カウンターの秘密 *500000HIT企画 オールキャスト番外編





月末。
秋から冬に季節が変わるその日。
午前中の講義を終えて、夕方から仕込みの出勤。
在庫チェックと飲み物の補充、シフトの確認。予約をチェックして立見は制服に着替える。
クリーニングから上がったシャツ、黒いスラックスに同系のダブリエ。ホールに出るときは黒の光沢があるベスト。シャツの襟は胸元が大きく開いていてそこへ何をつけるかは個人の自由。立見はベストとダブリエを掴んでホールへと出た。
テーブルと店内チェックをしていると眠たそうな顔で克が現れる。
「・・・はよ」
ダブリエを肩にかけ、シャツの前を止めながら欠伸ついでの挨拶に立見は呆れた顔で、
「・・・そのダラシナイ格好、牡丹に見せてやりてぇよ」
言いつけるぞ、と付け加えると克はカウンタに入りながら人の悪い笑みで、
「どうぞ? 信じないからね」
牡丹はどうしてこんな男を信用しているのか。菊菜でなくても、付き合いの長い立見ですら不思議だ。
「店長は?」
「九時にはくるだろ」
店長である昭吾はすでに息子の立見が仕事のほとんどを任せられるようになると、今日のように立見に押し付け遅くなることが多い。
「出来の良い息子をもって幸せだねぇ」
感情のない言葉に立見はジロリ、とカウンタを睨みつけ、それからお互いに仕事を始めた。
午後六時半には遅番のスタッフ以外が揃い、いつものミーティングに入る。
ここを仕切るのも、すでに立見だ。
「予約は三件、七時半と八時、九時。七時半の客は俺が。あとは前野さんと水嶋さん、宜しくお願いします」
立見が指名したのはこの店でも古株の二人だ。頷き返されたのを確認し、ミーティング終了。


 午後七時  レストランバー 「ブルービィ」 オープン


平日の夜だが、客足はあった。すでに三件の客が店内に散らばる。
入り口は半地下だけれど、天井は普通の一階の高さとほぼ同じ。L字型の店内と間を充分に空けてあるテーブル。椅子は不揃いの大きなソファタイプが多い。そのせいで本格的なコースより、アルコールと単品のほうがよく出回る。
料理はフレンチからイタリアン、注文されればアジア料理も用意できる、つまり雑食だ。料理長が昭吾の友人で少し変わった男なので、思いつけばどんな料理でも出てくる。
立見は予約時間をほんの少し過ぎてから現れた客に軽い会釈をした。
「いらっしゃいませ」
気取らないスーツが似合いすぎる相手は確かに立見と同い年のはずだった。けれどその容貌と態度がまるで大学生には見えない。堂々とこの店で仕切る立見も実は似たようなものだった。
同属嫌悪にならない似たもの同士。
この相手とは顔見知りだ。予約も直接立見が受けて、テーブルはあまり目立たない最奥希望。
料理はお任せ、アルコールは飲みやすく、酔い易い。
また酷い男だと思うような注文を付けてきた客の連れに視線を移す。
気付かれない程度に、立見は目を瞠った。
これはこれは。
同じようにノータイのスーツ姿だけれど、頭ひとつ分小さな相手は完全にデザインスーツ。シルエットを完璧に現すために細かな切り替え、そしてさり気ないアクセント。店内を珍しそうに見渡す、少し幼い顔に少し赤らんだ頬。濡れた目はすでに艶を含んでいる。
「いい趣味だな」
ご案内します、と立見は前に進み出た瞬間に相手にだけ聴こえるように呟いた。もちろん、聴こえていたのか当然のような笑みが返ってきただけだ。
指示通り、奥のソファテーブルへと促し、その角へ対角になるように落ち着いたのを確認し、立見はテーブルの前に膝を付いた。
「ご予約のほかに、ご注文は?」
傅いた立見に驚いた顔をする少年のような相手に、思わず笑みを返してしまった。
まったく、可愛いものだ。
どこで見つけてくるんだろうな、この男は。
サービス用の笑みの中に呆れたものを混ぜたのを、相手はちゃんと受け取ったようだ。
一流のモデルも霞むようなこの男は夏流。知り合いの知り合いくらいのはずだったけれど、なんとなく付き合いが続いている。
結局、似た者同士なのかもしれない。
「前菜をあっさりしたものに。あと、最後にドルチェ」
「畏まりました。そちらのお客様は」
