好きだスキダと言うクチで 「怖い――紅矢、こわいよ―――」 泣き出してしまったのを、本気で困った顔で動揺したのを見て、さくらは少し安心した。 だから怖いと言いながら、その腕の中に縋り付いて泣いた。 さくらは自分でも卑怯かな、と思いながらも、もう急いてない暖かい腕に抱かれて安心しきってしまった。 「王子! おはよう――!」 財地 紅矢は新しく拝命した称号に、思い切り顔を顰めて聞き流そうとした。 誰も好き好んでそんな名前を付けられたわけではない。 新年が明けて、三学期が始まった。正月の初詣で、ついぽろりと洩らしてしまった愚痴が――面白おかしくクラス中に広まったのだ。 あの気持ちを重ねた夏が明けた放課後。そのまま想いが抑えきれず回した腕に力を込めて細い身体をなぞった。震えながら腕に収まった出来たばかりの恋人に、可愛いと真剣に思って、欲しいと本気で望んだ。 震えていた可愛い恋人、桐嶋 さくらはどこに溜めていたんだ、と思うほど涙を溢れさせ、怖いと泣いた。 さすがにいきなりはまずかったか、と心を落ち着かせた紅矢だったが、それから何度か挑戦してみたけれど、全て玉砕した。 小動物を思わせる怯えた顔で、じっと視線を外さぬまま泣かれれば―――誰だって怯むだろう、と紅矢は一人憤る。しかも嫌われたくないと思っていればなおさらだ。 同い年の高校生とは思えない可愛さで、泣き顔すら本気で可愛いと思うほどで。その泣き顔に理性が飛ばぬように日々神経は磨り減って。 その状態で迎えた恋人たちのイベントのクリスマス。誰も家にいないから、と呼ばれて行ったさくらのうちで。 そう言われれば誰だって期待するというものだ。 けれど、さくらの小さなベッドに押し倒したその瞬間に、 「怖い――」 そう言って本気で泣き出してしまった。しゃくりあげるほど泣かれて、紅矢にいったい何が出来ようか。そのまま落ち着くまで理性と戦い抱きし めていれば腕の中で可愛い恋人は深く眠りに落ちる。 あの晩の、耐え抜いた自分の根性を紅矢は疲労と共に絶賛したい。 それを、初詣だ、とクラスメイトに呼び出されその神社でぽつり、と零してしまった。 「騎士道を貫ききったその今は珍しきその精神に誉ある名誉を!!」 と、ノリの良い彼等が付けた新しい名前が―――― 「王子」 であった。誰もなりたくてなったわけでもない。羨ましがるなら、喜んで贈呈するぞ、と紅矢は愚痴った。 そんな紅矢の心も知ってか知らずか、可愛い恋人のさくらは「姫だ、姫」と王子の相手なら姫だ、と持て囃されて悪い気はしていないようで―――紅矢は知れず、溜息を吐いた。 誰が騎士道など貫きたいものか。 あの晩の葛藤を誰も知らない。目の前で無防備になる相手に凶暴な想いが何度も襲い、そのたびに神経が焼ききれるような気持ちだったのだ。 憮然としたまま自分の席に座った紅矢に、苦笑しながら室長が近づく。 「おはよう、大変だな、お前も」 「・・・・・」 もう何も言われたくない、と紅矢は返事すらしなかった。 自業自得でもあるのだ。いっそ、本能のままにしてしまえば、力で敵うはずもないのだけれど紅矢はそれが出来ない。未だ無防備にどこでも全開の笑顔で擦り寄られて可愛い顔で好きだと言われ、それを本気で嬉しいと思う自分がいる。 力ずくでしてしまって、それに嫌われるのが怖い。 そう、紅矢だって怖いのだ。思うままにしてしまえば、壊れてしまいそうなほど細い身体で、警戒心もなく紅矢に抱きついてくる。いっそのこと さくらのいない世界に行ってしまいたい、と思うけれど、この笑顔のない人生などもう考えられない、と挫折する。 紅矢はそんな鬱々とした考えを吐き出すように大きく溜息を吐いて、 「・・・やりてぇ―――」 それが聴こえたのは目の前に座った室長だけだろう。相手は少しびっくりした顔をして、 「お前ね、そんなはっきり」 「・・・・俺は正直者なんだ」 正直に答えた紅矢に相手は少し考えるような顔をして、 「・・・まぁ、気持ちは解からんでもない・・・協力は、出来るだけしてやろう」 さくらのことを煽った責任も、このクラスにはあるのだから。紅矢が訝しんで、何をするつもりだ、と睨みつければ、 「――――お楽しみだ」 と室長は笑顔で立ち去った。 紅矢はしかし、そんなことを本気で信じてはいなかった。こればかりは、さくらの気持ち次第で他の誰にもどうしようもないと思っていたからだ。 「紅矢、今日ね、うち、誰もいないんだけど――」 「・・・・・」 紅矢はデジャヴを感じた。 確か、あの日もそんなことを言われて泊まって、そして玉砕した―――しかし可愛い顔で誘われて、紅矢に断れるはずもない。それでも抑えていた理性から、凶暴性が覗いて、 「・・・いいのか?」 「・・・え?」 「二人っきりになったら、俺、ちょっと止まらないかもしれないぜ?」 少し脅してみた。 これで怯むなら、紅矢は悲しいけれどやはり、抑えるしかない。けれど、さくらは頬を染めて、 「え・・・あ、うん――いい、よ?」 「―――――――なに?」 「ほんとは、紅矢になら、俺、何されてもいいんだ」 ちょっと怖いけど、でも紅矢だから―――とはにかむさくらに、紅矢はいったいこれはなんの罰ゲームだ、と辺りを見回してしまった。 誰かが、どっきりを撮っているようではない。