拍手18 He makes soup 書き下ろし 



1 夜明けの冷えたスープ

「例えば、俺が浮気をしたとする」
ベッドに転がったままの突然の言葉に、そのベッドを背もたれにして床に座った凛一は慣れた味のマルボロを咥えて振り向いた。
まだ情事の匂いを残す姿で、シーツで身体を隠そうともしない史記がうつ伏せた身体を肘を立てて起こしていた。
変わらない位置の視線が絡む。
凛一はジーンズだけを穿いた姿で、煙草をライターに近づけた。
「なんだ、その例えにならない例えは」
「あっ! 俺がマッチで点けたかったのに!」
もう遅い、と凛一はベッドからの苦情を無視して一口吸い込んで吐いた。
史記は拗ねたままの顔を隠そうともしないで、
「例えになんないって、どういうことだよ」
「ならないだろ。現実に起こっているものを、例えてどうする」
「今日はしてないよ」
「明日はどうだか」
「明日は忙しいからしない」
「あ、そう」
立て続けに言い合って、史記は変化のない凛一にそうじゃない、と眉根を寄せる。
色気と言うよりも、淫欲の強い顔が歪んだ。
「だから、そうじゃないって、例えば、だって!」
「例えば、なんだって?」
「例えば、俺が浮気をしたとして!」
「ふうん?」
もう混ぜ返す気も無いのか凛一が煙を吐き出しながら適当に相槌を打つと、史記は真剣に考えた顔を見せて、
「凛一は俺と別れるって選択肢は起こらない?」
凛一は咥えていた煙草を指に持って、もう一度ベッドを振り返った。
そこにあるのは、ほの暗い灯りに照らされた男を誘う肢体と顔。
「別れたいのか」
「俺じゃなくて、凛一が、だよ」
凛一はもう一度深く煙草を吸い込み、全ての紫煙を吐き出してから床にあった灰皿にそれを押し付けた。
灰皿は吸殻でいっぱいだった。
凛一の好むマルボロとは、違うフィルターがそこに残っていた。
それを一瞥しただけで、凛一はベッドに身体を起こした。
「答えは? ないのか?」
ベッドに転がる身体を仰向けにさせて、腰の上を跨いで圧し掛かる。
「凛一」
両手をベッドに押さえつけて、こんなときでも揺るがない視線を覗き込んだ。
「聞きたいか?」
「知りたい」
額を触れさせるほどに顔を寄せて、凛一は口端を上げた。

「今更、だ」


2 早朝の凍ったスープ

「早いね、」
凛一は眠っていると思っていた史記の声に身体を振り返らせた。
ベッドの置いてある部屋から、明らかに自分のサイズではないシャツを着て二つ三つ釦を留めただけの恰好で史記がまだ眠たい、と目を擦っていた。
「お前こそ」
まだ外は暗かった。
音もなくベッドを抜け出した、と思った凛一は相手が起きたことに純粋に驚いた。
「次はいつ?」
夢から覚めていないような顔で、部屋のライトが眩しい、と史記は目を瞬かせる。
凛一はネクタイを締めながら少し考えて、
「三ヶ月かな」
その答えに史記は呆れた顔を隠さず、
「それって、俺が浮気しても仕方ない時間だよな」
「貞操帯を付けてやった覚えもないしな」
凛一の切り替えしに史記は興味を擽られたのか、眠たそうな目を猫のように細めて、
「じゃ、鍵屋とまず仲良くならないとな」
「たかが鍵屋とどこまで仲良くするつもりだ?」
「求められる分だけに決まってる」
「お前がそれで満足すればいいが」
「自信過剰」
「そっくりお前に返してやる」
ジャケットを手に外に向かおうとした凛一の背中に素早く手を当てて振り返らせた。
「ネクタイってさ、」
「うん?」
「結ぶよりも絶対、解くほうがイイよな」
綺麗に結んだばかりのそれに史記の手がかかる。
そしてまだ情事の匂いの消えない顔を微笑ませた。
凛一は少し眉を上げて、
「せっかくしたのに、汚されるのはごめんだな」
史記の腰まで隠す大きなシャツの上から臀部の丸みを掴んだ。
「あ・・・あ、こぼ、れる、」
強く開くと、内側を伝って雫が溢れるのに史記が身体を震わせるようにして凛一に縋る。
「時間がない。手でしてやろうか」
「凛、一・・・零した分、くれよ、」
「時間がない」
凛一はもう一度同じ言葉で断って、自分の吐き出したものが溢れる場所へ指を埋めた。
「そういえば、お前いつも中は綺麗だよな」
「・・・んっ、馬鹿、だな・・・他の誰かの痕跡なんて、消しておくのがマナーだろ、」
凛一の腕に収まりながら指が立てる濡れた音を聞いて史記は一層強く感じた。
史記の言葉に鼻で笑った凛一は、
「お前とマナーなんて、果てしなく溝の深い反対語だな」
史記はそれを平然と受け止めて、色香を浮かべた顔で微笑んだ。

