何をしたって良かった。 お願いだから、もう一度目を開けて。 シュリは自分も恐ろしく冷たくなっていくのも気にせずに、ただ前を目指した。自分のコートさえ、ブルーに掛けたのだ。 足取りが重くなる。しかし、止まる訳にはいかない。 門が見えた。 丘の上の城だ。初めて間近でみるその城は、本当に大きかった。 無我夢中で足を進め、やっとその扉に辿り着いたとき、自分の手が震えているのも気にせずに、力いっぱい叩いた。 呼び鈴にも気づかず、ただ、叩いた。 しばらくして、扉が動いた。 ゆっくりと内側に開いた。 博士が住んでいると聞いたのに、そこに立っているのは、自分と変わらない少年だった。長い髪に、美しい顔。その身体に誂えて作った綺麗な服。 シュリはしかし、少年が誰でも良かった。 枯れかけていた声で、思い切り叫んだ。 「お願い!ブルーを助けて!博士がいるって聞いたよ!ブルーを・・・ブルーを助けて!」 涙も凍って出なかった。それでも、シュリはその少年に縋りつき、泣いて頼んだ。 もう、ここしか希望はない。 そのとき、少年の後ろから低い声が聞こえた。 「シェリー、入れてあげなさい」 シュリが少年越しに奥に視線を向けると、右目だけにレンズを嵌めた、若い男がいた。 いや、正確には年齢は判らない。外見は整っているし、若くも見えるがその落ち着いた雰囲気が年齢を不詳にさせる。しかし、シュリにはそんなことどうでも良かった。 「あんたが博士?お願い、ブルーを助けて、とまったまま、動かないんだお願い!」 「そのそりに乗せられた男かな?それよりも君も温まったほうが良い」 「俺はどうでもいいよ、ブルーを・・・」 「君の方が先にどうにかなりそうだよ、シェリー、この子を温めてあげなさい」 シェリーと呼ばれた少年は、頷いただけでシュリを促した。しかし、シュリがブルーを気にして動かないのを見て、 「彼は私が診るよ。君はシェリーに診てもらいなさい」 博士のその言葉で、シュリはやっとシェリーという少年について行った。 シュリはそんな部屋に入るのは初めてだった。 金持ちに買ってもらい、綺麗な部屋に連れて行かれることもあるけれど、こんな豪奢な造りの部屋は初めてだ。しかも浴室だ。それだけで、シュリの部屋より広い。 大きなバスタブに、惜しげもなく暖かいお湯が張られ、シュリはその中に身を沈められた。身体の奥から温まる。 固まっていた体が、ようやく油を差したように動き始める。 十分に身体を解してから、真っ赤になった指先や足、顔にもシェリーがいい匂いのするクリームを塗ってくれた。 それから着替えにと差し出されたのはシェリーの身に着けているような上等な衣類だった。シュリはどきどきしたけれど、それに袖を通した。 ずっとそばについていたシェリーは一言も話さなかったけれど、嫌じゃなかった。気まずい沈黙ではなかった。なにも話さなくてもよいのだ。 心地よい空間だった。 この城はどこも暖かかったけれど、それでも念のためにシュリはさらにストールを巻かれた。その格好で、博士のもとに連れて行かれたのだ。 想像していたのは、沢山の機械のある部屋で、しかし実際のその部屋は寝室のように見えた。そのベッドに、ブルーが寝ている。 シュリは見つけるなり、駆け寄った。 表情は、シュリが自分の部屋で見つけたときより明るく見える。だから少しほっとした。ブルーの左手に管が付けられ、点滴のようなものを見て、それから博士に向いた。 「あの、ブルー助かる?いつ目が覚める?」 「その前に、聞きたいことがあるのだけれど」 「なに?」 「君はどうして彼をここに連れてきたの」 「・・・ブルーが、止まったから・・・バッテリが切れたのかと思ったけど、でもそうじゃないような気がして・・・」 「バッテリ?」 「博士は、アンドロイドを作ってるんだろ?だから、ブルーも直してもらえると思って」 「・・・確かに、私はそう呼ばれるものを創っていたけれどね・・・彼がそう言ったの?自分がアンドロイドだと?」 「うん、俺、何でもするから、お金もってないけど、何でもするから、ブルーを助けて」 「私には、彼を直せないよ」 博士のきっぱりとした一言に、シュリはさっきまで暖かかった身体が、一気に寒くなった。 「な・・・なんで?!博士なんでしょ?どうして直せないの?!」 「私は医者じゃないからね」 「どういう・・・」 ことだ、とシュリが聞く前に博士は口を開いた。 「彼は人間だよ」 「・・・・・?!」 シュリは思考が止まった。 そのまま、考えが上手く纏まらない。混乱し始めたシュリに、博士がまた声をかける。 