セルヴィス 「終わったよ」 そう言う博士の声はいつもと変わらない。片目にモノクルを掛け直して辺りを片付けているだけだった。 寝台から身体を起こしたのはスラリとした体躯の男で、しかし細身ではなくよく引き締まったものだった。 けれど服を身につけてしまえばそれはまったく解らない。 黒いシャツに黒いスーツ。 飾りは金色に輝く鎖の先から落ちる雫のような真珠だけだ。 指でその宝石に触れ、感触に違いがないのを確かめていると、どこからか出て来たのか幼さを残した綺麗な少年が博士の代わりにその部屋を片付け始めた。 シェリーである。 「異常なし。今回も、契約は続けるのかい?」 手にした書類をシェリーに預けながら博士が笑うのに、ベッドから立ち上がった男が笑った。 「主人が飽きるまでは」 セックスドールなのだ。 主人に従い、主人に尽くす。 灰色の長めの髪を無造作に振り、その下から覗く髪より少し濃い色の眉を顰めて笑う目だけが、真っ黒だった。 造形は美しく、佇むだけで周囲の視線を集めるのはセルヴィス。 博士が戯れに創った、攻めタイプのセックスドールだった。 試作、としたこともあって、セルヴィスのタイプはシェリーたちのように世の中に普及する受け型のセックスドールにはない機能を取り付けてある。 執事兼ボディガード、さらに優秀な頭脳のために跡継ぎの教育係なども可能だ。 愛されるだけで主人と生涯を共にする他の人形達と違い、セルヴィスは契約期間を短く持ち、主人によってそれは更新されたりそのまま終了となったりを繰り返す。 主人だけの愛情を貰って生きるタイプではないため、こうして定期的に点検を受ける時期が契約更新の時期だった。 博士はセルヴィスの不遜な笑みを見て、さらに深く笑う。 「また酷いことをしているね、主人をあんなに泣かせるものじゃないよ」 全てを見通す博士に、セルヴィスはその主人の待つ場所へ足を踏み出した。 そしてドアを開けながら振り返り、 「気持ち良いと啼いているんです。それが俺の仕事ですよ」 セルヴィスは主人を選ぶ。 自分が従っても良いという主人を選ぶ。 それは気が強ければ強いほど、セルヴィスのどこか博士に似た残虐な心を湧き立たせた。 これは歓喜だ。更新された身体で、また存分に可愛がってやろう。 思わず笑んでいるのにも気付いたセルヴィスは今の主人を、気に入っていた。 * 外の人間が通される部屋は広く、整えられた品の良い調度品のお蔭で完全な客室リビングのようだった。 居心地の良いそこは、セルヴィスの主人も気に入っていてここに来るときはそこで時間を過ごす。 一人でも博士のもとに帰れるけれど、この主人はいつでも離れたくないと着いて来ていた。 「帰り道で迷うと困るから」 そう理由を付けるけれど、セルヴィスが迷うはずはない。 地理は的確に記憶されているしセルヴィスを見てセックスドールだと見分けられる人間はあまりいない。 どちらかと言えば、セルヴィスと一緒に居る主人のほうが時折人形に見られることがあった。 美しい造形は人形のようで、さらに品のある所作はセルヴィスの博士なら創りかねないセックスドールのようだった。 それが人間だというのが、セルヴィスがこの主人と別れない理由のひとつだった。 まだ幼さを表情に残しながらも、気位は高く周囲に決して屈しない。 その主人をベッドの上だけでは誰よりも従順にさせるのが、セルヴィスの仕事だ。 広い廊下を渡ると、その主人が待つ部屋の前に着く。そこで足を止めた。 分厚い扉に挟まれていても、セルヴィスは中の声が鮮明に聞き取れた。 「やりたいのか?」 低くも高くもない、落ち着いた声。 それがセルヴィスの主人のものだった。誰かに問いかけているようだけれどセルヴィスにではない。 この部屋に、主人以外の気配を感じた。 アンドロイドではなく人間のものである。 「や、やりたいわけじゃないよ!」 主人に答えたのは幼さを感じさせる声の少年だった。慌てているのがここからでも見えるような返答だ。 「やりたくないのか?」 「・・・・だから、俺じゃ、なくって・・・ブルーが、」 「恋人か」 「・・・・・恋人じゃ、ない、かも」 「一緒に暮らしているんだろう?」 