立見は夏流から相手へ視線を移し、頬の染まった顔をじっくりと観察する。しかし笑顔で、
「お顔が赤いようですが、店内の空調が暑いでしょうか? お下げしましょうか」
外はコートが必要なはずだけれど、この二人はそのままの格好で来店した。きっと、夏流の車でそのまま駐車場から来たのだろう。意外に面倒くさがりな夏流らしいところだ。
立見の気遣いに、相手はもっと頬を染めて、
「あ、いや! これは、別に・・・っ」
手の甲で顔を隠すように俯き、訳を知っているのか夏流が隣でクツクツと笑うのを、そこからじろり、と睨んでいた。
原因がこの男なのだろう。
立見は笑って流してやることにした。
「では、まずお飲み物を」
言って、立見はカウンタに足を向ける。
カウンタにいる克へ、
「奥のテーブル、例のやつ出してくれ」
「了解・・・って、あれ夏流だろう? こんなもの飲ませるなんて・・・いったいどうするつもりなのか」
言いながらも楽しそうに用意した克へ、立見も客用ではなく笑って見せた。
「楽しむつもりなんだろう」
トレイに載せたそれを運び、テーブルへ置くと夏流に飲んでみろよ、と促された相手が少し戸惑いを見せる。
「・・・でも、これ、酒じゃないのかよ」
「アルコールは、入っているだろうな」
「・・・・・夏流!」
「お前でも飲める」
揶揄うような夏流に、それを睨みつける少年。立見は思わず笑って、
「口当たりの甘い、飲みやすいものです。どうぞお客様も」
「・・・あ、うん、はい」
傅いた立見から言われたことに動揺しながら、それを口へ運んだのを見て、立見は酷い男だよな、と夏流を笑った。
後は何点か料理を運び、ここはそっとしておいたほうが良いだろう。夏流が好きなようにやる。
そのうちに、時間は過ぎ、九時の予約客が来る前に夏流は立ち上がった。
席で精算を済ませ、辞去する夏流の隣を歩く少年の足取りはすでに危うい。顔は赤いというよりほのかに染まり、入って来たときよりもさらに色を増して見える。ドアで見送る立見の前で、その少年がふらりと足元を揺らし夏流に腰を抱かれてその胸へ倒れ込む。
「・・・悪い男だな」
立見が何を言っても、もう聴こえてないだろう。客相手ではない笑みで夏流を睨むと、
「お前が勧めたんだ」
夏流も同じような笑みを返し、そのまま少年を連れて退店。
それと入れ違いに二人連れの客。ついでに立見が案内をした。
初めて見る客だ。一人はまだ若い。ネクタイを締めたスーツを着ているけれど、実際はもっと砕けた格好のほうが似合うはずだ。もう片方はどこか儚げさのある艶を見せる表情をする男。こちらもスーツ姿だったけれど、表情に含んだ憂いと同じようにすこしくたびれている。
この男のほうが、かなりの年上だな。
立見は綺麗な顔が珍しそうに店内を見渡し、隣の若い相手に視線が戻るのをじっと見つめていた。
「・・・お前が見つけてきたのか?」
視線を向けられたことが嬉しくて仕方ないように、尻尾があったら振り切れそうなほど振っているだろう、と立見にも解るほどの笑顔で、
「会社で教えてもらったんだけど、皇紀さん、こういうとこ好きだろ?」
もっと褒めて、と言わんばかりの男に皇紀と呼ばれた相手は、
「恭司、お前のお祝いなんだろう? 俺の好きなところにきてどうする」
「だって、俺、皇紀さんに喜んでもらうのが、一番嬉しいもん」
「・・・・・もん、とか使うな、社会人だろう」
「はーい」
「のばすな!」
目の前で繰り広げられた会話に、立見は思わず笑みを零し、
「ご案内します」
店内を促した。
この、皇紀とかいう年上の男は、甘い。甘えをすぐに出せる恭司という存在が、かなり大事なのだろう。
立見は思わず、いつもなら頼まれるまで開けておく席へ、今まで夏流がいた場所へと勧めた。
あまり、周囲の視線を感じないほうが、この皇紀という男は素直になれると直感だった。
同じように傅いた立見に、メニューを開いて恭司と呼ばれた男が幾つか選び出す。
それはどれも辛口のワインに合うようなさっぱりとしたもので、注文を聞いた皇紀が、
「・・・だから、お前のお祝いだって言っているだろう? 俺の好きなものを頼んでどうする」
立見が見ても、この恭司という男はもっとがっつりとしたものを口にしたいだろう。恭司はそれに嬉しそうに、
