指輪 





「あんたさ、やっぱリングしてろよ」
繕がシャワーを終えて出て来たのを背中で感じた春則は、リビングでテレビに向かったまま呟いた。
画面は、好きで見ているとは思えない料理番組が流れている。
繕はゆったりとした私服に着替えて、ソファにいた春則の隣に腰を下ろす。
「どうして」
洗いたての髪を下ろして、さっぱりとした男がいる。
春則は、そのいつもとは違う雰囲気に未だに慣れない。
仕事用のスーツ姿で会って、その格好で抱かれ、そのまま別れる。
それしか知らなかったから、この繕のプライベートな空間にいることだけでも、落ち着かないのだ。
だからさっきから、チャンネルを変えてばかりいる。
こんな感情を持て余す自分を、かなり情けなく思いながらも、必死でそれを隠す。
「どうしても」
テレビから視線を外さず、言い切った。
格好を気にしなければならない職業ではない春則は、いつも同じラフな姿だ。
気にするのは、人から見て、かっこいいと思われるような格好を基本とするくらいだ。
遊び人を常としてきた春則の格好は、今も変わらない。
お洒落だと言えば聞こえはいいが、人の目を気にするええカッコしいだ。
最近、春則は自分のことをそう思っている。
繕に会ってからだった。
ユニフォームのようにスーツを着こなし、そこから漂うストイックな色気。
春則には、しようと思ってもないものだった。
さぞかし、女が放っておかないだろう。
今日も、それを見たばかりだった。
待ち合わせたカフェに来ていた春則は、向こうから来る繕を見つけた。
けれど、繕独りではなかった。
周りに何人か、女がまとわり付いていた。同僚の女だろう。
週末、仕事開けに誘わずしてどうする、といった意気込みだ。
指輪を外し、本命と別れた、と見せた繕は、きっとあの会社でも一番の狙いどころなのだ。
春則は舌打ちし、それから視線を外した。
カフェに着いたときには、繕は独りだった。
それくらいの、気遣いはあるようだ。
だから、春則も至って顔を変えなかった。
自分のこの感情がやきもちだ、と自覚があるからだ。
それを見せるなど、プライドが許さない。
そして、自分に今更そんな感情を持たせたこの繕が、憎らしくて堪らない。
初めてこの部屋に来たことで、緊張している自分を隠すためでもあった。
「お前は?」
春則はその意味が解らず、テレビから視線を移した。
「なに?」
「お前は、しないのか」
「て・・・リング? たまに、するけど」
今日はしていないが、いくつかブランドのものを持っていた。
繕は冷たく春則を見て、
「違う」
その視線で解った春則は、少し戸惑った。
「あ、え・・・でも」
自分の指を見て、
「俺は、誰もそんなこと気にする仕事じゃないし、独身貫いても・・・」
おかしくない、と呟く。
「そうか?」
哂った繕は、春則の手を取って、口付けた。
繕にしてみれば、自分をどうも安く見ている春則が心配で仕方ない。
切れ長の目で流し見れば、誰だって落ちてしまうだろう。
待ち合わせに遅れたり独りで居させれば、声を掛ける人間が後を絶たない。
女だけならまだしも、フレックスな雰囲気から男からも平気で声を掛けられて、
繕は待ち合わせに外を選びたくなかった。
選んでいるようで無頓着な服も、春則にはいつも似合っていて、その魅力を引き立てている。
首輪を付けたいところだ、と繕は思っても、口には出来ない。
そんな独占欲の塊だと、知られたくない。
「していたほうが、いいのか?」
揶揄うように、囁くと、手を振り解かれた。
「お前がして欲しいんなら、しても良い」
「して欲しいわけじゃない」
じゃぁ、なんだ、という繕の視線から、春則は顔を逸らした。
「ちょっと、気になっただけだ、別に、しなくても・・・」
呟くと、わき腹にゾクリとした感触がある。
繕の手が、服の中に入って来たのだ。
「ちょ、待て・・・俺も、シャワー・・・」
「いい」
「よく、ない・・・」
「お前の匂い、気に入ってるんだ」
首筋に吐息を感じて、春則は抵抗の手を止めた。
そんな言葉を吐かれて、落ちないはずはない。心の中で舌打ちをした。
この香水を、二度と変えれない、と思った自分にだ。
そのままソファに倒れこんだ。
せめて、ベッドに行きたかったけれど、お互いに手を止められなかった。



