| *この作品は未来淳良様のHP「小説工房未来亭」内にあります「Classic ROSE」に連載されている 「気絶するほど悩ましい」とリンクしています。 時間軸は、 気絶〜1 → 気絶〜2 → 気絶〜3 → 棘 → チェリー → 気絶〜4 → 蜜 → 気絶〜5 の順に進んでいます。 バラの棘 久しぶりにケンカをした。 いや、ここまで来るとケンカというより意地の張り合いだ、と航太郎は深く溜息を吐いた。 きっかけは多分、本当に些細なことで――自分が大人気なかったのだ、と後悔するばかりだ。 仲直りをしてくれようとした深津が買ってきたケーキに嫌いなシナモンが入っていて――上にかかっているのではなく、生地に練りこんであったから気付かなかったのだろうけど――それに気付いた深津が謝ることすら、航太郎は眉を顰めてしまって、意地で最後まで食べた。 それは深津にも伝わって、仲直りのために食べたケーキだというのに状況は全然変わらなかった。隣のベッドで眠る深津に、自分に向けられた背中に落ち着かなくなって一人リビングで夜を明かす。 一見弱そうに見えるけれど、深津はかなり意志が強い。 出会ったときは、コンプレックスの塊でいつも俯いているような子供だったのに、と航太郎は制服姿を思い出して口許が緩んだのに気付いた。 あの綺麗な顔を隠すことなく、怯ませることなく、自信を付けさせたのが自分だと思うと嬉しくもあるがその反面悔しくもある。 ―――隠しておけば、誰にも気付かれることはなかったのに、 航太郎は暗い気持ちを抱えながら、それでも今の幸せを噛み締めていることにしていた。 ここ数日、航太郎と顔を合わせればぎゅっと力を入れるように強張らせていた顔を思い出して、もう一度深く息を吐く。 思い返せば、すでにその頃から兆候はあったのだ。 それに気付かなかった自分が愚かで情けない。 仕事のことだって、深津に比べたら塵に等しいほどのものなのに。 身動きの取れない状況になって改めて、それを痛感していっそ泣きそうだ、と航太郎は運転席に納まった自分の身体を曲げてハンドルに額を押し当てた。 深夜の時間だけれど、愛車と一緒にいるのは病院の従業員用駐車場だった。 暗闇の中でひっそりとしている分には警備員にも気付かれないのかもしれない。 今日に限って――もう昨日になるけれど――外回りが重なって最後に会社の棚卸を手伝った。 携帯の着信に気付いたのは九時を回っていて、いくつかあった着信は知らない番号の羅列だ。 しかしその中の一つが深津の店、Shear vesselだと気付いて掛け直したけれど、そんな時間に当然誰も出るはずがない。 それから深津の携帯にかければ出たのは待っていた声ではなく、何度か面識のある深津の助手の慌てた声だった。 航太郎は後ろから殴られたような衝撃を、未だ引きずっている気分だった。 電話口で捲くし立てる助手の可愛らしい声は、慌てている上に今まで何をしていたのか、と詰る声も混じっていたけれどそれらは航太郎の中を素通りしていくだけだ。 深津の置かれている状況に、それに気付かなかった自分に航太郎は一瞬動けなくなるほどの衝撃を受けたのだ。 「盲腸だって、言ってましたけど、大丈夫って、伊集院さん、言ってくれましたけど」 深津は仕事中、ROSEの契約モデルである外科医のカットの途中で倒れたのだと電話の向こうで涙声になる相手が教えてくれた。 そのうわさはすでに航太郎の耳に届くほど、外科医の腕は確かで、その目の前で倒れたというのなら処置は完璧だったのかもしれない。 しかしだからと言って、安心できるはずがないのだ。 そのまま外科医の車で病院に行った、という言葉を最後に電話を切り、航太郎は自分の携帯にある留守電を調べた。 そこにあった聞きなれない声は、きっとどんな患者でも落ち着くのだろう声で、深津の状況を伝えてくれていたものだった。 「・・・・っチ、」 航太郎は闇の中でやはり変化のない携帯を見て、舌打ちを堪えなかった。 その連絡を聞いたときは、誰よりもほっとしたと言うのに――繋がらなかったのだ。 連絡をください、と言われて連絡をしても、呼び出し音が鳴るだけで一向に繋がる気配がない。 仕方がない、と思いながらも病院に連絡をすれば、 「その名前のかたは、当病院にはいらしておりません」 と冷たい事務員の声が返ってくる。 そんなはずはない、と航太郎が押しても、やはり同じ答えで、航太郎はまるでなにかに騙されている気分だった。 それでも仕方ないので担当したはずの外科医を頼めば、 「ああ、では先生の秘書がまだ居られますのでそちらに――」 言われて回された先で、 「アポイントは取られていますか。取られていないお客様に、伊集院先生はご多忙につき会える時間をお取りすることが出来ませんが」 とさらに低く冷たい口調で言い渡された。 深津の状況を伝えても、「お調べいたしますが、すぐには――」と望みのない答えしか返ってこない。 