「だってさぁ、俺のお祝いっつっても、初ボーナスじゃん。それを俺は、皇紀さんのために使いたいの。ぱーっと使ってしまいてぇの」
だからこの選択に間違いなどない、と言い切る。言われた皇紀は憂いを映した顔をはっきりと赤らめて、拳を握り締め震わせた。
きっと、人前でなければ思い切りそれを振り上げていただろう。
それに慣れているのか、恭司が立見へ、
「それでいいよ」
と用意するように笑って、皇紀の講義など一切受け付けないように打ち切る。
立見は零れるように笑みを零し、
「畏まりました」
皇紀が何か言おうとしたのを振り切って注文を厨房へと流した。
面白い客だ。ああいう年上なら、立見も手を出してしまうかもしれない。
何度か足を運ぶと、疲れもあるのか皇紀のほうに酔いが回って見える。ソファに身体を預けるように倒れ込んだのを、恭司の腕が引き寄せる。恭司の肩へと頭を乗せても、何も言わないところを見るとかなり酔っているのかもしれない。
「皇紀さん、もう、無理? 駄目?」
「・・・ん、ご、めん・・・」
その表情は憂いに艶を含み、すぐにでも手を出しそうだ。恭司はそれに嬉しそうに笑って、控えていた立見に視線を向ける。
「悪い、タクシー呼んで」
立見はすぐに手配した。
年下の男にしな垂れかかるようになって退店する二人を見送ると、すでに時間は十時になる。
立見はそのまま奥へ入りベストを脱いでカウンタへ入った。そのときにチラリと厨房の隅で店
長の昭吾が料理長と話しこんでいるのを確認。
重役出勤だな、と呆れながらも放っておいた。
奥で克がシェーカーからカクテルを振り切り、ウエイターに渡した時点で、
「お疲れ、交代」
「ああ、悪いな」
克は今日は早上がりだ。これから何をしに行くのか聞いてはいないが、にやけた顔を見せる限り想像は簡単だ。あえて聞かないことにした。
「じゃ、お先に」
「ああ」
軽い言葉だけで克は奥へと消える。
立見は手首まできっちり下ろしていた袖を肘まで捲り上げ、克の使っていたカウンタを確認する。
お互い、同じくらいからここでバイトを始めたので癖や配置は似通っていた。それを確認し、自分の仕入れたアルコールの内容を思い返しているとカウンタへ二人組みが座る。
一人は顔見知り。もう一人は初めてだけれど一度見たら忘れられないだろうほどの、美形。
まったく今日は趣味の良い客が続く。
「こんばんは」
気品溢れるハイソサエティな男の笑顔は相変わらずうそ臭い。けれど立見もサービス用の顔で受け答えた。
「いらっしゃいませ、関様」
カウンタへ座った二人へ、立見は温かいお絞りを開いて差し出す。
「先日、宮一様が奥様とお見えになられましたよ」
注文を受ける前に、障りない会話を口にした。立見の背後に並ぶ、酒瓶を珍しそうに眺めていた綺麗すぎる美形の男は、笑って受けた隣へ訝しんだ顔を向けた。
知らないのだろうか。
立見がそう思っても気にしないでいると、笑顔を崩さない男が相手へ蕩けるような笑顔を向ける。
おっと、これは・・・本命か。
「兄貴だよ」
その柔らかな笑顔は初めて見る。
ここへ今まで連れてこなかった理由も、なんとなく解る。
「兄貴? って、央二の?」
資産家の関家兄弟はかなり名が通っている。この、整った顔のせいだ。兄の宮一が確か父親の跡を継いでいるはずだ。この弟の央二は、まだ大学生だけれどそれの手伝いをしているらしい。
立見の情報はそんなものだ。
それ以外に、興味がないのが大きい。
大きな目を瞬かせた相手に、
「そう、兄貴のところはね、子供を放って出歩くくらい仲が良いんだ」
「・・・・あ、そう」
笑顔で答えたのに、訊いたはずの相手は白けた様に視線を外した。
「姫也・・・拗ねたの?」
「ば・・・っ」
笑顔で言われた、姫也と呼ばれた綺麗すぎる相手は表情がよく変わる。驚いた顔で、恥ずかしさを表したそれは肯定しているようなものだ。
「何言ってんだ! ばっかじゃねぇの、なんで俺が!」
「兄貴のこととか・・・俺の家族、紹介したことないし」
「なんで俺が紹介されなきゃなんねぇんだよ! お前の変態家族なんか一生知りたくない!!」
