馴初め 教室が波打つほど、静寂がざわめいた。 息を飲んで、それから溜息のように吐き出す。誰もが同じ行動をしたので、不思議な雰囲気が流れたのだ。 教壇の担任の隣に立つ、異質な生徒。 同じ制服を着ているけれど、初めて見る顔だ。 「長瀬です」 一言だけだった。しかし誰もがそれを聞き逃すことはなかった。口が開かれるのを固唾を呑んで待っていたし、不思議に透明感のある声だった。 耳に残る。後を引く。 愛想笑いも何もない、少し幼さの残る冷たい表情。しかし整いすぎたそれは全員の視線を奪ったままで、しかし当の本人だけは、まったくそんなことを気になどしていないようだった。 慣れているのかもしれない。 それが「長瀬夏流」を初めて見た感想だ。 綺麗過ぎる。 人形のようなのは、表情に温度を感じないせい。声に生気を感じないせい。 担任に促され、後ろの席に座った転校生を前田は肩越しに振り返って気にした。 足を動かし、椅子を引いて座る。伸ばされた背筋でそこにいるだけで、一枚の絵になりそうだった。 HRで紹介をされて、休憩に入っても誰も近寄れなかった。 相変わらず綺麗な表情は変化がなく、視線がただ、窓の外に向いていた。ざわめく室内、噂を聴いて廊下にも人だまりがあるけれど、それでも誰も声をかけられなかった。 二時間目が終わり、チャイムが響いた。 教室内はまた夏流を気にして遠巻きにしていたけれど、ふいに前田は振り返り、その変化を見つけた。 視線を机に落として小さく、息を吐いた。それから気だるそうに前髪をかき上げる。 「・・・・お前さ」 前田は身体を後ろに向けて、その顔を覗き込んだ。夏流も気付いて視線を前に向ける。 視線を合わせても、前田は綺麗過ぎるな、と思った。 「もしかして、すげぇ朝弱い?」 夏流は何度か瞬いて前田をじっと見つめ、少し沈黙が流れた。 教室内も、その前田の行動を息を飲んで見ているのが分かったけれど、前田は夏流から視線を外すことはない。 夏流に、変化があった。 少し首を傾げて、 「・・・・よく分かったな」 声はやはり、低くどこか透き通ってよく響いた。 前田はやっぱり、と笑った。 「うちの弟と、似てたから」 「弟?」 「そう、もう、朝起こしてから超絶不機嫌、何を言っても完全無視。毎朝俺が起こしてやってるのにさ」 それでもそれが苦ではない、楽しそうに前田は笑う。 夏流ははっきりと表情を変えた。 「・・・お前は、俺の姉と似てる」 ふ、と力を抜いたように笑ったのだ。 「お姉さん? いるの? やっぱ、美人?」 興味を惹かれたように前田が身を乗り出すと、夏流は少し眉を顰めて、 「・・・関係ないだろう」 「あるさ! 美人を見たくないオトコなんかいねぇだろ! 人生損するぞ?! お前似なら益々歓迎だ!」 「・・・確かに、似ているが」 「見せろ!」 正直に、真剣に言った前田に、夏流は苦笑が正しいような笑みを浮かべた。 「旦那がいるぞ?」 「・・・・・・・・・なら、お前で我慢するか・・・・」 心のそこから残念そうに呟いた前田に、 「どうして我慢されなければならない」 「お前さ、ちょっと綺麗な格好して見せて?」 「お断りだ。なら、お前が先にして見せてみろ」 「俺なんかがそんな格好してどうするよ、えー・・・と、長瀬だっけ? 下の名前は? 俺は前田、宗一郎」 「・・・・夏流」 前田のすぐに移動する会話に少し驚きながらも、夏流は素直に答えた。 「ん? 夏生まれ?」 「冬生まれ」 「じゃ、なんで!」 「お前は長男か?」 「いや、次男」 「・・・・人のこと言える義理か」 「ああ、そっか」 前田は今気付いたように笑った。 その会話は誰もが聞いていた。 その瞬間から、夏流に声をかけるのは少なくとも、二時間目以降と暗黙の了解が広まったのだ。 水都は進学校であるけれど、スポーツ名門校としても名が通っている。 六月と言う季節外れの転校生のことは、瞬く間に学校中に知れ渡る。 頭が良い。運動能力が高い。顔が恐ろしく綺麗。 そして、毒舌だ。 それでも誰もが近づきたくて、夏流の周囲で必死にその隣を争った。 前田は変わらずクラスメイトのままで、しかし前田ほど砕けて夏流に話しかけるものはいなかった。 「夏流、部活しないのか?」 「・・・必須ではないはずだ」 「そうだけど」 「お前、何してるんだ」 前田はにっこりと嬉しそうに答えた。 「バスケ」 そのときの夏流の表情は今でもはっきりと思い出せるほど、嫌悪を見せた。 「・・・・・なに、その顔」 「今後俺に近づくな」 「は? なに言ってんの?」 「お前とは一切関係を持ちたくない」 「なんで!」 