拍手10 短冊のヒミツ 星天&四葉




「あれ、これは?」
仁埜寺は行きつけの美容院に入るなり受付のカウンタを見て指を差した。
そこにあったのは長身の仁埜寺と変わらない高さの笹竹が何よりも存在感を出していた。
受付に居たこの店の店長である深津が笑顔で、
「今日は七夕ですよ、仁埜寺様」
「七夕・・・ああ、そうか、短冊に願い事を書く習慣があるんだったね」
思い出したように頷く仁埜寺に、
「仁埜寺様は・・・短冊に願い事を書かれたことは?」
「ない。というか、一度も七夕なんてしたことがない」
裕福でありながら少し変わった家庭環境で育った仁埜寺は一般的に普及している遊びやお祭りの経験がほとんどと言っていいほどなかった。
その反動なのか、英国紳士のような外見でありながら和服で統一、と言う不思議な趣味をしていて誰もの目を引いた。
深津は少し驚きながらも目を細めて、
「皆さんに参加してもらっているんです。仁埜寺様もどうですか?」
カラフルな短冊とペンを差し出した。



一枚それを受け取った仁埜寺はしかし、いったいどんな願い事を書けばいいのか見当もつかずすでに笹に括りつけられた短冊を一枚手に取って見る。
「・・・・・チョコを嫌いになりますように・・・・・?」
その一文を読んで、意味を理解しかねて眉根を寄せた。
しかしすぐにそれを書いた相手がかけて来て、
「だって仁埜寺さん、キライになったら食べなくてもいいじゃないですかー」
短冊のようにカラフルな髪の毛でまだ幼さを残す深津の助手である海が自分の頬に触れながら言う。
「キライだったら食べたいなんて思わないし」
「それは、本当は食べたいってこと? 海ちゃんダイエットでもしているのかな」
顔がふくよかになったのを気にしているのか、その行為を微笑ましく感じて仁埜寺が笑う。
けれど海は真剣な顔で、
「当然ですよ!」
「と、当然なんだ?」
「だって夏です! 水着も着たいし、腕も出したいです!」
その勢いに仁埜寺は小柄な相手を見て、
「どこも痩せる必要はないと思うけれど・・・」
「そうですよね、僕もそう言っているんですけど、」
仁埜寺の感想に深津が同意する。けれど海はそんな言葉は聞こえてこないのか、
「あと三キロは落としたいですー」
「三キロ・・・・」
その僅かな数字に仁埜寺も深津も苦笑するしかなかった。



仁埜寺はそれから自分の手にある短冊に戻って、
「願い事か・・・愛しい人と幸せになりますように、でもいいのかな」
思いつかない、と仁埜寺が呟くのに目敏く海が反応する。
「あれ、仁埜寺さん恋人が出来たんですかー?」
その質問に仁埜寺はよくぞ訊いてくれた、と満面の笑みを浮かべて、
「そうなんだ、つい先日ね」
それが嬉しくて仕方ない、と顔を綻ばせる、と言うよりニヤケさせながら、
「彼はこういうこともしたことがあるんだろうな・・・」
仁埜寺の性癖は隠してはおらず、その呟きも深津は受け止めて、
「大人になると、あまりしなくなるようですよ。お客様たちも懐かしい、と喜ばれて参加してくださいます」
「そうなんだ?」
「はい。仁埜寺様、宜しければ一枝いかがです?」
「え?」
「ご自宅で、お二人で七夕を祝われても楽しいと思いますよ」
深津の提案に仁埜寺は子供のように目を輝かせて、
「長谷川君も恋人としたの?」
「・・・・っひ、ヒミツ、です」
正直にも顔を染めてしまった深津に、仁埜寺は嬉しそうに笑って、
「有難う、遠慮なく幸せも分けて貰うよ」
すでに思考は夜に来てくれる恋人の元へと飛んでいた。