「住んでるけど」 「一緒にいて手を出さないというのなら、完全なヘテロか――」 「き、キスは、してくれた! あと、ぎゅって抱いて寝てるし!」 「・・・では、お前に興味がないか」 「・・・・・・・」 セルヴィスはその会話を聞いて表情が緩んだことに気付いた。 主人に言い攻められている相手の表情はとても辛そうに歪んでいることが良く解ったからだ。 「・・・やっぱり、そうなのかな」 「解らないのなら訊けばいいだろう」 「なんて?」 「どうして抱かないのか」 「・・・・・・・・それが訊けたら、こんなに苦労してない」 「では抱け、と言えば良い。お前は中々可愛らしい顔をしているし、それは大概の男なら誘惑されるものだろう」 「そ、そんなこと・・・」 「言えないか?」 「・・・・どうやって、言うの?」 「誘うのなんか簡単だ。しな垂れかかって熱を込めた目で見上げれば、さらに欲しいと強請れば良い。あとは――そうだな、少しくらい服を乱してもいいんじゃないか」 その情景を思い浮かべて、セルヴィスは声を殺して笑った。 あまりに冷静にしている声が、ベッドの上でどんな風に変化するかは良く知っているからだ。 主人の言葉に相手はどこか躊躇したようで、 「それで・・・抱いてくれなかったら?」 「それだけだ。恋人ではないんだろう? そのまま変わらないままだ」 「そんな――こと、出来ないよ!」 「どのことだ?」 「おっ、俺から、誘って・・・断られたら、俺、もうブルーと一緒に居れるはずない!」 「なぜ?」 「な、ぜって・・・・」 「そんな程度のことで壊れてしまう関係なのか?」 「・・・・・・・」 「私が見る限り、シュリの外見から断るような要素は見当たらないし、相手が年上であるならただ庇護したいということもあり得ると思うが」 シュリというのが、主人の話し相手らしい。 セルヴィスは先ほどの検査中に暇潰しに博士と話した内容を思い出した。 最近城に上がってくるようになった、シェリーの友人というのが、それだろう。 その同居人というブルーという男が、ただの人間ではないという情報も与えられていた。 頻繁に城に上げていることから、博士もいたくシュリという少年を気に入っているのが解る。 そのシュリが、重くなった口を開いたのが聴こえた。 「・・・俺、だって・・・男娼してた、から」 その情報もセルヴィスは知っていた。幼い身体を博士が少々味見したことも知っている。 小声になってもセルヴィスにははっきりと聴こえた。 「なんだ」 それに対する主人の声はとてもあっさりとしたもので、 「それならもっと簡単じゃないか」 「・・・え?! なにが?!」 「男を誘う方法なんて、知っているんじゃないのか?」 「あ・・・・」 主人の答えにセルヴィスは吐息を漏らすように笑った。 こういう思考が、セルヴィスよりアンドロイドに近い、と言われる所以だ。 「だって・・・き、汚い、とか、言われたら・・・?」 シュリの声はさっきよりも小さくなっていた。 「どこが?」 やはり、それに答える主人の声はあっさりとしていた。 「シュリのどこが汚い?」 「・・・・・・」 どこが、とはシュリも答えずらいものなのだろう。 それは精神的な面で、外から見えるものではない。 けれどセルヴィスの主人は至って真面目に答えているのだ。 この辺で止めさせよう、とセルヴィスは扉の前で止めていた足を踏み出した。 * 開かれた扉に、主人ではない少年が驚いて振り向いた。 セルヴィスはその顔を見て、なるほど、と思っただけだ。 これでは博士が手を伸ばすのも無理はない、とシュリの顔を確認したのだ。 「セルヴィス、終わったのか」 扉に背を向けていた主人が振り返り、微笑み立ち上がる。 「終わりましたよ」 感情を表さないセルヴィスの表情はいつも笑んだものだ。 このときも同じ顔で主人が自分のもとに駆け込むのを手を広げて受け入れた。 「どこか異常は? 博士はなにか言っていた?」 セルヴィスの胸元までしかない主人は細い手を身体に回し見上げてきた。 この真っ直ぐな行動を見ていれば、やはり主人のほうがセックスドールのようだった。 「なにも」 博士の言っていた言葉は主人に言うものではない。 