「失礼だな」


3 夕方の不機嫌なスープ

「デリカシーがないね」
日も落ちていない部屋では照明も必要なかった。
凛一は言われた意味を考えるまでもなく、史記に向かって目を顰めた。
「お前に言われたくはないな」
「俺以外の誰が言ってやるんだよ」
「すぐに足を開いて見せるお前が、か」
「割り込んできたのは凛一じゃん」
「手を伸ばしたのはお前だ」
ダイニングにある食卓用のテーブルは、普段でもそれにはあまり使用されていないと人目で解かる状態だった。
上に食事を置くスペースなどないほど物が散らかっているからだ。
しかし今は、それも全て床に落とされていた。
「何かさっき、壊れたような音がした」
「壊れ物でも置いといたのか」
「解かんないけど、壊れたらどうすんだよ」
「置いたことも忘れるようなものが壊れて、どうしようって言うんだ」
「俺のもの、落としておいて偉そうだ」
「お前が背中が痛い、と言ったんだ」
「壊せとは言ってない」
「そうか?」
つん、と自分の意見を主張して史記が顔を背けた。
凛一は人が悪いように笑って見せる。
テーブルの上に史記を倒して、足を開いたところに凛一の腰が押し付けられる。
上からの視線に史記がますます機嫌の良くない顔で、
「・・・なんだよ、」
「壊してって、泣いて頼むだろ、いつも」
「それは・・・・」
そういう意味じゃない、と史記は言い返しかけて、睨みつけた。
「やっぱりデリカシーがない」
「お前が言うな」
「せめて、ベッドまで運んでくれるものじゃないの」
「いつもベッドなんて、マンネリだろ」
「テーブルの上も、初めてじゃない」
「じゃあテーブルの下? キッチンの中? 風呂の中? あ、トイレはしたことがないな」
「それじゃ、まんま公衆便所じゃん」
却下、と史記が睨みつける視線をなんでもないように凛一は受け止めて、
「お前ほど気持ちのいい便所なら、持ち歩きたいな」
「じゃあ、どこでもドア頂戴。それか持ち運べるようにスモールライト」
「どこでもドアのほうが現実的だな。考えておく」
どこまでも笑みを崩さない凛一に史記は顔を顰めた。

「本気?」


4 真昼の煮えたスープ

「俺の処女を返せ」
枕に顔を押し付けてベッドに転がる背中を、凛一はシャワーを浴びてきた身体で見下ろした。
首にタオルをかけて下肢だけを着てペットボトルの炭酸水を開けようとしたときだった。
「なんだって?」
「ケツ痛い、血が出た」
「流血なんかさせていない」
「痛い!」
顔を伏せたまま史記が叫ぶのに、凛一はベッドに座って身体を覆ったシーツの上から手を伸ばす。
「痛い? 疼く、の間違いだろ」
「や・・・っ触るな!」
「ここに・・・挿れられんの、気持ち良くなっただろ」
「気持ち良くなかったらお前なんか殺してる!」
「あっそう」
丸みのある場所を撫でて、その奥へ指を伸ばすのを凛一は躊躇わなかった。

「凛一」
不意に目を開けて呼ぶと、相手はまだ何も着ていない背中を向けてベッドに座っていた。
史記の声に気付いて振り返るのは、記憶の中よりも少し大人びた顔をした凛一だった。
「寝ていたんじゃなかったのか」
「何時だよ」
「三時過ぎ」
「昼寝の時間・・・」
「寝過ぎだろう」
「お前のせいだ」
史記は蓑虫のようにシーツに絡まる身体をコロリ、と横に向けて凛一を見上げた。
「夢、見た」
「なんの」
「お前に初めて強姦されたときのヤツ」
「強姦?」
「俺の処女ソーシツの日」
「野郎にそんなもんあるか」
「痛かった!」
「痛いだけじゃなかっただろ」
「それだけだったらお前なんか殺してる!」
言ってから、史記は前と同じことを言っているな、と感じた。
凛一も同じことを思ったのか口端を緩く上げる。
「初めてのお前は、あんなに震えて可愛かったのにな」
「・・・今は可愛くないみたいじゃないか」
「誰にでも足を開く身体で、擦れた身体で?」
「だってセックスがキモチイイ」
「そりゃ何より」
「お前が、そんな風にしたんだろ」
「俺のせいか?」
「お前以外に誰が?」
じろり、と睨みあげると、凛一は少し考える顔を見せてから、目を細めた。

