音李 3 劉芳が何の仕事をしているのか、音李は詳しくは知らないままだった。 昼過ぎまでのんびりしているときもあれば、朝早くに出かけるときもある。 時折、どこかへ泊まってくることもあった。 しかしそれ以外は音李の相手をして過ごす。 当然、同じベッドで眠る。 何度抱かれても、やはり音李は泣いた。 快楽のそれになると思っても、どうしても涙が溢れる。だが劉芳は喘ぎのような泣き顔を好んでいるのか、その顔を楽しそうに眺めるだけだ。 この屋敷に来て、劉芳と暮らして二ヶ月がたったときだった。 音李は、外泊をした。 音李は縛られているわけではなく、欲しいものがあれば与えられるし外へ出たいと言えば基本的にはいつでも出してもらえる。 劉芳が仕事のときは、表情の変わらない執事がいつも付いてきてくれた。 そのときも、劉芳でなく執事が一緒だった。 朝早くに屋敷に帰ったのだが、そのときすでに劉芳が待っていた。 「・・・・早い、ですね」 音李は驚き、それだけを呟いた。 部屋で待っていたのか、大きなソファに座り劉芳は長い足を組んで怒気を感じるほどの無表情で返ってきた音李を見た。 居心地が悪そうに音李は身じろぎをしたものの、そんな顔をされる理由が分からなくて首を傾げた。 「・・・劉芳?」 「返品だ」 「・・・・・・・え?」 言われた言葉に、思考が付いていかず思わず訊き返す。 けれど間違いではない、と劉芳はもう一度言った。 「お前を返品する」 音李は愕然として、ただ立ち尽くした。 これまで四人の主人に仕えてきたけれど、そう言われたのは初めてだったのだ。 青い顔で震えながらも、唇を開く。 「・・・ど、うしてですか・・・?」 その理由が音李には思いつかないのだ。 劉芳の反応は淡々として吐き捨てるように、 「俺はセックスドールを買ったが、娼婦を買ったわけではない。主以外の男に簡単に抱かれるような人形など、必要ない」 「――――――」 音李は自分が立っていることが不思議だった。 どうしてそれを劉芳が知っているのかも分からないけれど、そのせいで返品されるというのが分からなかった。 漸く開いた口から出たのは掠れた声で、 「り・・・劉芳の、叔父上だと・・・伺いました」 「だからなんだ? 主の身内なら平気だとでも言うのか?」 「劉芳の、仕事が・・・円滑に、出来るように、便宜を・・・図ってくれる、と」 「俺はお前に尻拭いをされるつもりもないし、されなければならない仕事などしていない。俺の仕事は俺のものだ。お前が口を出すことではない」 「・・・・・・・・」 色を失った顔をしている音李の後ろに劉芳は視線を向けて、そこに控えていた執事に、 「返して来い。もういい」 トーンも変えずあっさりと告げた。 音李はまだどこか理解できかねる部分が多かったけれど、自分はしてはならないことをしたのだ、とは理解できた。 そのために主人の怒りを買い、この主は赦しはない。 音李はゆっくりと頭を下げ、 「・・・・もう、しわけ・・・ありません、で・・・し、た」 拙い声は震えて、たどたどしい。 本当にロボットのようだった。 性能もない、知能もないガラクタのようだった。 呆然としたまま執事に促され、部屋を後にする。 進められるまま車に乗り、ここに来た道を反対へと進んだ。 景色を呆っとして見る視線に焦点はなく、深い藍色の目に正気はない。 顔色も石のように白かった。 アンドロイドである。 人間のようだ、と誰も今なら間違えはしなかっただろう。 創り主である博士の城に帰ってくるのはこれで三度目だった。 一度目は自分がすでにない状態だった。 二度目はプライドの高いアンドロイドだった。 そして、三度目の今はアンドロイドでもまったく機能していないガラクタのようだった。 返品を受けたのだ。 音李は呆然として、その事実を受け入れようとしたけれど理由がはっきりと分からない。 どうして、怒られたのかも実はあまり理解していなかった。 博士とシェリーに出迎えられて、音李は表情もなくベッドに横たえられた。 そこで思い返したのだ。 どうして、こんなことになったのかを。 思い出せば理由が分かるかもしれない、と。 異国の街は音李には楽しく、劉芳にも言われているので音李は買い物に出かけると執事になんでも買ってもらっていた。 その男に出会ったのは、そのときだった。 劉芳の叔父だと言う男は黒装束で肉付きがよく、目が窪んだように見えて表情が良く分からなかった。 