拍手32 スーパーマンになる日 小春日和シリーズ




「快挙だな!」
担任教師に秋篠は褒められて、居心地が悪そうに眉根を顰めた。
それを秋篠に言うのは、教師としてどうかとも思うのだが、この結果の原因は校内の誰もが知るところなので賛辞は全て秋篠に回ってくるのだ。

沢田が、夏休みが明けてから一度も休んでいないのである。

学生としては当然のことなのだが、こと沢田に関しては教師すら半分諦めていたところがあるだけに、やはり教師として嬉しいものらしい。
夏休み、今までの不安定な関係を絡めて繋ぎ直すように秋篠は沢田と距離を縮めた。
それで解かったことは、沢田は本当に四六時中動いている、ということだ。
気がつけば朝から晩まで働いて、バイトを幾つも掛け持ち時には深夜まで――朝まで、ともいう――精力的に働いている。
秋篠が以前、ちらりと耳にした沢田の事情は本当らしく、学費から生活費まで出来る限り自分で賄っているようなのだ。
学校が休みのときは本当にかき入れ時だと言わんばかりだったのだが、その合間にちゃんと秋篠の相手をしてくれる。
思わず、疲れているのなら、と秋篠が心配して逢うのを控えようとしたのだが、
「シノに逢えないなら、俺ここで死ぬ」
と真面目に言われて、秋篠も本当のところ、嬉しくないはずはない。
そして、
「一緒に卒業したいし、学校でも会いたい」
と秋篠がつい言ってしまったお願いを、沢田は本当に叶えてくれようとしているらしい。

それが、周囲曰く、「快挙」なのだった。



「だいじょぶなのか、コレ?」
休憩中に覗きに来た羽崎が、秋篠の隣の席でつっぷしたままの沢田を差し呆れた顔を見せる。
秋篠は今朝、「おはよ」と言ってからずっとこの状態の沢田を見て、困惑したものを拭えない。
学生なのだから、休まず学校にくるのは当然なのだが、沢田の場合、その分バイトが夜になってしまう。
いくら沢田でも、若さを取り柄にしていても、限界はあるものだ。
伏せたままの頭からそっと見える横顔は、目を閉じていても疲労がありありと感じられる。
秋篠は溜息を吐いて、自分を罵りたくなった。
沢田がこんなになってしまったのも、自分のせいだからだ。
自分の浅はかな願いのせいで、沢田は学校へ来ても授業を受けるどころか起きていられることすら出来ない。
秋篠は周囲のように笑っていられることなど出来ず、涙をぎゅっと堪えるように目を顰めて、
「沢田さん、起きてください・・・」
朝からぴくりともしない隣へ手を伸ばした。



寝惚けたような沢田の手を引いて、秋篠は保健室へ急いだ。
休み時間だったけれど保健医は見当たらず、しかしそのまま秋篠は沢田をベッドへと押し込む。
「シノ?」
歩いているうちに目が覚めたのか、いったいどうした、ときょとんとする沢田を、秋篠は必死でベッドへ寝かせようとする。
「いいんです。先生には言っておきますから、寝てください」
「へ・・・? でも、授業始まる・・・」
「そんなの、いいんです!」
「シノ・・・?」
珍しく、強く言い切った秋篠を沢田は訝しんで首を傾げる。
「授業なんか、いいんです・・・っ学校だって、本当は、こなくったって・・・!」
「ええ? なんで? だってシノが学校で・・・」
「僕のことなんか! 気にしないでください! そんな・・・っそんなことで、沢田さんがた、倒れたり・・・っ」
したら、と秋篠は最後まで言えなかった。
必死で保っていた涙が溢れそうで、奥歯を噛み締めて堪える。
それに驚いたのは沢田だ。
ベッドに座らされながら、秋篠を覗き込んで、
「し、シノ? どうした? なんでそんな顔・・・」
するんだ、と困ったように言われて、秋篠は解からないのか、とこの気持ちが伝わらないのも自分のせいで沢田がこんなに疲れているのも怒りもいっそ湧いて、
「もう、なんで・・・っ」
涙目になるのを抑えられず、しかしキッと沢田を睨んだ。
「シノ・・・俺、なんかした?」
それでも沢田は自分に非があるのか、と先に謝ろうとするのが辛くて、秋篠はその首に腕を回し縋るように触れた。
「お、お願いだから・・・無理しないで、」



