いつか雪の降る街で 12 「捕まえて抱えて、気持ちで雁字搦めにしていれば、いつか俺のものになってくれるんだと思っていた」 キナに執着を見せて、執拗に身体を求めて嫉妬を剥き出しにする犬養が怖かった。 それが、本気だと教えられていて怖かった。 冷静な大人である男の、本気がキナには怖かったのだ。 「こんなにも誰かを欲しいと願ったことはない。それがいつまでも手に入らず、入ってもすぐに抜け落ちていく相手だから尚更頑なになっていたかもしれない。お前が、あの朝に出て行って、」 犬養は石段に座り込んだキナの、一段下に座り視線を同じにする。 不安定な姿勢のはずの相手を、ただキナはじっと見つめた。 そのキナの髪に触れ、頬を掠めるように犬養の手が過ぎていく。 「自分の異常さは、充分に自覚していた。だから俺も――考えようとして、お前の何が、俺をこんなにも感情的にさせるのか、思い出して、答えを出そうとした」 キナはゆっくりと瞬いて、視界に映る相手が変わらないのを確認した。 頬に触れた手は呆然としたまま薄く開いた唇を撫でる。 「俺を怖いと言うお前を、このまま手放したほうが良いのか、それとも追いかけて追い詰めて――もう逃げ出さないように、閉じ込めてしまおうか」 「・・・・・・っ」 肌の上を滑る手に、犬養の冷静な声に、キナはヒクン、と肩を揺らした。 キナの思考は止まっていて、ただ聴こえる犬養の声を受け入れるだけだ。 それに反応したのかどうかは解からないけれど、キナは声を失くして指先から震えるのを感じた。 ――手放す? 閉じ込める? 犬養の考えた選択は、対極の二択だ。 じっと見つめる目は冷静で、焦りも怒りも、悲しみすらない。 キナは初めて犬養を見た日を覚えていた。 感情に動くことはない表情と、ただ負けることのない強い視線。 乱れない姿。 本気にならない相手。 ――好きだな、って、思ったんだ、 好みだ、と言ってしまえばそれまでだった。 あのまま、今までキナが付き合って身体を重ねてきた相手と同じように、浮気相手や身体だけの関係で居られれば、こんなにも苦しくなることなどなかったのだろうか。 どこで、こんなことになってしまったのだろう。 キナは思考をぼんやりと昔に飛ばしていたのを、もう一度動いた唇によって引き戻された。 「駄目だな」 ビク、と大きく身体が揺れた。 犬養の否定の言葉に、キナは確かに、感情も何もかもが揺れた。 ――なにが、駄目って、 犬養の手は、名残惜しそうにキナの肌の上を滑る。それはただ優しさだけが絡んで、キナは胸が上下するほど心臓が鳴った。 「俺には、決められなかった」 「・・・・・え?」 「だから、未練がましく、待ちきれずここまで追いかけて来た」 ――決め、られない? キナは一度心臓が跳ね上がって、それが喜びなのだ、と直感した。 犬養の言葉と、行動に、喜びを感じたのだ。 真っ直ぐに犬養を見つめて、何か言わなければ、と口を開くけれど言葉が出てこない。 今の気持ちを、どう表せば一番的確なのか、言葉が思いつかない。 苦しい、けれど嬉しい。 嬉しい、けれど辛い。 辛いくせに、目の前に犬養がいるだけで、こんなにも心がざわめき高鳴る。 気持ちを探していたキナに、犬養は淡々と自分の気持ちを告げた。 「最後の――俺の、理性だ。これで、最後だ。お前が今、俺の気持ちがただ怖いだけで、鬱陶しく思うなら、そう言え。俺はこのまま消えて、二度とお前を追いかけない」 ひゅっ、とキナは息を飲む音が聴こえた。 それは自分がしたのだ、と気付くのに時間がかかった。 「だがもう一度、お前が俺を――好きだと言って、くれたなら」 もう放さない。 犬養の声は、真剣だった。 その目を見れば、視線に絡め取られたキナにははっきりと解かる。 犬養は心を決めて来たのだ。 キナが迷って、脅えている間、一人で考え抜いて答えを出した。 しかしそれを、迷い続けるキナに選ばせようとしている。 キナは自分の呼吸が荒くなるのを、その音が頭に響いて上手く考えられなかった。 暢気に構えていた自分に、いきなり崖の上に立たされたような状況だった。 落ちるのか、退がるのか。 選ぶのは、キナだった。 耳の奥に、ドクドクと血が流れている音がはっきりと聴こえた。 それでいて、ただキナの答えを待ち続ける犬養の視線に、どうも出来やしないのだ。 すぐに選べるのなら、こんなに悩みはしない。 臆病であるはずがない。 キナは知らず、表情が歪んでいた。 眉が情けなく下がり、口許が緩む。泣き笑いのような顔をしているのに、自覚はなかった。 「お前をこんなにも、苦しくさせて、悪かったな。どんなに酷く、追い詰めているのか自覚はあったが――情けないな、抑えられなかった。だからこれで最後だ。お前がもう厭だ、と一言言えば、こんな男から逃れられる」 「・・・・・っ」 ヒク、とキナは息を飲み、それから顔がくしゃり、と歪むのが解かった。 それから視界は潤み、泣いているのだ、と犬養の指が頬を拭うように撫でて気付いた。 「泣くな、理性が飛ぶ」 「・・・っひ、ひど、」 涙が止まらなくなって、キナは漸く声が出せた。 「ひど、い・・・っ」 胸が苦しい。 酷い、と詰るしか出来ない。 キナは悩んでいたのだ。 それを、いきなり現れて選択を迫り、そして先に楽になれるほうを示す。 犬養の言うままに、ここで終わればキナはもう苦しいほど悩まない。 いつか来る終わりを想像して怖くなることもない。 安堵して平穏な日常に戻れるはずだった。 それは誰よりもキナが理解している。 けれどもう戻れるはずがないのも、解かっていたのだ。 だから涙が溢れて、犬養を睨みつける。 「ず、ずるい、そんな、の・・・っ俺、俺に、そんなの、選んで・・・っ」 「ずるいさ。俺は、お前が考えているよりずるく、酷い男だ。それに――お前が知っているより、臆病だ」 「・・・・いぬかい、さん?」 「お前を失うのが、怖い。大人ぶってお前を解放してやる、なんて言っても、本当に逃げ出されたら俺は正気でいられないかもしれない。ストーカーのようになって追いかけて、いつかこの手にかけるかもしれない」 ゆっくりとキナに触れていた手が、細い首に絡む。 こくり、と息を飲むのを指先で確かめてから、犬養は苦笑するように顔を歪めた。 「お前は逃げてばかりで、もう忘れているのかも知れないが」 「・・・犬養さん?」 犬養の視線は柔らかく、濡れた目元を瞬かせたキナを包み込んだ。 「俺は、お前が好きなんだ」 |
to be continued...