執事に確認すると確かに血縁であるらしい。 食事に誘われてそこで劉芳に言ったように、仕事上で円滑にするなら取引をしたいと言われたのだ。 そういった仕事は、音李にとって実は初めてではない。 前の主人からも、直接言われないまでも雰囲気で伝えられて主人以外にも抱かれた。 その男の言っている意味が理解できたとき、音李に浮かんだのは最初のころの劉芳の言葉だった。 「俺の喜ぶようにしろ」 その瞬間に、音李は頷いていた。 この男の元に泊まり、朝には帰る、と執事に伝えて音李は外泊をした。 そして帰れば、劉芳が待っていたのだ。 あんなに機嫌の悪い劉芳は初めてだった。 劉芳のためになるなら、と思ってしたのだけれど、それは劉芳のプライドを傷つけるだけだったようだ。 そして、いらない、と言われた。 「・・・主人以外の男に、身体を出したのかい?」 どこからか声が聴こえた。 とても暖かな声で、それが誰かと考える前に音李は頷いた。 「主人に抱かれて来いと言われていないのに?」 もう一度、頷いた。 そうするのが正しいのだ、と音李は以前に学習していた。 「お前が悪いね、捨てられても仕方がない」 優しい声もあっさりと言った。 どうしてだろう。 音李は何も映らない視界でゆっくりと瞬いた。 何がいけなかったのだろう。 「お前の主人は、誰だったんだい? 前の伯爵? それとも、今の実業家?」 「・・・・・・」 音李は何度か瞬いて、霞がかっていたような思考がクリアになった。 「僕が――――」 自分が悪かったのだ。 捨てられても当然だった。 学習したことは前の主人のことであって、劉芳に教えられたものではない。 アンドロイドは基本的に主を代えるとき真っ白な状態に戻る。 誰かの後というのは誰も快く思わないからだ。 博士の創るアンドロイドはクリーニングはしないが優秀で、以前の記憶も持ちながらも何も知らない状態で仕えることが出来た。 音李は、クリーニングされなかったのだ。 それが、音李の希望だ。 北国の伯爵に仕えたとき、その孫に乞われて仕えた。 しかし次がその息子だったのだ。 さすがに音李もこうなれば新しい状態など難しい。 主人に仕えながらその息子にも抱かれていないこともなかった。 そして他の主人を探して城に帰ってきたというのに。 音李は壊れたアンドロイドだ。 プライドが高くなりすぎてアンドロイドの仕事を忘れてしまったガラクタだった。 劉芳の叔父という男に抱かれている間、音李は快楽などなかった。 セックスドールだというのに、情事に楽しさなどもなかった。 早く終わればいい、とそれだけを考えていた。 その理由が解かる。 劉芳でないからだ。 劉芳のセックスは思えばとても優しかった。 音李に傷ひとつ付けることもなく、快楽に溺れるように抱かれた。 口付けが嬉しいと思ったのも初めてだった。 高慢な劉芳に音李のプライドなどないも同じだったけれど、劉芳ならそんなものは必要なかったのだ。 「・・・次の主人を探すかい?」 優しい声が聴こえた。 博士だった。 柔らかな笑顔で涙の止まらない音李を覗き込んでくれる。 音李は首を横へ振った。 劉芳が良いのだ。 劉芳でなければ、抱かれたくないのだ。 主人に捨てられたアンドロイドの結末は、決まっていた。 このまま眠れば終わる。 音李はゆっくりと目を閉じて、劉芳にもう一度謝った。 シュリがいつものように城に着くと、大きな玄関の前で一人男が立っていた。 見上げるほど、背の高い男だった。 「誰? お客さん?」 物怖じしないシュリが下から覗き込むようにすると、凄みのあるほど整った顔の男で、 「・・・・お前は?」 訊き返された。 シュリはそのドアをいつものように開けながら、 「遊びに来てるの、俺は、下の町から」 男の返答を待つより先にシュリは中に入り広いフロアで大きな声を上げた。 「シェーリー、お客さんだよー」 奥からすぐに現れたシェリーの後ろに、博士も付いてきていた。 シュリの後ろの男を見るなり、面白そうに笑っている。 「おや、貴方が来るとは・・・」 「・・・・・来たくはなかった」 博士のからかうような声に男は憮然として答える。 劉芳だった。 いつものスーツではなく、音李に設えた服と形は同じだが真っ黒だった。 長い裾に銀糸の縫い取りがあるだけの、装束だった。 シュリはその二人を見比べて、 「博士の知り合い?」 「こちらは劉芳と言われる、音李の前の主人だよ」 あっさりと返した博士の言葉に、シュリは驚いて、 「え! 