可愛いペットの遊び方 *ブログ4周年企画




クビだな。
フロントのカウンタ内に立つ早峰 修太郎はチラリと時計を確認してそう思った。
勤め始めて一ヶ月になる新入社員に対する決断だった。
隣に立つ女性社員も少し時計を気にしているのを見て、同じことを思っているのだろうと修太郎は気付いた。
本当ならば、交代が来て彼女は終業している時刻なのだ。
午後三時を回り、サラリーマンが多く利用するビジネスホテルもチェックインで慌ただしくなる。
出張中の会社員や宿代を安くしようとする観光客などが見え、もうしばらく女性社員には残業してもらって修太郎は業務に集中した。
そこから30分ほど経ち、フロントの奥の事務所からホテルの制服を着た男が一人出てくる。
修太郎がその姿を一度見ると、顔を下げずに頭を下げた。
そのまま女性社員の隣に立ち、ごった返す客の相手を始める。
1時間もするとピークは過ぎ、もう一人交代要員が来て修太郎は残業してくれた女性社員と一緒にフロントを下がった。
事務所に入ると、修太郎は誰ともなく口を開く。
「遅刻の理由を聞いたか?」
事務員が二人いたけれど、曖昧に首を振るだけだった。
隠すことなく修太郎は舌打ちをし、残業してくれた女性社員を労う。
「悪かったな、業務整理はいいから今日はもう上がってくれ」
「はい、お先に失礼します・・・マネージャー」
挨拶をしつつ、女性社員が修太郎を引き留めた。
修太郎は解かってる、と頷いただけだ。
「連絡もない遅刻は許さん。処分を上に伝える」
修太郎はその通りにその足で、事務所を出て従業員通路を早足で歩いて行った。



修太郎の働くホテルはビジネス街の駅近くにある。
全国に展開するホテルチェーンのひとつであり、そのトップにあるのは長野に本館を構える老舗旅館だった。
しかし同じ系列とはいえ、ここと本館では集客目的が違った。
ビジネスホテルという名の通り、素泊まりが多いビジネスマンを対象にしたホテルが修太郎の勤める場所だった。
このホテルでフロントマネージャーになり、3年目を迎えていた。
修太郎は一般的より整った顔立ちをしていて、黙って笑っていれば芸能人にも劣らない風貌だった。
しかし仕事人間であると知れ渡っている修太郎が表情を崩すのは客の前に立った時だけである。
それ以外は「冷徹」という言葉がぴったりの鋭い視線を放つマネージャーだ。
敬遠されがちな人間ではあるが、仕事が出来て部下の面倒見も良いので修太郎の評価はホテル内で誰よりも高かった。
そして職場の誰にも知られてないことだが、修太郎はスーツを着た男が何よりも好みな男だった。
勤務先をこのホテルにしたのも、スーツ姿を見る機会が一番多いと思ったからだ。
表情には出さないものの、毎日至福の時を過ごしているというのに、今日の機嫌は最高潮に悪かった。
修太郎は時間が守れない人間が大嫌いなのだ。
遅刻は他人の時間も無条件に奪うことであり、一番許せないものだった。
その不機嫌さを隠しもしないで通路を行くと、丁度向かい側から年嵩の男と出会う。
このホテルの副支配人だ。
「ちょうど良かった、副支配人、葛西のことですが」
「なにかね?」
副支配人はいつも態度だけは不遜で、長いものに巻かれるだけが能だと修太郎は常々思っていた。
そしてその態度を隠すこともなく、少し下の視線を見下ろし冷たい言葉を吐く。
「今日で5回目の遅刻です。連絡もなく理由もない遅刻は処罰の対象になります。即刻解雇してください」
「そんな、いきなりそれは・・・厳しすぎるんじゃないかね? 葛西くんにはよくよく言ってきかせて、これ以降は注意するように・・・」
きっぱりと言った修太郎に慌て、動揺する副支配人に、修太郎はしかし態度を改めない。
「それは前回までに何度も言いました。改善が見られない上に周囲に迷惑をかけるだけの人材ならいないほうがましです」
「いや、しかし・・・彼は本部の営業部長の甥御さんだしね、いろいろと・・・」
縁故採用を隠しもしない相手を、修太郎は許しはしない。
「では、遅れた穴埋めをその営業部長にしていただきましょうか」
「ちょっと、早峰くん、そんなことできるはずないだろう」
「では、副支配人、貴方がしてくださいますか」
「それは・・・・」
口篭る相手に、修太郎は一瞥して、
「上申書にして総支配人に提出します」
反論は受け付けないと修太郎は言い切り、もう用は済んだと軽く頭を下げそのまま相手を置いて業務に戻った。
まったくどうしようもない輩ばかりだ。
修太郎は不機嫌さを隠さず顔に出した。
好きな仕事をしているはずなのに、つまらないことが修太郎のモチベーションを下げる。
事務所に帰って書類整理をしながら、早く家に帰りたい、と自分を癒してくれるペットを思い浮かべた。
修太郎のペットは、耳を生やしたり尻尾がある動物ではなく、スーツを着て仕事をする年下の男だった。
言い換えれば「恋人」というカテゴリに入るのだろうが、修太郎はその男の世話をして可愛がることが何よりの生き甲斐なのだ。
黙っていればエリートの部類に入る男は、最高に可愛くて楽しいペットだ。
スーツを着た姿に何より惚れたのだが、そのスーツを脱がすことも修太郎は好きだった。
今日も早く脱がしてやりたいと気が早やり、書類が頭に入ってこない。
ちょっと落ち着くか。
「館内を見回ってくる」
事務員にそう告げ、修太郎は事務所を出てフロントからロビーへ向かった。



