嫌いキライも好きのうち





「――――て、言うこと」
桐嶋 さくらは目を瞠った。
「や・・・っやだよ! そんなの―――!」
「かなりの譲歩だ! 期限は、夕方の四時まで」
「一日?!」
周囲の目は笑顔で真剣だ。さくらが駄々を捏ねて見せても今日ばかりは聞いてもらえそうにない。
「さくら、罰ゲームなんだからな?」
「・・・・っ」
確かに、負けた自分が悪いのだ。
そして我侭を先に言ったのは自分のほうなのだから―――
「・・・わかったよ!!」
やればいいんだろ、とさくらは十六の男子としては訝しむほどの可愛い顔を、さらに可愛く拗ねさせて見せた。





週明け、週末の部活の合宿で行われた小さな大会で満足の出来る結果が出せた財地 紅矢は、気だるいはずの朝から機嫌が良かった。
紅矢ははっきりいうなら、かっこいい男だ。綺麗というより凛々しい顔立ちでその体躯も十六歳には見えず、身長はすでに平均を超え部活のおかげで学生服の下もがっちりと逞しい。それでいて暑苦しく見えないのは、やはり顔のおかげだ。
柔らかな黒髪は癖がなく、涼しげな目元を一層引き立てている。男子校である今も、そして今までも周囲からの視線は独り占めしてきただろう。
けれど、紅矢はそんなものはどうだって良かった。
クラスメイトたちとも楽しく過ごせているし、部活も順調だ。そして、男子校だと言うのにこの教室には楽しみがある。
入学式のときは何度も見直して、自分の目を、頭を何度も疑った。
本当に、同じ男子であるというのだろうか、これが。
同じ学生服を着て、この場所にいるのだから間違いはないのだろうけれど、おそらく疑ったのは紅矢一人ではない。
加工していないくせに色素の薄い髪は、クォーターである祖母譲りだと聞いた。ふわふわ揺れるそれに、落っこちてしまうのではないかと心配するほど大きな瞳。小さな鼻に紅い唇は元気良く明るい透き通った声を上げる。
まるで太陽がそこにあるかのような、笑顔を振りまく新しいクラスメイト――それが、桐嶋 さくらとの出会いだった。
紅矢は一目ぼれというのを初めて知った。男子校だから、などではない。こんなに心苦しくなるほど、胸が高鳴ったのは今まで生きてきて初めてだったのだ。
異性と付き合ったことがないわけではない。しかし、過去など一気に吹き飛ぶほど、目の前のさくらに夢中になってしまったのだ。
紅矢は教室のドアを開け、そのさくらを見つけた。どこに居たって、すぐに見つけられる。他のクラスメイトと話していたさくらが紅矢に気付き、振り向いた。それに笑って、
「おはよう―――」
いつもと変わらない挨拶のつもりだった。
さくらははにかんだように笑う。紅矢はこの顔も大好きだった。そして、嬉しそうににっこり笑っていつものように挨拶を返してくれる――と、思っていた。
「・・・・」
さくらはそれから少し戸惑ったような顔で、小さく眉を寄せた。そんな顔も可愛いけど、どうしたんだろう、と紅矢がさくらの声を待っていると、
「――――キライ」
「・・・・・・・は?」
唇を尖らせて、身長さのある紅矢を下から上目遣いに見て、そんな可愛い顔をさせて言われた言葉が紅矢は理解できなかった。
「・・・なに、さくら、今・・・」
「きっらっい!」
「・・・・・・」
イーだ、と歯を見せてさくらはさっさと紅矢に背を向けた。言われた言葉に呆然となって紅矢がそこに立ち尽くしていると、すぐにさくらはくるりと身体を返して紅矢を見上げる。
「あ、なぁ、数学の課題やった?」
「あ・・・ああ? や、ってある、けど?」
「見せて!」
まるでさっきのことが幻だったかのような日常に、紅矢は目を瞬かせて鞄から言われたノートを取り出す。
