お願い、サヨナラと言って  エピローグ






バスルームから出てきた颯太に、ベッドの上に座っていた修也は深く笑みを作った。
「やっぱり、綺麗だな」
久しぶりに素顔を他人に見せた颯太は、率直な修也の感想に顔を赤らめて睨んだ。
「・・・なにを、馬鹿な・・・」
「馬鹿じゃない」
手を差し伸ばされて、颯太は修也の隣に腰を下ろす。
バーの二階部分は、颯太の住居だった。
裏からの階段を上がれば、ロフトの付いた独りには充分の広さの部屋があった。
階下の店で、10年越しに想いを確かめて抱きしめた修也に、そのままキスをされそうになって、颯太は慌てた。
自分がどんな顔をしているのか、よく解かっているつもりだったのだ。
素顔が判らないほど化粧をした顔は、涙で濡れていっそう酷い顔になっているはずだった。
そんな顔すら見せるのが厭だったのに、修也はどうしても引いてくれない。
一度シャワーを浴びて流す、というところに漸く落ち着いたときだった。
羞恥で染まりまともに修也を見られないでいる颯太を、修也はずっと触れ続けた。
その顔を、輪郭を確かめて、柔らかな髪を撫でて指に絡め、額から頬、唇もゆっくりとなぞった。
「修也・・・」
さすがに居た堪れない、と颯太がその手を止めようとしたとき、躊躇った修也の顔が近づいた。
その唇に触れる直前で一度止まり、颯太の目が覚悟したように伏せられた瞬間、奪うようにそれを塞いだ。
「・・・・んっ」
深く絡められる舌に、抱きしめられる強い腕に、颯太はどんな罪がこれからあっても、全て受け入れる覚悟をしたのだった。










