| 再確認 2 家に帰れたのは夜の八時を回っていた。 ヘアメイクのみの深津とは違い、航太郎は全てを見届けなければならないので最後までいなければならない。 さらに社に帰って雑務を終えて帰ると、この時間になってしまうのだ。 「ただいま」 そう言って我が家に帰ってきたものの、返事はない。 この時間だと、もう寝ているというのも考えられない。 玄関に靴はあったし、リビングに電気が付いているのでいないということも考えられない。 一緒に暮らし始めてから、もっと知るようになった深津はかなり几帳面なのだ。 仕事に対しても、生活に対しても、恋人に対しても。 いくら一緒に居ても慣れるということがない恋人は、二つ年下で30を超えているというにも関わらず綺麗という形容詞が似合う。 最初に見たときは、今より遥かに子供だった高校のとき。 入学式から目を付けて、誰にも捕られたくなくて自分のものにした。 その頃から危うい儚さを持った美しい顔の少年は、実はコンプレックスの塊でそんな自分が一番嫌いだったのだ。 何度も何度も想いを打ち明け、愛を押し入れ、航太郎自身で雁字搦めにしてしまった。 愛されることを学んだ少年は、まるで蕾から大輪の華が開くように輝き、航太郎にそれを見せた。 どうしようもなかった。 そうしたのは航太郎のくせに、焦燥と後悔で悩みもした。 深津がこんなに綺麗だと、他の誰にも教えるつもりはなかったのだ。 独りだけ知っていればよい。 そう思ったけれど、遅かった。 深津の笑顔は誰もが振り向き、手を伸ばした。 それは全て払ったし、深津もそれを取るつもりなどないようだった。 一日だって、深津を想わない日はない。 それは10年以上の歳月を一緒に居ても、未だに変わらなかった。 航太郎はリビングのテーブルの上を見て、魂が抜けるような溜息を吐いた。 指輪が、そこにあった。 自分の指に合う、それだ。 外したのは覚えていた。数日前、石灰で型を取る、という仕事上の必要性が出て、自ら手伝った。 その時、それを汚したくない、と外してポケットに入れた。 けれど、付けた記憶がない。 そのままにしてしまたのだ。 あまりにいつも付けているし、外すことがないため当たり前のようにあるものとして過ごしていた。 これは、自分の撒いた種だ。 航太郎はその指輪をきっちりと指にはめた。 ネクタイを解きながら寝室のドアを開ける。 そこに照明は点いておらず、梅雨のシーズンに珍しく雲のない空からの月明かりが、カーテンの開かれた窓から差し込んでいた。 奥側のベッド、航太郎のベッドの端に腰掛けその月を見上げていた深津が一度、振り返りまた視線を戻した。 明るいくらいの月のせいで、表情が良く分かる。 どうして拗ねた顔すら未だに可愛いんだ。 航太郎は自分のほうがどうにかしているのだろうか、と大きく息を吐き出す。 それまで見上げていた視線を深津は下ろし、ついでに肩も丸まってしまって、落ち込んでいるような背中になる。 「深津」 身体の奥からザワザワと抑えの効かない凶暴なものが膨れ上がった気がして、航太郎はそれを散らそうと低い声で呼んだ。 返事は、ない。 「深津、悪かった」 このペアリングを渡したとき、深津はいくらでも泣ける、と涙を流した。 心から溢れる歓喜が止まらないようだった。 それをまた、嬉しいと自分も思ったのだ。 このリングが、航太郎が考えている以上に深津が大事にしていると、良く分かっている。 「・・・何に謝っているんですか」 背中を向けたままの声が返ってくる。 「先輩はなにか悪いこと、したんですか」 「先輩」 その呼び方に、距離を感じた。 自分もかなり女々しく、情けないのかもしれない。 そして、傲慢だ。 そんな呼び方をされるのが、気にらない。 「深津、こっち向け」 「・・・・・・」 「深津」 航太郎は自分のベッドに肩膝を付き、無理やり深津の腕を取って振り返らせる。 そのまま強引に顎を取って顔を上げさせた。 しかし、視線は絡まらない。 航太郎は舌打ちをどうにか口にすることを抑え、 「指輪を、忘れていたわけじゃない。外したのは汚したくなかったからで、いつも付けているという慣れがあったから、もう一度つけるときには忘れていたんだ。それだけだ」 言い訳がましく思いながらも、一気に口にする。 「・・・・・」 深津の目が揺れた。 しかし、それだけだ。 何が気に入らない? まだ、何が足りない? 「深津」 自由を奪うように身体を少し揺らした。 言いたいことがあるなら、言って欲しい。 深津のことなら何でも知りたい。 几帳面な深津は、仕事のせいで家事のほとんどを押し付けているにも関わらず文句も言わずしてのける。 それに申し訳なく思っていても、深津は何も言わない。 なんでもないように笑う。 深津はそういうところが未だに昔と変わらない。 ますます綺麗になって、自信も付いたように見えても、どこか卑屈さを感じている。 航太郎のいないどこかで泣いて、航太郎に迷惑をかけなようにと航太郎の前だけは笑う。 そんなのは許せなかった。 何に喜び、何に憂い、何に悲しんでいるのか。その全てを知りたかった。 深津は俯かせた目に、下唇を少し噛んだ。 それからゆっくりと、口を開く。 