顔は、恐ろしく整っているのだけれど、この姫也という男はあまり口を開かないほうがいいかもしれない。
立見の趣味としては、しかしこういう気の強いほうが好みだ。こういう相手を組み敷くのが堪らなく楽しい。同類と思いたくないけれど、この央二も同じかもしれない。
「変態家族って・・・それ、俺も入っているの?」
「お前が筆頭だ!」
何を思い出したのか、姫也という男の顔が赤い。
しかし立見もまったくそれに同意見だ。金持ちという人種はタチが悪い。
足蹴に言われたにも関わらず、表情に変化も見られないものおかしい。その笑顔のままで、
「俺はダブル、こっちには、とろっとろになるくらい甘いものがいいな」
「なんだそれ!」
ふざけたことを言うな、とその隣で講義しても、立見は言われたとおりに受ける。
「畏まりました」
「こら央二! どーいうサケだよっ今日はお前がおごってくれるっていうから・・・」
「そうだよ、今日もこれからも、ずっと俺が一緒に飲むから、もう他の相手と飲まないで」
「な・・・っなんで」
「飲んで色っぽくなった姫也を、他の人間に見せたくないから」
「あ・・・っあのな! 俺はそんな隙なんて見せないし・・・」
「そう? そうかな? それなのに、この間は気付けばホテルだったんだよね?」
笑顔で言われるほど、怖いものはないこの言葉に姫也も漏れず言葉を詰まらせる。
「・・・っあ、あれは、ちょっと、総司と一緒だったから気を抜いて・・・」
「気を抜いて? そう。気を抜いたら、姫也は誰とでもあんなところに行っちゃうんだね?俺がいるというのに、他の人間にも可愛い顔を見せるんだ?」
「あ・・・っあのな! そんなわけ、ないだろ! いつもはちゃんと・・・っ」
「いつも? いつも、誰と飲んでるの」
「誰って・・・そんなの、俺にだって付き合いが・・・」
「誰?」
「央二に関係ないだろ?! お前こそ、大学の女たちとよく一緒にいるだろうが!」
「・・・つまり、姫也もそんな女の子と一緒にいるんだ? それで女の子に襲われたりするんだ」
「・・・・・・んなわけ、ねぇだろ・・・!」
「今の女の子は侮れないからね。どんな手を使うか解らないし・・・危ないな、やっぱり、鎖で繋いでおこうかな」
「おま・・・っお前なっそんなこと二度としてみろ! 絶対赦さねぇからなっ」
「姫也の赦しなんかいらないよ? 閉じ込めておけばいいんだからね」
真っ赤になりながらも姫也は強く央二を睨み付けて、
「・・・・そんなことするなら、二度とお前なんか呼ばない。何度抱かれようと、央二には応えない」
「・・・・・・・」
カウンタの目の前で繰り広げられた痴話喧嘩に、立見は揺らぐこともなく聞き流してその目の前にグラスを置いた。央二の前には言われたロックグラスを。姫也の前にはカクテルを。
央二から視線を外し、顔を背けて黙る姫也を央二は暫く見つめ、降参、というように溜息を吐いた。
「・・・ごめん、俺が悪かった。もう、言わないから」
「・・・・・」
「ごめん、姫也・・・俺を捨てないで・・・?」
隣の姫也の腰を抱き寄せて、耳元で囁く。
情けない言葉のはずが、恐ろしく腰へ響く声のせいでカウンタの中から見ている立見にも解るほど姫也の身体が揺れる。
「姫也・・・」
止めのようにもう一度囁く。その央二に姫也は染まった顔を誤魔化すように目の前に置かれたカクテルへ手を伸ばした。
「・・・も、いいから、離れろ!」
それをそのまま口へ放り込むように呷る。飲み込んでから、その味を確かめるように空になったグラスを見つめた。それからカウンタの中にいる立見を初めて見つめる。
「・・・甘いでしょう? お気に召しましたでしょうか?」
「・・・・・・う、ん」
戸惑いながらも、口当たりは悪くないはずだ。
夏流が予約していたあのアルコールが、残っていたのを思い出したのだ。
「もう一杯、いかがですか?」
「・・・うん、貰う」
「畏まりました」
立見は素早くシェーカーを取り三種類のリキュールとソーダを放り込んだ。その手つきを賞賛を隠せない目で見つめる姫也と、その隣で人の悪い笑みを浮かべる央二。
立見はだからこの男は信用できない、と苦笑を隠した。
