拍手41 キスと虫歯 小春日和シリーズ




「薫、チョコレート食べるか?」
「要りません」
即答されて、菊池は冷蔵庫を覗いていた顔を上げた。
太りやすい体質だ、というのを気にして、普段お菓子などの量を気にしている薫だったが、菊池に勧められて手を付けなかったことなどない。
冷蔵庫から出したのは、貰いものの高級チョコレートだったのだが、
「結構旨いらしいけど、これ?」
「・・・・いいです」
ちら、とチョコレートを見た目を慌てて伏せ、顔を振る仕草に菊池は顔を顰めた。
チョコレートが好きなのは知っている。
さらに、今本当に欲しくないかどうかも、解かる仕草だった。
「・・・薫?」
「い、要らない、ですっ欲しくないんです!」
「そんなにめいっぱい拒否ることかよ・・・なんだよ?」
「な、何がですか?」
「チョコ、食わない理由」
菊池は薫の隣に座り、目の前でその箱を振って見せる。
「食べたくない、んです!」
菊池はその意志の強さが本当は欲しいと告げていると感じた。
口に入れない、とぎゅっと口を噤んだ後で、薫は顔を顰めて左頬を手で押さえた。
顔を伏せて隠しても、痛みを堪えているのだとすぐに解かる。
「お前・・・」
菊池は伏せた顔を、顎を取って引き上げて強く睨みつけ、
「口開けろ!」
「・・・・っ」
嫌です、と涙目の薫が顔を左右に振った。
それを許す菊池ではなかった。



「歯医者行け!」
「・・・・・嫌です」
「お前なー! 虫歯だろ、それ、立派な!」
「ち、違います、これは、ただ痛い・・・や、痛くないです」
「痛いんだろーが! なんで嘘つくんだお前は」
左頬を押さえたままで菊池と顔を合わせないようにする薫に、呆れて溜息が出る。
「子供みたいに歯医者が怖いとか言うなよ」
「・・・・・・っ」
肩をびくり、と振るわせた薫はその通り肯定していた。
「ほっといたらどんどん酷くなるだけだぞ、神経抜かれたり歯を抜かれたりすることになったらどうするんだ」
薫の虫歯がどれほどのものかは解からないが、酷くなればもっと大変だと言って聞かせようとしたが、みるみるうちに大きな目に涙が浮かび、菊池はしまった、と後悔する。
左頬を押さえた手ごと優しく頬を包んで、視線を合わせた。
「いや、そんな酷いことにはならないって」
「・・・・うー、だって」
「怖いなら、一緒に行ってやるから」
さすがに診察中に手を繋いでやることは出来ないだろうが、傍にいてやることは出来るだろう。
こんな泣き顔でも可愛いと思う菊池は、本当に薫に弱いな、と思った。
涙を浮かべた目に唇を当てて、
「虫歯を治さないと、キスしてやらないぞ」
「え・・・っ」
情けなく眉を下げた薫に、菊池は思わず唇を塞ぎそうになるが、鼻の頭に留めておいた。
「治るまで、お預けな」
ずるい、ひどい、と薫の目が訴えているのに、菊池はどっちがずるいんだ、とすでにほだされそうになって、視線を外すように細い身体を腕に抱きこんだ。



結局奥歯ひとつの虫歯が見つかり、歯医者には5回通った。
それで一応の治療が終わった薫は、嬉しそうにお預けされていたチョコレートを食べた。
そして菊池に振り返り、
「先輩も食べます?」
「ん? うん」
箱からひとつ摘んで出す手を取り、菊池は薫の身体を引き寄せて唇の端を舐めた。
「旨いな」
そのまま引き合うように唇を深く重ねる。
久しぶりにするキスは、チョコレートの味だった。
薫の舌を自分の口腔に引き入れて、たっぷりと絡め取る。
もっと、これ以上に深く。
チョコレートよりも美味しいキスを貪りたい。
そう思った瞬間、細めた目を顰めるほどの痛みが奥歯に走った。
「・・・・っ」
「先輩・・・?」
いきなりキスを止めた菊池を、どうしたの、と首を傾げる薫から慌てて視線を外した。
まさか自分が、と思いたいがどこか覚えのある傷みに口を手で覆った。
「どうしたの? 先輩?」
愛らしく訊いてくる薫は頑張って治療を終わらせた。
神経に響くような機械の音が嫌だ、と泣くのを大丈夫だからと何度も宥めていられたのは、実は他人事だからだ。
菊池は背中に冷や汗が流れるのを感じた。

さてこの事実を、薫に教えたものかどうか――

菊池は久しぶりに前途多難だ、と顔を伏せたのだった。



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fin



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