拍手44 寒い夜の願い事 ビーナスの思想シリーズ




はーっと手袋をした手に息を吹きかけた。
真っ白な空気は、手袋越しではやはり感じない。
寒い日のほうが星が良く見えるよ、と言ったのは牡丹だが、その牡丹はここにはいなかった。
菊菜は小高い丘の上にある公園のもっと奥、芝を植えられ視界の開けた場所で膝を抱えて座っていた。
今日、流星群が見える、と言ったのも牡丹なのに、本人は昨日から風邪を引いて母親から外出禁止を言い渡されていた。
仕方なく、変わりに菊菜が見てくるということになったのだけど、もちろん一人ではない。
そもそも、ここに来るのも車で来なければならない場所だ。
今いるところから公園を挟んだこの丘の入口に、駐車場がある。
暖かい格好を選んで、厚手のコートを着てきたものの、夜の小高い場所はやはり寒かった。
菊菜は街灯のある駐車場のほうを気にして、薄闇の中視線を巡らせた。
少し離れた場所に、同じように夜空を見に来たのか二人連れがいて、静けさに声が聴こえた。
「椿さん、寒くないですか?」
「大丈夫。毛布があったかい」
「寒くなったら、言ってくださいね」
「言ったらどうなるんだ? 伊織が何かしてくれるのか?」
会話を聞いてしまった菊菜も最もな疑問だ、と同じように首を傾げると、少し躊躇った後で、秘密です、と答えた。
「・・・解かった。寒くなるのを楽しみにしておく」
どんな秘密だろう、と少し楽しそうな声に菊菜も気になったけれど、相手の声がさらに低くなり、もう聴こえては来なかった。
(気になるなぁ、だって今寒いし)
菊菜が抱えた膝を手袋の手で擦っていると、ようやく後から声をかけられた。
「悪い」
一言だけ言ったのは、菊菜をここまで連れて来てくれた立見だった。



「毛布は?」
車まで毛布を取りに行った立見を見上げると、少し肩を竦めたれた。
「なかった。親父が降ろしたかな・・・」
「なんだ・・・まぁ仕方ないか」
寒いけれど、菊菜と同じように立見も寒いはずだ。
この寒い場所に連れて行って欲しい、と頼んだのは菊菜なのだから、これ以上の我侭は控えよう、と溜息を吐いた。
「ほら、これ持ってろ」
「あ、あったかい!」
差し出されたのは、暖かな缶ココアだ。
手袋越しでも、その温度が伝わり菊菜は思わず喜ぶ。
その菊菜の後に座った立見が、
「ついでに、ここに座れ」
軽々と菊菜を引き寄せて、自分の足の間に入れるように抱きかかえた。
「あー・・・あの、えっと」
「なんだよ?」
立見の大きなコートが、すっぽりと納まった菊菜の身体も一緒に包んでいる。
「少しは寒くないだろ」
背中に立見の体温を感じ、掌には温かな飲み物。
熱を逃がさないようにコートで包まれて、確かに寒くはない。
そして、じんわりと顔も熱くなって、さらに身体が火照る。
寒くはないが――恥ずかしい。
「た、立見、あの、他にひと、いるよ」
そっと離れた場所にいる星空の観客を示したが、立見はそれがなんだと腕に力を込める。
「こんなとこまで来て、他の誰かを気にしてるヤツなんていねぇよ」
そうだろうか、と菊菜はさっき聴こえた会話を思い出し、寒くなくなる方法の答えを身をもって知り、コートの中に顔を埋めた。



「なに隠れてんだ」
「な・・・なんでも、ないよ」
「星見に来て、空見ないってどういうことだよ」
「う・・・」
顔を埋めていたせいで、上げた瞬間寒さを感じた。
手にしているココアを飲もう、とプルトップに指をかけるが、手袋のせいで上手くいかない。
「かせよ、ほら」
「・・・ありがと」
見かねた立見に世話を焼いてもらいながら、菊菜はこの状況が嬉しいことに気付いた。
牡丹がいたら、どうなっただろう、と考えながらも、立見の腕の中でいないことを感謝している。
大事な弟に、風邪で来れなかった弟に、心の中で猛省しながら、誤魔化すようにココアをごくごくと飲む。
暖かいはずなのに、寒さのお陰であっという間に飲み干してしまった。
「お前、全部ひとりで飲んだのかよ」
「あっご、ごめっ」
立見は基本的に甘い飲み物を飲まない。
だから渡されたココアも菊菜のだろう、と決めつけていたのだが、この寒さでは甘くても暖かい飲み物が必要だ。
背中を振り返るように首を捻り、謝ろうとした口を塞がれた。
「・・・甘っ」
「・・・・・っ!!」
突然唇を奪われたことに驚き、そして慌てて周りを気にするように怒ろうと口を開きかけるが、
「だから、誰も見てないっつの。みんな星見てるって」
「だ・・・けど!」
じゃあ自分たちも星を見よう、と菊菜は顔を前に戻そうとする。
しかし強い手に留められて、また至近距離で立見の顔を見ることになった。



「もう少し・・・味あわせろよ」
「ん・・・っ」
強引に口を塞がれて、熱いほどの立見の舌が菊菜の中を探る。
声を漏らすことも出来ないくらいの執拗な口付けに、菊菜は周囲もここに何をしに来たのかも解からなくなった。
「あ! 流れた!」
離れた場所から喜びを含んだ声が届いた。
しかし、もう菊菜は苦しい体制で唇を重ねることしか考えられない。
「ん・・・っは、あ」
「・・・流れ星、見るか? 願い事でもするんだったか?」
唇が離れると、熱い吐息が真っ白になって視界を泳ぐ。
その中にからかうような立見の顔が見えた。
星が見たい。
願い事もしたい。
菊菜はそう思ったけれど、このまま目を閉じてしまえばどちらも叶うような気がした。
「・・・もっと」
牡丹には、綺麗だったよ、と伝えることにしよう。
星空の下で、寒さの中で、菊菜は願い事を叶えるために目を閉じた。



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fin



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