| 再確認 1 深津―ミツ―はにっこりと笑った 航太郎―コウタロウ―は凍りついたように驚き固まった。 整った顔の深津が笑えば美しくあるが、航太郎には分かる。 その美しいだけの笑顔の下で氷点下に怒っていることを。 航太郎の傍にいた彼の同僚は深津を外見だけで捉え、今にも口笛を吹きそうだった。 「高校の後輩なんです」 深津はにっこりと答えた。 航太郎の同僚に会うのも、職場に来るのも初めてなのだ。 付き合い始めて14年。 一緒に暮らし始めて11年。 それでいて、今日初めてなのはひとえに航太郎が、 「来るな」 と言っていたからである。 ブライダル会社の営業企画である航太郎と、美容師の深津。 接点がないようでブライダルの場に美容師は必要不可欠なものだ。 事実、深津の師である奥 香都子―おくかつこ―は、ほぼ外の仕事に追われていて自分の店にあまり出られないほどなのだ。 これは奥が著名であるからに他ならないのだが、深津もよく奥に呼ばれ手伝いとして参加する。 けれど、その先が航太郎の仕事先であると分かると断っていた。 奥に航太郎との関係は伝えてある――知られてしまった――ので、理解はしてくれているが、深津としてはやはり来たかった。 航太郎が仕事をしている隣で、働いてみたかった。 しかし来なかったのは、 「仕事中ににやけてしまうだろ」 という航太郎の照れた顔のせいだ。 高校の頃から想いを寄せ合い、社会人になるとすぐに一緒になった。 航太郎を信用していたし、何よりとても好きだった。 それでも深津はここに来た。 航太郎に黙って、驚かすように。 笑顔の下にははっきりと怒りを込めて。 その理由は、数日前に遡る――― 洗濯カゴに突っ込まれたシャツを手に取ったときだった。 脱衣所兼洗面所でもあるそこで、床に何かが転がった。 その金属音に深津が床を見下ろすと、足元に落ちたと思われる指輪があった。 手に取っているのは航太郎のシャツだ。 深津は見覚えがあるどころか、指にこそ付けていないものの首にかけたチェーンに通し肌身離さず持ち歩いている自分のそれと、同じ指輪に暫く動けなかった。 「仕事で女避けになるから」 そう言って航太郎は常に指にはめていたはずだった。 深津が指にしない理由はひとつ、美容師という仕事の邪魔になるからだ。 けれど、忘れたことなどない。 離したこともない。 深津にとって、数年前の誕生日に貰ったペアのリングは何よりも大事なもので、付き合いが長い分、お互いの関係が平淡なものになろうとも変わらず想い続けているという証拠でもあった。 最近、身体を合わせてもいない。 以前は苦しくなるほどに思った口付けすらしていない。 同じ場所に帰り、仕事で疲れたからとすぐにベッドに入る。 ブライダルという業界にいるからか、航太郎はサービスではないけれど土日も潰れることが多い。 そして深津と言えば、家から自転車で10分の距離にある店舗は基本的に日曜、祝日が休日だ。 これは場所がオフィス街の中という理由だ。 一番込み合う時間が平日の夕方、仕事帰りに、どこかへ行く前に、と寄る客が多い。 しかし休日が暇なわけでもなく、師である奥に手が足りない、と呼び出される。 それでも、一ヶ月のうちで航太郎より休日が多いようになってしまう。 残業もあるはずもない。 結果、家事は分担しようと決めていたものの時間がある深津が多くしてしまう。 夕食を用意し待っていても航太郎の帰宅はいつも遅く、先に待ちつかれて寝てしまっていた。 朝は朝でバタバタとしていて落ち着いて会話をする暇がない。 そんな状況でも深津に不安は無かった。 今までに喧嘩もしたし、若い頃にはいろいろとあった。 けれど全て乗り越えて今に至る。 その自信のひとつが、このリングにあった。 傍にいることが当たり前で、空気のような存在に深津は愕然とした。 自分は今、航太郎にとって何なのか。 付き合いが長いだけで、航太郎の何もかもを知っているつもりで、世話をする。 航太郎には家政婦程度にしか思われていないのだろうか。 あの航太郎に限って、そんなことはない。 今まで一緒にいた時間を思えば、そんな不安など一蹴できるはずだ。 深津は大きく深呼吸して、自分には大きすぎる指輪を握り締めた。 たまたま、外してシャツに入れ、そのままだった、ということもある。 今夜帰ってくれば、忘れていた、と深津に言ってくるかもしれない。 こんな動揺は、どのくらいぶりなのだろうか。 安心しきっていたのかもしれない。 今でも、航太郎は誰もが見惚れるいい男だ。 34という年齢は、仕事盛りで油の乗ったときだろう。ブライダルという業種から、職場は女性が多い。 こんな苦いような嫉妬は、もうすることなどないだろうと思っていたのに。 深津は昔を思い出した。 昔から、航太郎はもてていた。 二つ年下の深津が、頼りにしていて憧れる先輩だった。 どんなに努力しても深津はひょろりと細く、筋肉が付くことがなかった。 だから尚更逞しくある航太郎に憧れた。 