拍手26 どうしても、ダメ? ビーナスの思想シリーズ



あんまり、自分の性欲が強いと菊菜は感じたことがないのに、と目を伏せた。
しかしすでにこの身体は快楽を知り、疼くことを知り、欲しがることを覚えた。
あの手がこの肌を探り、吐息が気持ちを湧き上がらせ、甘く強く咬まれる。
ひとつになる、と言うのは溶ける、と同じだ、と菊菜はいつも濃厚になる情事を思い出し頬を染めた。
鏡を覗き込めば、もうそこに「お姫様」はいない。
甘く優しく、微温湯のような檻の学園から卒業し、大学に入った菊菜は世間を知った。
もう「お姫様」として奉られることはない代わりに、わがままが通ることはない。
世間的に言えば菊菜はちゃんとした男で、女の子と同列に扱われることはない。
それが当然でもあり、菊菜自身は新鮮で嬉しいことでもあった。
漸く、守られるだけの殻を脱ぎ、一人で立てることが出来るのだ。
自立できる、と言い切れるとはまだ思わないけれど、どんなに傷付いても自分で決めたことなら受け入れられる覚悟があった。
けれど、菊菜はまだ子供扱いするような恋人の言葉に、子供のように唇を尖らせてしまったのだ。


いったいどうなってるんだ、と立見は溜息を吐きたくなった。
漸く、高校を卒業したはずの菊菜は、自立できる大人を目指す、と日々大学生として頑張っている――ようだった。
確かに生物学上はオスに分類されるのだが、外見はまったく、これっぽっちも変わらないじゃないか、と誰かに文句を言いたくなったのだ。
いや、少しは変わったのだ、と立見も感じるところはある。
守られていれば良かった学園とは違い、母親に躾けられているのか女を扱うときはちゃんと紳士的な態度で、それは他の野郎にも見習えばいい、と思うところがないわけではない。
綺麗な男に丁寧に扱われて喜ばない女もいない。
あの檻のような学園を出れば、菊菜だって一人前の男なのだ、と思うのは当然のことだ。
「お姫様」扱いするあの学園に少々うんざりしていたし、出来る限り菊菜を一人の男としてみたいけれど、実際目の前に女と並んでいるところを見ても、菊菜のほうが綺麗で可愛く見えてしまうのは――惚れた欲目、なのだろうか、と立見は舌打ちを隠せない。
「お前それは・・・エゴじゃないの?」
欲目だけではない、とそれでも口に出来ない悪友はそう言い換えた。
「なんとでも言え」
ぶすっとした機嫌の悪さを隠すこともなくボトルから直接注いだアルコールを煽る。
目の前で飲む克も同じだけを飲んでいるはずだが、立見以上に表情の変わらないのを見ると何故か悔しくなってお代わりを繰り返してしまう。
「それで、バイト禁止しちゃったんだ・・・?」
そりゃお姫さんも怒るだろうねぇ、と完全に他人事の克に、立見は拗ねた顔を思い出して苛付きを拡大させる。
「だってお前、カテキョってなんだよ、二人っきりってことだろうが、密室に? させられるか!」
「や・・・密室とは限らないし、個人指導なら二人きりが当然だし・・・そもそも、相手が野郎だって限定してない?」
「女だって喰われるだろうが」
今どきの女は怖い、と立見が顔を顰めると、克は益々可笑しい、と顔を綻ばせる。
「お姫さんをあんなにしたの・・・自分にも原因があるって解って言ってる・・・?」
「・・・・・・」
その自覚があるだけに、立見は返事をしなかった。
幼かった「お姫様」に、色気を加えたのが自分だと立見は言い切れてしまう。
しかしそれはこんなためではない、と思いながら、ぶすっとした顔を納めることが出来なかった。


明日は――もう今日なのだが、立見がバイトしているレストラン・バーが定休日なので菊菜は立見の自宅に先に来ていた。
それがここ最近の日課で、店の店長であり立見の父親である昭吾は帰ってこないことも解っているので立見は早めにいつも帰ってくるはずだった。
日付の変わった時計を確認して、暇つぶしに雑誌を捲っていた手を止めて菊菜はどうしたんだろう、と小さく息を吐いた。
シャワーも浴びて、ゆったりとした部屋着に着替えて、下世話な言い方をすれば準備は整っていた。
先週も、先々週も、少しタイミングが合わなくて身体を重ねることがなかった。
すれ違うこともあったけれど、立見が菊菜がバイトをしたい、と言ったのに頭ごなしに撥ねつけたのに怒っていたこともあった。
それでも会わない、という選択肢がないのは、もう一度立見を説得して、バイトをしたいという気持ちが大きかったからだ。
別に立見に許可を貰うことでもないと思うのだが、菊菜は立見に認めてもらいたいのだ。
もう守られているだけの存在ではなく、独り立ち出来る、対等な人間に成れる、と立見に認めてその隣に立ちたかったからだ。
子供っぽいかな、と考えながらも、菊菜にはそれが重要だったのだ。
時計を睨むように見つめていると、玄関でドアの開く音が聴こえて、すぐに立ち上がりで迎えると、
「立見、遅かった・・・ね?」
「んー・・・来てたのか、」
「・・・来てた、よ」
それが悪いのか、とまた胸に何かが落ちるのを感じながらも、菊菜は壁に手をついて靴を脱ぐ立見が酒臭いのに気付いた。