「素質があったんじゃねぇの」


5 深夜の温かいスープ

「落ち着かないな」
リビングの柔らかなラグに身体を重ねながら、凛一が呟いた。
その首に手を回して口付けを待ちながら、史記は首を傾げる。
「なにが?」
「綺麗すぎる」
「え?」
「この部屋、誰が片付けた」
「・・・・俺?」
自分で疑問にしつつも答えると、凛一は全てを知っているように軽く笑った。
いつも物が乱雑に積み上げられ崩れ、放置されて押しのけられている、史記の部屋は今日は全てが片付けられていた。
史記は隠すつもりもない、とあっさりと、
「生真面目な後輩がいてね、」
ついでに片して帰った、と口にする。
便利だ、と史記が言うのに、凛一はその首筋に荒く噛み付く。
「ん・・・っ痛い!」
「ふぅん」
「ふうん、てなんだよ、噛むな!」
「どうして」
「か・・・ん、んっかん、でも、美味しく、な、ア!」
「旨いよ」
「ん! え・・・? なに、が、」
「旨い。お前を食い尽くしてしまいたい」
「・・・なに? 凛一、どうし、た?」
「別に? どこから喰われたい?」
史記の開いた足に腰を押し付け、ぐりぐりと揺らす。
背中がびくん、と反応する史記を見下ろし、細い腹の上をゆっくりと撫でた。
「ん、ん・・・凛、一、あ・・・」
「ここか? こっち? それとも・・・なあ?」
「あ、んん、凛一、お前、まさか、」
「・・・余計なこと、言うなよ」
「余計なこと?」
「興ざめする」
「・・・煽られる、の、間違い、だろ?」
「言いたいのか?」
「知りたい」
額を合わせて視線を絡めた距離で、凛一は深みがあるように笑った。
それに史記は楽しそうに微笑む。

「やきもち?」


6 真夜中の腐ったスープ

「今日、帰るなら帰るって言えよ」
ベッドの上で不機嫌に胡坐をかいた史記が顔を背けた。
シャワーを浴びた凛一は部屋を見渡し、
「あの男は帰したのか」
「居させて良かったのか?」
「途中で帰したのか。さぞ怒っただろうな」
「お前が言うなよ、勝手に入って来て、あいつを見ても何も言わないでシャワー浴びたお前が、」
「汚れてたもんで」
「どこで何をして汚したんだか」
「いろいろ仕事をして汚れたんだ」
肌にぴったりと張り付いた下着だけを穿いた史記が機嫌の悪さを隠そうともしなでいるのに、凛一は面白そうに口端を上げて、
「途中じゃ、さぞ身体が疼いてるだろ」
「誰のせいだ」
下着の上からなぞる指遣いに史記は強く睨み上げた。
その身体をベッドに押し付けて、素肌に手を潜り込ませる。
腰に口付けて、顔を下へずらしつつ凛一が、
「他の誰にも味合わせてもらえないほど、良くしてやろうか」
「・・・すっげぇ自信」
「俺に自信があるんじゃない」
「じゃ、どっからその自信がくるわけ」
「お前に決まっている」
「は?」
聞き返す史記を気にせず、凛一は口の中で手に絡めたそれを愛撫し始めた。
「あ、あ・・・ん、」
すぐに声が上がる史記に喉奥で笑うと、声で抗う変わりに髪の毛を掴まれた。
「凛・・・凛、一、あ・・・っそこ、い、い!」
素直に腰を揺らしてしまう史記に、凛一は面白そうに笑った。

