いつか雪の降る街で  14





キナの全てが、犬養で埋まる。
これまで躊躇っていたことも、拒絶していたものも、頑なに拒んでいた全てを押し退けて、キナを簡単に落とす。
あっさりと手中に収めて、ただ震えるキナをあやすように撫でる。
犬養の腕の中で、キナは小さく震えて泣いた。
感情を思い出したように涙を零して、不安で仕方ないキナをそれごと、抱きしめてしまう。
怖がることも、怒ることも、笑うことも、喜ぶことも、全てこの腕の中でしろ、と言わんばかりの傲慢で強い抱擁だ。
嵐のような感情をぶつけられて、まだその痛みから立ち直れずいるのに時折熱い唇が額に髪に、頬に触れて、それが夢じゃない、と教える。
その震えの余韻はまるで、身体を重ねた直後のそれのようで、キナはすぐに立ち直れないでいるのだ。
それでもキナは、震える呼吸をどうにか落ち着けて恐ろしいまでの言葉の愛撫を繰り返す男を睨んで、
「・・・ひ、ひど、いっ、」
「酷くないとは言っていない」
けれど犬養はあっさりとそれを受け入れて流す。
「こ、こわ、い、怖いって、言ってんの、にっいぬかいさん、怖いっ」
「怖くしているんだ」
「俺・・・俺、どう、する、どうすれ、ば・・・っ」
「好きにしろ」
キナが座り込んでいた石段に、今は犬養が座っていた。
その膝の上に、腕の中に収めるようにキナを抱きかかえている。
腕の中で震える身体に優しく、しかし強く撫でて口付けを落とす。
ただ触れるだけのそれなのに、キナはビクリ、と背中を震わせる。
その状態で、キナが答えを求めれば、犬養は迷いもなく手を離すように言う。
「俺には決められないと言っただろう? お前が、決めろ」
「――――っ」
視線で、ずるい、と詰っても犬養はそれも甘いと受け入れて、
「このまま俺の腕にいるのか、それとも逃げて家に帰るか」
「・・・・・に、逃げた、ら・・・どう、する?」
息を飲んで、躊躇いがちに言ったキナに、やはり犬養は何でもないように細い身体を抱えた腕から力を抜いて、
「どうもしない。お前の望むように、俺が消えるだけだ。お前の前から――永遠に」
「・・・・・・ッ」
やっぱりずるい、とキナは目を潤ませて犬養を睨みつける。
感情を堪えるように唇を噛んで、犬養のシャツを握り締めた。
暑い日差しを受けながら、それでもまだ熱が欲しいと身体を触れる。
「怖い、よ・・・犬養さん、」
「俺だって怖い」
「苦しい、し、」
「当然だろう」
「こ、こんな、こんな怖いこと、本気で・・・」
「キナ」
迷うように視線を巡らせるキナに、犬養はその声を封じるように囁いた。
「言え」
「・・・・・っ」
「頼むから、言ってくれ。でないと、俺は――」
このまま狂いそうだ、と吐息を吹きかける。
「す・・・・」
一度息を飲んで、キナは呼吸を整える。
何度かは確かに言った言葉を、改めて口にするのが、どうしようもなく怖い。
これで、決まってしまうのだ。
そう思うとキナは身体が震えた。
それでも、真剣な犬養の目を受けると、黙ってはいられなかった。
「――――す、き。好き、すごく、わかんないくらい、怖い、くらい、苦しくって、やななのに、こんなの、したくないのに、俺、犬養さんが・・・好き」
曖昧なようで、確かなキナの告白を聞いた犬養は、初めて安堵したように溜息を吐いて、微笑んだ。
「キナ」
「ん・・・っ」
小さく呼んで、顔を寄せる。
重なった唇は躊躇うことなく深く沈んで、甘さを思い出すように舌を絡めた。
「んっ・・・・んっ、」
キナはそれに抵抗などなく、首に手を絡めて自分から引き寄せる。
暫くぶりの抱擁に浸って、先に唇を離したのは犬養のほうだ。唾液で濡れた唇を舐めて、笑う。
「・・・・ん、な、に・・・?」
「いつになったら、俺は「犬養さん」から昇格するんだろうな」
「あ・・・っ」
キナはすでに口が慣れてしまった呼び方をからかわれているのだ、と顔を赤くする。
しかしそのまま困惑して視線を向けて、
「だ・・・っ、て、あの、い、いきなり、その・・・い、今まで、犬養さん、で慣れちゃって、いまさら・・・っ」
「いまさら?」
「・・・・う、そんな・・・だって名前とか、しょ、所有物、みたいな、の」
「違うのか?」
「え?」
「お前は俺のものだろう? なら、俺もお前のもので・・・いいんじゃないのか? お前が、俺に妬いてみせてくれるのが・・・結構堪らないな」
「・・・・・ッ」
嫉妬することが見苦しく、良いものではないとキナは思っているのに、犬養はそれが心地良い、と不穏に笑う。
それが怖い、と感じながらも、自分もされれば嬉しいと感じることを思い出した。
 ――そ、っか、好きだから、嫉妬、するんだ。だから、犬養さんも・・・
今更ながらに、キナはその思考に辿り着いて益々顔を染めた。
嫉妬をされるのは嫌いではない。
キナを好きだから、犬養は妬いて怒る。
それが嬉しかったはずなのに、いつしかそれを怖いと感じた。
改めて気持ちが解かると、やはりキナは嬉しく、そして恥ずかしい。
こんな気持ちを犬養もするというのなら、もっと我儘に、嫉妬も沢山してみようか、とキナは犬養の腕の中に収まって目を閉じた。