すぐに席に座って写し始めるさくらは、至って笑顔だ。楽しそうだ。
「・・・・???」
紅矢は幻だったのだろうか、聞き間違いか? と首を傾げながらも追求しないことにした。
それが、その一日の始まりだった。





「さくら、零してるぞ」
昼休み、メロンパンに齧り付いたさくらの学生服には、そのくずがぽろぽろと落ちて、口の端にもそれが目立つ。
「口にも」
笑って紅矢がそれに手を伸ばすと、さくらはジィ、と隣に座った紅矢を見上げて、
「ん?」
「・・・・・ぁ、」
さくらは口を開いた。
「・・・きらいっ」
「・・・・・・・・あ?」
拗ねたような顔で、目を眇めた紅矢を睨むように、
「だいっきらい!」
「・・・・・・・・・・」
紅矢の動きが止まって何も言えないでいると、さくらは席を立って、
「ジュース買ってくる!」
と他のクラスメイトを連れて教室を出て行ってしまった。
残された紅矢は暫く呆然と固まって、漸く息を吹き返したと思えば、
「・・・・な、なんなんだよ!!」
教室中に響く声で憤りを見せた。
一緒にお弁当を広げていた室長が苦笑して、
「なにがだよ」
「なにがじゃねぇだろ! あれ、いったいどういうつもりだ? なんの遊びだよ!」
「・・・・あれ?」
恍けてみせる相手に、紅矢は鋭く睨みつけて、
「しらばっくれんな! 気付いてるだろ、さくらの・・・っ」
「・・・ああ、きらい、ね」
朝から紅矢は、同じ言葉を何度聞いただろうか。
しかも、一番聞きたくないと思っている相手から聞きたくない言葉を――一生分聞いた気がした。
それはいつも唐突だ。ふいに、目があっても笑って話をしていても、芯がなくなったから、と言われて新しいのをあげても―――「きらい」とその可愛い口から、可愛い声で。
紅矢は机に頭を抱えて突っ伏した。
「・・・・冗談じゃねぇっての・・・!」
そう言われて、嫌われたのだろうか、自分が何をしたのだろうか、と動揺する心を探ってみれば、そのすぐ後で、さくらは紅矢に擦り寄ってくる。教室移動をすれば隣を歩くし腕をするりと絡めてもくる。
視線を奪われる笑顔で紅矢の前に座り甘えて、しかし同じ口で発せられる「きらい」の言葉に紅矢は朝から心臓が壊れるほど動揺していた。
少し頬を染めて、拗ねた顔で「紅矢なんかきらい、」と言われて―――
「そう言う顔も可愛いよな」
「まぁそうだけど―――て、違うだろ!」
同じことを思っていたのに同意しながらも、しかし問題はそれではない。
嫌いなら嫌いで、そんな態度を取れば良いのだ。
同性のさくらを、やましい気持ちで見ているのが知られたのだろうか。
女のように細い身体を軋むほど抱きしめて薄い胸に手を這わせて掴めそうなくらいの腰を―――紅矢は頭を振っていつも思い描いてしまう妄想を吹き消した。
そんなことを考えていることが知られたのだろうか。それで嫌われたのだろうか。邪な気持ちが気持ち悪いと―――
青くなる顔で机に視線を落としていた紅矢に、笑いを含んだ声がかかる。
「仕方ないだろ、それを見てる俺らだって、いい気はしないんだからな」
紅矢は憮然となる顔を隠すことなく、クラスメイトを睨み吐けた。
「・・・・どういうことだよ、」
「先週の金曜、お前部活で公欠したろ」
「・・・・それが?」
「四時間目の自習でさ、カードゲーム大会を開いたんだよ」
「・・・・・・」
紅矢は仕方ないな、と話してくれた内容に、驚き、戸惑い、落ち着かなくなった。
そんなことが、あっていいのだろうか。





放課後になって、紅矢は一人で教室に残っていた。毎週回し読みしている週刊の雑誌を広げ、窓際でそれに視線を落としていた。
