それが、受難の始まり *666666HIT企画 






「それどうやって切んの?」
「え? どうって・・・皮剥くのかな」
「あー・・・剥くんじゃないか? だって皮食いたくねぇぞ?」
「そうだよな、こういうのってさ、皮剥く器具があったよな?」
「ああ・・・なんかで見た。なんだっけ、カンナみたいな」
「カンナじゃないだろー? えーっと、そうそう、スライサー!」
「お! お前なんかすげぇな、専門用語知ってんなー」
「じゃろ? てか、それどこ?」
「ねぇな・・・包丁で剥くか?」
「えー・・・難しいだろ。こう、四つに四角く切ったら、いいんじゃないか?」
「皮の部分が分厚いだろ・・・」
「でもスライサーってないし」
「なぁ、肉ってどのくらいの大きさに切る?」
「適当でいいんじゃねぇ? つうか、大きいほうが嬉しい」
「あー確かに」
「牛だよな?」
「・・・って、パックには書いてある」
「なぁ、大根、切ったのどこ置く?」
「あ! 鍋に水入れんの?」
「うー・・・玉ねぎ、目にしみるーっ」
「あはは、コイツ泣いてるー」
「うっせ!」


「・・・・・・・・・お前ら、何を作ろうとしてるわけ?」


低い声に、五人は揃って顔を振り返らせた。
キッチンスペースとリビングを区切っているカウンタに肘を付いて、眼鏡の奥から冷ややかな視線を向けている鹿内が、そこにいた。
対して、キッチンの前に所狭し、と並んでいた五人――貴弘、松島、春杉、岡崎、佐住、のいつものメンバーはそれぞれ手にした野菜や調理器具、まな板の上の材料やエプロンもしていない自分たちの格好を見直して、
「・・・カレーだろ?」
「あと、サラダとから揚げも食いたい・・・」
「つまみにサラミとか、欲しいけどあれって切るだけだよな?」
鹿内はあっさりとした返答に、頭を抱えて大きく溜息を吐き出す。
呆れてものも言えない、と態度で示す行為だ。
このキッチンは鹿内のもの。
高校生でありながら、この広いマンションに一人暮らしである鹿内はある程度以上ほど、自炊できる能力は持っていた。だからこの広いキッチンも使い込まれている鹿内の城である。
そこへ合宿の勢いで調理実習を始めようか、と言う友人らは、決して遊びで始めたわけではない。
それが分かっているから敢えて口にはしなかったけれど、その態度ははっきりとしていた。
深々と溜息を吐き出して、それでも頭が痛い、とこめかみを擦りながら、
「・・・・・皮を剥くのはカンナでもスライサーでもなく、ピーラー! ちなみに俺は使わないからそんなものない! 肉は野菜と同じサイズに均等に切れ。火の回りが違ってくるだろ。玉ねぎはそんなに薄くスライスしてどうする? せめて一センチくらいの幅を取れ! それからその大根は何に使うつもりだ? カレーに入れるつもりか? サラダ用だろ、角切りにしてどうする! ジャガイモの皮、そんなに分厚く切って身はどこだよ・・・」
「・・・・・・・」
一気に言われて、五人はそれぞれの手許を見ながら何も言えなかった。
「・・・まず、本を読むってこともしないのかお前らは・・・」
カレーくらいまともに作ってくれ、と鹿内は何度目かの溜息を吐いたのだった。





今回の調理実習は、そもそもの言い出しっぺは貴弘である。
いつも美味しい料理を作ってくれる夏流に、たまには作って返したい、と言い出したことが発端だった。
家事は一切初心者だという貴弘に、初めから高等な料理は誰も期待することはない。
それなら簡単な料理を一緒に作って練習しよう、と言って集まったのが自由に料理も出来て家族に気兼ねもない鹿内の部屋になったのだ。
メニューは定番らしく、カレーライス。
それから飲み会になる予定なのでつまみも作ってみたい、となるラインナップだった。
ここの主である鹿内に、全ての指摘を受けて五人は言葉もない。