セルヴィスが答えると、まだソファに座り込んでいたシュリが驚いたままで見ていた。 セルヴィスはそれに視線を向けて、 「シュリ、だね。博士から聞いている」 「そう、ここで待っているときに入ってきたんだ。この城に来客が珍しかったので、相手をしてもらっていた」 この城に入れるものは限られていた。 丘の下の門は誰でも潜れるが、この城のドアはどんな仕掛けなのか簡単には開かない。 博士が許したものだけ、鍵などかかっていないかのように開くだけだ。 セルヴィスがここに帰ってくる間で、確かに普通の人間が訪れるというのは珍しいことだった。 「・・・あ、アンドロイド? そいつが?」 シュリが目を丸くしているのは、主人が博士の創ったアンドロイドを待っている、と教えたためだろう。 セルヴィスは、確かに一見そうは見えない。 そしてこの城で多く作られるセックスドールたちとは種類が違う。 「シェリーのようなアンドロイドしか見たことがないのか?」 主人を腕に抱いたままの質問に、シュリは素直に頷いた。 「あんまり、アンドロイドを見たことがない」 「博士の人形はあまり一般には見られないからな」 セルヴィスは主人の背中を下から撫であげて、掌の感触に変わりがないことを確認した。 「ん・・・っ」 ゾク、と主人が身体を震わせ、セルヴィスに擦り寄ってきたことも確かめる。 感度は良好だ。 「セルヴィス・・・」 「なんですか」 「契約は、」 「貴方の望むままに」 セルヴィスの身体に絡む主人の手は熱が籠り、零れる吐息すらすでに熱そうだった。 「私のだ」 擦り寄る身体に腰に腕を回して、セルヴィスは主人の耳元に口を寄せた。 声色は40パーセント低く、主人の耳を擽るように近づける。 「確かめますか」 「・・・・っ、」 目を細めて崩れそうになった身体を支えた。 セルヴィスは笑ったままで、 「男を誘う手管を、俺にも見せて欲しいですね」 「・・・聞いて、いたのか」 「聴こえてきたんですよ」 「そんな・・・」 「どんなに乱れて、俺を誘ってくれるんですか」 「せ、セルヴィス・・・っ」 頬を紅潮させて、躊躇う主人は先ほどシュリに冷静に言葉を紡いでいたものと同じには見えない。 この顔を忘れない限り、セルヴィスはこの主人に従う予定だった。 腰を抱えながら、その胸に手を這わせると薄い衣類の上からでも胸の突起が解る。 「ん・・・っ」 指先でゆっくりと回すようにそれに触れると、主人は目を伏せてその睫を揺らした。 「城内セックス禁止ですよ、ご主人様。邸まで我慢出来ますか」 「セルヴィス・・・っ」 主人の目が睨むように見上げてくるのにも、笑って交わした。 「俺は貴方の人形ですよ、貴方に従いますが――名を呼ぶのは、ベッドの上だと決めているでしょう」 主人の我儘を聞くのも、諌めることも、そして可愛がることも、セルヴィスの仕事だった。 「かえる・・・っだから、早く、あっ」 ピン、と指先で主人の胸を弾き、セルヴィスは室内に居たシュリに視線を向けた。 主人はすでに忘れているようだけれど、シュリはこの光景を前にして固まっている。 「俺も、シュリが誘えばブルーという男はすぐに落ちると思うね」 「・・・・・っ」 思い出したようにシュリが顔を真っ赤にさせて、それから戸口にいたセルヴィスたちの脇を避けて先に城を飛び出して行った。 「ふっ、可愛い子ですね」 セルヴィスが笑うと、腕の中ですでに呼吸を乱していた主人がその目で睨みあげて、 「・・・私以外を、見るな」 「貴方は俺が、可愛がってあげるんです――そうでしょう?」 さっきよりもさらに20パーセントほど声を潜めて囁く。 主人が腰を摺り寄せて、 「はやく、」 と急かしているのが解った。 セルヴィスは主人の乱れる様子を思い出して、今日は新しく誘うパターンを教え込もうといくつかの手を考え主人の身体を抱えた。 「本当に邸まで、我慢出来ますか?」 灰色の髪から覗く、黒い目で見つめると主人はセルヴィスの好む返事を顔で見せる。 やはりセルヴィスは、この主人が気に入っていた。 |
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