拍手42 Sweet Day だから好きだと言っているシリーズ




「あれ、村瀬さん香水変えました?」
朝一番で、営業部で言われたことに、繕は自分の姿を見直し訝しんだ。
「いや、今日は付けてない」
いつもはシャワーを浴びたあとで、少しだけ付ける香りは自宅に置いてあって、昨日泊まった春則の家にはない。
なので今日香るとしたら煙草の匂いくらいのはずだった。
しかし営業部の男は首を傾げて、
「俺煙草吸わないから、結構匂いには敏感なんですけど・・・なんか甘い? 匂いしますよ」
通勤ルートも違った。
電車の中で誰かの香りが移ったのだろうか、と自分の肩に顔を寄せるようにすると、確かに甘い香りがする。
その会話を聞きつけた営業事務の女性が近付き、
「あ! これ先月発売されたルードの新作ですよー」
「女物じゃないのか?」
「もちろん、女用ですけど・・・村瀬さんが付けるとちょっといつもと違っていい感じ」
にこやかに言われても、繕には理解しかねるところだ。
誰かの香りが移ったにしては、はっきりと匂う。
どう考えても繕が付けているとしか思えない甘い香りに、繕は正直に記憶がない、としか答えられないのだった。



自分の部署に戻り、パソコンに向かったところで繕は携帯にメールが来ているのに気付いた。
春則からだった。
今朝別れたばかりだというのに珍しい、と思う。
昨日の夜、仕事明けに春則の家に向かい、そのまま終電を逃しタクシーで帰ることも面倒になってそのまま泊まった。
朝になって、シャツとネクタイだけを借りて部屋から出て行こうとすると春則が眠そうな顔で起きてきたのだ。
「あれ・・・もうそんな時間?」
「まだお前は寝ていろ。睡眠時間が足りてないだろう」
いつものことで、納期が迫っていた春則は徹夜が続いていた。
それが終わったので繕が家まで行ったのだ。
しかし春則は寝起きながら妖艶な色気を隠さず笑い、
「寝るけど、せっかくだからいってらっしゃいのキスでもしてやろうかと」
目が覚めたついでに、と近付く春則を、繕は腰を抱くように受け入れた。
玄関先で濃厚な口付けを交わし、思わずもう一度寝室に戻りたくもなったが、繕は見送られて会社に向かった。
その春則がメールしてきたのなら、あれからやはりそんなに眠っていないはずである。
内容は「昼食を食べに行く」という簡潔なものだった。
了解、と打ち返し繕はフロアを見渡し少し考える。
そして外へ出かけようとした部下をひとり呼び止めた。



「どーしても、蕎麦が食べたくなってさーあんたの会社の近くにうまい蕎麦屋があったの思い出して」
春則は昼休みに待ち合わせるなりすぐに店に向かった。
テンションは高いようだが、心なしか顔色はまだ悪い。
「寝足りないんじゃないのか」
疲れがどことなく気だるさになって表れ、いつも以上に春則は物騒な存在になっていた。
蕎麦屋のカウンタに並んで座りながら、繕は自分から何の匂いもしないことを確かめた。
外出しようとした部下に、消臭スプレーを頼んだのだ。
またそれを消すように、煙草をいつもより多く燻らせた。
繕の気遣いを春則は笑って返し、
「いや、なんか気になって目が覚めてさー、いっそ動け、と思ってさ」
「なにが」
いつもは何があろうと疲れに負けて眠り倒すというのに、それを押しのけて起きてくるほどの何があったのか、繕は二人前の蕎麦を頼みながら隣を窺う。
春則は目を細め、悪戯を考えた子供、というには悪質なほど色気を伴って笑った。
「ん? そりゃあんたの反応が知りたくて・・・あれ、なんか匂い消えたな?」
繕の首筋に鼻先を寄せる春則に、繕は思い当って顔を顰めた。
「・・・あの香水は、お前か」
朝、出かける時のキスだ。
あの時に付けたとしか思えない。
「あんたの周りがどう反応するかなーと思ってさ、結構いい匂いだったろ?」
悪びれず言い放つ春則に、繕は隠すことなく溜息を吐いた。



「新しいの買ったけど、あんまり好きじゃなかったからって人に貰ってさ。ルードの新作なんだぜ? あれっくらいなら俺いけるなーと思って」
確かに、女性用の甘い香りだが春則にも合うだろう、と繕は記憶にある匂いに納得する。
しかし、問題はそこではない。
お互いの匂いなど気にする関係ではないはずだというのに、何故か酷く焦り繕は香りを消した。
春則のことを考えてのことだというのに、全てはその男のせいだった。
「馬鹿馬鹿しい」
繕は一言言い捨てた。
むっと唇を尖らせたのは春則だったが、自分に対しての言葉だった。
こんな男に振り回された自分が情けない。
そして――馬鹿馬鹿しい。
その気持ちをぶつけるように、繕はメニューを開いた。
「ここはお前の奢りだ。すみません、追加お願いします」
「ええ! なんで?!」
あんたに奢らせようとここまで出てきたのに、と不平を言う春則を無視して、繕は天ぷらなど単品メニューを頼んだ。
「ちょっとー、なにあんた怒ってんの?」
「煩い。しっかり食べて、俺が行くまで帰って寝ていろ」
体力を回復しておけ。
その先は口にしなくても、通じるはずだった。
うっと押し黙った春則に、繕はもう一度溜息を吐いたのだった。



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fin



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