からり、と誰もいない教室にドアが開く音が響く。
放課後の学校は静かではない。どこかに人のいる気配は確実に感じる。
部活の音だったり、ただたむろって話しているだけだったり―――ただ、その教室の辺りは静かだった。
紅矢がドアの音に気付いて顔を上げると、さくらが珍しく困惑した顔でそこに立っていた。
「・・・・部活は?」
不安そうな視線に、紅矢は笑って、
「――――サボリ」
「いいの?」
「たまにはな」
さくらは戸惑いながらも窓際に座った紅矢に近づく。それを、警戒心の強いネコのようだ、と紅矢は笑ってしまう。けれど、ちゃんと手の届くところに来るまで辛抱強く待った。
「・・・紅矢」
「ん?」
さくらは紅矢の隣の椅子を引き、身体を紅矢へ向けて座った。
「あの、週末の大会、勝ったんだってね」
「・・・ああ、まぁな」
「・・・おめでと」
「サンキュ」
「・・・・・・」
さくらは無邪気だ。生来の性格なのか、嫌われることを知らないような行動に誰もが笑みを零す。そしてさくらはますます笑顔になる。
そのさくらの顔に、今笑顔はない。戸惑って動揺しているのははっきりと解かる。言いたいことがあるのに、どう言えばいいのか解からないように何度も口を開きかけて閉じる。
紅矢はこれはこれで可愛い、と雑誌からさくらに目を移してじっと見つめていた。さくらはそれを受けて、困ったように、
「紅矢・・・」
「ん?」
「どうして、そんなに笑ってるの?」
「笑ってるか?」
「・・・・うん、すごく」
その笑顔と視線を合わせていられない、とさくらが俯くと、
「―――あと、三分」
「え?」
唐突に言われた言葉に驚いて、さくらが顔を上げると紅矢は腕時計を見て、さくらに視線を移した。
「・・・四時まで、あと少し」
「・・・・・・」
ぴたり、と動きを止めたさくらを楽しそうに笑う。
「さくら、四時になったら、どうする?」
「・・・ど、ど、する・・・って、」
「本当のこと、言ってくれるのか?」
「――――――っ!!」
紅矢の言葉に、さくらは真っ赤になった。
「し、知って・・・っ?!」
紅矢はにっこりと笑うだけだ。実際、昼休みにそれを聞いてからにやける顔をどうにかするので必死だったのだ。
自習で行われたカードゲーム。さくらはそんなことより、その時合宿に行ってしまった紅矢のことで頭がいっぱいだった。
心配しなくても勝ってくるだろ、とクラスメイトが笑うのに、さくらは違う、と首を振った。
「勝たなくていいもん」
むしろ、勝ってなんかほしくない、と呟くと驚かれた。
「だって、ますますもてちゃうじゃん・・・もう、ライバルは要らないのに」
「・・・・・・」
さくらの態度を見れば解かりきっていたことだけれど、さくらを好きだったのは紅矢だけではない。
上の空だったさくらは、案の定ゲームで負けてしまった。そして罰ゲームを課せられたのだ。
「紅矢を見て、好きだと思うたびに反対のことを言うこと」
それが、さくらの罰ゲームだった。
そんなことを言って、嫌われたらどうする、と嫌がったさくらにクラス全員が協力するから、とどうにか決行させた。さくらの気持ちが成就するように、誰もが手を貸してくれる―――それを条件に、さくらは思ってもないことを口にすることにした。
「さくら、四時になるよ・・・罰ゲーム、終わるよ」
「・・・・・っ」
「・・・さくら? こっち見て?」
優しい声に、さくらは俯いた顔を上げた。
上気した頬に、目は感極まって潤んでしまっている。薄く開いた唇から漏れる吐息に、紅矢は襲いたくなる衝動をどうにか堪えた。
頭上で、学校中にチャイムが鳴り響く。
それをどこか遠い音のように聞いて、
