天才のツクリカタ 前編 教訓 馬鹿な子ほど可愛い。 夏流は教務室の前で教師と向かい合い、珍しく顔を顰めた。 「頼むから、お前から言ってくれ」 一枚のプリントを開いて見せられ、教師は疲れきったように溜息を吐き、夏流も一緒に息を吐いた。 「俺も、自信ないですよ」 またもや、珍しく夏流は弱気な声を出した。 「頼む・・・どんなやり方でも構わないから」 その声に夏流はピクリと柳眉を上げ、 「・・・・本当に、いいんですね?」 「ああ、もうお前しかいないしな・・・」 教師は完全にお手上げだった。 どうにかなるなら、生徒にも縋るほどだ。そしてその相手の夏流はとりあえず信用のおける生徒だったのだ。 夏流は一つ頷いて、 「まぁ・・・なんとかしてみましょうか」 そのプリントを受け取り、頭の中で面白そうに笑った。 それも楽しそうだな、と落ち込んだ目の前の教師が聞いたら慌てるような内容を考えて、実行しようと決めたのだ。 * 校内は夏休み直後の体育祭を終えて、落ち着きを取り戻していた。学年対抗戦である体育祭は、当然の結果ながら優勝したのは三年だ。 その結果に振り回されながらも、日常を取り戻した校内では目の前の中間テストに向けて次は勉強へと意識が移る。 はずである。 テスト一週間前、部活も休みに入る。その、最終日。 部活を終えると、貴弘はその足で夏流の部屋に向かった。今日は、図書室ではなく部屋で待つと言われていたからだ。 「おじゃましまーす!」 といつものように上がり込み、夏流の用意していた夕食を食べ、試験前だから帰ろうかな、と貴弘が腰を上げたとき、夏流がそれを抑えた。 「なに?」 「家には連絡しておいた。お前は今日から、テストが終わるまでここに泊り込みだ」 「・・・・ふぇ?」 気の抜けたような声を出してしまったのは、あまりにいきなりだったからだ。貴弘は横に立つ夏流を見上げて、 「な・・・なんで?」 「これを読んでみろ」 目の前に広げられた一枚のプリント。それは今日、貴弘の担任教師から手渡されたものだった。 「数学小テスト、六点」 貴弘はそれをあっさりと口にした。もちろん、小テストとは言え百点満点のものだ。夏流は大きく息を吐き出し、 「・・・名前くらいしか合ってないじゃないか」 「そんなことない! ちゃんと計算問題あってるじゃん!」 プリントの最初に丸された部分を貴弘は指す。むきになって言ってみても、夏流は呆れた顔で、 「三点の計算が二つだけな。文章問題は全滅」 「それは・・・・・」 「名前の点数だろ、これは」 「・・・・・・・・」 貴弘には言い返せれなかった。視線も夏流から、プリントから外して彷徨う。 そのプリントにはっきりと書かれた「藤谷貴弘」の名前。 夏流はもう一度大きく息を吐いたが、貴弘はそれを恐る恐る見上げて、 「・・・なんで、それ夏流が持ってんの?」 「お前の担任に渡されたんだ、今日」 「なんで?」 「どうにかしてくれって」 「どうにか?」 夏流は貴弘の小さな頭を掴んで、 「この中身を、どうにかしろって」 軽く揺らした。貴弘はそれを嫌がって外し、 「なんだよ! いいじゃん、小テストくらい!」 「いいだと? それで済まされる点数か? お前のこの軽い脳みそは忘れているかもしれないがな、うちは一応進学校なんだよ」 「・・・・あー・・・そうだっけ?」 貴弘は綺麗に記憶から消していたが、この付属大学のつく私立校は進学校である。それでありながらスポーツにも秀でている。それゆえ、有名校なのだ。 「別にクラスの平均が下がるとかそんなんじゃなくな、担任はお前の先を心配してるんだ、それなのに担任が何を言ってもお前は気にしないらしいな?」 「そういえば・・・そんなことも」 言われたような、と貴弘は記憶を探る。