お願い、サヨナラと言って  12






世界が回った。
そう思った颯太に、目の前の腕が伸ばされた。
世界が動いたのではない。颯太が、揺らいだのだ。
倒れそうになった颯太を支えてくれたのは、10年ぶりに触れた今でも暖かい腕だった。
あの時よりも、逞しく男の腕になった、修也の腕だった。
引き寄せられて、もっと眩暈がしそうになった。
どうかしている。
男の腕に、いや、修也に引き寄せられて、腕に抱かれて、どうしようもなく高鳴る気持ちが。
それに居心地の悪さを感じ、颯太はすぐに腕を伸ばして修也を押し返した。
それでも立っては居られず、そのままソファに座った。
修也は隣には座らず、青い顔を俯かせた颯太を覗き込むように床に膝を付いてその前に屈んだ。
「俺が、負い目を感じるのは、楓子が居なくなったせいでお前にあんなことを六年間もさせたせいだ」
中学に入ってから、高校を卒業するときまで颯太は楓子のように生きていた。
母親の、心の病のために。
「そしてそのせいで、お前が俺の前から居なくなったことだ」
罪を一人だけに押し付けたような格好で、そのままにしてしまった。
修也の視線に、颯太は虚ろに返してしまう。
「お前を傷つけたことが、一番辛かった。俺は酷い人間だから、楓子を死なせても残されたお前のことしか考えられない男だから、それが罰だとも思った」
「・・・・お前、なにを・・・」
「お前が俺に逢いたくないから出て行ったのなら、俺は逢いに来るべきではない、と我慢した。でも俺はやっぱり酷い男で、どうしても我慢できなくなった。堪えのない俺が、10年、我慢した。まだ、駄目か?」
「・・・なに?」
何を問われているのかすら解らず、颯太は虚ろな視線を修也に向ける。
迷いのない真っ直ぐな目が、それにぶつかった。
「まだ、我慢しなければ駄目か?」
「我慢・・・・?」
「お前に逢いたかった。お前に触れたかった。抱きしめたかった。口付けたかった。お前の熱を、知りたかった」
颯太はクラっとした。
視線は動いていないのに、脳みそが熱く揺れた。
吐き出す呼吸が震えるほど、強烈な言葉を受けた。
修也の目を見れば、それがどれほど真剣なのかは颯太に知れないはずはない。
胸が大きく上下するほど、颯太は呼吸が苦しく思えた。
その不安が出た目で、修也を見つめた。
「・・・・楓子が、見てる」
ゴクリと、息を飲んだ。
鏡を覗きこめば、そこに楓子がいる。
鏡だけではない。
自分を映す全てのものに、楓子がいる。
颯太は自分の顔が嫌いだった。
楓子しか映さない自分が嫌いだった。
罪を知れ。
いつまでも、颯太の耳に声が届く。
「いない」
颯太の想いを打ち消すような、強い声だった。
「もう、楓子はどこにもいない。お前を見るのは、俺だけだ。お前を苦しめるものはもう何もいない」
修也は固くなった颯太の身体を無理やり自分に引き寄せた。
頭を自分の肩口に押し付け、背中に腕を回して抱きしめる。
「お前に罪などない。あるとするなら、それは全て俺が受けるものだ。だけど俺は卑怯で酷い男だから、罰だと思いながらも諦められなかった。お前の側にいられるなら、なんだってした。楓子と結婚すれば、一生お前と兄弟で側にいられるなら、結婚だって出来ると思った」
「・・・・っ」
「でも、無理だ。俺が欲しいのは、可愛い妹じゃなくて、昔から、颯太だった」
颯太に教えるように。
身体に、沁み込ませるように修也は言葉を繋いだ。
「颯太を、愛してる」
視界が潤んだ。
颯太の目が、熱くなって想いが溢れた。
なんて弱い。
この腕の温もりが、欲しいと願ってしまう。
本当は待っていた、と幼い我儘がある。
傲慢な想いが、溢れて辛くさせる。
苦しい。
どうしてこんなに弱いのだろう。
どうしてこんなに苦しいのだろう。
強くなって、独りでいられるつもりだったのに。
そんな自分は、あまりに儚く脆かった。
それでいいのか?
赦されることなのか?
楓子の想いを踏み躙って、その上に幸福があるのか?
しかし、人間はやはり弱く傲慢だ。
颯太はどうでもよくなった。
ただ、この温もりがずっと欲しかったのだ、と腕を初めて修也に回した。
今までの全てのものも、これからの幸せも、誰かに捧げるというのなら迷わず差し出す。
けれど、ただひとつ。
この腕の中にいさせて欲しい。
「・・・・修也・・・っ」
泣き声で零れた名前に、颯太を受け止めた修也が苦笑に近い喜びで笑った。
「・・・やっと、呼んでくれたな」
もう二度と、離さないから。
自分を抱きしめる腕の強さから、それははっきりと伝わった。


to be continued...

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