「・・・・その、航さん・・・」 「俺?」 「し、しないし」 消えそうな声だったけれど、確かに航太郎の耳に届いた。 月明かりの中で、深津の耳までが赤い。 航太郎はその恥らう表情を見せつけられて、沸きあがった凶暴な感情をどうにか抑えることに成功した。 「航さん、しないじゃ・・・」 「抱いて良かったのか」 何をとも問わず、深津の声を遮った。 それに驚いた深津が自分から初めて航太郎へと視線を上げ、絡んだ視線を強く睨みつけた。 「よ、良かったって、そんな、今更、だって・・・どのくらい、してないと、」 「126日」 「え?」 瞬いて驚かせた目を、真剣に見下ろした。 「今日を入れれば、127日、だな」 その数字に深津が心から驚いた顔を見せる。 いったい航太郎をどう思っていたのだろう。 その驚きように航太郎は反対に視線を眇めた。 疲れた身体でベッドに倒れながら、いつも今日も出来なかった、と眠りに落ちた。 誘われればやぶさかではないが、しようとしまいと深津の表情は変わらず、むしろそれを壊したくなくて手を出せないままでいた。 疲れた身体では、自分を制御しきれないかもしれない。 航太郎の思いは、そこにあった。 厭だと言われようと、泣いて拒まれようと、航太郎は止めれると思えず理性を保てない疲れた身体ではしないようにしてきた。 深津の驚いた顔が、徐々に眉を顰めて拗ねたような顔になる。 「・・・・そ、そんなもの数えて・・・っなら、どうして、しないんですか・・・っ」 「して良かったのか、と訊いてるんだ」 「そんなの・・・っ」 俯かせた顔が、その首筋すらほんのりと染まって、航太郎はヤバイな、と感じた。 それを抑えようと、自分も口を開いた。 「最近、いや、かなり前からお前・・・厭だったんじゃないか?」 「・・・え?」 「・・・抱かれるの、厭になったんじゃないのか?」 「え・・・えっ?」 驚いた深津に、航太郎はこうなったら仕方ない、と自分の心を打ち明けることにした。 航太郎だって、その気にさせる術を知ってはいるが出来ない理由があったのだ。 踏みとどまらせる理由が、あったのだ。 「どれだけ優しくしても、お前は目を閉じて口を閉ざして、何かに我慢するようにしてただろう」 航太郎が、抱いていたのだ。 深津を好きで、深津が欲しくて、抱いていたのだ。 気付かないはずはない。 「・・・・あ」 深津はそれに自覚があったのか気付いたように視線を逸らす。 「だから、厭だったんだろう・・・お前を抱きたくないはずはないが、無理強いするのはどうしても・・・・・どうしても、出来なくて」 泣かれるのが辛い。 「もしかしてお前はもう、傍にいるだけで満足出来るのかもしれないと思って・・・」 自慰をした。 独りで、深津を想いながら、自分で誤魔化した。 男盛りのこの年に、精力が衰えるはずはない。 深津もそんなに違わないのだが、その容姿が、相変わらず黙っていれば儚さを見せるその表情が、そんなものないのではないかと錯覚させる。 「そんな・・・そんな、航さん・・・」 深津の手が今日初めて、航太郎に伸びた。 いつまでたっても細く、美しく、本当に30を超えているのだろうかと疑うほどの若さを見せる深津に、航太郎は目眩がしそうだった。 「僕は、いつでも、航さんなら・・・・」 そう告げるのが精一杯のように、深津は赤らめた顔を航太郎の胸に埋めた。 そこから伝わる熱を離したくなくて、航太郎は力いっぱい細い身体を抱きしめる。 「・・・・厭じゃない?」 「・・・・ないです。その、我慢・・・してたのは・・・」 「してたのは?」 「・・・・声を・・・」 「なに?」 思わぬ返答に航太郎は眉を寄せた。 腕の中で、恥じらいながら深津は正直に口を開く。 「声が、我慢・・・出来なくて、いつまでも、みっともなく、上げていては・・・」 「お前、そんな―――」 紅い唇が、綻ぶように動くのを航太郎は我慢出来なかった。 「・・・・んっ」 貪るように、それを奪った。 ベッドに押し倒し、軋むほど身体を抱きしめる。 呼吸が荒くなるまで口付けを交わし、どちらのとも分からない唾液で唇が濡れる。 「んっ・・・は、こ、航さ・・・っ」 「深津・・・・聴かせろよ」 「え、ん・・・っな、なに、航さん・・・っ」 唇から顎へ、首筋へと伝い舌を這わせる。 深津の身体がゾク、と震えたのが分かって、ますます止められないと気付く。 凶暴な何かが、航太郎の中にあってそれがもう、治まらない。 「声、いくらでも、出せ。聴かせろ。ずっと、俺だけしか聴いてない。ずっと、お前の声を聴いていたい」 「あ・・・んっ、で、でも・・・っ」 わざとヒクつくように、航太郎は指の先で深津の身体に悪戯のように仕掛ける。 「でもじゃない。もう、お前のことに関しては、我慢しない・・・俺の気が済むまで、抱かせてくれ」 泣き声が、聴きたい。 喘ぐ姿が、見たい。 欲しがる熱を、感じたい。 素直に自分を曝け出した航太郎に、もう深津は拒まなかった。 ただ言われるままに泣きながら、航太郎を受け入れるだけだった。 「・・・ごめんなさい」 小さく聴こえた声に、航太郎はやはり未だに執着が衰えないことを再確認したのだった。 |
fin.