音李帰ってんの?! つか、早くない? 帰るの!」 「早いねぇ、こちらに返品されてしまってね、あの性格だから・・・」 「ああ、しょうがないか、あんなんじゃ」 「しっかり調教してくれると思っていたんですがねぇ」 二人の会話を黙って聞いていた劉芳ははっきりと顔に不機嫌を出して、 「前の主人とはどういうことだ」 博士を睨む。 博士はそれを受けて、 「貴方は返品されたのだから、もう音李の主人ではない。だから、前のと付けましたが?」 「・・・・だからお前には会いたくなかったんだ」 苦々しい顔をして博士から劉芳は視線を背けるが、博士は全くそれも気にしないように、 「おや、会いたくないのに来られたのですか、次のアンドロイドをご所望ですか?」 「・・・・いつになっても厭な男だな」 「褒め言葉ですね」 「厭味か」 「ええ、少々機嫌が悪いもので」 博士は片目にモノクルをしたままにっこりと微笑んだ。 「どんな子であろうと、私は自分の創ったアンドロイドが可愛いのでね、泣かされると機嫌も悪くなりますよ」 「・・・・・泣いているのか」 「ええ、まぁもうすぐ、それも終わりますが」 「なんだと?」 「音李は眠ります。次の主人は要らないそうですから」 「・・・・・・」 冷戦な会話を聞いていたシュリはシェリーの隣で、顔をさっと青ざめさせた。 アンドロイドが眠るのは、終わるときだともう知っているからだ。 「お前・・・っ」 劉芳はそれを知っているのか、博士に掴みかかろうとしてすぐに矛先を変えた。 「音李はどこだ?」 シュリの隣にいたシェリーに脅すような顔で睨む。 シェリーはそれに臆することなく、奥の一室を案内した。 その部屋に入ってゆく劉芳を見て、シュリは泣きそうな顔を博士に向ける。 「音李・・・死ぬの?」 博士は機嫌の分からない笑みを浮かべて答えただけだった。 「あの主人次第だね」 ベッドに横たわる音李はまるで死人のようだった。 白磁の肌は青く見えるほど生気がなく、藍色の目は伏せられて輝く金色の髪は色を感じなかった。 音李は視線を感じてゆっくりと瞼を開ける。 そこに、劉芳が見えた。 じっと音李を見下ろしている。 笑ってはいないけれど、劉芳だった。 記憶に残るイメージが幻覚を見せているのだろうか。 なんにせよ、最後に見れて嬉しくて音李は表情を和らげた。 眠ることは怖くない。 以前は絶対にしたくないことだったけれど、今は平気だ。 劉芳だけをこれからは想っていれば良いのだ。 もう他の誰かに抱かれることもない。 幸せのまま眠れる。 そう想うと音李に辛いことなどなかった。 目の前から消えない劉芳に、眠る前はこうして現れてくれるのだろうか、とただ嬉しかった。 その劉芳がゆっくりと近づき、髪をかき上げた額に唇を当てた。 それがこめかみに下りて、頬にも触れる。 何度も顔にキスが降って来て、唇も啄ばむようにされた。 音李は何度か瞬く。 まだシステムは終わっていない。 音李の機能は正常だ。 肌に触れるものが幻であるか否かの区別は出来た。 音李の顔を包む手のひらも、何度も触れる唇も。 人間の温度を感じる。 「・・・・?」 音李は顔を上げた劉芳を視線で追って、 「・・・・本物?」 小さく呟いた。それに苦笑するように笑ったのは劉芳だ。 「・・・やっぱり、本物だと思っていなかったな?」 「ど―――どう、して? ここは、僕は城に帰ったはず・・・」 「ここはあの男の城だ」 「僕は・・・劉芳に返品されて・・・」 「確かにしたな、俺が」 「・・・・どうして、ここへ?」 「アンドロイドを買いに」 「・・・・・そう、ですか」 音李は思考を探り、しかしこの城に新しいアンドロイドは居ないことを思い出す。 シェリーは博士が手放すとは思えない。 音李は幸せなまま眠れるはずだった気分が一気に沈むのを感じた。 そんなことなら自分を見に来なくても良かったのに。 音李はそう想いながらも、アンドロイドとしてしっかりと告げる。 「ですが、今この城に新しいアンドロイドは創られておりません。ご注文されるなら、お時間がかかると思いますが」 「・・・・お前、本当にアンドロイドか?」 「はい?」 考えもしない言葉が帰ってきて、音李は少し眉根を寄せた。 音李はアンドロイドだ。だから、こうして眠れば終える。 劉芳は音李を見下ろして、 「その顔、わざとやっているんじゃないならたいした性能だよな、どんな顔をしているか、理解しているか?」 