いつか雪の降る街で  16





「なに考えてんの?!」
キナは犬養の思考が理解できずただ訊いた。
恩師だと言う川内にそう伝えれば、仕事関係の周囲にも伝わることになるだろう。
それはすぐに仕事の上での障りになるはずだ。
黙っていればいいことなのに、どこまでもキナのことを考える犬養にキナが呆れた。
自分は誰かの次で良い。
今まで、そう思って生きてきたのだ。
そう簡単にそれが改められるわけではない。
これからも、そのままで良いと思っていたところへ――家族に紹介できたことだけでも嬉しくて仕方ないと思っているくらいのところへ、犬養は冷静に、
「その質問は聞き飽きたな」
「聞き飽きたじゃないよっ! どーしてそんなことすんだよっ俺、そんなことしろなんて言ってないだろ?!」
「言われてないな。俺がしたくてした」
「したくっても・・・っ取り返し――つかなくなったら、どうすんの?!」
「お前は、いつもしたいようにするのに、俺は思うようにするのも駄目なのか」
「立場が違うだろっ! 俺はもうどうでもいいんだよ!」
「どうでも良くない。良いわけがない」
犬養の声が低くなる。
その目は真っ直ぐにキナを捉え、怒りを感情に含ませているのがはっきりと解かった。
犬養は怒っているのだ。
キナが、自分自身を軽んじることに、怒りを見せているのだ。
「性格上、煩わしいことは好きじゃない。余計なことはもう押し付けられたくもない。だからそうした。これはキナにも何も言われたくはない」
「・・・・だ、って、犬養、さん、」
「だってじゃない。結婚出来ないとしても、したいと思っていることは確かだ。だから順序として、まずご家族に挨拶に来ているんだぞ?」
「あ・・・・っあいさつ、って、」
 ――そういう意味の?!
真っ赤になって黙るキナは、誰が見ても怒っているわけではなくただ羞恥で声が出せないだけだ、と知れる。
犬養の怒気を孕んだ視線に顔を上げられずにいると、
「――犬養さん」
それまでどこか突き放していたような声だった、キナの父親が硬い表情で犬養を呼んだ。
それはあまりに真剣で、犬養は自然と背筋を伸ばし相手に向き直る。
「これは――まだ子供で、我儘で迷惑をかけるでしょうが、どうか――宜しくお願いします」
不自由そうな身体で、それでも頭を下げた父親の隣で、いつでも優しく笑っていた母親も頭を下げた。
犬養も、黙って頭を下げる。
それをキナはただ見つめて、目が熱くなるのに気付いた。
 ――泣きたく、ないのに。
犬養を前に、緩くなった涙腺は簡単には止まらなかった。
それでも泣きたくない、とキナは千夏に視線を向ける。
途中から傍観していた姉は笑って、
「堅苦しい話はその辺にして――犬養さん、泊まっていけるんですか?」
誰よりも明るい声で話題を切り替えた。
キナは言われて、犬養の時間を思い出す。
夕方の列車に乗るのなら、もう駅に向かわなければならないのだ。
そして、また離れることを思い出した。
犬養も思い出したように時計を見て、
「いえ、申し訳ありませんが、これから帰らなければ――仕事を放って来てしまいましたので」
旭川で泊まり朝一の飛行機に乗る、と言って犬養は腰を浮かした。その服に、キナは思わず手をかける。
「――――・・・あ、」
シャツを掴んで、その動きを止めてから慌てて手を放した。
「キナ?」
「う、ううん、なん、でも、ない」
そう首を振って答えたけれど、キナの感情はすべて顔に出てしまう。
犬養と離れがたく思っているのは、誰もが一瞬で理解した。
呆れたように溜息を吐いた千夏に、
