| ときめき 平日の夕方、仕事後のOLたちの波が引いた後、辰彦が店のドアを潜った。 「いらしゃ・・・って、あれ?」 深津は振り返って挨拶しかけて、首を傾げた。 ひょろりとした身体にスーツ、仕事のままここに顔を見せるのは珍しい相手だったからだ。 しかもその後ろから、まだ学生服を着た高校生が続いてさらに深津は驚いた。 「どうしたの? 仕事終わったの? 弥衛くんは、学校・・・?」 「終わったとこ、引っ張ってきた」 深津は何で、と首を傾げたけれどとりあえず辰彦の後ろに隠れようとする弥衛ににこりと笑いかける。 「こんにちは、弥衛くんいらっしゃい」 「・・・こ、こんにちは」 少し顔を赤らめて頭を下げる弥衛に、本当はかなりの人見知りなのかもしれない、と感じた。 しかし辰彦には懐いているし、この間も暫くすれば深津とも話してくれていたので慣れれば平気かもしれない、と深津は辰彦を見上げて、 「今日はどうしたの? 辰彦の、カット?」 「いや、弥衛の」 「・・・弥衛くんの?」 辰彦に無理やり背を押されて深津の前に出された弥衛を改めて見ると、以前も少し長いような気がしていた髪がまた伸びている。 しかも、あまり手入れもしていないような感じだ。 伸びた前髪の間から大きな目が覗いて、不安そうに深津を見上げている。 襟足も肩にかかるくらいで、もしかしたら伸ばしているのかも、と思うくらいだ。 「散髪苦手なんだよ、小さい頃母親に勢いで耳まで切られたらしくて」 「えっ?!」 深津は思わず目の前で小さくなっていた弥衛の髪の毛に手を入れた。 触れた右の耳たぶに、微かに傷跡があるのが解る。 「ああ、そっか。鋏の音が苦手?」 緊張しながら小さく頷いた弥衛に詳しく聞くと、それ以来伸びたら後ろで括って切るか、前髪を出来るだけそろりそろりと鋏を入れていたらしい。 初めて見たときも、顔に似合わずどこか物足りない髪型だ、と感じていたのはそのせいのようだった。 「僕が切っても大丈夫?」 緊張した弥衛を覗き込むと、その表情のまま小さく頷かれた。 深津は少しでも緊張をなくそうと笑って、 「じゃ、頻繁に切らなくていいように、整えて短くしようか」 「はい」 素直に頷かれて、思わず深津は抱きしめてしまいそうになる自分に気付いた。 こんな弟がいたら、可愛いだろうなぁ、と感じたのだ。 それに確実に気付いたのは付き合いの長い辰彦で、待合スペースのソファに大きな身体を据わらせて雑誌を捲り、すでに待ち体制でいながら、 「抱いてもいいがモルモットじゃねぇぞ、深津」 「う・・・っ解ってるよ」 深津は釘を刺されたのを理解してそのまま控え室で片づけをしていた助手を呼ぶ。 可愛らしい声で返事をして出て来た海は、弥衛を見て感嘆の声をあげてシャンプー台へと連れて行く。 「可愛いね、高校生かぁ、いいなぁ、私もセーラー服も一回着たいなぁ」 楽しそうに口ずさむ海に、ソファの上から辰彦が声を投げる。 「着てもいいけど・・・完全にコスプレだな、その頭じゃ」 深津も思わず噴き出してしまった。 顔は幼く、可愛らしい顔だけれど海の今のヘアスタイルは真オレンジのスパイラルパーマだ。 想像するとどこか可笑しい。 弥衛もそう感じたのか少し緊張していた口許が綻びた。 海には悪いけれど、深津は少し安心しながら濡れた頭の弥衛を今度は深津の前に座らせる。 「海ちゃん、音楽付けて、少し音大きくしてくれる」 「はーい」 流れてきたアップテンポの選曲に深津は笑いながら鏡の中の弥衛と目を合わせた。 「目、開けて見てて。僕がどこを切っているか、見てたほうが安心するから。何か、話しようか。最近の高校生って、どんな話するのかなぁ・・・?」 深津は会話の糸口を探し始めながら、弥衛の髪をざっと見て素早く鋏を取った。 「・・・あの、」 「うん?」 「僕、訊きたいことが、あって」 「僕に?」 量の多くない髪に触れて、長い襟足に鋏を入れ始めながら、鏡の中から見つめてくる弥衛に一度視線を合わせた。 その目は真剣で、深津はどうしたんだろう、と首を傾げる。 「あの・・・航太郎さんと、どうして一緒に暮らし始めたんですか?」 「・・・・っ!!」 深津は握った鋏を思わず弥衛の頭に突き刺すところだった。 慌てて鏡の中を見ると、真っ赤になった自分を真っ直ぐに見つめる弥衛がいる。 「そ・・・っそ、それは、えっと・・・」 返事を待つ弥衛に、後ろで笑っている海とニヤついている辰彦を感じて、深津はますます言葉が上手く出てこない。 「そ、それは、弥衛くんが、暮らしたいから・・・?」 「・・・はい、いつかは」 鏡の中で、少しだけ照れた学生に深津は誤魔化しきれるのだろうか、と不安を感じながらそれに集中している間に自分は手を進めた。 のらりくらり、と会話を交わしつつ、結局全てを語らず深津は弥衛の重たすぎる髪を切り揃えて、セットまで完成させた。 「可愛くなったね」 そう言って辰彦に受け渡すようにすると、辰彦は同じように思うものの複雑そうな顔をしている。 元々がとても綺麗な造りなだけに、これで一層人目を引くようになるのだ、とは言わなくても解る。 そんな辰彦にも気付かないのか、弥衛はずっと深津を見たままだ。 答えをはっきりと言っていないからだった。 深津は困ったように笑って、 「・・・弥衛くんが、誰かと暮らし始めたときに、教えてあげるから」 とてもじゃないけれど、教えられない。 ありふれたような言葉で、誰でも口にしそうなものであっても。 深津にあのときの航太郎がくれた言葉は何より大事なもので、そして思い返せば恥ずかしくなってしまうのだった。 だってあれって、まるきり・・・プロポーズです、航さんってば。 深津がそれを受け取った瞬間、成就していしまっているのだけれど、深津は思い出すたび動悸が激しくなるのだ。 それがトキメキなのだと知るのは、もう少し後のことである。 |
fin.