もはや切ってしまったりしたものを、どうすればいいのかすら分からないのだ。
「・・・もう、切ったものは仕方ないだろ、なんとかする。肉はもっと小さく切り直せ。大根は五ミリ角くらいまで切ってしまえ。ジャガイモは、出来るだけ薄く皮を剥け! 春杉、冷蔵庫開けたらタッパにタレを作ってあるから出して。それ、から揚げ用の付けダレ、鶏肉適当な大きさに切って暫く漬けておけ」
言われたように冷蔵庫に近かった春杉が色の濃い液体の入ったそれを取り出して、鶏肉を掴んだ。
そこから、鹿内がその場所から支持を出して調理をする、と言う変則的な調理実習が始まった。
出来上がったものは少しサラサラのカレーに、コロコロの大根が入った野菜サラダ、焦げ付いたから揚げにフライドポテト。
最後にそのまま出そうとしたサラミを、鹿内がキッチンに立って分厚く切りざっと炒めて醤油と七味で味付けをして出した。
「あ! これ美味い・・・!」
友人達ばかりで飲もう、と決めていたので無礼講とばかりにビールを片手にした佐住がそれを絶賛する。
「ビールに合う〜!」
岡崎もそれに同意した。
鹿内はサラサラなカレーをスプーンで混ぜながら当然だ、と頷く。
サラダにかけたドレッシングも鹿内のもので、貴弘はあまり飲めないので先にそれをかき込んで、
「鹿内って、なんでこんなに料理上手いんだ?」
「・・・小さい頃から、やってるから自然とだよ」
「家の人は?」
「ああ・・・まぁ、何もしない人たちばっかりだから、仕方なくな」
「ふぅん・・・」
平然と答えた鹿内だけれど、春杉がちらりと向けてきた視線に黙ってろ、と目だけで抑えたのを貴弘は気付かなかった。
気になってはいても、誰もなにも言わない。
こんな広いマンションの部屋に、一人暮らしでいる理由も、誰も口にはしなかった。
どこか暗くなり始めた部屋の空気を払拭しようと、岡崎がから揚げを口に頬張りながら、
「・・・アレ、春杉、手ぇ火傷したんか?」
「・・・ん?」
パーカーの腕を肘まで捲り上げていた春杉の右腕に、いくつか雫状に赤くなっている痕が見える。
「ああ、油がはねたのか」
揚げ物をしていたのは春杉だったからだ。
「薬付けとく? いや、冷やしたほうがいいのか・・・」
隣に座っていた松島がその手を取って眉を顰めるけれど、春杉はいつもと変わらない無表情で、
「いや・・・痛くはない」
それに鹿内は楽しそうに目を細めて、
「それっくらい、煙草握りつぶすことに比べたらなんでもないよな?」
「え?! 煙草?!」
「握りつぶしたのか? なんでそんなことを・・・」
隣で松島が驚いたその向こうで、佐住は呆れたようにその無表情を見つめる。
貴弘は心配そうにその掌を見て、岡崎は自分がしでかしたように痛そうに手を開閉させていた。
「・・・鹿内」
諌めるように睨んできたそれを、鹿内は心地良さそうに受け止めて、
「根性焼きと変わんねぇよ、若かったよなぁ?」
つまり、度胸試しだ、と揶揄う。
松島はその手を掴んで、よく見ればそこにうっすらと残る痕を見つけて、
「・・・お前、なにしてんの?」
「・・・いや」
呆れた中に、確かに心配しているそれを春杉は受けて無口な口を開くけれど、それでも先は続かない。
それに鹿内は揶揄う先を見つけた、と笑って、
「ああ、松島コイツそんな心配することないぞ。身体中傷だらけだから、肩とか背中とかね」
「・・・ああ」
言われて、松島は以前その肩に傷があったのを思い出す。
それに頷いたのだが、それを全員から視線を集めて、
「・・・いや! たまたま! 見たんだけど、肩に傷が・・・っ」
その状況を思い出して赤面するのを止められなかったけれど、慌てて誤魔化す。
気の合うこのグループの中で、春杉と自分がそういう関係だ、とは言ってはいないが知られていないはずもない、と思い出し染まった顔がすぐには直らない。