「な、なんだよ、なっちゃん、」
「なんだ、じゃないわよ・・・あんたって、変わんないわね」
「な、なにが?!」
「犬養さん、この子も明日帰る予定なんです。お邪魔じゃなければ、ついでに連れて帰ってください」
食って掛かるキナを無視して、千夏は犬養に言葉を向けた。
「なっちゃん?!」
驚くキナの隣で腰を浮かしかけた犬養は、その家族を見渡してから、
「――では、お言葉に甘えて」
連れて帰ります、と続けた犬養にキナは驚いたまま思考が戻らず、追い立てられるように部屋へ行き荷物を抱えてくる。
いきなりのことに慌ててどうすれば良いのか上手く言えなかったけれど、犬養と一緒に居られるという事実は変わらない。
顔が緩くなっている自覚もないまますでに表に出ていた犬養を見れば誰かと話している。
「・・・あれ?」
さっきまで居なかったはずの、義兄だった。
自宅と店舗を仕切るのはただの引き戸で、それを開け放てば店先まで見渡せる。
出入りするのにそこを使うキナは表に行きかけて、さっきまで家族で話していたその部屋にまだ両親がいるのに気付いて足を止める。
「・・・あ、あの、」
小さな鞄一つで済んだ荷物を握り締めて、キナは慌しくまた家を出る言葉を捜す。
いくつか考えるけれど、しかしどれも適当ではない気がして結局、
「ま・・・また、帰ってくる、から」
「当然だ」
無言のままだろう、と思っていた父親のほうから、視線を合わせないまま返事を受けてキナはその意気高さに呆れながらも、隣でいつものように笑う母親を見て苦笑した。
「――ありがと」
何に対しての礼なのかは、はっきりと言ったキナにも解からなかったけれど、それでも笑って答えてくれた母親に伝わったことは解かり、キナは本当に全ての背負っていたものを降ろしたように笑って家を出た。
安堵したものの、家の前では犬養が姉夫婦と話しこんでいる。
いや、正確には義兄の誠人と話している。
キナは過去のことからあまり楽しい光景じゃない、と慌てて近づいて、
「先生? 帰って来たの」
犬養の隣で誠人を見上げる。
「うん、結構前にな。真剣に話していたみたいだから、外でこっそり聴いてた」
「え・・・っ」
「キナ」
驚いたキナの頭に手を置いて、優しく撫でる。
その仕草はいつもの変わらない温度で、
「良かったな、キナ」
「・・・・・うん」
素直に頷くことが出来た。
その隣でミナを抱き上げていた千夏が、
「お父さんとお母さんに挨拶したの?」
「うん、してきた」
「気をつけて行くのよ、転ばないようにね」
「・・・・なっちゃん、俺とミナ、同列に見てない?」
「あれ、そう?」
悪びれない姉にキナは笑って、それから数日で仲良くなった姪に手を振り犬養を見上げると、幾分冷たく感じる視線とぶつかった。
「・・・・どうしたの?」
「・・・・別に」
首を傾げたキナに犬養はあっさりと視線を外し、隙のない挨拶を交わして足を動かす。
また来てください、と言った千夏に頷き歩き始める犬養をキナは慌てて追いかけようとするのを、腕を引いて止めたのは誠人だ。
「――キナ」
千夏からも一歩離れて、そして耳打ちするように顔を寄せる。
「犬養さんって、弁護士なんだよな?」
「・・・あ、うん?」
顔を寄せて小声で話す誠人に不思議に思いながらもキナが素直に頷くと、誠人は楽しそうに笑って、
「お前――「先生」フェチ?」
「―――――先生!!」
こっそり囁かれた言葉に、キナは瞬時に理解して真っ赤になってしまう。
怒って睨みつけたけれど、誠人は悪びれず笑っているだけだ。
 ――この、似たもの夫婦!