羨ましく妬むのを通り越したのは、航太郎の持前である明るく社交的な性格のせいだった。 男のくせに薄い身体で細い手足で、祖母譲りの色素の薄い髪。 男にしては多すぎる睫を持った瞳。 幼い頃は今よりもっと女の子のように見えて、深津は自分が一番嫌いだった。 そんなコンプレックスの塊だった深津に、先に告白してきたのは航太郎だ。 想いを打ち明けられ、自分にはない、敵わない力で抱きしめられ、深津は心のどこかで安堵した。 これが、欲しかったのだ。 航太郎がそれでいい、と言うから、深津はこの外見も好きになれた。 厭だった自分を好きになれた。 あの熱い想いを寄せ合い、気付けばそれが10年以上昔のことなのだ。 倦怠期。 そんな言葉は、自分たちには関係ないと思っていた。 その日、日付が変わる頃になって帰ってきた航太郎は、少し酔っていた。 外で飲んできたと言う。珍しく起きて待っていた深津に、疲れたのでシャ ワーだけ浴びてすぐに寝る、と言ってその通りにされた。 その指に、何もはまっていないのに本当に気付いてないのだろうか。 あの苦しいほどの想いは、もう航太郎にはないのだろうか。 深津は今でも、見苦しいほどに航太郎が好きだ。 寝室に二つ並べたベッドの片方へ倒れこむように航太郎が寝入ったのを見て、深津は深く息を吐いた。 思い返せば、今年になってバレンタインの夜、酔っ払った、と御座なりにしたセックスが最後だった。 深津としては、身体のどこかが触れているだけでも充分だったけれど、それにしても今は六月だ。 四ヶ月も身体を合わせていない。 深津はその事実に気付いて、驚いた。 仕事が忙しかったというのもあるが、気付かなかった自分に驚いた。 気付いてしまえば、もうどうしようもない。 身体が、疼く。 航太郎を知ってしまった身体が、熱い。 深津はこんな想いをするのは自分だけなのだろうか、と熱くなった目を伏せて、眉を寄せて零れるものを我慢した。 「航太郎にこんな後輩がいたなんて、コイツ全然教えてくれなかったぞ」 「秘密主義もいいとこだよな、航太郎は」 同僚二人が深津に笑いかけ、どうみても動揺している航太郎を詰る。 が、航太郎は視線を受けたことでどうにか自分を取り戻し、 「どうして、お前が? 今日も奥先生に頼んだはずじゃ――」 「ああ、親戚に急な葬式が出来たんです。それで僕が今日は、」 作ったわけではなく、事実だった。 それでも深津にその出来事は渡りに船、朝にかかってきた奥からの電話を勢い付いて受け入れた。 「先生の様にはいきませんが、精一杯しますので今日は宜しくお願いします」 こちらこそ、とにこやかに返してくれたのは航太郎の同僚だけだった。 深津は、自分の顔が武器になると自覚も出来てきた。 この顔に騙される人間が多い、とこれまでで学んできた。 付け入られるようにされることもないわけではないが、簡単な誘いには笑顔で強く振り切る自信だってある。 その笑顔が、嘘くさいと自分でも分かるし航太郎も知っていた。 今、その顔をしていると、航太郎には分かっているはずだ。 「航太郎、いっつも美味しいとこだけとってくんだよな、」 「そうそう、この間のコンパでもさ、ほとんど女の子持ってっちゃってさ」 「な・・・っ」 慌てたのはそう言われて指まで差された航太郎である。 しかし深津は何でもないように、 「もてるんですよね、昔から先輩は」 話に同意した。 言ってから、ひどく懐かしい言葉を口にした、と気付く。高校の頃、毎日 「先輩先輩」と言っていた。 それがいつからか名前になり、最近は「航さん」と略すことが多い。 「言い寄られるのが厭だなんつってさ、女避けに指輪とかして誤魔化して」 「それでも寄ってくるんだよなー、披露宴の客もスタッフも、もうコイツに釘付けで」 航太郎を話の種に話題を続ける同僚に、深津は笑顔で、 「指輪、してたんですか」 確認してみた。 「本命がいるって言いながら、全然紹介もしてくれなくて、だからホントにただの女避けだろって。ブランドのペアのヤツでさ」 「航太郎、どこのだっけ?」 「え・・・」 言われて航太郎は、自分の左手を見た。 そこには、何もはまっていなかった。 いつもし過ぎて指と同化したようなその存在がないことに、航太郎は今気付いたのだ。 「あれ? してないじゃん、」 「どこやったんだ?」 「え・・・っえっと、あれ?」 航太郎は気付いた。 そして動揺した。 深津がここにいる訳を。笑顔の理由を。 何より、笑顔の下の怒りに。 航太郎が次に何かを言う前に、深津の後ろから声がかかった。 「深津さぁーん! 花嫁さん入りましたぁ!」 通路の向こうから、控え室のドアから深津の助手として来ていた女の子が顔を出していた。 深津はそれを確認し、航太郎を含めた式の進行側の人間へ頭を下げた。 「じゃ、仕事入ります」 航太郎の同僚が、そしてその航太郎が、何かを言う前に深津は身体を翻していた。 |
to be continued...