それからは他の注文が入り立見は忙しく立ち回る。その目の前で、央二と姫也の見た目は眼福になる二人組みはしばらくイヌも食わないような会話を繰り返して、姫也に酔いが回ったな、と思う頃央二が腰を上げた。
「姫也、立てる?」
「・・・た、立てる、よ」
「・・・・抱いていってあげようか・・・?」
ふらり、と身体を央二へ傾けながらも、姫也は征服したくなるようなきつい顔で睨み付けて、
「そんな、こと、したら、ゆるさないからな!」
言葉がゆっくりになっているのにも気付いていないのだろう。
央二は苦笑して抱きかかえるのは諦めた。しかし、腰に回した手には姫也は気付いていないようだ。
カウンタを離れるときに、央二が目だけでお礼を言ったのを受けて、立見はまた加担してしまった、と自分にも呆れた。
しかし、まぁいいか、とそれもすぐに忘れることにした。
時計の針は十二時になろうとしていた。これからの客層は、二件目に訪れる人間が多い。つまり、すでに一度は飲んでいる客だ。
ホールからの注文を程なくこなし、しばらくしてカウンタへ訪れた客に立見は笑顔が零れる。
「いらっしゃいませ」
かなり年上のはずだ。
けれど、立見が気に入っている相手だった。話していて、お世辞でなく厭ではない。同じ空間で飲むならこの相手がいいな、と思っていた。
「こんばんは、立見くん」
相変わらず綺麗な顔に似合ったお洒落な格好だ。しかし、その連れは初めて見る。いつも一緒にいる相手とは少し違う雰囲気だ。
表情はなく、身につけているスーツをまるでそれ以外は想像できないほどに着こなしていた。
どう見てもエリートビジネスマン。芸術系の相手からはどうも接点が見当たらない。
けれど、立見はそんなことは表情には一切出さず、
「お久しぶりですね、春則さん」
以前来たのは、一ヶ月ほど前だったはずだ。そのときも二人連れだったけれどその相手とはがらりと雰囲気が違う。
カウンタのスツールは四つ。
誰かが座れば他の客は滅多に寄り付かない場所だ。二人きりで飲むには良い場所だった。
春則は隣のスーツを着た男を促し座り、
「繕、さっき言ってた最近のオススメバーって、ここ」
嬉しそうに笑う。
それだけで、立見にはこの繕と呼ばれた男が春則にとってどんな相手なのかが解ってしまう。
解りやすいところが、また春則の良いところだ。
隣のスツールに座りながら、
「・・・誰に、教えてもらったんだ」
声は想像より低く、女なら一発で落ちるな、と思うほど良い声だ。その仕草もかなり色気が漂う。大人の、男だった。
春則は少し戸惑いを見せながらも、
「あ・・・えっと、雑誌か・・・なんかだった、かな?」
ふい、と視線を外す。それを追いかけるように繕は、
「・・・クサレホストじゃないだろうな」
「い、いや! 違うって、譲二じゃないって!」
「本当に?」
「・・・・・う、え、あ、うん」
煮え切らない返事をする春則に立見は苦笑してしまいながら、素早く用意した琥珀色のアルコールをグラスへ注ぎ繕の前へ出した。
注文もなく差し出されたそれに、繕と春則からも驚いた顔が向けられた。
立見はサービス用の笑顔で、
「クサレホスト様より、春則さんがスーツの似合う男性を連れてこられたら一杯ご用意するように承っております」
「・・・・・・・」
繕は視線を凍らせて、立見から隣の春則へと向ける。きっとその背中に冷や汗を掻いているだろう春則は、その綺麗な顔を固まらせて、
「・・・っちょ、ちょっと! 立見くん酷いだろ・・・っ」
縋るようにカウンタに乗り出した。立見は笑顔で、
「すみません、こちらの方以上にスーツが似合われる方がいらっしゃるとも思えませんでしたので」
暗に、これまでも春則がここへ誰かと一緒に来たことがあると含めた。どうやら立見の思ったとおり、繕という男は勘が良い。
撫で付けた髪の間から見える額に、くっきりと筋が見えそうだった。
「・・・春則」
身体を背けて、繕から少しでも逃れようとしていた春則はその低い声に観念したのか、ゆっくりとスツールを回すように身体を向けた。しかし、その顔は伏せたままで視線は合わせられないようだ。
繕は大きく溜息を吐き出し、
「・・・どうして、俺は仙台から帰ってくるたびにこんな想いを押し付けられなければならない?」
