シュリ  1





いつものように仕事を終えたときだった。
家の前に何かがあった。
いや、正確には家の前に積み上げてあるゴミの向こうに見慣れないものがあった。シュリは買ったばかりの食糧の入った紙袋を胸の前に抱えて、それを覗き込んだ。
「・・・?」
もう夜も更けていたけれど、月明かりでものの識別は出来た。
ゴミに倒れこむようにして眠っている、ヒトだった。


シュリは自分のベッドを占領して眠っている顔を覗き込んだ。
瞼がかすかに動き、何度か瞬きを繰り返して、シュリの視線と絡んだ。
「起きた?」
シュリは家の前で転がっていた男を家の中に入れたのだ。
男は恐ろしく体温が低く、焦ったシュリはどうにか暖めようと狭い部屋の中で右往左往していた。そのかいもあってか、男は今気づいたようだ。
不思議そうにシュリを見上げている。
「気分は?俺の言ってること、判る?」
男はゆっくり頷いて、身体を起こそうと動いた。
「大丈夫?起きれるのか?」
上体を完全に起こしてから、
「大丈夫です。起きれます」
機械的に口を開く。シュリは首を振って、
「別にいいけどさ、なんかしなきゃとは思ったけど、医者に見せる金何か持ってねぇし、部屋ん中もそこまであったまんないし、気づいてくれて良かったよ」
「申し訳ありません。このあたりでバッテリが切れたようです」
「?バッテリ?」
「はい。回復するのに動力が止まります」
シュリは表情のない男をまじまじと見つめた。
「・・・お前、アンドロイドなの?」
「はい、そうです」
簡単な肯定に、シュリは大きくため息を吐いた。
「なぁんだよーすげぇ体温低いから、どうしようかと思ったろ」
「申し訳ありません」
「謝って欲しいわけじゃないけどさー、俺に区別出来ないだけの話しだし」
シュリはヘタに扱うと壊れそうな椅子を出してきてベッドの前に座った。
「アンドロイドって、あの丘の城に住んでるていう博士のとこの?」
「いいえ、私はその方を知りません」
「じゃ、主人がいるんじゃないの?」
「いいえ、私には主人はいません」
「え?いないの?」
「はい、いません」
シュリは少し考えて、いぶかしんだまま、
「よく、わかんないけど・・・そうゆうもんなの?俺、あんまり詳しくないんだよ、頭悪いからさぁ」
「はい、私には主人はいません」
レコードのような繰り返しの言葉に、シュリは息を吐いて、
「まぁいいや。それで、どっかいく途中だったのか?」
男は首を振り、
「いいえ、行くところはありません」
「?じゃあ、何で行き倒れてたんだよ。こんなとこで」
「バッテリが切れたからです」
「そうじゃなくてさぁ・・・」
首を傾げる男に、シュリは頭を掻いた。
自分の聞きたいことがあまりに相手に伝わらないことに、自分も混乱してきたのだ。しかししばらくして吹っ切れたように立ち上がった。
「まぁいいや。行くとこないんだったらここにいてもいいよ。汚ぇ部屋 だけど」
「いいのですか?」
「いいよ。これからもっと寒くなるし、アンドロイドでもヒトが多い方がこの部屋あったかくなると思うし」
「はい」
「あ、なんか飲む・・・て、飲めるの?」
「はい、飲めます」
「あ、そう」
シュリは詳しくは聞いても判らないから訊かないことにした。
「えーっと・・・あんた、名前なに?俺はシュリ」
「名前はありません」
「・・・ないの?」
「はい。ありません」
「不便じゃん」
「今まで呼ばれたことはありません」
「・・・なんで?」
「私には判りません」
「俺にも判んねーよ、名前きめよーよ」
「どうしてですか」
「二人でいるのに、名前呼ばないでどうすんの?俺はなんて呼べばいいの?困るじゃん」
「困りますか?」
「困る」
「では、名前を決めてください」
「俺が?自分で好きな名前にしろよ」
「好きな・・・判りません」
「わかんないって・・・自分のことなのに?アンドロイドってよくわかんねーなー」
シュリは男をもう一度覗き込み、その目を見て笑った。
「じゃあ、ブルー」
「ブルー?」
「そう、あんたの目の色。すごい深い青色」
「ブルー・・・」
男は自分に刻み込むように名前を呟いて、
「私の名前はブルーです」
笑った。初めて笑顔を見たシュリのほうが慌てた。
「なんだ、笑えんじゃん、ブルー」
「はい」
男は笑って答えた。
その日から、シュリとブルーの生活が始まった。