「正直な身体だな」


7 夜半の微妙なスープ

「嬉しいだろ?」
狭い浴室に二人入るのは無理だ、と凛一は湯船に史記を浸けてその縁に座った。そこから伸びた腕を取ってタオルを擦り付けていると、良い加減に力の抜けたまま史記がとろりとした視線を上げてくる。
「何がだ?」
「俺に、ご奉仕、出来て、嬉しい、だろ?」
「ご奉仕?」
「そう、こんな・・・させてやるの、お前だけって言ったら、どうする?」
「ただの面倒くさがりなだけじゃないのか」
「他のヤツに、ここまでさせるほうが面倒だ」
「ふうん」
凛一は腕からお湯から覗く首へタオルを向けて、ネコのように顎を擽る。
「ご奉仕ね、で、俺が居ないときは自分で洗ってるのか」
「当然だろ?」
「全部?」
「全部」
「中も?」
「・・・・全部、」
タオルで拭われているというよりも、その大きな手で肌を探られている、と言うような凛一の手に史記はそのまま眠ってしまいそうな顔で笑った。
凛一は史記の顎を取って、
「じゃ、たまには奉仕もお返しが欲しい、と強請っていいのか」
凛一は浴槽に足を付けただけで、史記と同じに何も隠すものは付けていない。
史記の視線がその腰に向いて、お湯の中で手が伸びた。
「ご奉仕、して欲しい?」
「したいなら」
「これ・・・好きなように、しても?」
「したいなら」
史記は身体を少し起こして凛一の足の付け根に手を這わせる。そこに美味しそうなものでも見つけたように唇を舐めて見せて、
「顎、痛くなるからなぁ・・・」
「全部入れろとは言ってないが、」
「ないが、なに?」
「この顔を汚していいなら、無理にしろとは言わない」
目の前に雄を見せられても、史記は少し驚いて見せただけですぐに笑った。淫欲の溢れた、笑みにしか見えなかった。

「どうぞ?」


8 昨日の熟んだスープ

「こういう趣味があったのか」
照明の落ちた部屋で、凛一は子供のように唇を尖らせる史記の手を見た。
ベッドの上に座りながらも、いつものように仕掛けるように淫らに目を歪ませない史記に凛一は珍しそうにその手を取る。
「まさか! 昨日ちょっとシクったんだ」
「お前が?」
「平凡な野郎だと思ったのに」
尖らせた唇を指先で摘む姿は、本当に子供のようにも見えた。
その手首に真っ赤になった痣は、やはり目を引く。
「この俺を、縛るなんて」
史記の視線はその通り機嫌が悪く、目の前に凛一が居ても見えてはいないようだった。
ぶつぶつと独り言で恨み言を呟く史記を、珍しいものを見つけたように凛一はただ観察していた。
「その上、中に出しやがった」
「今更だろう?」
「ふざけるな! 俺がそんなこと、させるはずないだろ!」
ただ苛付きを抑えられない、と史記が凛一の言葉に突っかかると、少し沈黙が落ちた。
「・・・・お前、」
先に口を開いたのは凛一だったけれど、史記は自分の言葉に気付いて驚いたように顔を逸らした。
「病気とか、用心しているんだぞ」
これでも、と言う史記は言い訳に近かった。
「ふうん」
「・・・ふうんって、なんだ」
「ふうん、はふうんだ。で、昨日はイったのか」
「イケるはずないだろ! あんのヘタクソなテクで!」
「ふうん」
「・・・ムカっつく、お前も今日はどっか行け!」
凛一に背を向けたまま不貞寝しようとした史記の腰を掴んで、ずるり、と引き寄せて覆いかぶさる。
「俺は、ゴムを付けたことないんだが」
「・・・・お前に今更、そんなこと望んでない」
「ふうん」
「・・・・その、ふうんって、ヤメロ! 馬鹿にしてんのか」
「してない。不完全燃焼だったんだろう、すっきりさせてやるよ」
「結構だ、もう俺は誰にもさせないことに決めた」
「お前が?」
凛一の声は全く信じていない呆れたものだった。
それに組み敷かれながら、史記は視線だけは強く睨み上げる。
「セックスくらい、しなくても死にやしない・・・」
「お前の中に、深くまで挿れて、溢れるくらい零して、ジュクジュクに濡らして、嗄れるまで泣かせてやろうか」
「・・・・・・」
「は、想像したな、そんな顔で止められるもんか」
人の悪い笑みを浮かべる凛一に、史記は淫欲を隠さないままの視線で強く、睨みつけた。