春則は仕事を届け終えたその足で、宝石店に足を伸ばした。
暫くショウケースを眺めていると、向かい側からにこやかに話しかけられた。
「指輪をお探しですか?」
その声に、少しうろたえる。
「あ、いや・・・」
「恋人にプレゼントですか? それとも婚約」
「あまり派手じゃなく・・・」
「ご結婚ですか?」
笑顔から、おめでとう御座います、という雰囲気に包まれて、春則は固まってしまった。
「あ、いえ・・・やっぱり、いいです」
「お客様?」
店員の声を振り切って、店を出た。
顔が赤い。
「俺は、何をしようと思って・・・」
お前はしないのか、と言われたことを思い出して、なんとなく気になって入っただけだと思ったが、
自分の考えをトレースすると、恥ずかしくて顔が上げれない。
自分がいたのは、ペアリングのところだ。
店員の台詞も、当たり前の言葉なのだろう。意識もなく、そうしようとした自分が、どうしようもなかった。
「・・・嵌ってるよな・・・」
ため息を吐いて、心を落ち着かせた。
だいたい、いつも抱かれて気持ち良いと思ってしまうから、いけないのかもしれない。
何も考えず、抱かれようと抱こうと全く気にしなかったが、相手を特定して、
しかも抱かれ続けるのが、自分を狂わせる元かもしれないのだ。
いつも賺した余裕のある男を思い浮かべて、睨みつけた。
「見てろよ」
仕事が終わったから、とその夜、自分の部屋に呼びつけた。
思いを合わせてから、ホテルは使わないようになった。
お互い独り暮らしなのだ。誰に気を使うわけでもない。
仕事の時間が決まっている繕が、仕事を終えた春則の部屋に上がることが最近は多かった。
それに慣れてしまって、たまに繕の部屋に行ったりするから、調子を狂わされるのだ。
「俺、こんなに惑わされてたか・・・?」
今までの相手を思い浮かべて首を傾げる。
繕が来る前に、と一応仕事で散らかした部屋を片付けていた。
資料が部屋中に散乱しているのだ。
粗方片付けたところで、部屋に呼び出し音が響いた。
ドアを開けると、ビニール袋を片手に持った繕が居た。
「酒とつまみ」
それを差し出されて、中に促す。
「ああ、」
受け取って、リビングの机に置いた。
春則の部屋は、リビングの隣が寝室だ。
隣と言っても、間をブラインドで仕切っているだけだった。
スーツ姿の繕を引っ張って、そのベッドまで連れて行く。
「春則?」
ベッドに押し倒された繕は圧し掛かってくる春則を見上げた。
「な、やりたい」
明かりをつけていない寝室は、リビングからの光だけで、春則は丁度逆行になって、顔が見えない。
繕は首を傾げながらも、頷いた。
「ああ・・・」
春則の纏う雰囲気が、いつもと違うように思えた。
「俺が、したいんだよ」
「・・・・」
繕は思い切り、眉を顰めた。
その意味を知って、春則の身体を止める。
「どうして・・・」
「どうしても! 俺は今、抱きたい気分なんだよ。あんた以外を、抱いていいのか?」
「お前・・・」
繕は嫌なところをつかれて、大きく息を吐く。
「俺を、好きじゃないのか?」
「だったら?」
「なら、俺の願いを聞いてもいいだろ」
「・・・・・」
繕はしばらく、圧し掛かった春則を見つめた。
暫くすると、目が慣れてその表情が見える。
冗談で言っているようには見えない。
代わりに、何か思いつめているくらい、真剣だ。
その口で、そんなことを吐く。
繕はもう一度、ため息を吐いた。
「・・・全く、何を考えてそうなるんだ」
それから、ネクタイに手をかける。
「駄目なのか」
「やりたくないのか?」
「いいのか?」
繕はネクタイを床に落とし、ジャケットも脱いだ。
「受けるのは、初めてだからな、言っとくけど」
「・・・知ってる」
春則は息を吐いて、繕をベッドに押し倒した。
その唇に、口付ける。
その舌の軟らかさも、一緒に服を脱がそうとするその手も、いつもと変わらない。
ただ、春則が繕をくわえ込み、手が後ろに伸びたときに、少し力が入ったのが解った。
「・・・力、抜いて」
「・・・んな、器用な・・・」
「俺は、いつもしてるだろ」
「俺はしたことない」
言いながら、息を吐き出す。それと同時に、春則の指が奥を目指す。
「・・・っ」
息を詰めた繕に、春則は嬉しそうに笑った。
「キツイ」
「・・・っとう、ぜんだろ・・・」
ヒヤリとする液体を押し込められて、何度もなぞられる。
それによって、春則の指が滑らかに動いた。
「・・・っん、」
繕が、顔を顰める。
春則は苦しそうに息を吐いて、
「繕・・・も、いい?」
その声に、繕は舌打ちをしたかった。
その声で、そんなことを言われて、思わずひっくり返したくなる自分をどうにか押えて、頷く。
春則は、ゆっくり自分を押し進めた。
「・・・っ、繕・・・」
「お前・・・っ」
「・・・え?」
「んな、声出すな・・・!」
「声って・・・何が」
「ひっくり返したくなる、だろ・・・っん、」
春則は繕の見つけたポイントに、自分をこすり付ける。
繕の反応に笑って、
「繕の声も・・・すげぇ、いい」
「お前だけ、だからな・・・」
繕の言葉に、春則は驚いた。
「お前だから、こんなことさせてるんだ・・・お前も、覚悟しろよ」
「え・・・?」
「俺のお願いも、聞いてもらうからな・・・!」
「・・・・・」
春則はその視線に、動きを止めた。
仕返しのようなお願いを思い浮かべて、しまった、と思ったのだ。
「っつ、あ・・・!」
それから、腰を揺らした。
こうなったら、出来るだけ、繕の力を抜いてしまうしかない。
力尽きてしまえば、仕返しをすることもなくなるはずだ、と安直に思考を持っていった。
その甘すぎる考えに、後悔することは、判っていたのだが。