それでも紅矢はさくらの細い腰に手を回して、 「・・・いいのか? 泣かせるぞ?」 「――――うん」 さくらは怯むどころか擦り寄って胸に身体を預け、 「・・・紅矢の、ものにして―――?」 それに、落ちない紅矢ではなかった。 さくらのベッドはさくらに合ったように小さい。しかしそんな些細なことなど紅矢には今考えられない。お座なりのようにした会話を打ち切るように口付けて、キスには抵抗をしたことのないさくらを思うままに貪る。 そのまま腕を背中に伸ばして抱き寄せ、学生服の釦に手をかける。 「ん、んぁ・・・っ」 それがくすぐったいのか、肩を竦めるようなさくらに紅矢はますます止まらない。しかし、 「あ・・・待って!」 少し力を込めて肩を押し返してきたさくらを、紅矢はやっぱり駄目か、と訝しむように覗き込んだ。けれどそこに抵抗はなく、頬を染めて俯く表情はさらに紅矢を煽る。 「あの、ちょっと準備が・・・」 だが、言われた言葉に眉を寄せて、 「準備?」 なんの準備をさくらがすると言うのだろうか。それとも何とかする、と言った室長辺りに言われて、知識を入れられ何かを持ち出すのか―――紅矢は瞬間に頭に様々なことが過ぎり、 「お願い、すぐに呼ぶから・・・」 出ていて欲しい、と言われる。そのまま押し倒したくなる可愛さだったけれど、さくらの願いを紅矢が聞けないはずがない。紅矢は大人しく――かなり後ろ髪を引かれながらも廊下へ身体を移動した。 「・・・なんだよ」 愚痴っぽくなる声で溜息を吐きながら、そのドアに背中を預けてさくらの動きを知ろうと耳を澄ませた。が、澄ませるまでもなく、程なく中から声がかかる。 「・・・こぉやぁ――」 「・・・・・?」 緊張に硬くなった声ではない。どちらかと言えば、蕩けたような甘い声だった。訝しみながらも紅矢はドアを開けて、そして飛び込んできた光景に身体が固まった。 「こぉや――」 学生服を脱いださくらはその下のシャツも釦をいくつか外し、変わらず床に座り込んでいたけれど紅矢を固まらせたのはその表情だ。 とろりとした視線はすでに潤み、上気した頬に薄く開けられた唇から聞こえる甘い声――― 「さ・・・っさくら?!」 慌てて紅矢が近寄り座り込み、その細い肩を掴んで揺らした。 「どうしたんだ?!」 「んっやぁ、ん」 頭が揺れたことにさくらは頭を振り、いやいやと泣きそうな顔で唇を尖らせる。 「くらくらするぅー」 「さ、さくら・・・っ」 この変貌はいったいなんだ、と何の準備だったんだ、と紅矢が一気に青 ざめると、床に転がる小さな瓶が視界に入る。それを手に取ると、タイミングよくさくらはしゃくりあげた。 「っく、ひっく、ぅ」 「・・・・・・っ!」 吐息から香るアルコールの臭い、そして手にあるのはコンビニで売られているアルコールの容器で―― 「・・・洋酒かよ、しかも・・・!」 紅矢は頭を抱えたくなった。 これが言ってた「何とかする」なのだろうか。いったい何を考えてさくらにこれを勧めたのか紅矢にはそれが解からない。けれど、現実にさくらは飲んでしまっているのだ。そして、どうみても酔っ払いだった。 「こぉやぁ・・・ねぇ、こっちむいて・・・?」 瓶を握り締めて打ち震える紅矢にしな垂れかかるさくらは、今まで見たことのない色気を出していた。可愛らしい顔は、初めて綺麗だと思った。 ごくり、と息を飲んだ紅矢はさくらが怖い、と言った欲望を隠さない顔で見つめて、 「・・・いいのか?」 自我のない状態だとわかってはいても、紅矢ももう止められないところまで来ている。 「うん―――して、こぉや・・・」 「――――さくら」 背後のベッドに押し付けて、微笑むさくらは妖艶さが漂っている。 「ん・・・っ」 首筋に貪るように喰らいついて、シャツの中に手を潜り込ませる。細い身体を確かめるように何度も撫でて、本気で紅矢は止められない、欲しい、と思った。 「さくら、さくら―――」 「・・・ん、」 息が荒くなる紅矢に対し、さくらの呼吸は吐息のように緩やかになる。 そして背中をベッドに押し付けたまま、抵抗どころか紅矢がきつくその肌を吸い上げてもぴくりとも動かなくなった。 「さ・・・くら?」 「・・・・・」 紅矢がまさか、と思いながらも顔を覗き込むと、大きなさくらの目を縁取る長い睫毛が伏せられ、小さく開いたままの唇からは規則正しい呼吸が聞こえた。そして、そのまま動かない。 「・・・・・っまじ、ですか・・・!!」 寝ているのだ。 眠ってしまったのだ。 どういう経過かは知らないけれど、さくらはアルコールを飲み干し酔っ払い、そして耐性のない身体は防衛本能――つまり、睡眠を取ってしまった。その現実に暫く紅矢は呆然としながらも、自分が乱した衣服にどうしようもないやるせなさが込み上げてきて、魂が抜けるような大きい溜息を吐いたのだった。 そして、紅矢の忍耐はまた強さを増すことを余儀なくされる。 ベッドに寝かせつけた可愛すぎる恋人を見下ろして、紅矢はいったいいつになったらこの欲望が吐き出せるのだ、と倒れそうな身体で、どうにか泣きそうなのを堪えた。 「王子」の称号はまた、更新されることになる―――事実に紅矢は未来などない、と拗ねるようにして、どこか子供らしさを見せたのだった。 |
fin