| 超音波 「歯医者さんって、どうしてどれもあんなに可愛いんでしょうね」 買い物帰り、ちょうど歯医者の前を通りかかって深津が呟いた。 「やっぱり、歯医者嫌いな子供に少しでも怖がらないようにって配慮でしょうか」 車で通過したため、その可愛らしい歯医者はもう後方へ通り過ぎたけれど、いつもならすぐに話題に乗ってくる航太郎が無言のままなのを、信号で車が止まってから気付いた。 「航さん?」 どうしたんですか、と運転席を覗き込むと、航太郎はどこを見るでもない視線で、 「・・・歯医者が好きなのか、深津」 「え? 好きってわけじゃ・・・行かないで済むなら、それに越したことはない場所ですよね。でも、別に平気です」 「なんで?」 「なんで、って・・・うーん、多分、イメージが」 「イメージ?」 「子供の頃、通っていた歯医者さん、どうしてか不思議な良い匂いがしてて」 「どんな匂いだ」 「多分、一階にあったパン屋さんの香りが入ってきてたのかも、って今なら思いますけど、そのときは不思議で、何度も行きたがったんですよね」 「・・・・歯医者にか?」 「はい。別に治療するとこはもうないのに」 変な子供でした、と深津が笑う。 「だからかな、別に怖いとか、嫌いとかっていうのはないです・・・航さんは?」 「俺は歯医者の世話にはならない」 きっぱりと返って来た答えに、深津は動き出した車の中で驚いて、 「え? どうして・・・」 「そうならないよう、歯には気を遣ってるぞ。歯磨きも欠かさないし、ガムはキシリトールだし。フロスもするし」 そういえば、と洗面所にある航太郎専用のフロスを思い出す。 ただの習慣だ、と思っていただけに、強い意志を感じて深津はますます首を傾げてしまった。 「どうして・・・」 訊きかけて、はっと気付いたように止めた。 前を見て、一度も深津を見ない航太郎を見つめて、 「航さん・・・・・怖いんですね・・・」 「怖くはない」 即答されると、深津は思わず顔を綻ばせてしまう。 肩を震わせて笑ってしまうのを抑えられない。 「ふふふ、変なところで、子供みたいだなぁ、そっか、歯医者嫌いだったんですね」 初めて知りました、と長い付き合いになるのに、また新しく知れたことも嬉しい、と笑う。 しかし航太郎は憮然としたままで、 「嫌いなわけじゃない。深津の言うとおり、行かないですむなら越したことないだろう、あんなとこ」 「そうですけど・・・っふふ」 「嫌いでも怖いわけでもないからな!」 むきになって言う航太郎が、深津には楽しくて解かりました、と言いつつも笑うのを止められない。 「気に食わないんだ!」 「・・・気に?」 どういう意味だ、ととうとう怒るような声になった航太郎になにが、と問うと、 「あの音が」 「・・・音、って、あの、機械の・・・」 「超音波の音だ。 あれ以上不快な音はない」 「航さん、超音波は普通耳には聞こえないですよ」 「聞こえる超音波を使ってるかもしれないじゃないか」 珍しく力説するのは完全な屁理屈で、深津は噴出してしまうのをどうにか堪えることが出来た。 それでも、肩が震えてしまう。 その理由は、まさに子供と同じものにしか聞こえなかったからだ。 「・・・っはい、じゃ、今度歯医者に行くときは、一緒に行ってあげますから」 「だから、行かないって」 「もしかしたら、ってこともあるでしょう? 歯科検診、受けてないんでしょう?」 「行く必要もそんな検診受ける必要もない」 「大丈夫ですよ、ちゃんと手を握っててあげます」 「深津―っ」 怖くないです、とギアの上にあった手を握ると、すぐに指まで絡め取られた。 その掌が、珍しくしっとりとしていることに深津は声を殺して笑いながら、しっかりと握り返した。 |
fin.