同じクラスで、しかも席は前後だ。 関係ないと言われても、夏流が前を見るたびに視線に入るはずだ。 夏流は不機嫌なまま、 「バスケが嫌いなんだ」 「・・・・・・」 「見るのも気分が悪い」 その言葉は、瞬く間に全校に広まった。 おかげで、構内でも人気のあったそのバスケ部は退部者が後を立たず、一気に地に堕ちた。 それでも前田との付き合いに変化はなかった。 変わらす話しかけても、夏流の態度は変わらない。どこか通じるものがあったのか、一番長く一緒にいるようになってしまったのだ。 高校生らしく、気になるもの興味あるものにはなんでも手を伸ばした。 夏流と一緒にいれば、前田はまったく女に困らないようになったのだ。それでも、夏流がどこかそんなものに熱くなっていないことにも気付いていた。 「おっまえな・・・! どうしてあんなこと言うんだよ!」 もうちょっとだったのに! と前田は正面から夏流を詰る。 夜、高校生らしくなく、繁華街を遊びあるいていた。夏流はどこにいても目立つ。それに吸い寄せられるようにして、声をかけてくる相手は後を絶たない。 そのときも年上にしか見えない二人組みの女に声をかけられ、前田は愛想良く相手をしていた。 今日も持ち帰れるな、と思っていたとき、隣にいた夏流は零下の声で女を振り払ったのだ。 「・・・・顔が悪かった」 呟いた夏流に、前田は強く睨みつけて、 「お前以上の女なんかその辺にいるわけねぇだろ! しかも電気消してしまえば顔なんかどうだっていい」 「・・・・香水臭い」 「シャワー浴びたらいいだろ!」 「・・・・性格が悪かった」 「お前がそれを言うな!!」 たまたま、どこか気に入らないところがあったのだろう。夏流は実際選り取りなのだ。それでもさっきの二人は誰が見ても美人でスタイルも良かった。だから前田は夏流を睨みつけたのだ。 「あーもう、今日はもう嫌か?」 前田は溜息を吐いて夏流を見る。 声をかけられるのは夏流だ。夏流の機嫌が悪いなら、いつまでもこんなところに居たくはないだろう。夏流のどこか安定しない気分屋なところは、前田もすでに理解していた。 「帰るか・・・仕方ねぇ、お前でも持ち帰るか」 言いながら背を向けた前田に、夏流は少し表情を歪めて、 「・・・お前が俺を持ち帰るのか? 反対じゃないのか?」 「なんで俺がお前に持ち帰られなきゃなんねぇんだ」 「俺だって嫌だ」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 お互いそこで、じっと見詰め合ってしまった。 相手の感情を読むように、それから一緒に足を動かした。 どちらが持ち帰られるのか、一人暮らしだった夏流の部屋のベッドの上でお互い挑むように服を脱ぎ捨てた。 「そのあと、俺と夏流の関係は今に繋がってるわけだ」 前田は部室で椅子に足を組み大きく座っていた。 目の前で、ちょこん、と座った貴弘はそこで区切られて声が出ない。 「これが俺と夏流の知り合ったきっかけ、解ったか?」 訊き返されて、貴弘は息を吹き返した。 「わ・・・っわかった、て・・・それ! 結局どうなんだ?!」 「なにが?」 「それ、どっちが・・・っどっち?!」 「どっち?」 「結局、どっちが持ち帰られたんだよ!」 貴弘はそこが気になって仕方ない。 前田は気付いているだろうに、以前と変わらない笑みを浮かべた。 「どっちだと思う?」 その感情を見せない笑顔は、やはり夏流と付き合えるだけの人間なのだ。 バスケ部に所属しながらも、バスケの大嫌いな夏流と変わらず一緒に居れるのだから。 詰め寄ろうとした貴弘の後ろで、部室のドアが開いた。 「お、藤谷、お迎えだぞ」 笑った前田の通り、夏流がそこから顔を覗かせた。 「夏流にこの部室に越させるとは、お前もそうとうすげぇよなぁ」 「そんなこと、どうだっていいんだよっどっちなの?!」 貴弘は誤魔化されそうな気配に必死だった。けれど、 「夏流に訊けよ、夏流も知ってる」 「・・・・・・・っ」 訊けない。 そんなことは、貴弘にだって解る。 訊いてしまうと、なんだか怖いことが待っているような気がしたのだ。 そしてそれは、貴弘の思い過ごしではないだろう。 「じゃな、気ぃつけて帰れよー」 ドアのところで待つ夏流に、気配で急かされて貴弘は立ち上がる。ヒラヒラと手を振って見送る前田を恨めしく見ながらも、貴弘はドアの向こうに消えた。 前田はそれを見送って、 「・・・・まったく、可愛くなったよなぁ」 誰にでもなく、呟いた。 |
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