「・・・・僕がですか?」 「俺が他の人形を選ぶのが、厭で仕方ないって顔だな」 音李は言われて、自分の顔を考えた。 そのつもりはなかったのだが、表情が歪んでいたのだろうか。 眠るとしているので、機能が落ちているのかもしれない。 音李はその顔のまま、 「・・・・申し訳ありません。劉芳に返品されましたが、僕の主人は劉芳のままですので・・・そうですね、厭なのかもしれません」 劉芳の人形が自分でなくなっても、音李の主人は劉芳だけだ。 劉芳から返ってきたのは、深い溜息だけだ。 目を眇めて音李を見て、どうしようもないな、と呟いた。 「・・・・劉芳?」 「俺は、アンドロイドを買いに来たんだが」 「・・・・はい」 「暫くなんて待っていられない。すぐに欲しい」 「・・・ですが、今城にいるのはシェリーだけで・・・シェリーは博士が手放すことは、」 「もう一人いるだろう」 「・・・・もう、ひとり?」 「因みに注文を付けるなら、金髪の藍眼で変にプライドのある捻くれた人形が良い。前にどれだけ主人がいようと、構わない」 音李は低い声をしっかりと聞いて、頭の中で何度もリピートさせた。 聞き間違いではない。 「・・・・・それは、僕?」 「かもしれないな。なにしろ、あの男はうるさく客が注文を付けても人形が了承しないと買わせないからな。まず、人形の返事が必要だ」 音李は真っ直ぐに劉芳を見上げて、 「僕は・・・ミスをしたアンドロイドです。主人に従えなかったガラクタです」 「お前がそれに気付けば良い。俺もカッとなっていた」 あんな男に抱かれたと知ったからだ。 音李は記憶からそれを削除したかった。 「厭でした」 「なに?」 「劉芳以外の人に抱かれるのは、厭でした。それでも劉芳の為だと思えば、それで良いと思ったのです・・・・ごめんなさい」 音李は視界が潤んだ。 涙が溢れているのだ。 セックス以外の時に泣くのは、初めてだったので少し驚いた。 心に溢れる感情を、上手く言葉に出来ない。だから涙が溢れたのだ。 どうしてこんな気持ちになるのだろう。 どこか異常があるのだろうか、と音李は自分が心配になった。 けれど、劉芳が何も言わずしっかりと抱きしめてくれたので、音李はそれで良いと思うことにした。 「・・・北のあの貴族が催したパーティで、お前を見たときから手に入れようと思っていた・・・どれだけ待たされたか解かるか」 「・・・・・僕を?」 北国の上流階級の貴族は、よく近隣の人間を招いてパーティを催していた。 もちろん、飾りであるような音李もその場には必ず出席する。 そういう付き合いは二度としたくないけれど、劉芳はたまたまそこに来て音李を見たと言う。 そしてすぐに博士を突き止めて、音李の次の主人になったのだ。 「劉芳がですか?」 「でなければ俺は今ここにいない。興味のないアンドロイドなど、わざわざ奪いに来たりなどしない」 「・・・また僕を・・・買ってくれるのですか?」 「買うも買わないも、お前の主は俺だけだろう。違うのか?」 「・・・・違いません」 大きな胸にしっかりと抱きとめられながら、音李は二度と起きないだろうと思っていたベッドから腕を伸ばした。 「劉芳の傍に、ずっと居させてください」 「・・・・ああ、クソ」 劉芳は舌打ちを隠さずしたかと思うと音李を勢いよく抱き上げた。 「あの男、城内はセックス禁止だとか言いやがった。帰るぞ」 「え、え・・・っ」 音李は劉芳に抱きかかえられ目線が高くなったままその部屋を出る。 驚いていると部屋の外に博士が待っていた。 「音李、新しい主人は気に入ったかい?」 その声に劉芳が無言で睨みつけるけれど博士は相変わらず笑みを崩さない。 音李は劉芳の腕の中で、小さく頷いた。 「博士、僕・・・」 「いいんだよ、お前が幸せならね。厭になったら、すぐに帰っておいで」 「二度とこんなとこに来るか。お前の顔も二度と見たくない」 音李の返事を奪い、劉芳は低く良い捨てるとそのまま城を後にした。 腕の中の人形に不機嫌そうに笑いかけ、 「あんな男に抱かれっぱなしなど俺の気が許さん。帰ったら綺麗になるまで抱いてやる」 「・・・・劉芳っ」 表で待っていた、やはり表情のない執事の運転する車に乗り込み、そこでも劉芳に抱かれながら音李はその手を離さなかった。 また泣かされるのだろう、と知りながらも、新しい主人の傍を離れることはない、と音李はようやく落ち着ける場所を見つけた。 |
fin.