「短冊ですか?」
仕事を終えて仁埜寺の自宅に来てくれた紀志裄は、夏だと言うのにきっちりとスーツを着ていた。
美容院での経緯を簡単に話した仁埜寺が自分の分をすでに吊るした一枝の笹と空白の短冊を紀志裄に見せた。
「そうなんだ、僕はしたことなくてねぇ。紀志裄は?」
「小学校のときにしたことありますよ」
「何をお願いした?」
「ええと・・・もう覚えてないですよ、そんなの。それくらいどうでも良いことだったと思いますが」
「今日は何を願う?!」
「・・・・・ええと、それは書くことが前提なんですね?」
「書かないの・・・?!」
浮かれていた顔を一変させて、絶望色に変えた仁埜寺が驚くと、紀志裄は困ったように、
「か、書きますけど、でも願い事なんて・・・」
何を書けばいいのか分からない、と受け取った短冊を見つめる。
仁埜寺はなんだ、と笑顔を取り戻して、
「何だっていいんだよ! ほら、僕も書いたんだ」
そう言って自信を持って書いた短冊を紀志裄に見せる。
「・・・・・・・」
それ以上の願い事があろうか、と子供のように無邪気にはしゃぐ仁埜寺の願いに、紀志裄は頭がクラッとなりかけたことは置いておいて、
「願い事を・・・人に見せると叶わないって言いますが、」
躊躇いがちに言った言葉は、もう一度仁埜寺の顔に衝撃を与えるには充分なものだった。



夜風の通る縁側に、単姿で俗に言う体操座りで長身を屈める仁埜寺の背中に紀志裄はまったく、と溜息を吐いた。
そんなにもはっきりと落ち込みを見せなくても良いだろう、と呆れたのだ。
いつまでも本当に子供のような人だな、と紀志裄は次の溜息を飲み込んで、
「先生、迷信ですから」
「・・・・じゃあどうしてみんなするの」
背中を丸めたままこの行事事態を不思議に思う仁埜寺の声は、いつものように張りがなく完全に拗ねた子供のそれだった。
「それは・・・」
「僕は、絶対に叶う、と思って書いたのに・・・」
「先生・・・」
そんなに意気込んであんなことを書かれても困る、と紀志裄は本心を押し込めて、短冊にペンで言葉を走らせた。
それを笹に飾ってから、
「先生、俺も書きましたから」
「・・・・なんて?」
仁埜寺は少し気分を持ち返したように意識を向けたけれど、
「言ったら叶わないので言いません」
「・・・・僕のは見たのに」
「先生が勝手に見せたんです! ああ、もうとにかく、こんな願い事に真剣にならないでください」
「真剣にもなる!」
子供のようだ、と言うより子供っぽい、と呆れる紀志裄に仁埜寺はおかしな程真剣だった。



「君とのことで、真剣にならないはずがないだろう」
「・・・・・・・」
振り返り、言い切った仁埜寺はその言葉に嘘などない、と全身で表す。
紀志裄はまたそんなことを臆面もなく、と頭を抱えたかったけれど、最早こういう人間なのだ、と思い込むことが仁埜寺と付き合っていく秘訣だ、と決めて、
「先生の願いは、誰に対してですか」
「え?」
「誰に叶えてもらうつもりです」
「それは・・・・えっと、」
誰だろう、と戸惑った仁埜寺に、
「俺じゃないんですか?」
「・・・・紀志裄、」
「あの願いを叶えられるのは、俺じゃないんですか?」
それとも違う相手がいるのか、と含ませると、仁埜寺は全力で否定し全身で喜びを表す。
「君だとも!」
がばり、と起き上がって両手を広げて飛び込んで来なさい、と言う仁埜寺にはさすがに従わず、
「じゃあ、僕が読んだって構わないわけですよね」
「うんうん! その通り!!」
「機嫌が直りましたか」
「君がここに居るのに不機嫌になる理由がないよ!」
「・・・・・良かったですね」
飛び込んで行かない紀志裄を自ら抱きこんでぎゅう、と力いっぱい抱きしめる仁埜寺は、
「・・・ところで、この笹は明日になったらどうするのかな」
「燃やすんです」
「え?!」