話題はすぐにまた反れたけれど、松島は動悸が激しくなるのを抑えるのに必死だった。
どうして思い出したのだろう、と首を傾げながらもそこから鮮明に身体を重ねた日のことが蘇ってくる。
春杉は、どうやら自分のことが好きらしい。
そう確認したけれど、それから二人の間で何か変わったわけでもなかった。
もちろん、あれ以来身体を合わせたこともない。
松島から何かをするわけでもなかったし、その春杉からも何も言われないのだ。
いつもと変わらず無表情で無口な無感動。何を考えているのかは未だに分からない。
その春杉がいつも通りなのに、松島から何かを起こせるはずもないのだ。
そのまま何もなかったように宴会のようなそれが続いたけれど、松島は思い出してしまったそれがいつまでも消えなかった。





「・・・はぁ、」
かなり夜も更けてから、松島は一度輪を抜けて洗面所に立った。
アルコールのせいで赤くなった顔を冷たい水で洗って、濡れた顔を鏡で確認する。
何をしているんだろう、と溜息を吐いた。
友達のままでいられるなら、それで何も文句はないはずなのに。
同じ男同士なのだから、目の前で着替えることに気恥ずかしいことなどない。
それでも誰かの身体をじっくりと見たことなどあまりない。
春杉の身体も然り、その背中にそんなに傷があっただろうか、と思い出しても分かるはずがなかった。
ただ、しがみ付いた肩に抉れたような傷があったのだけ、鮮明に蘇ってくる。
だからなんだ、と松島は自分の思考に溜息を吐いた。
そのとき、洗面所の扉が開いて鏡の向こうにその春杉が映る。
松島は驚いて、しかし気持ちを抑えよう、と平静を努め、
「・・・どうした?」
振り返ったそれに、春杉はやはり変わらない顔のまま、
「・・・いや、貴弘が潰れたから、隣の部屋に運んだ」
「ああ・・・」
すでに飲み比べ状態になってしまっている中では、免疫の一番少ない貴弘が潰れてもおかしくない頃合だった。
一人暮らしにしては部屋数のありすぎる鹿内のマンションは、空き部屋がすべて客室用になっていた。
そのひとつに貴弘を寝かせてきたところだと春杉は言う。
「他のやつらは?」
「鹿内が新しいワインを開けたから・・・あれで潰れるだろ」
「ふぅん、美味いのかな、それ・・・」
「飲みたいのか?」
「美味いんならな」
「ふぅん・・・」
頷いたけれど、春杉はそこで止めてしまった。
一度、広くはない洗面所に沈黙が落ちる。
ドアには春杉が立っていて松島は行き先を封じられたような気持ちになってしまった。
けれど落ち着かないそれをどうにかしようと、口を開く。
「お前・・・なんでそんな傷だらけなんだ?」
「なに?」
「いや・・・さっき、鹿内が言ってたろ? 背中とか、沢山・・・」
「ああ・・・別に虐待されたとか、そんなんじゃないから」
「いやでもさ、普通そんなに傷付くことなんて・・・」
「喧嘩だ」
「え?」
「・・・昔、喧嘩ばっかり、してたから」
「・・・・お前が?」
松島は確かめるように、春杉の顔を覗き込む。
身長は、自分より少し高い。
けれど身体つきが違う、と松島は思った。
運動部に所属している分、松島も筋肉質だとは思うけれど春杉のそれはどこか違う身体だった。
逞しさを感じるほど、胸板が厚かったな、と思い出して松島は一気に顔を染めた。
「松島?」
その顔を春杉に見られて、誤魔化そうと松島は、
「いや、なんでも・・・それより、背中、見せろよ」
「・・・背中?」
「傷、どんなになってんだ?」
「・・・別に、もう痛くもないけど」
「なんだよ、見るくらいいいだろ。男同士で減るもんじゃなし」
「・・・・・・」
春杉は何も言わず、一拍置いてからパーカーを脱いで背中を向けた。
光の下でその肌を見て、松島は少し息を飲んだ。