「・・・いや、来るたびって、俺はそんな・・・」
「確かに、お前は俺以上に遊びなれているだろうが」
「待て! 待て待て! それは聞き捨てならない! それはお前のほうだろう!」
「俺は毎日仕事しかしていない」
「俺は・・・っ」
仕事だけしているとは言えないようだ。
春則は言葉を詰まらせて、上げた顔をもう一度伏せた。
繕は躊躇うこともなく、その用意されたグラスに手を伸ばす。
「・・・・」
口に含んでから、確かめるようにそれを見つめた。
立見はそれに笑った。口に合ったのだろう。かなり、酒好きには好まれるものだ。
「伝言です。二杯目は、おごりじゃない」
立見は忠実に言われた言葉を口にした。
それに繕は顔をしっかりと顰めて、
「・・・次にそのホストが来たら、同じものを出しておいてくれ」
「畏まりました」
その会話を隣で俯いたまま聞いていた春則は、漸く顔を上げて、
「・・・俺は、遊んでるけど、本当にそれは、遊んでるだけで・・・友達と、飲むくらいだし・・・」
たどたどしい言い訳に、立見は吹き出してしまうのを必死で耐えた。
まったく、こういうところが堪らなく可愛い。
それは繕も思うところなのか、その表情にすでに怒りは見えない。すでに赦してしまっている感情に呆れたのか溜息を吐いて、
「お前が遊んでいることを責めているわけじゃない。それが、お前の気質でそれをお前から奪うつもりなどない」
「・・・・繕」
「・・・・なんだ」
「ごめん」
「謝罪なら、他の形で示してくれ」
「・・・・・・・」
何を意味しているのか、春則には解ったのだろう。カウンタに肘を突き、その手の上に紅くなった顔を乗せた。
「・・・変態」
「お互い様だ」
あっさりと繕は返し、カウンタの中の立見に空いたグラスを見せてお代わりを頼んだ。春則がかなり強いことは知っているので、立見は迷うことなくいつものものを用意する。
言葉少なな二人の空気に、立見は暫く付き合うことになる。
悪くない。
この時間になると落ち着いた客が多い。ゆったりとした時間を過ごし、閉店が近い頃には誰に言われるまでもなく店内に散らばっていた客たちも帰り始めた。


 午前二時 レストランバー 「ブルービィ」 クローズ


後片付けを終えた立見が店を出る頃、カウンタに父親である昭吾が立った。
今日一日ほとんどを立見に押し付けたのだ。
「先に帰るからな」
「ああ」
戸締りは任せるつもりだった。
こういう日、昭吾は家に帰ってこない。それが解っているから立見はそのまま昭吾がそこで誰を迎えようとも気にしないでいた。
この淡白な関係が、この親子の繋がりなのだ。
流れていたタクシーを拾って家に帰る。2メータに掛かるくらいなので、立見はいつもタクシーを使ってしまう。
暗い家の中へ入り、玄関で靴を見て思わず顔が緩む。
そのまま二階へ上がり、自分の部屋のドアを開けた。
冴えた夜は、月明かりが眩しい。カーテンを開けたままの部屋は充分に見渡せた。
立見は苦笑してしまい、部屋の中へ足を踏み入れる。
窓の側にある大きなベッドの上で、小さく丸まった相手がいる。
寒くなったのか、片付けずにベッドに放り出していた立見のジャケットに包まり、手元には写真集のような大きな本が広げられていた。
これを月明かりで見て、そのまま眠ってしまったのだろう。
その顔は「お姫様」と変わらず呼ばれるに相応しく可愛らしい寝顔だ。
立見は足音もなく近づいて、額を覆う柔らかな髪をかき上げその顔を確かめた。
「・・・ん・・・」
それに少し眉を顰めた相手、菊菜は身動ぎをして小さく口を開く。
しかし何を言うでもなく聴こえる整った寝息に、立見は抑えられない自分に気付く。
今日は中てられっぱなしだったしな。
仕方ない。ここにいるお前が悪い。
立見は克のことなど言えないような人の悪い笑みを浮かべて、その細い肢体へ手を伸ばした。
「しようぜ、菊菜」
吐息と一緒に、その耳へ直接送り込む。
「・・・んっ」
びくりと震えた身体に、明日は休ませよう、と勝手に決めた。
立見の夜は、これからだった。


fin



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