ロビーは清掃が行き届いていて清潔であり、いくつか点在するソファの周りには観葉植物を置いて客がリラックス出来るよう心がけている。
慌しい客が多いホテルだが、それでもゆったりとしたソファで落ち着こうという客もいなくはない。
そのほとんどが仕事を終えたサラリーマンで、スーツ姿が目立つ。
修太郎は顔には出さないが、その姿を見るのが心安らぐ時だった。
ロビーを一周しようと出入り口に近付いたとき、自動ドアが開き客が足を踏み入れてきた。
慣れた仕草で修太郎は足を止め、いらっしゃいませと一礼するが、入ってきた客が目の前でよろめいたのに慌てて手を伸ばした。
「お客様? 大丈夫ですか?」
「ん・・・うん、悪い、大丈夫・・・部屋を取ってくれ」
修太郎は身長の変わらない客を支え、俯いた顔色が良くないのを見て、
「ご気分が優れないのでしたら、当ホテルの掛かり付けの医師をお呼びしますが・・・」
「あ、ああ、うん、ごめん、眠いだけなんだ・・・家まで持つ気がしない。寝させてくれ」
言うとおりなのだろう。
客の目はほとんど閉じていて、顔には疲労が見えた。
修太郎は支えながらフロントまで案内し、この客が何度かこのホテルを利用していることを思い出した。
スーツではなく、ラフな格好ばかりだが、スタイリストが誂えたような衣服がよく似合う客だったのだ。
そしてそれが似合いすぎるほど顔の良い男だった。
今は気だるさが丁度良い色気となってさらに視線を集めているように思う。
スーツを着ていないが、修太郎はこの顔が気に入っていた。
もちろんそれは一切出さず、手を貸したついでに受付業務を引き受ける。
顧客カードに名前をどうにか書き込む客に、修太郎はパソコンで部屋を押さえた。
「赤岩さま、シングルのお部屋でよろしかったでしょうか?」
「うん――あ、いや、狭いのは苦手なんだ。セミダブルかダブルを頼む」
「了解いたしました――ではダブルで。508号室になります。お部屋までご案内いたしましょうか?」
ふら付く足取りを気遣ってのことだったが、相手は少し目が覚めたのか苦笑して首を振った。
「いや、大丈夫。ありがとう」
気遣いに礼を言える相手に、修太郎も思わず目を細める。
エレベータまで見送り、修太郎はもうひとつ思い出した。
この客は一人で泊まるが、この客を訪ねてくる男がいるのを知っていたのだ。
まるで誰よりもスーツが似合うようなストイックな色気を持った男で、正直修太郎の好みでもあった。
容姿は正反対でありながら、人目を惹く存在の二人が並んでいるところを思い出し、修太郎はどういう関係なのか凡そ想像がついていた。
しかし客のプライバシーに関わるつもりはない。
ただあのスーツの男を、いったいどんな風に可愛がっているのか――自分ならどんな風に可愛がるのか、想像するだけだ。
もちろんそれを顔に出すこともないが、自分が可愛がっているペットに教えることもない。
存外にヤキモチ妬きで、そんなことを教えると――そもそも、この仕事をしているのもスーツ姿の男が
見えるからだ、という理由も教えていないが、それも知ってしまうと果てしなく拗ねてしまうだろう。
閉まっておく秘密にしながら、拗ねたところも可愛いだろうな、と考える修太郎はいつかバラしてしまうかもしれないと口許を綻ばせた。
それも、楽しいだろうな。
気分が盛り上がったところで、修太郎は仕事の続きをしよう、と事務所へ足を向けた。
ロビーを今度こそ一周し、裏を回り従業員通路に戻ったところで後ろから声をかけられ足を止めた。
「ちょっと、マネージャー!」
この言葉だけで、修太郎はまた気分が悪くなるのを自覚した。
予測は付いたものの、振り返り姿を確認して目が据わるのを抑えられなかった。
遅刻してきた新入社員、葛西が仁王立ちで修太郎を睨みあげていたのだ。
「俺がクビってどういうことですか!」
話が早いな。
凡そ、副支配人が気を回したのか教えたのだろう、と修太郎は目を据えたまま、
「その通りの意味だ」
「なんの権限があってマネージャーがそんなこと決めるんですか!? そんなことマネージャーが決めることじゃないんじゃないですか!?」
「もちろん私にその権限はない。ただ上へ奏上することは出来る。総支配人は仕事の早い方なので、明日か明後日には君の処分が決まるだろう」
「処分って・・・どうして? なんで?!」
理由が解からないのか、と修太郎は溜息を隠さなかった。
「今日、君は連絡もなく遅刻をした。入社して一ヶ月の間にこれで5回目だな。前回までに何度も注意して
いたのに改められない。君には社会人としての常識が欠落している。このままでは周囲が迷惑を被るだけなので、いっそ必要が無いと総支配人に申し上げた」
「そんな・・・いきなり、だって、仕方ないじゃないですか、ちょっと間に合わなかっただけで・・・」
最初の勢いはなくなったものの、葛西は子供のような言い訳を口にするだけだ。
それが修太郎の気分をさらに損ねる。
「間に合うように行動するのが社会の常識だ。どうしても間に合わないというのなら、事前に連絡もあって然るべきだろう。それも何度も私は言ってきたことだな」
「なんだよ・・・偉そうに! あんたは俺が何しても気に入らないんだろ!」
いったいいつ気に入るようなことをしたんだ。
修太郎は本当に幼いままの感情を顕わにした葛西を呆れたまま見下ろした。
そしてそのまま背を向けた葛西に、
「どこへ行く。まだ今日の業務は終わってないだろう」
「辞めるんだよ、こんなとこ! こっちから辞めてやるよ!」
吐き捨てて、本当に帰っていく葛西を見て修太郎は深く息を吐いた。
ああ、本当に、イラつく。
一度盛り返した気分も、一瞬で霧散した。
修太郎は今度こそ早く家に帰りたい、と不機嫌なまま残りの業務をこなした。