傷だらけだ、と言った鹿内の言葉は正しい。縫った痕もいくつか見えて、どうしたらこんな身体になるんだ、と眉を顰めた。
「あれ・・・ここ、なんか変じゃないか?」
盛り上がる肩甲骨の、その左側に不自然な窪みを見つけて指先で触れた。
やはり、へこんでいる。
「ああ・・・角材が当たって、折れた」
「・・・・・・・・・角材?」
松島は喧嘩をした、という先ほどの会話を思い出して頭を抱えそうだった。
いったいどんな喧嘩だ、と溜息を吐く。
「お前・・・なんでそんな喧嘩なんか・・・自分傷つけたって、いいことなんかないだろ」
「・・・今は、してない」
「当然だ。もうすんなよ、そんな生産性のないもん」
「・・・ないな、確かに」
素直に頷かれて、松島はふ、と笑みを零す。
「なんだ?」
「うん・・・お前が、そんな喧嘩ばっかりとか・・・想像できないな、と思って」
「・・・そうか? 若かったんだろ」
「若いって、お前実は何歳だよ・・・鹿内は、知ってるんだな」
「ああ・・・昔から、なんとなくつるんでたから・・・」
「・・・・ふぅん?」
「気になる?」
「え?」
それまで大人しく背を向けていた春杉が振り返って、松島はその顔を正面から受けた。
「気になるか?」
表情が、変わった。
それまでの無表情をどこかに捨てて、口端が意地悪そうに上がった。
目許は変わらないのに、ニヤリ、という表現が正しいように笑ったのだ。
「・・・・・」
松島は広くない洗面所の壁に背中を思わずぶつけた。
知らず、後ずさっていたらしい。顔も強張っていたに違いない。
「俺のこと、気になるんだろ?」
そんな松島をどう取ったのか、春杉は不敵な表情のままでその壁に手を付いて、
「・・・どうなんだよ?」
顔を近づけて覗き込んだ。
松島はその吐息のかかる距離になって、
「・・・お前! 酔ってんな?!」
「酔ってねぇよ、あれくらいで酔うか」
「酔ってるだろ・・・!」
有り得ないほど、饒舌になるのがその証拠だ、と松島はどうして途中で気付かなかったんだと後悔した。
二度と同じ轍は踏まない、と心に決めながら逃げられない状況に追い込まれている気がする。
背後の壁に後はない、と感じながらも近づいた顔を睨みつけて、
「頭冷やせ・・・! ここどこだと思ってる、」
「鹿内の家」
「それ以上、近づくな! 俺は、もう、お前とああゆうことは・・・!」
「・・・どういうこと?」
聞き返されて、声を詰まらせる。
顔を染めてしまっては、思い出しています、と教えてしまっているようなものだった。
何も言えない松島をいいことに、春杉はその身体を摺り寄せるように密着させて、
「なぁ、ああいうことって・・・?」
「・・・っ馬鹿、どけ、よ・・・っ」
熱を含んだ低い声に、松島は顔を顰めながら抗議しても相手には一向に伝わらない。
「まさかお前、忘れたわけじゃないだろ?」
「・・・なにが」
「・・・俺が、お前に惚れてるって、知っててそういう顔してんだよな?」
「そう、いう顔って・・・!」
「誘ってんだろ?」
誘ってない、と怒鳴り返そうとした松島の声は、春杉の口へと消えた。
「・・・ん・・・・っ!」
一瞬の隙に、重ねられた唇は熱かった。
深く絡められた舌は、アルコールの味がしたけれどそれは自分のものなのかどうかは分からない。
もしかしたら、酔っているのは自分なのかもしれない、と松島は深い口付けを受けながら思った。
抱きしめられて、貪られるようなキスを、抵抗もしないまま受け入れる自分に、やっぱり酔っている、と思った。
苦しいキスが、嫌じゃないと思っているそれは酔っているのだ、と思い込んだ。





「いい加減にしろ!」
松島は渾身の力を出して春杉の身体を引き離す。
そのまま濡れた唇を拭うようにして赤い顔で洗面所を飛び出した。
リビングに戻って、友人達が赤い顔で首を傾げている。
「どうした?」