「飲んできたの?」
「ああ・・・店で、克と、」
あっさりと肯定する声が、どこか億劫そうだった。
俯きがちなのは、背中が丸まっているせいだ。
部屋に上がってもその状態で、よろりと揺れる身体を壁に手を這わせるようにして進ませる。
「大丈夫? そんなに・・・飲んだの? どうして?」
菊菜は実のところ、酔っ払う立見というのを見たことがない。
そしてここまで不安定になるのもあまりないことだった。
キッチンに向かおうとする立見に、先回りしてコップに水を入れて差し出すと、ふら付く手で受け取り一気にそれを飲み干した。
「ああ・・・悪い、もう一杯くれ」
「うん・・・なぁ大丈夫なのか?」
「平気だって・・・ちょい、久々に克と飲み比べして・・・」
いったいどれほど飲めばこんなふらふらになるのだ、と菊菜は決して弱くはない二人に繭を顰めた。
立見は水をもう一杯飲むと、ふら付く足取りだけれど自分で歩いて二階の部屋に向かった。
しかしそのままベッドに倒れ込む。
「立見、大丈夫? 寝る? なんかいる?」
微妙に燻る怒りがないわけではないが、こんな状態の立見を見ればそれは抑えられて心配が顔に出てしまう。
立見が手足をベッドに投げ出しながら、片目で菊菜を確認するように見て、
「お前・・・今日は、悪いが、無理だ」
「は?」
「ああくそ・・・飲みすぎた、多分、出来ねぇ」
「はぁ?!」
「だからそう、色気出すな」
「なに・・・言ってんの、立見!」


ただ心配しているだけなのに、勘弁してくれ、と言われて菊菜は顔の温度が上がってしまう。
少し、そんな気持ちがないわけではない。
こうして逢いに来ている時点で、立見と抱き合うことを期待しないはずもない。
しかしそれが顔に出ていたのだろうか、と思うと恥ずかしさで突っぱねるしか出来ない。
「んな顔するから・・・他の野郎と二人っきりなんてさせられねぇんだ」
「それって・・・家庭教師のバイトのこと? そんな理由でダメって言ってんのかよ?!」
「それ以外になんの理由がある・・・」
「ば・・・ばっかじゃねぇの?!」
顔が羞恥に染まりながらも、菊菜は呆れも怒りも含ませてベッドの上で動かない相手を罵る。
菊菜がもし、相手を誘うような仕草や顔をするとしたら、立見だけなのだ。
立見が目の前にいるから、そうなるのだ。
他の――しかも男に、そんな気持ちになることがまず有り得ない。
「ばか? お前な自分の顔自覚してから・・・」
「んなの・・・っ立見だからに、決まってんじゃん!」
「・・・・なに?」
「た、立見だから・・・っ立見が目の前にいるから、俺・・・っ」
こんなにドキドキするのも、立見だからだ。
身体が熱くなるのも、立見だからだった。
「だから、お前な・・・んな顔すんなっ誘ってんのか?!」
力なくも怒られて、菊菜は戸惑いながらも自分の感情が少しおかしくなっているのに気付いた。
身体がそれに引き摺られて、緊張にドキドキしながらも止めることが出来そうにない。
「・・・誘ってる、わけじゃ、ないけど・・・」


どうしてもダメ? と言われて、立見は勘弁してくれ、と頭を抱えたくなった。
克に付き合ってかなり飲みすぎた、という自覚はあるし、これでは使い物にならないだろうな、と解ってもいた。
しかし目の前で色気を付けすぎた顔に強請られると、どこからか本能が煽られるのも感じた。
どこまで浅ましいんだ、と自分に呆れながらも、煽る菊菜にそんな顔をいったいどこで覚えた、と罵りたくもなった。
それは自分のせいだ、としか思えないから尚更どこにもぶつけられない怒りが欲望になって込み上げてもくる。
「ダメっつうか・・・お前、この状態で、満足に出来ねぇ・・・ってなんだ?!」
「ダメ、なのかな、って・・・」
躊躇って、戸惑いつつも、菊菜の手がベッドの上に倒れた立見のベルトにかかる。
慣れない手つきでそれを解いて、ジーンズの金具を取る。
「菊菜・・・っ」
「ちょっと・・・俺、頑張ってみる、から・・・でも、どうしても、ダメなら、諦めるから・・・」
ちょっとだけ、と菊菜が立見の足を跨ぐようにして圧し掛かる。
下着から取り出した性器は、力なく菊菜の手に包まれた。
この状況で、すぐにひっくり返さないのはやはり立見が飲みすぎているせいだ。
しかし目の前の展開に喉が渇きを覚えて何かを飲み込んだのも確かだった。
「ん・・・っん、は・・・」
「菊菜、」
身体は飲みすぎて、気だるさを隠せず使い物にはならない、と思うのに、両手で擦りあげながら舌を、口を使ってそれに夢中な菊菜を見るとどこからか凶暴な気持ちが湧き上がる。
即物的でありながら、男の身体はデリケートなものでもある。
出来ない、と思ったときはやはり出来ないのだ。
しかしその常識でもあるものを覆すような目の前の状況に、立見は舌打ちを隠せない。
反応を見せた立見に、菊菜が益々夢中にならないはずもなく、立見はどうにでもなれ、と理性を手放すことにした。
そして、やっぱりバイトなんてさせられるか、と心に決めたのだった。


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