「ただいまー」
家に帰り食事の用意をして、風呂の準備をしたところでタイミングよくペットの声が聞こえた。
杉原 義弥という男は、修太郎より背も高く身体つきも良い男だった。
加えて、意思の強そうな眉に形の良い目が外見の良さを引き立てている。
はっきり言うと、修太郎はこの男に一目惚れだった。
異性も黙っていないだろう完璧な男を、何もかもを奪い自分のものにしてしまいたいと思ったのだ。
そしてそれは思惑通り成功し、今は一緒に住むまでに至っている。
「修さん、ただいま・・・」
「ちょうど風呂が沸いたところだ。洗ってやるから入れ」
「って、またなんかありました? 仕事忙しかったんですか?」
「うるさい。タワシで洗うぞ」
玄関まで迎えに出た修太郎の機嫌が悪いとすぐに判断したペットが困ったように首を傾げるのも気にせず、睨んで浴室を示す。
ペットは肩を竦めるように了承して、大人しく浴室へそのまま向かった。
脱衣所でジャケットを脱ぐ背中から腕を伸ばし、ネクタイの結び目に指を絡めた。
「ちょ、修さん・・・自分で脱ぎます、から」
「うるさい。大人しくしてろ」
抵抗してくるのも構わず、前に回りこんで整髪剤を使わない髪をかき上げ顔を引き寄せた。
問答無用で唇を奪うと、ペットの手が腰に伸びてくる。
修太郎のシャツの中に潜り込んでくる手を受け入れながら、ネクタイを解きシャツの釦を外す。
「ん・・・お前、煙草臭い」
キスに煙草の味はしないが、髪や身体から修太郎の嫌いな臭いがする。
ペットの手が一度止まり、なにものにも負けないような意思の強い目が怯んだ。
「・・・すみません、同僚に付き合って、喫煙室でちょっと仕事の話を――」
「悪いと思うなら帰る前に消臭剤でも被ってこい。脱げ、洗ってやる」
睨みつけながら修太郎もシャツを脱ぎ捨てると、ペットも急いで服を脱ぎ始めた。
アンダーウェアを脱いだ素肌を見たところで、また手が伸びる。
素肌に額を寄せて、首筋を擽るように確かめる。
「あ、あの、修さん・・・っ」
また、と困惑するペットの顔に満足して、修太郎は見上げながらにやりと笑った。
「消える前の匂いを確かめておかないと解からないだろ」
「・・・修さんっ」
勢い付いて修太郎の身体を抱きしめようとした腕を、寸前でするりとかわし、修太郎は浴室のドアを開けた。
「早く入れよ――全身洗ってやるから」
背中に唸るような声が聞こえたが、修太郎は笑って無視するだけだった。