「確かに、身体の部分的に人口に手を加えているようだが・・・ほぼ、生身と考えてもらって間違いはない」 「だ・・・・って、すごく重いものでも、軽々と、ブルーは・・・」 「うん、腕や足に・・・少し弄った痕が見られる。そのためだろうね」 シュリはそのまま、動きを止めた。 どうしても纏まらなくて、博士を凝視した。しかしその博士は視線をずらし、 「その理由は・・・本人から聞いたらどうかな。目が覚めたようだよ」 「?!」 シュリは急いでベッドに眠っていたブルーを振り返った。 確かに瞼が開いている。確かめるように、何度か瞬きを繰り返した。 そのあと、視線だけをずらし、シュリを見た。 そしてまた、天井を見上げ、大きく息を吐いた。 「・・・僕はまた、死ねなかったのだね」 シュリは驚いた。 ブルーの声ではない。いや、確かに声はブルーなのだが、その口調が、今までの硬い言葉ではなく、感情を持った声なのだ。 「そのようですね。心配する子もいるようだし、もう暫く生きてみては?」 博士はそんなブルーに軽く声をかけた。 「ついでに、何故自分をアンドロイドだと偽ったのか、この子はとても知りたいようですよ」 ブルーはその博士に視線を向けた。 「貴方は?」 「私はこの城に隠居しているものでね、趣味で機械を弄ったりするけれど、そのせいで街の人は私を博士と呼ぶようですね」 「ああ・・・聞いたことがあるよ。北の城に住むAタイプの製作者だね」 「貴方は・・・同業者のように見えますが?」 ブルーの視線は疲れていた。 そう呼ばれるのが、とても苦痛のようだ。 「そう・・・だった、だね。今はもう、違う」 ブルーはゆっくり身体を起こした。 それから混乱でただ状況を見守るだけのシュリに向き直る。 「シュリ・・・君と会って、僕は初めて生きたいと願ったよ」 「・・・・・?」 「嘘をついてごめん、ちゃんと、話すから」 ブルーの顔にまた、暗く影が映る。 それでも、ブルーは口を開いた。 誰にも視線を合わせることなく、自分の人生を語る。 「僕の名前は・・・セイジ・マキムラ。でもこの名前はよく判らない。僕はまだ、セイジなのか・・・誰なのか。貴方の言うとおり、僕も研究者だ」 少し博士に向いて、また俯いた。 「東のある国家機関のセンタに勤めていた。初めは・・・そう、仕事に就いたときは楽しくて仕方がなかった。毎日、研究に打ち込むことが生きがいだった。ある日、僕はある研究を完成させた。しかしそれは・・・させるべきではなかった。禁忌の研究だった」 ブルーは是認の視線が注がれているのが判って、逃れられないことが判っても、それでも逃れたくて、部屋の隅に視線を移した。 「・・・不老長寿の研究だよ。人間はいつかは死ぬ。それは当然のことだ。その当然のことが受け入れられない人間が多かった・・・実験を重ね、より完璧さを求められた。何度も・・・繰り返させられた。僕は、それが嫌になった」 思い出したのか、ブルーは眉間に皺を寄せ、大きく息を吐いた。 「生きることがとても・・・嫌になった。僕は早く死にたかった。でもそこにいたら死なせてはくれなかったから・・・逃げ出したんだよ、僕は・・・」 死にたくて、自分の死に場所を求めて、ひたすら歩き続けてきたのだ、と。 「ひとつ、訊かせてください」 博士がそこで、口を挟んだ。 「・・・なんでしょう」 「貴方は今、おいくつになられたのですか?」 ブルーは目を大きく開いて博士を見、それから諦めたように苦笑した。 「・・・二百を超えたところまで、数えていました」 驚いたのは、シュリである。今まで黙って聞いていたが、内容が自分には難しくてただ聞いているだけだった。それがいきなり現実が湧いた。 目の前にいるのは、どう見ても二十代の成人男性にしか見えなかったからだ。 「三十五までは、自分の身体でした・・・それから、何人の身体を使ったのか・・・」 ブルーはまっすぐに博士を見た。 「僕は、自分で実験してみたのです。僕の・・・研究は魔法でもなんでもない。頭を開いて、脳を移植させたのです。意識が同じなら、同じ人間だろうと」 「成功されたのですね」 簡単な結果に、ブルーはまた俯いた。 「僕は後悔した。人間は、一度の人生であるからこそ、美しいのです・・・何度も、自ら命を絶ちました。しかし、気がつくとまた僕は・・・違う身体で生きていた。逃げ出して、ゆっくり死にたいと決意しました。その途中、自分が本当に生まれ変わったら、どうゆう人生を送っただろうか、と考えたり・・・何も知らないでいられたら、どんなに楽だろうかと・・・僕は何も知らないアンドロイドで、僕のことを誰も知らない土地で」 「俺を騙してたのか」 唐突に、シュリが口を開いた。 