「・・・・四時に、なったよ、さくら・・・?」
ゲームは終わりだ。もう、嘘は吐かなくても良い。
紅矢は赤い頬に触れて、柔らかな肌をなぞった。その気持ち良さに自分の中の凶暴さが目覚めそうになる。しかしどうにか理性で抑えて、
「・・・・・好きだよ」
撫でられる頬にうっとりとしていたさくらの顔が、びっくりしたように驚愕に変わる。
「・・・・っ」
さくらは口を小さく開閉させて、しかし言葉が出て来ないようだ。
「さくらは? 俺のこと、どう思ってる・・・?」
「・・・ぁ、」
さくらの頬に触れていた手を少し下げて、紅矢はその唇に触れた。ふっくらとしたそれは、紅く熟れて思わず貪りつきたくなる。
唇をなぞられて困惑した顔が紅矢を見上げる。
「・・・さくら? 言ってくれないのか・・・?」
言わないなら、塞いでしまうぞ、と囁いた。
「・・・・、」
さくらは拗ねたような顔で唇を閉じて、紅矢を睨みつける。どこか濡れた目は、誘っているようにしか見えなかった。
紅矢は苦笑して、
「・・・いいのか?」
「・・・・ばか」
さくらが言ったのは、それだけだった。小さく開いた口はそう言っただけで、また閉じてしまった。
紅矢は笑みを深くして、
「・・・ずるいな、さくらは」
言ってゆっくり顔を近づけた。近づいた紅矢に目を閉じたさくらに、堪らないな、と思いながらも紅矢は柔らかな唇を重ねたのだった。
触れるだけのそれに、紅矢は離して目を開くと、真っ赤な顔をしたさくらがやはり拗ねたような顔で睨み付けていた。
「・・・なに」
「・・・・・紅矢の、バカっ」
「・・・きらいの次は、バカ? 俺も、いい加減怒るぞ?」
少し声を低くすると、さくらの表情は解かりやすい。驚いた目をすぐに潤ませて、くにゃり、と表情を歪める。拗ねたままの泣き顔は、紅矢の理性をかき乱す。
「素直なさくらが、好きだよ・・・俺も、素直になれる」
「・・・っ」
紅矢は正面にさくらを向けて、さくらの座った椅子ごと自分に引き寄せた。足を開いた紅矢に腰を抱かれて覗き込まれて、さくらは戸惑いを隠せない。さくらは素直すぎるほど、素直なのだ。
「こ、紅矢・・・俺のこと、きらいにならない?」
窺うように腕の中から見上げられて、紅矢は苦笑してしまう。
「・・・俺、好きだって言わなかったか?」
「・・・うん、あの・・・あの、俺も、紅矢が、すき・・・」
小さな告白を奪うように、紅矢はその唇を奪った。触れるだけではない。感情を抑えられないように、小さな唇を開かせてその中を思うままに貪り暴いた。
「ん・・・んっんん・・・」
苦しそうな声が聞こえても、ますます抱きしめる腕に力を入れて口付けを深めた。
「ふ、ぁ・・・っ」
やっとそれが離れたとき、熱に浮かされたようなさくらの顔に、紅矢は押し倒したくなる欲望をどうにか抑えることが出来た自分がすごいな、と思った。
さくらは大きく息を吐き、ゆっくりと我に返り暖かい腕の中で漸く自分を取り戻した。それから赤い顔で紅矢を睨みつけて、
「・・・紅矢のえっち」
紅矢はそれに驚きながらもにやりと笑って、
「・・・俺、エロいよ? 知らなかったのか?」
腕の中で知らない、と顔を見られたくないと擦り寄ってくるさくらに、どうしようもない愛しさを感じた。
手に入れた腕の中のそれを絶対に離すもんか、と決意し紅矢は、さてどこまでのエロさなら今は許されるのだろうか、と二人きりの教室で真剣に考えていたのだった。
もちろん、腕の中で暖かいだけの幸せにひたるさくらがそれに気付くはずもなかった。


fin



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