「・・・なんでもないっ」
松島も過程は違えど同じ赤い顔でその輪に座り込み、目の前にあったグラスを一気に煽る。
アルコールのはずだけれど、味も解からないほど感情が苛立っていた。
その後をゆっくりと春杉が現れて、
「・・・・どうした?!」
パーカーを手にしたまま、つまり上半身は裸のままでリビングに戻ってきたのだ。
驚いた友人にあっさりと、
「松島に脱がされた」
「んなわけあるかっ! 自分で脱いだだろうが!」
「脱げっつったのは松島だ」
「・・・っ怪しげな言い方すんな! 背中の傷見せろっつっただけだろ!」
「見せたら撫で回された」
「触っただけだーっ! この酔っ払いが!」
「俺は酔ってない」
いつもと変わらないように春杉は淡々としているが、やはりいつもと比べれば酔っている、ということになるのかもしれない。
それに松島が感情的に返すものだから、松島も酔っているとしか見えない。
「落ち着けお前らは・・・」
頭を抱えて漫才のような一コマを見せられた鹿内が呟く。
その隣で佐住も、
「ああもう、酔い覚めた・・・」
「ホントに、痴話喧嘩って目の前でされると引くなー」
岡崎が同意すると、その内容に松島が敏感に反応する。
「ち・・・っちわ、喧嘩ってなんだよ! そんなもん俺は――」
「ああ、もういいから・・・ちょうど区切りもいいし、俺ら帰るわ」
言い募ろうとした松島を制して、先に佐住が腰を上げる。
それに岡崎も続いて、
「ああ、タクシー呼ぶ?」
送ろうとした鹿内の言葉に手を振る。
「いや、まだ終電あるから・・・大丈夫。コイツラほど酔ってもない」
「酔ってても覚めたしな・・・」
すぐに帰ろうとした二人に、松島は気付いたように追いかけて、
「俺も帰る・・・!」
自分の荷物を掴む。
その松島を見た帰る二人と鹿内ははっきりと顔を顰めた。
その反応に松島はむっと顔を寄せて、
「・・・なんだよ、帰っちゃ悪いのかよ!」
言うけれど、鹿内が溜息を吐いて代表した。
「・・・帰るなら、その後ろの犬も連れて帰れ・・・」
「・・・っ?!」
言われて振り返ると、まだ上体を露わにしたままの春杉が背後に立っていた。
無表情にその格好でいられることが、誰もがぞっとした。
確かに、酔っているのだ、この男は。
松島は本能的に危険だ、と感じて、
「嫌だっ、ここに泊めてやればいいだろっ」
鹿内に縋るように押し付ける。が、鹿内ははっきりと拒絶した。
「駄目だ。うちは貴弘を泊める。この狂犬を一緒に泊めておけるか・・・いいのか?」
いいはずがない。
酔っていると言いながら松島を犯した男なのだ。
いいように翻弄した男なのだ。
その口で、気持ちを松島に告げたとしても、本能のままにあるとなにをするのか解からない。
それが、この春杉という男だった。
松島は苦渋が顔に広がって、しぶしぶ頷いた。





鹿内の家から春杉の家は近い。徒歩でも10分ほどの距離だった。
先に帰る、と言った佐住と岡崎を見送って、松島は春杉を家まで送ってから帰るつもりだった。
が、その家の前で無表情の相手と押し問答を始めた。
「・・・だからっ大丈夫だっつってんだろ!」
「駄目だ。夜道は危ない。泊まって帰れ」
お前の家に泊まるほうが危ない、という言葉を松島は飲み込んで、
「俺は男だって、貴弘じゃあるまいし・・・なんにもねぇよ!」
「お前、自分が綺麗だって自覚がない」
「・・・・・・んなわけあるか」
さらりと言われた言葉に松島は脱力しそうに肩を落とした。
無表情でも真面目に言うから性質が悪い、と溜息を吐きたくなる。
しかも逃げないように、と春杉の手はしっかりと松島の腕を掴んだままだった。
「もう、いい加減に・・・」
「・・・俺を、嫌いなのか、」
しろ、と言いかけて、さっきとは違う力ない春杉の声に思わずその顔を見上げる。
表情があった。