繕を思って、中に出さなかった春則は、そのままベッドに倒れ込んだ。
息の荒いまま、繕を見ると、繕はすぐに起き上がった。
「お、い・・・ちょっと、待て」
繕は床に落としたジャケットを取って、ポケットを探る。
「俺のお願い、聞いてくれるんだろ」
「き・・・くけど、」
すぐに? と警戒した春則は、差し出されてた手を見て、起き上がった。
「なに・・・?」
その手に、小さな箱が乗っている。
ラッピングもされていない箱は、中に指輪が入っていた。
「・・・・これ、」
「お前の分」
言いながら、繕は春則の手を取って、その薬指に指輪を嵌める。
「繕・・・?」
「俺のお願い、聞いてくれるんだろ・・・これ、付けろ」
「これ・・・で、も・・・」
その指にピッタリな指輪を見て、春則は戸惑いを隠せない。
「お前は、俺のもんだっていう、証拠だ」
「所有物かよ」
「俺も、そうだろ」
繕は言いながら、自分の指にも同じものを嵌めた。
「そうして、欲しかったんだろ」
春則は声を無くす。
ばれていた。その内に秘めていた、やきもちに、気づかれていた。
「お前の場合、これで安心できるとは思えないけどな・・・」
繕はため息を吐きながら、指輪の嵌った手を見つめる。
「なにが」
聞き返した春則を、呆れて睨んだ。
「お前な、その色気、どうにかしろよ」
「は?」
「やってもそれか? 女もほっとかないはずだな」
「はぁ?」
言われて、春則は眉を顰める。
「それは、あんただろ」
「なに?」
「ストイックに淫欲なんかありません、て顔しながら、すげぇ出してるだろ、いつも」
「淫欲? お前を前にしたら、出るかもな」
「普段でもだ!」
「そんなつもりはない」
あっさりと言われて、春則は自分の手を見る。
ぴったりと納まった指輪。
「・・・サイズ、良く判ったな」
「いつも触ってるだろ」
「それだけで・・・良く判る」
「判る」
本当は、その店で店員の手を確かめたのだ。
ほとんどの店員を、触って確かめた。
春則の手と同じサイズを見つけるまで触ったのだが、しかしそれを言うと、やきもち焼きのこの相手はまた膨れるだろう。
だから、繕は言わなかった。
すぐにやきもちを焼くと、繕が知っていることを、見せ付けることはない。
知って思うだけで、充分楽しかった。
指輪から視線を外さない春則を抱き寄せて、ベッドに倒した。
「嬉しいか?」
「・・・・っ」
赤らめた顔は、肯定しているようなものだ。
しかし、その顔を背けて、隠そうとする。それさえ、繕には嬉しかった。
「・・・だったら、ご褒美、もらうぞ」
「え・・・」
「俺が満足するまで、抱かせてもらうからな」
繕の笑顔に、獰猛さを見つけて、春則は息を呑んだ。
指輪は凄く、嬉しい。それが今の気持ちだ。
しかし、だからといって、繕が満足するまで抱かれるとなると、話は別なのだ。
春則はそう思っても、口に出せなかった。
さっきお願いも聞いて貰った分もあって、今はなにを言っても勝ち目はなかった。
「・・・意識がなくなったら、止めろよ」
最後の抵抗のつもりで、言ったが、それは繕の不敵な笑みで消されてしまった。
指輪のことは、とても嬉しいのに、素直に喜べない複雑な気分のまま春則は繕の背中に手を回した。


fin



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