沢田はその軽い身体を支えることが出来ず、そのままベッドに倒れてしまった。
一緒に倒れこんだ秋篠の心地良い重みを全身で感じて、縋り付いて声を抑えて泣かれて、朝から眠気が治まらなかった頭も一気に覚醒したけれど、いったいこれはどういう状況だ、と返って訝しんでしまう。
呆然としつつ微かな泣き声を聞いていたけれど、冷静に考えれば秋篠がどうやら心配してくれているのだ、と解かった。
本音を言えば、ここ数日はとくに睡眠が1時間か2時間ほどで、とうとう学校に来ても起きてもいられなくなってしまった。
それをどうやら心配して、今の状況らしいのだが、沢田はゆっくりと上にある身体に腕を回し、苦笑するように笑った。
「心配してくれるのか、シノ・・・」
これはかなりの進歩だと言える。
秋篠と今、恋人になっているわけだけれど、そうなるまでにはかなりの茨道で、沢田は何度も挫けそうになっていたのだ。
ポーカーフェイスが上手い年下の同級生は、その心を知らないときはきっぱりと突き放されて本当に悲しかったのだが、一度理解すれば怒っているような顔も強がっているのだと解かる。
さらに、今は涙が我慢出来ない、と縋って甘えてきれくれている。
たまらないな、と感動していたのに、秋篠は沢田の胸の上で顔を起こし、真っ赤になった目元を強くして、
「・・・僕が、心配するのは、駄目なんですか・・・っ」
「だめじゃない、嬉しいって!」
「よ、喜ばせたくて、心配してるわけじゃ・・・っ」
「うん、ごめん、ありがと、シノ・・・」
顔を起こして、その赤い目に口付けてしょっぱい、と笑う。



「あんまり泣くなよ、ここでしたくなる」
「疲れてるのに・・・駄目です」
「・・・疲れてなかったら、いいってこと?」
揚げ足を取るように沢田が目を覗き込むと、漸く涙の止まった秋篠の顔が一気に赤く染まる。
それも煽ってるんですか、と沢田は煩悩に流されそうになるのをぐっと堪えて、
「えーと、じゃあ、ありがたく寝ようかな・・・」
ベッドへちゃんと寝転び、掛け布団を邪魔そうに剥いで、
「シノ・・・俺疲れてるように見える?」
「自覚がないんですか?」
「いや・・・あるけど、結構頑張ってるよな、俺」
「・・・あんまり、頑張らないでください・・・」
心配だから、と秋篠の目が伏せられるのに、沢田は嬉しそうに笑って、
「うん、じゃあさ、ご褒美くれない?」
「・・・ごほうび?」
「そう。アメとムチっつうか・・・ご褒美くれたら、俺まだまだ頑張れそう」
「だ、だから、無理はしないでって・・・」
「や、無理はしないけど。な、だめ?」
「・・・・・・」
疲れを顔に映して強請ると、秋篠は嫌とは言えない。
それくらい愛されてるんだ、と沢田は最近漸く実感し始めた。
それを良いことに、ご褒美、とベッドの上で両手を広げて見せる。
秋篠がそれに躊躇ったのは、授業が始まるチャイムが保健室にも響くまでだった。



腕の中で大人しくなった秋篠を眺めながら、沢田はもう寝られるはずがない、と苦笑してしまう。
抱き枕を頼んだけれど、体力的に疲れている沢田より精神的に心配疲れをした秋篠のほうが先にダウンしたのだ。
泣いた目の縁が、沢田の身体を落ち着かなくさせるのだけれど、起こさないようにじっとそれを見つめるだけだ。
そのうちに、ベッドを仕切るカーテンの向こうで人の気配がして保健医が帰ってきたのだと知るけれど、何も出来ない。
向こうは気付いたのか、カーテンを捲り状況を見るなり驚き、そして沢田と目があって呆れた。
「・・・ごめん、もう少しだけ」
小声で頼むと、人の良い保健医は沢田の顔の疲れも見て解かったのか、
「お前な・・・若いからって無理すると、後で祟るからな」
今日だけだぞ、と言い残し、保健医はカーテンをまた閉めてくれる。
沢田は秋篠を起こさないように手を回し、そっと力を入れた。
無理じゃない、と小さく呟く。
見てるだけで幸せになる寝顔が腕の中にある限りは、沢田はどんなことだって出来る気がしたのだ。

俺、なんでも出来そう・・・

さらにこんな心配してくれる顔を見てしまうと、も少し無茶をしてみてもいいかな、と秋篠にまた怒られそうなことを考えて目を閉じた。



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fin



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