この世界にアンドロイドというものが一般的に普及されて随分になるがシュリはその本物を初めて見る。いくら一般的といっても庶民に買える物ではない。シュリの生活範囲では見る機会などまったく皆無なのだ。
だからブルーと暮らし始めて、アンドロイドとの生活の違い、感覚の違いを理解した。判ることは明確に答えるし、判らないことははっきりと判らないと返ってくる。その感情に曖昧さがないのだ。難しいことが判らないシュリにとっては、ほぼ感覚だけが今までの生活の大部分だっただけに戸惑うことが多い。ブルーは判らないことは理解しようという機能がついているのか、はっきりとした答えを知りたがる。しかし、物事に置いて、その行動にはっきりとした意味を持ってしたことなど、ましてや言葉でも説明などシュリに出来るはずもない。
それでも二人の生活は順調だった。
シュリは誰かと一緒に暮らすことが楽しいと初めて感じられたのだ。
ブルーはその一日をほとんど家から出ずに過ごす。シュリが生活の糧を稼ぎに出かけるのを見送り、出迎えるだけだ。
大体、部屋の掃除をしているかバッテリが切れるのを防ぐためにじっとしていることが多い。
シュリがまず驚いたのは、その腕力だった。
シュリの家は、まず、家と言うには相応しくなかった。住宅の奥にある使われていない倉庫のような建物の一階を掘り起こしてどうにか住める様にしているだけだ。
階上は倉庫というよりごみ溜めのままだし、部屋の要らないものを外に出し、それはそのまま置かれているのだ。ブルーが初めに埋まっていた、それである。
ブルーはまずそれをどうにかしようと、シュリがかなり苦労して引きずリ出した粗大ゴミやその塊を、軽々と片手で持ち上げ、邪魔にならない場所に移動させた。そして几帳面なのか、そういう風に作られているのか部屋の掃除をし始め、シュリが苦心して作った一応な風呂を少し手を加えただけで綺麗なシャワールームに変えてしまった。
「ブルー、こういうの得意なのか?すごいなぁこれ」
シュリが感心して呟くと、
「そのようです」
と頷くだけだ。 
たまに、シュリは変な感覚を覚える。
ブルーの言動を、不思議に思うのだ。
自分のことなのに、自分をよく知らないようだ。しかしシュリは深く気にしなかった。アンドロイドというものはこういうものかもしれないと納得していたのだ。
シュリはその話はそれまでにして、早速そのシャワーを使った。
ちゃんと暖かいお湯がでる。この季節にはありがたいことだ。
綺麗に身体を拭いてから、自分の持っている服で一番上等なジャケットを取り出した。襟元にリボンを結べば、それなりの子供に見えた。
もともと、綺麗な顔立ちをしているので、おそらく着飾ればどんどん美しくなるだろう。
ブルーはその格好を初めて見るので、素直に訊いた。
「それは、なんの衣装ですか?」
「んー?あんまりみずぼらしいカッコだと、金持ちは嫌がるんだよ。これから金がいる季節になるしな。ちょっと小銭を稼いでおこうと思って」
「金持ち?いつもの格好では駄目なのですか・」
「うん、キレイにしてたほうが買ってもらいやすい」
「・・・私には判りかねます。どのような仕事なのですか」
このとき初めて、ブルーはシュリの仕事を聞いた。シュリはふらりと仕事に出て、時には早く、時には遅くもなるが、必ず帰って来たからだ。
「男娼」
「だんしょう」
シュリの言葉を繰り返したブルーに、
「男の娼婦だよ、この身体を売ってんの」
と、己を指した。
「しかし、シュリはとても若く見えます」
「俺?そうかな、確か、今年で14だけど・・・」
身分が低ければ低いほど、小さなうちから働きに出る。シュリは独りで生きてきて数年になる。だからこの仕事に年齢など関係ないと思っているのだ。
「シュリはいつから仕事をしているのですか?」
「いつって・・・えーと、確か六つか七つで売られて、奉公先の家でそこの主人にやられたのが最初でー・・・しばらく我慢してたけど、嫌になって飛び出したのが10くらいかな・・・それから、子供が生きてくにはそれしかなかったし、俺の顔は売れるらしいから、結構稼げるよ」
ブルーは少し考えていたのか、ゆっくりと口を開いた。
「私は、あまり好きではないようです」
「なにが?」
「シュリがその仕事をすることを」
「なんで?生きてくには仕方ないじゃん、俺、これ以外の稼ぎ方なんて知らないし」
「しかし、私は好きではありません」
シュリにとっては、唯一の選択であったのに、それをブルーに否定されて、やはり14の子供のシュリはムッとした。
「ブルーがするわけじゃないんだから、いいだろ。俺は稼げればそれでいいよ」
「シュリはまだ子供だと思います」
「だからなんだよ?じゃぁ、ブルーは何歳なんだよ」
「・・・判りません」
「ほら、自分の年もわかんないやつに、言われたくない」
シュリはそう言い捨てて、部屋を出て行った。
仕事に、行ったのだ。


シュリが帰って来たのは、翌朝だった。
その日は朝から白いものがチラついていて、これからこの街は白く閉ざされる。
「シュリ、疲れています」
家に入ると、シュリが出て行ったときのまま、そこにいたブルーが言った。
その通り、シュリはさすがに疲れが見えていた。
「ちょっとはな、少し休めば大丈夫。でも、結構稼げたから」
「私は、シュリの仕事に賛成できません」
「・・・しなくていいよ。ブルーになんか言われたくない」
「止めたほうがいいと思います」
「うるさいったら!じゃあブルーは何ができるんだよ!ただ家にいるだけじゃいか、何もしてないじゃないか!」
「・・・私は・・・」
「何が出来るんだよ、ブルーは!」
「私が・・・出来ることは」
ブルーはそう呟いて、止まった。
苛ついたシュリはそのままブルーに背を向けて、帰ってきたばかりの家から出て行った。


シュリが再び帰って来たのはそれから三日後だった。
すでに待ちは白く染まり、道を歩くにも困難だった。
決まりが悪そうに、自分の家のドアを開けた。
また、ブルーがそのまま自分を待っているように思えて、しかし出て行ったかもしれないという複雑な思いも混じり、ゆっくりドアを開けた。
そこは、シュリが三日前に出て行ったままの部屋だった。
いつもシュリを立って出迎えるブルーの声がしないことに、かなり落胆した。
やはり、出て行ってしまったのだろうか、と部屋を見渡したとき、一点で視線が止まった。
床に、ブルーがいた。
眠っているように見えた。
いや、バッテリが切れたように、見えた。
また、回復するために動力を止めているのかもしれない。
しかし、シュリにはどれにも見えなかった。
顔が、今までで一番青い。
死んでいるように、青い。
嫌な予感がした。
世界中の何かが終わったような気持ちだった。
シュリの声にならない悲鳴が、部屋に響いた。


to be continued...



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