どこか頼りない、目を疑うような声と同じ顔だった。
飼い犬が主人に見捨てられるように、
「・・・俺の気持ちが、伝わらないのか? 迷惑、なのか?」
松島はうっかりそれに絆されそうになって、慌てて表情を引き締める。
もう、学習はしているのだ。
この顔が狼に変わることを、身をもって知っている。
けれど、松島は声が出ない。
黒い瞳はどこか不安定で、それでもしっかりと松島を捉えている。
「・・・・松島」
弱い手はそのまま松島を抱きしめて、力を込めた。
やばいな、と松島は焦った。
けれど、何も声が出てこない。
肩に伏せられた春杉の頭は鼻先を摺り寄せるようにして、本当に犬みたいだ、と思う。
「・・・好きだ」
そのまま耳元に想いを込められれば、松島は自分を放り出してしまう。
必死に何かにしがみ付いていたけれど、もうそれもどうにでもなれ、と手を離す。
その代わりに、大きな犬の背中に手を伸ばした。
大型犬だな、と松島は改めて思った。
けれど、その手を後悔することになるのはすぐ後のことだった。





静まり返った家は、誰もいないと言う。
松島はやっぱりそこで帰れば良かった、と今更にも悔やむ。
「い―――った・・・っ!」
「痛い・・・?」
顔を顰めて見せても、圧し掛かる春杉は余裕の笑顔を見せて笑う。
「痛い!」
改めて言っても、さらに腰を進める。
口許の笑みは、冗談だとでも思っているのかもしれない。
しかし、痛いものは痛い。
いくら泣かされるほど慣らされようと、自分の中の濡れた音に羞恥に塗れようと、もういいから挿れろ、と焦れて自分から言ったとしても。
痛いのだ。
これは痛覚ではない。
精神的な問題だ。
だから松島は涙目のままで睨み上げて、
「この・・・っへた、っくそ!」
気持ちを込めて罵る。
正面から有り得ないほどに足を広げて、春杉を受け入れる。
パイプベッドが揺れるたびに悲鳴を上げる。
その全ての状況が松島には耐えられない。
だから罵ることで自分をどうにか保たせるしかない。
春杉はそれが解かっているのかいないのか、口端を上げて目を細めた。
「そりゃ・・・夏流先輩ほど、上手くはないだろうが、」
「ん・・・っあ!」
深く埋めた自身を、ゆっくりと引き抜く。
その喪失に松島は楽になるはずだというのに身体は裏腹に引き止めるように絡んでしまう。
それが伝わったのか、春杉は嬉しそうに顔を歪めて、
「お前は・・・俺で、気持ちいいだろ・・・?」
もう一度深く、潜り込んでくる。
その動きを何度か繰り返されて、痛いはずの挿入が松島は違うものに変わる。
「あ――・・・っあ、あっ・・・」
途切れながら漏れる声が、その通りだと教えてしまう。
松島の奥を抉るように動くそれは、ダイレクトに松島の思考を掻き混ぜて狂わせるほど強い。
それだけでもどうにかなりそうだったにも関わらず、春杉は手を伸ばして二人の繋がった間で硬くなっていた松島のそれをゆっくりと扱く。
「んっん・・・っやめ、そ、れ・・・っああ! や、あっ」
「・・・なんで、こんなに・・・すげ、締めるのに・・・っ」
「い、やだ・・・っあっあっい、いく、いく、か、ら・・・っ駄目だ、あ・・・っ」
「イけよ・・・何度でも、イかせてやる・・・」
「や、ああっ・・・だめ、だ、や・・・っおま、え・・・っ」
「なに?」
「ひとり、じゃ、いや・・・っああっ! あっ」
松島の途切れた、苦しげな声を聞いただけで春杉は腰を強く押し付けた。
何度も揺す振って、自分も果てそうだ、と深くを抉る。
「あっ、あ・・・っはる、んん・・・っ」
前と後ろを同時に攻め立てられて、松島はすでに理性をなくしかけてしまう。
ただこの与えられる快楽を追い続けてしまう。
そうなるのは嫌だった。
この犯されている相手を、見失いたくはない。
必死で見上げると、荒い吐息を漏らす春杉がそのまま微笑むのが見えた。