キナはもういい、と背を向けて少し先で立ち止まっている犬養に追いついた。
「キナ、どうした?」
「う・・・ううん、なんでも、ない」
赤い顔のまま誤魔化すけれど、キナはすぐに落ち着くことが出来ない。
犬養は「先生」と呼ばれる職業だ。
言われて気付けば、今までキナがいいな、と思った相手はどれも「先生」と呼ばれていたような気がする。
その事実に改めて気付いて、キナは犬養の隣にいるのが落ち着かなくなってしまう。
駅までの道を並んで歩きながら、キナはついさっきまでの嬉しさとは違う緊張があるのを抑えられなかった。
「・・・自覚があるのか?」
沈黙を押し殺したように犬養が口を開いたのは駅が視界に見えてからで、
「え? なんの?」
「感情が全部顔に出ている。隠し事は一切出来ないな、お前は」
「――――」
キナは改めて言われて、自分の顔に手を当てた。
 ――そ、そんなに、解かりやすいのかな。
見破られてしまう顔を犬養に向ければ、感情も感じられない顔がそこにあるだけだ。
「犬養さんは、いっつもポーカーフェイス、巧いよな」
「そうか?」
「そう、だよっ」
「解からないか?」
「・・・え?」
「今、俺がどう思っているのか、解からないか?」
言われて、キナは暫く視線を合わせていたけれどゆっくりとそれを外しながら、
「・・・お、怒って、る・・・?」
「解かってるじゃないか」
「で、でも、なんで怒ってんの? 俺、なんかした?」
「いいや。ただ、不愉快なだけだ」
「・・・って、なんで?」
「お前、あの義兄とどういう関係だ?」
「――――――ッ」
 ――ちょっと、鋭すぎ、じゃないか?! まさか調べたのかな・・・っ
キナは背筋がまた冷えたのを感じながら、必死に頭を回転させて、
「あ、あの、別に・・・っう、浮気したとかじゃ、ないからね?! 先生はなっちゃんの旦那さんで」
「浮気のほうが――楽なんじゃなかったか、お前は?」
「そ・・・っそれは、」
キナは自分の今までの信念を突きつけられて、固まってしまった。
 ――確かに、そうなんだけど。
「でも・・・っい、今は、な、なんでも、」
どう説明すればいいのか解からず、キナは泣きそうになるのを堪えて必死に犬養を見上げる。
犬養はそれまで無表情でいたのを、不意に緩めて、
「まぁいい、時間はたっぷりとあるからな。それにこの先は、余所見なんてさせないようにしてやる」
その自信はなんだ、とキナは聞き返したく思いつつも、表情を緩めた犬養がどうしようもなく好きだ、と感じてしまう自分にも呆れた。
だから、
「・・・余所見なんか、しないよ」
本音をポツリと言ったのに、
「当然だ」
犬養はあっさりと返す。
そのテンポをどこかで聞いた、とキナは記憶を探って、ついさっきの父親を思い出す。
目の前の犬養と父親を思わず重ねて、慌てて首を振ってそれを掻き消す。
 ――じょーだんじゃないっ! 似てないからなっ!
「キナ?」
「犬養さん!」
「・・・なんだ?」
「あんまり、頑固にならないでねっ?!」
「・・・・・・・」
突拍子もないキナの願いに、犬養は目を瞬かせて驚いたけれど、すぐにそれを細めて、
「・・・それは、お前次第だな。俺がそうならないように、今夜からじっくり素直になって欲しいものだな」
その視線と声の温度に、キナは何を指しているのかをすぐに理解して、思考と止めて顔を真っ赤にした。
 ――この、ヘンタイエロオヤジ・・・ッ
そう思いつつも、駅前だと言うのに差し伸ばされた手に自分の手を重ねてしまうのだ。
 ――俺、どうしてこの人が好きなんだろ・・・?
キナは自分の中の葛藤に悩みながら、掌に伝わるぬくもりをしっかりと握り締めた。
真夏の気温も気にならないほど、繋がった手が熱い。
列車に乗り込みながら、キナは数ヶ月後には真っ白になる郷里を目に焼き付ける。
変わらない景色から視線を隣に動かして、
 ――今度、冬に、来たいな。
まだ全てのことが納得して解決したとは思えないけれど、繋いだままの掌がずっと解けなければいい、とキナは誰かに願った。
乗り込んだ列車のベルが鳴り響くのを聴きながら、
「・・・そういえば、逢わなかったな」
犬養がポツリと言うのに気付いた。
「なにに?」
「――ソウスケ、って、誰だ?」
ケンカの振り出しを思い出して、キナは思わず笑ってしまった。
 ――もしかして、ずっと気にしてたのかな。
我慢が出来ず、言ってしまったのかもしれない。
いつもやり込められてばかりいるキナはそんな犬養を可愛い、と思ってしまうことに成長したのかな、と感じつつ、やはりもう一度一緒に来よう、と決めた。
そして手を握り締めたまま、
「あのね、」
ゆっくりと時間をかけて、黙っていた過去を話し始めた。




キナ編もこれにて終了です! 長くお付き合い有難うございました!
微妙に暗い話だったような気がするのですが、無事完結出来たことに嬉しく思います。(いつものように極甘だしなぁ?)
それはそれで仕方ない、二人でした。
イチャイチャ消化不良な皆様のために(笑)このページのどこかにおまけをリンクしています。大人な貴女は探してみてねv

fin.

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