拍手31 お花見ですよ 星天シリーズ




何でここに桜が?
紀志裄は通い慣れた作家の家の、縁側から庭を見るなり足を止めた。
思い違いでなければ、この風情ある日本家屋の、広すぎない庭には先日まで小さな藤棚があったはずだ。
その隣に広葉樹と金木犀。
秋口にはのんびりとした時間の流れる場所で、結構紀志裄はお気に入りだった。
しかしながら、今目の前にあるのは桜。
しかも満開だ。
微かな風に舞い落ちる花びらも風情たっぷりだ。
しかし、そこにあった藤棚はいったいどこに行ったのだろう。
見渡しても、藤棚はこの見渡せる庭にはない。
紀志裄が足を止めたのを、部屋の中から嬉しそうにこの家の主である和装した外国人――とう言い方が一番似合う――仁埜寺が満面の笑顔で、
「すごいだろう?! 苦労したんだ、コレ!」
苦労したのはこれを植えた植木屋さんだ、と紀志裄は突っ込みを入れたくなったがぐっと堪え、
「・・・どうしたんです、これ」
「もちろん、お花見をしたいと思って!」
君と、と言わなくても解かる全力で向けられる鬱陶しい好意に、紀志裄ははっきりと顔を顰めて深々と溜息を吐いた。



「どうしたんだい? 桜は好きじゃなかったのかい?」
喜んで貰えることが当然だ、と思っていたのか、仁埜寺は不思議そうに顔を傾ける。
「カヨコさんはすごいねって言ってくれたんだけど・・・」
確かにすごい。
通いの家政婦さんは老齢で、主人を傷つけるようなことは言わない優しい人だ。
そのコメントを言った時の顔も浮かぶ、と紀志裄は遠慮もなく呆れた。
「好きですよ、桜は。ですけど、これはいったいどういうことです」
「どういうって?」
仁埜寺は質問の意味が解らなかったらしい。
「桜の幼木を植えるならまだしも! こんな立派な桜を! しかも咲いてる真っ最中のものを! いきなりこんな場所へ移すなんて!」
普通なら考え付かない。
新しく植えた先の土が合わなくて、すぐに枯れてしまう恐れだってあっただろう。
よくもこんな綺麗に咲き続けられるものだ。
紀志裄がこの家の主人も主人なら、桜も桜だ、と吐き捨てるように嘆いた。
「どうして? だって、花だって鉢で咲かせたものを移動させたりするだろう?」
「それとこれとは・・・っ!」
全く違う、と怒鳴り返したいのに、微妙に常識が日本人から離れている相手には通じないのだろう、と紀志裄は溜息を吐いて諦めるしかなかった。



「次の小説の題材にでもするんですか」
土色の上が桜の花びらに染まっていくのを縁の上に立って見下ろしながら訊くと、
「え? どうして?」
いつの間にか隣に立った仁埜寺が笑顔で首を傾げる。
「どうしてって・・・だって、どうしようと思ったんです、いきなりこんな、」
「だから、お花見をしたくってさ」
「花見? もしかして、それだけのために?!」
「そうだよ? だって、紀志裄が言ったんじゃないか」
「俺?!」
「最近のお花見って言うものは、桜の下で花も水に宴会ばかりで下っ端は愛想と酌に振り回されて・・・」
お花見どころではない、とそう言えば以前漏らした気がする、と紀志裄は自分の言動を思い出した。
「だからさ、ここでお花見しようよ? ここでなら誰に愛想することもないし、お酌だってしないでいいし、何より、二人っきりだよ!」
まさか本当に、それだけのために植え替えたのだろうか。
紀志裄は目の前が真っ暗になりそうだ、というのに、仁埜寺は嬉しそうにキッチンからお盆に載せたお花見セットを持ってくる。
ギヤマンに入ったお酒に、カヨコさん手作りの佃煮、桜饅頭。
「はい、どうぞ」
縁側に置かれて、座って、と促される。
紀志裄は深く最後にもう一度溜息を吐いて、仁埜寺の向かい側に胡坐を組んだ。



さあどうぞ、と綺麗な桜色のお猪口を出されて、紀志裄は受け取りながら、
「とりあえず・・・ありがとうございます」
頭を下げると、仁埜寺は本当に子供のように嬉しそうに笑う。
黙って立っていれば――洋装していれば――英国紳士間違いないと言われるのに、その綺麗な顔は今は恋人が喜んでくれるのが嬉しくて仕方ない、というどこにでも居そうな男そのものだ。
その対象が自分だというのが、紀志裄は未だ不思議なところではあるけれど、それでもこの男が嬉しそうにするのなら、と受け入れてしまうことも呆れてしまう。
ひとつ、溜息を吐いて一口に収まりそうな液体を飲み干し、
「はぁ・・・では、この桜のお礼をしますよ」
紀志裄は諦めたようで、覚悟を決めた。
「えっ?! お礼なんて・・・僕が好きやったことだからいいんだけど――」
でも、と期待に目が喜んだのが紀志裄にも解かる。
その目を覗き込んで、
「やられっぱなしというのは男として我慢出来ません」
「え・・・ええと、ちなみに、どんなお礼・・・?」
幾分、漸くその目に不安を覗かせた仁埜寺に、紀志裄は目を据わらせて口端を上げて見せた。
「・・・・もちろん、大人のお礼ですよ――お好きでしょう? 先生」
「・・・・・・・・・」
紀志裄の目から視線を外せなくなった仁埜寺の喉がごくり、となったのが縁側に響いた。
その視線はすでに浮かれ、思考はもうベッドへ飛んでいるのだろう相手をまだ見つめたままで、紀志裄は内心呆れて溜息をもう一度吐いた。

――さて、どんな大人のお礼をしてやろうか――

もちろんそれが、仁埜寺の想像と違うことは紀志裄は知りながらも、敢えて否定もせず子供のような恋人をもう少し浮かれたままで放っておくことにした。



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fin



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