夏流は目を細めて、 「入試もかなりの偏差値を要したはずだが? どうやって入ったんだ、お前」 貴弘は一瞬困った顔を見せて、それでも笑って見せた。 「えっと・・・・・そのときは、頑張ってみた」 「今も頑張れ。それを持続させてみろ!」 「だって・・・・」 「だって?」 上から見下ろされたままの貴弘は夏流から視線を外し、 「・・・・勉強嫌いなんだよ」 またあっさりと理由を口にした。夏流は頭を抱える。 勉強の嫌いな人間が進学校に来た理由が分からないのだ。 「なんでお前水都に入ろうと思ったんだ・・・」 「それは・・・その」 俯いたままで言葉を濁す貴弘に、夏流はまた視線をきつくして、 「なんだ?」 「・・・な、なんでもいいじゃん、夏流に関係ないよ!」 「・・・・・・ふうん?」 低い頷きだった。 頭上のその声を聞いて、貴弘は身体をびくりと揺らす。声のトーンがはっきりと変わったことに気付いたのだ。一瞬置いて、座ったままの椅子から立ち上がってみたが、やはり逃げられるはずもなく、簡単に夏流の腕の中に抑えられた。 背中から腕を回されて、 「・・・お前を、心配してるだけなんだけどな・・・?」 「・・・・・っ」 後ろから耳に直接囁かれる声に、貴弘は息を呑む。それだけで、その拘束から逃れようとしていた抵抗の力が緩む。 「心配するのが、迷惑か・・・?」 「ち、ちが・・・っ」 小さく首を振って、耳に触れる唇から逃れようとする。しかし熱い吐息と貴弘を押さえ込む低音からは逃げられない。 「勉強、出来るだろ・・・?」 「で、き・・・っだ、って、俺、しても、馬鹿だし・・・っ」 「お前が馬鹿かどうかは、俺が決める。少なくとも、教えればお前は出来るだろ・・・?勉強だけじゃなくて・・・アレも」 それが何を指すのか、思い浮かんでしまった貴弘は真っ赤になった顔を俯けて、 「あ・・・っだ、って、それは・・・っ」 「・・・それは?」 「夏、流が・・・っ」 「俺が?」 「や・・・っも、したく、ない・・・っ」 「・・・教えてやるよ」 何を、なのかは敢えて口にしなかった。 夏流の声に貴弘は泣きそうになりながら受け入れるしかなかった。 * いつもと生徒数が違う、と貴弘は驚いた。 テスト前の放課後、図書館に入った感想だった。まばらにしか埋まらない机が、いくつか空いているだけだ。大テーブルが並ぶ入り口側と、奥にある夏流がいつも使っている個人用に区切られた仕切りのある机。夏流の定位置はそこの中でも一番端、窓際に近い場所だ。 そこはいつも空いている。 夏流の席だからだ。 当然のようにそこに座る夏流と、椅子を寄せて貴弘が座る。 「・・・・多いね」 ぽつりと漏らした貴弘に、夏流は目を細めて、 「当然だろう? お前には縁のないところだろうが、ここは進学校なんだよ」 「・・・・・・」 再び念を押されるように言われて、貴弘は押し黙る。 その人の多い図書館を選んだのは貴弘だ。 昨日、あのままベッドに移動してしまった。そこで「関係ない」という貴弘の一言に静かに怒った夏流に散々に攻められて泣かされた。 家には本当に連絡が入っていて、それは担任からのもので兄も夏流に任せると言ってしまった。 つまり貴弘は夏流から逃れられなかった。あの部屋に二人きりでいることが、どうしても夏流がただ勉強だけをするとは思えなくて、貴弘は放課後はここでしたい、と言ったのだ。一応回りの目がある。 取り敢えずは勉強をしていれば夏流は何もしないはずだ。 すでに体育祭で一度衆人環視の前で口付けを見せ付けてしまっているのだが、あの密室にいると毎日ベッドに連れて行かれそうで貴弘はないとはっきり自分でも思う脳みそを使ってみたのだ。 「教科書開け」 低く言われて、貴弘は逆らえず取り出したそれを開いた。一番困難だと思われる、数学からである。 「範囲は?」 「えっと・・・この、付箋のとこからここまで」 丁寧に付箋にページ数まで書いてある。