あっさりと言った紀志裄に、仁埜寺は驚愕しても美しさを損なわない顔で覗き込み、
「燃やすって・・・燃やしてしまって、どうするんだい?」
「燃やして、願いを浄化するんじゃなかったかな・・・俺の小学校では、そうしてましたけど」
「そうか・・・・そうなんだ。で、紀志裄の願い事はいつ読んでもいいのかな」
「・・・・・・・・」
「読んじゃ駄目なのかな」
「・・・・・・・・明日なら」
「いいの?!」
「先生が僕より早く起きられたら、良いですよ」
「え・・・・っ」
「起きたらすぐに、燃やしますからね」
「えええー・・・」
「因みに明日も仕事ですから、俺は早く起きますよ」
「日曜なのに?!」
「関係ありませんから」
「ええええええー」
盛大に不満を顔に出す仁埜寺は、何度か紀志裄と一緒に眠りについても一度も紀志裄より先に起きれたことがないのだった。
「早起きするのでしたら、早く寝ないと」
「紀志裄・・・・」
ヒドイ、と仁埜寺は恨めしそうに腕の中の恋人を睨む。
「嫌いになりますか、」
「・・・・なれないのを知っているくせに、」
どうしてそんなに連れないのだ、と仁埜寺が唸ると、紀志裄は最近扱いも慣れたな、と考えつつ、
「連れない俺が好きなのだと思っていましたが」
「・・・・・どんな君でも君なら好きだ」
「それはどうも、で、先生、寝るんですか、」
それとも、とその先は口にしなかった紀志裄に、仁埜寺は苦渋を顔に浮かべつつも、欲望に勝てるはずがない、と気持ちを引き裂かれながらも紀志裄を抱きしめなおした。



翌朝、紀志裄がもう起きようかな、と目覚ましもなく朝目を覚ますと、隣に仁埜寺の姿がなかった。
「・・・・・まさか、」
本当に自分より早く起きたのだろうか、と驚きつつ寝室を出ると、縁側に座り一枝の笹をとても嬉しそうに見つめる仁埜寺が居た。
「先生、早起きですね・・・」
「紀志裄!」
声をかけると子供のような無邪気さをいっぱいにした仁埜寺が笑顔で振り向いた。
けれど、その目の縁が赤いのに気付く。
「まさか・・・・徹夜したんですか?!」
早起きするのは仁埜寺には無理だった。
紀志裄も出来るはずがない、と思っていた。
仁埜寺の取った行動はあまりに子供じみていて、それでいて真剣だから性質が悪い。
「紀志裄!」
笹を持ったまま紀志裄に飛びついた仁埜寺は、紀志裄の書いた願い事を読んでしまったと身体中で表現していた。
しまったな、と思いつつも、それだけのためにここまでする執念が怖い、と紀志裄は正直呆れてしまった。
「ああ、今日はもうどこにもやりたくない。ずっとここに居てくれないか」
「駄目です」
「紀志裄・・・昨日の夜はあんなに素直だったのに」
「・・・っそんなこと、言うのなら、二度とこの家には来ません!」
赤く染まってしまう顔を背けて無理やり身体を離し、仕度を始める紀志裄の背中にその外見が勿体無いほど情けなくなった恋人の声がかかる。
「紀志裄〜ごめん、もう、言わないから・・・頼むから」
「・・・・・」
背中で怒って見せながら、すでに許してしまっている紀志裄は自分もかなり相手に感化されてしまっている、と感じた。

「先生の、願い事が叶いますように」



―七夕の夜―



「航さん、これなんですか?」
部屋に飾ったのは、一枝だけの笹の葉だった。
それに二人で一枚づつ、願い事を書いた短冊を下げた。
航太郎がさっと書いて下げた後で、深津もそれに倣ったのだが、
先に吊るした短冊をつい目に入れてしまった。
そこに書いてあったのは、

「深津とチューがしたい」

の一言。
見間違いか、と深津が読み返しても、間違えるほどの文ではない。
航太郎は仕事を果たした、とお気に入りのビールを片手に、
「ん? 今のところ、誰かに何かを叶えてもらうようなことはないからな、ささやかな願いにしておいた」
「航さん・・・・・」
赤面して頭を抱えたい、と思う深津の手にある短冊には、

「ずっと一緒にいられますように」

と素直な言葉を書いたのだが、それさえも恥ずかしくなってしまった。
深津は気持ちを固めて、短冊を並べて笹に括りつけると、航太郎へと
近づいて、シャツを引っ張って自分は少し背伸びをした。
されるままに顔を下げた航太郎の額に、踵を伸ばした深津の唇が触れた。
「・・・・・・・・」
突然の行動に、予想もしておらず航太郎が硬直すると、背を戻した深津がにこ、と笑って、
「どこに、とは書かれてませんでしたよ」
「・・・・・・・深津」
嬉しいやら悔しいやらで、複雑な顔をした航太郎に、
「僕のお願いも叶えてくださいね」
そっと耳に告げた。

外は雨。
牽牛と織姫の邪魔をするよりも、こっちを邪魔するな、と航太郎は
雨が暫く降り続くことを願った。


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fin



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