拍手37 シャンパン だから好きだと言っているシリーズ 1 さすがに三時間液晶画面と睨み合っていると目が疲れる。 繕はメールの送信ボタンを押して目頭を押さえた。 すでに22時を回っていたが、しばらくはこの返事待ちで時間が出来た。 気分転換に珈琲でも飲もうかと考えるが、ディスペンサーまで歩くことも面倒になってパソコンの隣に放り出していた煙草に手が伸びる。 書類が広がったローテーブルの上は場所がないので、灰皿はソファの足元――床の上だ。 グレイの革張りのソファに背を倒し、目を伏せたまま紫煙を天上に向かって吐き出す。 先日から占領している応接室の入り口から声が聴こえたのはそのときだ。 「クリスマスだってのに残業なんて、サラリーマンって大変だな」 「・・・春則?」 聞き間違えようのない声に身体を起こし、視覚で確認すれば確かにそこに春則が紙袋を抱えて立っていた。 「しかもすげぇ状況だな、これ。カンヅメ状態、してんのか、されてんのか?」 繕の状況に笑う春則に、すぐに反応出来なかったのは、ここに春則がいることが信じられなかったからだ。 時刻は夜中に近く、社内に残るのは繕ひとりきりだったはずだ。 さらにこの会社は警備にも煩く、夜間出入り口には警備員もいたはずだった。 社員でもない春則がここまで入ってこれたことが訝しまれる。 「お前、どうやってここに?」 「まぁ、深く追求すんなよ」 率直に疑問を訊けば、春則は笑って誤魔化した。 繕はそれで溜息を吐き、誤魔化されることにした。 どうせ聞いたところで春則がここにいる事実に変わりはないのだ。 2 「ずっとここで仕事してたのか? 何日目だよ?」 「三日目だ」 この三日間、ろくに眠ってもいなかった。 「それにしちゃ、身形がキレイだな?」 春則の「カンヅメ」は着替えもする余裕もなく、あまり濃くはないヒゲを剃る暇もないほどなのが通常だった。 繕はスーツは皺になっているものの、汚れているふうは見えない。 「毎朝、仮眠室にあるシャワーを使っているからな。着替えは一週間分用意してある」 「へーえ、それっくらいかかる覚悟なんだ・・・こんな日でも残業して」 「年内に終わらせておきたい案件なんだ。相手も同じ状況だ、文句は言えない」 相手は国内ではなかった。 どちらかの場所へ来て話し合うには、他の仕事に不備が出てしまう。 メールや電話で何度もやり取りし、進めて行くしかない。 「急がしいあんたに、優しい俺がさしいれ持ってきてやったんだ――この上、おいていいか?」 春則が示したのは書類の上だ。 繕はざっと揃えて場所を空けてやる。 「晩飯、まだだろ? 食いに行くのもめんどくさいっつって煙草で誤魔化してたろ?」 ソファの隣に座りながら笑われて、図星だったので繕は何も言わず紙袋から出てくるものを見つめた。 コンビニなどの、簡単なものには見えないサンドイッチだった。 手渡されて、繕ははっきりと空腹を思い出す。 中身はローストビーフで、一口食べて思わず「旨い」と言ってしまった。 春則は子供のように喜んで、 「だろ? ここ、全部手作りでさ、めちゃくちゃ人気なんだぜ。しかも今日なんてすげぇ速さで売り切れてくんだからな」 「・・・そんな店のものを、よく買えたな」 「まぁ、そこはいろいろツテがな」 どんなツテなのか、繕は目を細めた春則を睨んだだけで追求しないことにした。 それも、考えても仕方がないことだった。 3 ステンレスのマグカップに入ったカフェオレを渡され、まだ暖かいのをゆっくりと飲んだ。 「ホントはさぁ、シャンパンもあるんだけどな」 紙袋の最後の中身を取り出され、繕は思わずそれを見つめた。 衝動的に飲みたい、と感じたのだが、緩く首を振る。 「今飲んだら寝そうだから遠慮する」 「じゃあ、飲んだほうがいいんじゃねぇの?」 春則は今日初めて顔を顰めて、繕の顔を睨む。 「身形はキレイにしてたって、そのクマ、寝てないの丸解かりなんだけど」 目の下にあるものは繕も承知していた。 しかし眠れるはずもない。 「一生寝れないわけじゃない」 「今、何してんの」 「メールの返事を待っている」 「じゃ、その間だけでも寝ろよ」 「いや・・・」 「メールが返ってきたら、起こしてやるよ」 それまでは、ここにいる。 春則の言葉は、すでに決めていたように強かった。 持っていたソムリエナイフでシャンパンを開け、似合わない紙コップにそれを注ぐ。 「ほら」 差し出されたのに躊躇すると、春則はすぐに手を引き自分の口に傾ける。 「春則」 口に含んだものの、喉はそれを嚥下しない。 どうするのか解かった繕が避ける前にソファの背に押さえつけ、唇を塞いだ。 「・・・ん、」 唇の端から冷たいシャンパンが溢れ、顎を伝いシャツの襟を汚しても気にしなかった。 繕の喉がごくり、と鳴ったのを感じても、春則は唇を離さなかった。 離さないのは、春則だけでもなかった。 繕の口に移ったシャンパンを、春則の口に残ったシャンパンを探すように、舌が絡められる。 充分に味わってから、離れたのは春則からだった。 「旨いだろ?」 妖しい色を浮かべた目を細めて確かめられて、繕は苦笑するしかなかった。 「――ああ、眠れそうにないほど、旨い」 眠れるはずもない。 繕はもう一度味を確かめたくなって、紙コップに残ったシャンパンを今度は自分の口に含ませた。 ひとりで飲むには、もったいない味だった。 「シャンパンの」 唇にまだ熱が残っているのを、春則は舌打ちをしながら指でなぞった。 自分から仕掛けたものの、執拗な熱いキスは身体も熱くする。 しかし誰も残っていないとはいえ、会社の一室だ。 求めることがそこで出来るはずもなく、春則は火照らされた身体を忌々しく持て余した。 待っていたメールの返信が来たのを機に、春則は繕を置いて会社を出た。 もちろん、残ったシャンパンも持って出る。 ボトルの中身を振って、さてどうしようか考えた。 カレンダ通りなら、祝日でもない平日の夜中。 けれど、特別な夜。 誘えば誰かが、このシャンパンを一緒に空けるのを手伝ってくれるかもしれない。 春則は出てきたビルを見上げて、諦めたように笑った。 きっと繕は、今の春則以上にふてくされているに違いない。 それを想像すると、笑ってしまう。 「あーあ、帰るか」 一人の部屋に帰り、一人で飲みほしてしまおう。 この償いは、きっとさせてやると決意した。 だから今日くらいは、気持だけでも重ねておこう。 春則は終電の近い駅に向かって、足を動かした。 いつもぱちはちありがとうございます!励みになります! |
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