「・・・っお前の、その顔だけで・・・何度でも、イける・・・っ」
「ば、か・・・っなら、も・・・イケ・・・っんあああっ」
「松島―――」
前に屈んだ春杉に、松島は自然と手を伸ばした。
背中に手を触れさせて、探る。
指がいくつかの傷跡を見つけた。盛り上がった肩甲骨に、やはり窪みがあった。
それを探して、触って、揺す振られながら必死でしがみ付く。
「おま、え・・・っあ、あっ、も・・・する、な・・・よっ」
「ん・・・なに?」
「この――身体、を、二度と・・・っ傷つける、な・・・っ」
苦しい。
松島はこの傷跡が痛かった。
どうしてこんなに傷付いているのだろう。
何をしてここまで傷付いたのだろう。
今は治っているはずなのに、そう思うだけで松島の心臓が痛い。
苦しい。
「お前が・・・望むなら、絶対に、しない」
「はる、す・・・っも・・・あ、あ、・・・っあああ・・・っ」
必死に堪えていても、限界を超えた。
その瞬間は呆気なく訪れ、果てる。
身体中に力が入って、開放のあとで全身のそれがなくなる。
しかし深く打ち付けた春杉が、中で放ったのを感じた。
「ん―――・・・っ」
それは一度ではなく、何度も抽挿を繰り返して、奥が何度も濡れた。
その度に力のない身体中が震える。
漸くそれを終えたのか、大きく息を繰り返す春杉の呼吸が聞こえた。
けれど松島はまだ思考もぼんやりとしたままで、痺れた身体を持て余すように震わせていると、埋まったままの春杉が再び思い出したように動き始める。
「・・・っちょ、っと、春杉・・・っおま、も・・・っ」
「・・・松島、もう・・・一回」
「や、ま・・・っもう、む、り・・・っんっ」
首筋から鎖骨、胸元へと春杉の啄ばむようなキスを受けて、じゅくじゅくと濡れた音を立てる繋がったそこを揺らされて、松島は嫌だ、と思いながらも強制的に追いやられてしまう。
けれど首を必死に振って、
「や、いや、も・・・っあし、いた、い・・・っ」
広げたままの足が、痛い。
素直にそう訴えると、春杉は納得したように身体を起こして、ずるり、と一気にそれを引き抜いた。
「ひ・・・っあ」
その感覚すら怯えるように耐えると、勢いよく身体を返された。
ベッドにうつ伏せられて、腰を持ち上げられる。
春杉の意図が解かって、しかし松島が制止するまえに再び深くまで押し込められたのだ。
「―――――っ!!」
悲鳴をシーツを噛んで堪えて、松島は力のない身体で握りこぶしを作る。
「・・・松島」
律動を始める春杉の、吐息のような声が聴こえる。
気持ちの良さそうなそれに、松島は必死に奥歯を噛み締めた。
罵りたい。
やはり、コイツに甘い顔を見せるんじゃない。
後悔してもしきれない。
しかし口を開けない。
一度開けば、またあられもない声を上げてしまう、と解かっていたからだ。
必死でそれを堪えながら、松島は心の中で思い切り罵ったのだった。
盛りの付いた狼に、そして、それを受け入れてしまった愚かな自分に――


松島の受難は始まったばかりだった。




キリ番、6並び企画でした!
頂いたリクエスト――の、ポイントを抑えたつもりですが・・・!ちょっとエロさが足りない?!
次回、また期待してください!(あるのならね・・・・)
水都メンバーの設定だけは細かくあります! それを小出しにしていけたら、と思ってます。鹿内のバックグラウンドも・・・いつか書きたいなぁ、と。
ブログもまたひとつ大きくなりました!
皆様のご訪問のお蔭だと、感謝してもしつくせません。
またこれからも、止まることなく走ってゆきますので、どうか皆様よろしくお付き合いくださいますよう―――

2007/01/11 秋野

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