「お前が悪い」


9 明日の融けたスープ

「身体がベトベトで気持ち悪い」
それをさらに汚れたシーツに擦り付けて、その仕草はまるで猫のようだ、と凛一はマルボロを咥えつつ眺めた。
史記はそれを睨んで身体を起こす。
「風呂か」
「当然じゃん、シーツ、変えとけよ」
上がるまでに、と裸体を隠しもしないでベッドから足を下ろすと、その腕を煙草を持った手が掴んだ。
「なに? 危ないから止めろよ」
「怪我なんかさせるかよ」
「させるつもりはなくても、するかもしれないだろ」
「させない」
言い切られて史記はそのまま膝の上に座らされてしまう。
「なに?」
凛一は最後に一口だけ煙を吸って灰皿に押し付け、横抱きにした身体を引き寄せて口付けた。
さっきまで散々に弄った胸の突起に舌を這わし、明らかに意志のある動きで背中から腰を探る。
「ちょ、っと、なに? まだすんの?」
昨日からいったい何度しただろう、と史記は考え、今までで最高かもしれない、と驚いた。
よくもそんなに精力があるな、と感心しつつ、
「凛一、俺疲れた」
「うん? 転がってるだけでいいぞ」
「・・・んっな、こと言って・・・あっ!」
「・・・そんなこと、出来るわけないか、」
「わ、解かって・・・ん! も、触るな、噛むな!」
「ふぅん、」
「あ、あ! 舐め、る・・・なぁ、」
撥ねつけたいのに、愛撫に慣れた身体が反応してしまう。
「なん、だよ、ど、した・・・」
「別に」
「別、にって・・・」
「ヤリ溜めかな」
「んっ・・・次は、いつもより、長い・・・?」
「まあ・・・長いと言えば、長い」
「・・・あ、そう・・・」
「寂しい?」
不意に言われた言葉に、史記は驚いて身体を貪る相手を見つめた。
凛一の視線も強く、史記を見つめる。
その目に先に負けたのは、史記だ。ふい、と逸らして、
「今更、」
「・・・いまさら、か」
「今更、だろ」
「いつから、やり直せばいいんだろうな」
「え?」
「お前を初めて抱いた日から、やり直せたらいいのにな」
「・・・・凛一?」
思ってもいなかった言葉に史記が訝しんで顔を覗き込むと、凛一はいつものように口端を上げて笑った。

「それこそ、今更か」


10 彼の作るスープ

「何してるんだ?」
目を覚ますと、もう仕事に行ったはずの凛一がスーツケースから服や荷物を取り出していた。
「片付け」
あっさりと帰ってきた一言に、史記はその手元を確認する。
自分のものではない。凛一のものだ。
「どこに?」
「ここに」
「なんで?」
「引っ越すから」
「誰が?」
「俺が」
「なんで?」
「必要だから」
即答される答えに、史記は寝起きの頭を回転させる。
いきなりの展開に動揺を隠せない史記を、解かっている、と言うように笑う凛一は、
「俺が居ない間に、男が欲しいならまた呼べばいい。俺の居ない、俺の荷物のある部屋に」
「お、お前・・・っ」
言いながら、その顔は呼べるものなら、と史記の感情を見抜いているようだった。
「お前に束縛される理由なんて、ない!」
「理由が必要か?」
「当然だろ!」
「じゃ、独り占めしたいから」
「・・・・・は?」
「お前が好きだから」
さらりと言われた告白に、史記は思考が真っ白になる。
「そろそろ、言っておこうと思った」
凛一の声はいつもと変わらず、しかし言葉は決めていたのか迷いがない。
呆然としていた頭に、徐々に意味が理解されて顔が熱くなる。その史記の顔を見て、凛一がさらに口端を上げた。
「お前の気持ちは、問いただすつもりはないから好きにしろ」
「は?!」
「言いたくなったら、好きなように言え」
「はあ?!」
そう言いつつも、答えなどすでに知っている顔だった。
知られている、と史記も解かるから、赤い顔で強く睨みつける。
「・・・最初ッから最後まで・・・お前サイテイだな」
「そうか?」
「凛一みたいに、勝手なヤツ見たことない」
「そりゃ俺は一人しかいないからな」
「お前・・・っお前、もう! さっさと仕事、行け!」
この感情を溢れさせるまま、罵ってやりたいのに、その全てをきっと受け入れて流し、そして抱きとめてしまうだろう、と史記は解かっているから強く突き放した。
凛一は自分の時計を確認して、
「史記」
「なんだよ」
「行って来ます、の、キス」
「・・・・・するか、馬鹿!」
「いつも強請るのは、お前じゃないか」
「あれは・・・っそんなんじゃ、ない!」
「違うのか」
「違う!」
「じゃ、行くな、のキスだったのか」
「・・・・・・っバカ一っ!」
言いながらも、凛一の腕に抱き寄せられてそれを拒めない。
顔を覗きこまれて、その目にもう全て知られているのだ、と史記は睨んだ。
「・・・迷子にならずに、帰れ、」
「迷ったことなんか、一度もない」
凛一の強い言葉に、史記は口端を上げてしまった。
そしてその額に少し背伸びをして口付けた。

「キスは、お帰りまで、お預けだ」


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