その顔は、蒼白に驚いている。ショックで、悲しみが隠しきれない。 ブルーは慌てて首を振った。 「違う・・・!さっきまで僕は、本当に何も覚えていなかった」 真剣に、シュリを見る。 「本当に・・・自分をアンドロイドだと思っていたんだ・・・」 「それでも・・・ブルーじゃないんだろ」 シュリは泣き出しそうな顔だった。 難しい話は、自分にはよく判らなかった。ただ、目の前にいるのは、ブルーではなく、他の人間だ、と判っただけだ。 「・・・ブルーでいたかった・・・君といる時間が、僕にはとても楽しかった。このまま、セイジでいた頃なんか忘れて、君と二人で生きて行きたかった・・・!」 「よく・・・わかんないよ」 「シュリ・・・」 「わかんない」 シュリは俯いて、唇を噛んだ。 次に顔を上げたときには、目に一杯の涙を浮かべていた。 「わかんない!あんたは誰なの?ブルーじゃないの?」 「・・・ブルーでいたかったよ・・・」 押し殺したような声に、シュリは叫んだ。 「なんだんだよ!」 心から、叫んだ。 「いたいならブルーでいればいいじゃん!なんでそんなこと・・・っ」 シュリは心の奥の葛藤に気づいた。 よく解らなかった。理解したくなかった。それでも、ブルーは、ブルーを見ていると、その誤魔化したかった事実が出てくる。はっきり、解ってしまう。 解りたくなかったのに、気づいてしまった。 ブルーが自分を過去形にしてしまうことに。 「俺はブルーしか知らないよ・・・!なんでそんなこというの、なんとかいう男のことも、あんたが誰の身体なんかも、知らない・・・俺は、ブルーしか知らないよ・・・」 ブルーでいて欲しい。 それを望んでくれるなら、自分も、心から望む。 過去など何の想いにもならない。シュリには今しかなかった。振り返っていたら生きてなどいられない。 今、ブルーにいて欲しかった。 「傍に居てよ・・・ひとりにしないで」 心からの、願いだった。 誰かと一緒にいる喜び、楽しみを知ったとたん、またひとりになどなれなかった。 「貴方は完全に、追っ手を振り切ったようですね」 「え?」 突然の第三者、博士の言葉にブルーは思い出したように視線を向けた。 「ある程度の情報はここにいても入ってきます。現在、貴方の追っ手はこの街には来ていない。つまり、貴方を知るものはいない」 「・・・・」 「望まれているのなら、それを受け入れてみればどうなのです。なにも弊害はありません」 ブルーは博士の言いたいことに気づき、戸惑った。 過去を捨て、ブルーとして生きてみろと言っているのだ。 今度こそ、新しい人生を。 初めて、心から望んだものがある。 しかし、自分は死を望んだ人間だ。また、生きる喜びを見つけて、新しい人生を送る資格が自分にはあるだろうか。 シュリに、視線を向けた。 涙に濡れた目が、自分を見ている。生きていく希望が、そこにある。生きていたいと、シュリと居たいと、望んでしまう。 今、本当に命を絶てたら、何もかもの檻から逃れられて、人間にある当たり前のこの煩わしいような感情からも解き放たれて、楽になれるはずだ。 しかし、喜びを願う。シュリと居られる喜びを、望んでしまう。 ブルーは目を閉じて、大きく息をした。 それからゆっくり目を開いて、 「シュリ・・・君と、生きてもいいだろうか」 濡れた頬に触れた。 「・・・ッ」 シュリはただ頷いた。 「ブルーとして、また君と暮らしたい・・・」 シュリが腕を伸ばして、ブルーの首に絡めた。 想いが溢れて、言葉にならない。ただ、頷いた。 難しいことは、解らない。でも、目の前の温もりが、消えないでいてくれる。 それが現実として解ったから、それで良かった。 博士がシェリーを促して、そっと部屋を出たのも気づかず、シュリはブルーにしがみ付いていた。 ブルーはそんなシュリを落ち着かせようとゆっくりと背中を、頭をなでて やって、抱きしめていた。 ようやく落ち着いた頃に、ブルーはシュリに囁いた。 「シュリ・・・ひとつお願いがあるんだ」 「・・・・?」 「僕は働こうと思う。お金が入るなら、肉体労働でもなんでもする」 シュリはきょとん、とブルーを見た。 「だから・・・もう二度と、身体を売らないでほしい」 「・・・・!」 「お願いだから・・・」 真剣なブルーの表情に、シュリは頷いた。 「わかった。もう、しない」 ブルーはそれを見て、安心したように息を吐いた。 それから、まだ幼い顔の額にゆっくりと口付けた。 その行動に驚いたシュリはしかし、ブルーの唇が触れた額をさわり、嬉しそうに微笑んだ。 |
fin