それを見て、 「・・・・これ、鹿内にしてもらったんだな?」 はっきりと夏流は言った。貴弘は素直に頷いて、 「うん、よく分かったなー」 「当然だろ・・・お前がどれくらい手間がかかるのか、よく分かった」 「どういう意味?」 眉を顰めた貴弘に、夏流はその教科書を覗き込んで幾つかに印をつけた。 「これの応用は必ず出る。ここの公式は頭に叩き込め。この問題もさらっておけ」 「・・・・なんで、分かるの?」 貴弘は不思議そうに、パラパラと教科書を捲っただけでポイントを書き込んだ夏流を覗き込んだ。 夏流は当たり前のように、 「解るから」 はっきり言ってのけた。夏流のその言葉で、貴弘は追及しないでおこうと決めて教科書に向かった。 ノートを広げて、印のついた箇所を読み込む。幾つか出ている問題を解いてみようと問題の数式をノートに写した。 が、そこで止まった。 ペンを持った手がノートの上で止まった意味を、夏流は正しく理解した。 「・・・・お前の脳みそ、入ってないんじゃないのか? 振ってみるか?」 「・・・あんた、俺にだって、人権くらいあるぞ」 珍しく貴弘は正しいような言葉を言ってみたが、冷たい視線にすぐに撥ね返された。 「ああそう」 「・・・・・・」 貴弘はそれ以上何も言えなくて、ただ再びノートに向かった。すると横からいつも以上に低い声で、 「・・・そのまま、公式を当てはめてみろよ」 「・・・・っ」 耳に吹き込まれて、貴弘はびくっと身体を除けた。赤い顔で夏流を見ると、 「大きな声出せないだろ、どこだと思ってるんだ」 言われればその通りなのだが、その声はただ潜めただけの声ではない。貴弘はにらみ返しながらも大人しく机に向かって、言われた通りのことをしようとペンを滑らせるが、寄りかかって手元を覗き込んだ夏流の手が、机の下の貴弘の膝に伸びる。 びく、と反応したのは夏流にも解ったはずだ。しかし置いた手はそのままで、 「・・・計算問題だろ? 解けよ・・・」 「・・・っな、つるっ」 押し殺した声で、すぐ隣の夏流を睨んだ。夏流の手がゆっくりと内股に移動して、隠れたそこをなぞりあげる。意志を持った動きと、その押し込まれる声に貴弘は唇を噛み目尻に涙が浮かぶ。その目に睨まれて夏流は楽しそうに、 「・・・だから、公式のままだろ、まだ・・・」 「・・・っ、」 指が微かに中心まで伸びる。圧力がかかる触りかたではない。ただ制服の生地の上を、ゆっくりと手が這っているだけだ。しかし貴弘の身体は知らず震える。 もっと強い刺激が欲しい。 でもそんなことが貴弘に言えるはずはない。止めて欲しいと願うだけだ。 「な、なつる・・・っ」 擦れた声で頼むように見ても、夏流は止めるつもりもなくそれどころか一層笑って、 「・・・どうした? まだ、解らないのか・・・?」 「・・・っウルサイ夏流!」 思わず貴弘は大声を上げた。それで、身体の中に湧き上がる感情をどこかに吹き飛ばしたかったのだ。 しかし、返ってきたのは周囲からの視線だけだ。 静かな図書館で隅々まで響いた貴弘の声に、誰もが驚きそして少し冷たい視線を向けた。 「あ・・・・ご、ごめんなさい」 思わず貴弘が声を落として謝ると、それぞれに周囲も視線を戻す。貴弘は少しほっとして隣りを見れば夏流は俯き肩を震わせている。 「・・・・夏流っ」 笑っているのだ。 小さく、しかしきつい声で名前を呼ぶと、夏流は笑ったまま顔を上げて、 「・・・どうする? 帰るか? それとも、ここで続けるか?」 揶揄った声で訊いてきた。 貴弘は無言で頭を抱えたくなった。それが狙いなのだ、とそのとき解ったからだ。 「・・・も、ちゃんと、勉強するから・・・」 貴弘は本気で覚えようと心に決めた。 そうしなければ、いつまでたっても遊ばれるだけなのだ。 |
to be continued...