胸が高鳴り、まるで初めて恋をしたような気持ちを持て余しながらも、それが心地良いと思ってしまっている。
そのキナを落ち着かせようとしているのかただ甘えさせたいのか、犬養は背中を腕を、ゆっくりと撫でてくれている。
 ――こ、こんなにくっついてるのに、してないなんて、なんか・・・変。
犬養と、目を合わせれば、身体が触れれば溜まらず身体を重ねていたように思う。
欲情は絶えることなく湧き上がり、身体を求め合うのに一番安堵していた。
快楽は容易く手に落ちても、渇きを覚えるような情だけがいつまでも治まらず、只管身体を重ねていた。
けれど今、キナの身体を撫でる犬養の手が、キナの手に重なり滑るように撫でて絡める。
それは必要以上に淫猥になることはなく、ただ温度を確かめて甘いだけで終わる。
 ――なん、だろ。これ・・・って、
セックス後のピロートークでも、こんな雰囲気になったことはない。
キナが落ち着くけれど、落ち着くことに恥らってしまっていると犬養が思い出したように腕の時計を見た。
「――このまま、攫ってしまいたいな」
「え・・・・」
心地良い無言の中に落とされた言葉に驚くと、犬養はキナの身体をなんでもないように持ち上げて立ち上がった。
石段の上に立たされて、しかしすぐに自分の足で立つことが出来ず犬養に縋る。
「夕方の列車に乗らないと、夜には旭川に帰る」
「・・・え?」
「明日朝一の飛行機で向こうへ帰る。本当はここに来るのも苦しかったんだが――どうにか、一日分の調整は出来たから」
仕事のことだった。
キナはそれで驚いた。
「い、忙しい、の?」
「ああ、週末に二件裁判が重なって」
「って・・・そんな、こんなとこ、来てる暇ないじゃん!」
弁護士がどんな仕事をするのかキナはまだ把握していないが、個人事務所だけあって犬養は誰よりも忙しそうなのはすでに知っている。
キナのこの故郷は北国でも辺鄙な場所で、電車で旭川まで行くには三時間はかかるのだ。
勢いを取り戻したようにキナが犬養の無茶を怒って見せると、犬養はそれが何より楽しそうに笑って、
「お前に――どうしようもなく、逢いたかったんだ」
さらりと言う。
真っ赤になってしまうキナの腰を抱き寄せて、
「逢いに来て・・・正解だが、今度は離れがたい。どうしようもないな」
自分を笑う犬養に、キナはただ何を言えばいいのか、恥ずかしさと勝手な怒りと――嬉しさで顔を困惑させて、睨みつける。
「か・・・勝手な、こと、ばっかりっ」
「お前に合わせていたら、いつまでたっても何も出来ないからな」
だから強気に行くのだ、と犬養は何かを掴んだように不敵に笑う。
犬養は、確かに掴んだのだ。
不安で仕方なかったキナを、子供のように震えるキナを、しっかりと掴んだ。
キナはそれが怖いと思うのは以前と変わりないのに、縛られ掴まれることに安堵して反対に自分も縋り付きたい、と思っているのに気付いた。
「このままだと、我慢出来なくなる」
だから帰る、と言う犬養に、キナは思わず帰らないで、と言いそうになっている自分を知った。
我儘を言いたいけれど、こんな我儘は言えない。
キナがそれを我慢しているのに犬養は全てお見通しだ、と言うように、
「・・・・そんな顔していると、本当に攫うぞ」
 ――攫えよ、本当に
キナは声を出すことを我慢して、意志が伝わる目で犬養を睨んだ。


to be continued...

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