カラリ、とドアが開いて颯太は入り口を見た。
この店は、ほとんど常連と呼ばれる客しか来ない。
売り上げも、本当に税金対策だ、としか言いようがないほどささやかなものだった。
それでも、颯太はここを辞めるつもりはなかった。
これからも、今までも、居続けられる場所は大事にしていくつもりだった。
「いらっしゃい」
颯太はいつもの声を止めた。
普通の、男の声だった。
作り物でない声を他人に聞かせるのは久しぶりだったけれど、化粧をしていない顔を晒すのもかなり久しぶりだったのだ。
もう今更だ、と颯太は常連たちの驚く反応をいつか慣れて飽きるだろう、と諦めて笑っていた。
今日入って来た相手も、つい先日までここで呻っていた常連以上になってしまった客だ。
「・・・・・マスター?!」
驚愕の声と顔は、どこか幼さがあって颯太はついついいつも構ってしまう。
他人と係わり合いを持ちたくない、と決めていた颯太だけれど、この少年のような客だけはずっと気にかけていた。
辛い恋愛ばかりを、選らんでしていたのだ。
最近、漸く幸せを掴んだようだった。
「そうですよ、なんですか」
あっさりと応えた颯太に、客であるキナはいつもの場所へ座った。
そこから興味心身に颯太を眺めている。
「どーしたの? いつもの営業妨害のような顔、とうとう諦めたの?」
「失礼ですね、貴方はいつまでも!」
「口調まで違う・・・・マスターじゃないみたい。実は違う人?」
「僕は僕です。この顔であの言葉は可笑しいでしょう」
「あの存在自体が可笑しかったから、あれはあれで別に」
「本当に、失礼極まりないですね・・・!」
あの日以来、初めて訪れたキナに颯太は睨みつけながらも笑った。
颯太がどんな顔でも、キナはあまり気にならないのかもしれない。
態度が変わらない相手に安堵もした。
「なんでメイク止めたの? つうか、そんな顔隠してたんだ? もったいねぇな」
「もったいなくもないですが、あれを止めたのは・・・もう、意味をなさないからで」
「ふぅん・・・?」
素顔を隠す必要などない、と修也に言われた。
想いを確かめあったあとで、修也の言葉に驚かされて悩んでいた自分が馬鹿らしくも思えたのも事実だった。
修也は、自分の気持ちを確信し、それを隠すことなどしなかったのだ。
自分の気持ちを親に打ち明け、そしてそれを颯太の両親にも伝えたと言う。
そして、一緒に連れて帰るから受け入れて欲しい、と頼み込んで来たらしいのだ。
その真っ直ぐな修也に颯太は眩暈がした。
妹のことで、もう誰も怒ってなどもない。
颯太が罪を負うことなどもない。
許されなければならないこともない。
だから一緒に居よう、と言う修也に、颯太は戸惑いを隠せなかった。
それを解すように、修也はずっと甘く囁き続け颯太を溶かすようにずっと揺す振られた。
颯太が頷いて、分かったから、だからもう止めて、と頼み込むまで続けられた甘い愛撫。
颯太はそれを思い出し、うっすらと頬を染めた。
カウンタの向かい側でキナはその変化を見て、
「あの人と、なんかあった?」
言われて気付いた。
キナが最後に来たあの日、あれが、修也と再会したときだったのだ。
強張って固まった颯太を、キナも見たはずだった。
引き摺られるようにして店から出て行ったけれど、実はかなり気を遣ってくれる客に颯太は苦笑した。
「別に、貴方に言われるようなことは、なにも」
「何、その言い方! せっかく心配してやったのに!!」
「心配? 余計なお世話ですね、貴方に心配されるほど、僕は子供でもないですから」
「なんだって?!」
嘲笑するような声にキナは前と変わらず幼く噛み付いてくる。
以前から、この会話の応酬が嫌いではなかった。
颯太はそれが変わらず出来ることにも、嬉しさを感じた。
世界は、こんなにも楽しく明るかったのだろうか?
あの日より後も、その前も、本当はこんなに綺麗だったのだろうか。
暗く、沈んでいたままの自分が嘘のように颯太は身体が軽かった。
幸せとは、こういうものなのだろうか。
目の前の泣いてばかりいた相手も、今こんな気持ちでいるのだろうか。
颯太は考えると、笑みが口端に零れた。
「あの日から、ずっとまた可愛がられていたんですか? あの弁護士さん、嫉妬深そうですからね、暫くまた動けなかったのでは?」
「・・・・・っ」
真っ赤になったキナは、それを肯定しているようなものだ。
「あ、あんな・・・っあんなヤツ!! あんなこと、あんな、こと、俺にやらせて・・・っ」
「どんなこと、したんです?」
颯太はあのストイックに見える弁護士をむっつりだな、と確信した。
嫉妬深いそれなど、キナの苦労が目に見えるようだ。
「・・・・・っそんなの、マスターに言うことじゃ・・・っ」
「そうですか、言えないことを、沢山されたんですね。それでもまだバーに来るとは、もっと嫉妬を煽ってあの弁護士さんを試しているんですか?」
「・・・・っ!!」
キナはもう、真っ赤になって顔をぶんぶん、と横に振るだけしか出来ないようだった。
そんなつもりもないのだろうが、こんなに可愛い相手ではあの男も堪らないだろうな、と颯太は苦笑した。
それから、キナははっと気付いたように顔を上げる。
「なんです?」
「し、しまった、犬養さん、ここに、来ちゃうかも・・・っ」
また、行き先を言わず出てきたのかもしれない。
しかしキナのことなどお見通しな弁護士はすぐに迎えに来るだろう。
慌てるキナに、今更だ、と颯太は溜息を吐く。
しかしキナは颯太を見て少し慌てた。
「だ、だって、マスター、そんな顔・・・っ卑怯だよ! なんでそんな顔なの! もっと変な顔しててよ!」
「は? 何をふざけたことを。喧嘩なら買いますよ?」
「ちが・・・っ、そんな顔、見たら、犬養さんが・・・っ」
どうだと言うのだ。
しかし颯太はキナが何を言いたいのかは理解した。
颯太に気持ちが動いてしまうのが、怖いと怯えているのだ。
颯太はそんなキナに堪えきれない、と吹き出してしまった。
「なっなに笑ってんだ!!」
「いえ、別に・・・・」
そのとき、ドアがまたカラリ、と鳴った。
「いらっしゃいませ」
颯太が顔を向けると、キナが思っていた通り、迎えに来た男がそこにいた。
「良かったですね、お迎えですよ」
「・・・・・・・」
キナに笑顔を向けると、キナはその男と颯太を見比べて、複雑そうな顔をしている。
外見からは乱れて欲情することなど想像も付かない男は、それを不思議そうに見た。
「キナ?」
「・・・・い、犬養さん、なんとも、思わない、の?」
「何がだ」
「マスターだよっこんなに綺麗なの、見て、なんとも思わないのか?!」
颯太は改めて、というよりも店に入って来てから初めて視線を向けられて、笑った。
まるでキナしか映っていないような男に、どうしてキナはこんなに心配しているのか、それが不思議だ。
「ああ・・・そういうものかと思った」
颯太は笑った。
初めてここに来たときも、この男は同じことを言ったのだ。
つまり、今も前も、この相手にはキナしか見えていないのだ。
「弁護士さん、この人はね、貴方が他の人に目移りするのでは、とやきもちを焼いているんですよ」
「な・・・っ」
絶句してしまったキナに、相手は何度か頷き、
「・・・そうか、俺の気持ちが伝わりきれてないのか? 可笑しいな。あれほど教えてやったのに」
もう一度、調教が必要だな。
その言葉が聴こえるようで、キナは赤かった顔を真っ青に変えた。
「い、い、いい、いいです、もう、いい・・・っ」
首をフルフル、と力なく振って見せるキナに、相手は何も言わさずそのままキナを攫うようにして店を出た。
その背中に、颯太はいつもと同じ言葉をかけた。
「可愛がってもらってください」
「・・・・っばかーっ」
無責任だ、と自分でも思うのでドアの向こうに消えたキナの暴言も大人しく受け入れた。
そのドアが、もう一度カラリ、と鳴って開いた。
「いら・・・・」
相手を確かめて、そして自分の顔が綻んだのを知った。
「今日は、もう閉店だろ」
押し付けるような言葉に、颯太は素直に頷いた。
修也だった。
あれから毎晩訪れ、想いを確かめる。
修也が来れば、店は終わりだった。
颯太はそれを心待ちにしてしまっている自分に、キナのことを笑えないな、と店のライトを落とした。


罪を背負って生きる。
罰ならなんでも受け入れる。
ただ、この人の側にいられることを、許して欲しい。
颯太は、誰かにまたそう願った。


fin.

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