拍手35 比重 だから好きだと言っているシリーズ



1 ロクデナシの男

「飲みに行かない?」
と誘ってきたのは繕の会社の受付嬢だった。
一度会社を訪れた時に、目をつけていた相手は受付嬢らしく華やかな表情で指先が細い。
何度か飲みに行って、好みのタイプだ、と思いつつも、手は出していない。
それは繕の会社の人間だから、とい理由だ。
ただ、隣に座ってふくよかな胸に、これに顔を埋められたら幸せだろうなぁ、と想像するくらいは良いだろう、とよく変わる表情より少し下をいつも見ていた。
その彼女が思い出したように笑って、
「今ね、村瀬さん、すっごい人気なのよ」
「え? どうして?」
春則が繕の友人だと知っているから、自然と話題がそれになる。
こうして繕の会社の内情を春則は手にしているのだが、繕にそれは教えていない。
「この前ね、営業部で社長の甥が二股してるのがばれて――」
「・・・へぇ?」
詳しく訊けば、社長の甥という立場のコネを持つ男が、社内と社外に一人づつ彼女を持ち、社外の女のほうが昼間突然会社に現れ、二股していることを詰め寄ったというのが状況らしいのだが。
それが昼間の仕事中の出来事だったので営業部全員に見られてのことだったのだ。
言い合った後に男の言い分に逆上した相手が手に持っていた小さな缶を開け、その中身を男に向かって振りかけた。
真っ白なペンキだった。
最初からそうするつもりだったのだろう、とは思うけれど、男が器用に避けたため、ペンキをたまたま後ろに居た女性社員が被る、と誰もが思った瞬間、女性社員との間に身体を入れて庇ったのが繕だと言う。
「も〜営業の子に聞いたけど、すっごく格好良かったって! 庇われた子なんか、本気になってるって言ってたよ〜」
「・・・そう、なんだ」
自然と、社長の甥という男の立場は大暴落で、反対に繕の人気は鰻昇りだ。
「あの年で海外事業部の課長だし、指輪してるけど浮気でもいいってみんな言ってるし〜」
「へぇー・・・」
春則は楽しく飲んでいた酒が、こんなに味気ないものだっただろうか、ともう隣の彼女の身体を見ることもなく視線を俯かせた。


2 節操ナシの男

「ひとり?」
そう言って声をかけてきた女はキャミソールのワンピースにカーディガンを羽織った落ち着いた容姿で、繕は目で隣を示して受け入れた。
最近気に入っているバーのカウンタでひとり飲んでいたのだけれど、こうして声を掛けられれば断る理由もない。
綺麗に梳かれた髪は肩先で揺れて、メイクもそれほど派手だとは思わない。
いい女だ、と繕は思ったのだが、自分のカクテルを持って座った相手は繕を覗き込み、
「今日はひとりなのね、春則くんは?」
「・・・なに?」
想像していなかった名前が出てきて、繕は隠すことなく眉根を寄せた。
笑うと目が潤んだように見える相手は、
「最近、いつも二人で飲んでるじゃない? 友達?」
「・・・まぁ、そんなところか。そちらは、春則の・・・?」
「ん、彼女じゃないわ。前に、ちょっとね」
でも、まだ時々デートくらいはする、と笑うとやはり、目が光る。
繕は惹き込まれそうになる目に、誰の好みなのかを思い出した。
「春則くん、最近どう?」
「・・・どう、とは?」
繕は相手の真意を確かめようと目を見つめるけれど、潤んだ目に反対に吸い寄せられそうになる。
「春則くんのエスコート、好きなのよ」
「・・・へぇ」
「私に夢中って目で見つめてくれるし、仕草がスマートだし」
「ああ・・・」
この相手に見つめられれば、誰でもそうなるのでは、と繕は思ったが相槌だけにとどめておいた。
「それから、振られかたが可愛い」
何かを思い出したように顔を綻ばせる様子は、春則のパフォーマンスのような別れ方を知っているのかもしれない。
繕は空いたグラスに次の飲み物を勧めながら、煙草に火を点けた。
身体は隣の女に揺れながらも、思考は違うものを捉えてしまっていた。


3 比重

週末に珍しく時間が重なったので、待ち合わせたバーのカウンタに二人で並んで座る。
春則は一杯目を飲みほし、繕が煙草を一本吸い終えたところで一度視線を絡めた。
そしてお互いに離す。
先に口を開いたのは春則だ。
「ずいぶん、オトコマエなことをしたんだって?」
「なに?」
「ペンキで駄目になったスーツはどうした?」
ペンキとスーツ。
それだけで繕は先日、たまたま用事があって居た営業部での出来事を思い出した。
「原因の男に弁償させた」
「社長の甥、ね・・・」
繕は一体どうしてそこまで社内の事情に詳しいんだ、と問い正したいが、春則の愛想を持ってすれば社内の女性はすぐに落ちるだろうと予想が付く。
「指輪しててもいい、なんて言い寄られて、悪い気はしねぇだろ」
春則は付けたり付けなかったりだけれど、繕はまだ「女除け」の建前としてリングをはめていた。
繕は新しい煙草を銜えながら、
「この前この店で、タケノって女に声をかけられた」
「・・・・え?」
目を眇めて返した春則に、繕は紫煙を吐きだす。
「印象的な目の、いい女だった」
「・・・・・へ、へぇ、」
「お前は最近どうしているのか、訊かれた」
「・・・・・」
春則は視線を背けて新しいグラスで口を潤し、
「・・・なんて答えたんだよ?」
「相変わらず節操がない」
繕は煙草を銜えた口端を持ち上げて笑った。
春則は盛大に眉根を寄せてから、諦めたように目を細め、
「ロクデナシに言われたくない」
返事もない言葉を紡いで、またカウンタに沈黙が落ちる。
春則がグラスの中身を飲みほし、繕が煙草を吸い終える。
それが、合図だった。



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fin



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