しゃがみ込んだペットの毛並みはとても手触りがいい。
修太郎は自分の世話のお蔭だな、と自己満足しながら今日もその髪を洗った。
真っ黒な髪はこのペットにとてもよく似合う。
満足してから今度は後ろに回り、背中を洗った。
「修さん・・・修さんは?」
されるままになりながらペットが修太郎は洗わないのか、と躊躇いがちに訊いてくる。
「俺は先に一回入ったからいい」
「それって、シャワーだけでしょう? 湯船に浸かってゆっくりしたら・・・」
「俺が暑いのが嫌いなのを知ってて言ってるのか? 義弥のくせに生意気な」
「や! そうじゃないんですけど・・・っ」
修太郎は慌てたペットの背中に自分の身体をあて、心地よい温度とボディウォッシュのお陰で滑る感覚を楽しんだ。
「それとも――」
「ちょ、修さん・・・っ」
「俺をのぼせさせたいのか? その俺をどうしようって?」
ぴたりと身体を付け、肩越しに顔を覗くと、ペットは赤い顔の中に確かに欲望を混ぜて首を曲げキスをしてきた。
素直に受け入れると、開いた唇の中に舌が潜り込んでくる。
この体制でするキスにしては濃厚だった。
ペットがその勢いのまま修太郎の身体を前に抱きこもうとしたとき、また修太郎から唇を離す。
「ん・・・まだ、途中だから駄目だ」
「修さん、そんなの」
後でいい、と目が逸っているペットを笑って抑えつけ、後ろから腕を取った。
「煙草の臭いが残るヤツは駄目だ」
腕に筋が浮いて見えるのは、力を込めているからだ。
それが何を耐えているのか解かり過ぎるほど解かっていて、修太郎は丁寧にその腕を洗った。
指の間には指を絡め、滑りの良い感触を楽しむようにして撫でる。
それに我慢が出来なくなったのか、ペットが唸るように修太郎を睨み返してきた。
「もう、修さんの匂いに染まってますよ・・・!」
このペットは、こうして修太郎が嬉しくなる言葉を返してくれる。
修太郎はそれに満足して、そのまま力にものを言わせて反転しようとした身体に勢いよくシャワーを浴びせかけた。
ペットが驚いた隙に離れ、自分の泡を先に流す。
そしてタオルで隠したペットの欲望の場所を見下ろして笑い、
「ここが風呂で良かったな? 遠慮なく汚してすっきりしてこい」
「修さんっ」
引き止めるような詰るような声が聞こえたが、修太郎は笑って交わし先に浴室を出た。
楽しみは後にするほど楽しいものだ。
こんなに早く満たされてしまっては詰まらない。
きっとひとりになった浴室で、シャワーに打たれながら収まりつかなくなった熱を処理するペットを思い笑い、ドア越しに声をかけた。
「早く上がってこないと、おあずけだぞ」
夕食のことなのか修太郎のことなのかは、あえて伏せた。



夕食はすき焼きにした。
良い匂いがキッチンにすでに充満している。
修太郎より後に、すっきりしたのか満たされてないのか複雑な顔をして風呂から上がったペットが、さらに視線をきつくした。
「・・・こんなの食べたら、俺、もう我慢できなくなるんですけど」
修太郎はその視線を正面から受け止めて、
「我慢するほどいい子にしつけた覚えはないぞ」
「修さん・・・っ」
「俺が満足するまでサカってもらうつもりで作ったんだからな」
すでに我慢出来ないような声で呼ぶペットを、修太郎は笑った。
今日の不機嫌な出来事は、すでに払拭されていた。
やはりこのペットは手放せないな、と修太郎は改めて感じた1日だった。


to be continued...



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