航太郎は目の前が真っ暗になった気分だった。 一度家に帰ってみても、深津はやはり帰った形跡がない。 どこに何をするのかも解らなくなって、航太郎はどうしてこんな状況になったんだ、と考え直し、そしてやはり自分が馬鹿だったからだ、とハンドルにガン、と額をぶつけた。 「・・・・深津」 呟いても、何も返ってこない一人きりの空間でますます情けなさが募るだけだった。 他にどんな手段も思いつくことが出来ず、航太郎は仕方なくここに居るのだ。 見上げると時間が時間のため、どの部屋からも明かりは見えないけれどきっとこの中のどこかに、深津がいるはずだ。 航太郎はただそれだけを見上げて、眠ることも出来ずただ時間だけが過ぎるのを待った。 朝になって、徐々に駐車場に車が入り始めたのを一台ずつ確認して、見間違えようもない外車が滑り込むように入ってきたのに航太郎は無言で車を降りた。 ずっと動くこともなく座っていたせいで身体が軋んだけれど、気にもならず真っ直ぐそれに向かった。 「すぐに終わりますから」 そう言った眩しいくらいに綺麗な外科医の言葉に、深津は力なく頷いた。 その言葉は本当にその通りで、自分が受け持っている相手がどんな存在なのか改めて知った。 部分麻酔だったというのに、深津は呆気ないほどの手術の後で眠ってしまった。 最近、眠れなかったせいかもしれない。 痛みと言うより、感覚もなくなった身体に違和感を覚えて目を開けると、そこに見慣れた顔があった。 ベッドの横に座り、頭をそのベッドに乗せるようにして、手は深津の手をしっかりと握っていたまま、目を閉じた航太郎がそこにいた。 久しぶりにケンカをした。 いや、最早こうなると意地の張り合いにしかならなかった。 どちらかが折れるかをお互いに探って、けれど自分から言い出すきっかけが掴めず深津は溜息を吐くだけだった。 きっかけはとてもつまらないことで、航太郎が怒ったことも、深津が怒ったことも、今となればどうでも良いようなことなのだ。 広い胸に抱きとめてもらおうと腕を伸ばせばすぐに解決することだったのに、頑なな意地だけで深津はその手が動かせずにいた。 数日前から感じていた痛みも、言われて初めてそうだったのか、と気付いたほど自分に鈍くなっていて、しかし航太郎と顔を合わせづらいことを考えて、深津は連絡することを拒んだ。そして、会うことも拒んだ。 まさか一人っきりの部屋に通されて、待遇は良くとも誰にも何も言い出せないような状況になるとは考えもしなかったせいで、後悔したのは外と連絡が取れないまま一人にされたときだった。 連絡しようかと思っても、自分のものを何一つ持っていないことを思い出し溜息を吐く。 そして外に出ようとすれば、何故かあまり普通には見られないような厳しい表情をした――まるでテレビで見るSPみたいだった――男たちが視線を向けて来て慌ててドアを閉めた。 電話をしようとしても、部屋の回線は外には繋がっていないらしい。 深津はそうなってから、自分の行動を怨んだ。 子供のように意地になって、その気持ちを知ってもらおうと少し誇大に感情を自分の担当する相手の外科医にぶつけてしまった。 一人になって、部屋の電気を消されて、そうなると目が潤むのを止められなかった。 「・・・・航さん」 名前を呼ぶと、ますます胸が軋んだ気がした。 痛みは違う場所から発されているはずなのに、深津が苦しいのは心臓だ。 今すぐ帰って、謝ってしまいたい、と思うのに動くことも出来ないのはこんな状況になっている深津を航太郎が心配しないはずもなく、きっとかなり迷惑をかけている、と想像出来るからだ。 それを振り切るように、朝一番に伺いに来てくれた外科医に、すぐに手術してほしい、と頼んだ。 そうなればもうしばらく入院になることは必須で、航太郎とますます気まずくなることも確かだ。 けれど深津は不安な心が持ち直さないまま、その選択をしてしまったのだ。 そして、今目が覚めると目の前にある航太郎の寝顔に視界が緩む。 昨日、朝に出かけるときは視線を合わさなくても顔を見ていた。 けれどそれからは想像も出来ないほど、疲れた顔をして目を伏せている。 どうしてここにいるのか、という疑問もあったけれど、それよりも確かに感じる手の暖かさに安堵してしまった。 嗚咽を押し殺すようにじっとしていて、しかしどこも痛まないのはまだ麻酔が効いているのかもしれない、と深津はどこか違うことを考えてじっと航太郎を見つめる。 震える手で、ゆっくりと大きな手を握り返すと、伏せられていた目がすぐに開いて真っ直ぐに深津と絡んだ。 「・・・・航、さ」 「ごめん」 掠れた声で名前を呼ぶ前に、航太郎の低い声が重なる。 「悪かった、こんなになるまで、お前に気付かなかった・・・本当に、ごめん」 「航、さん・・・」 眠っていないのかもしれない、と深津は航太郎の目の下にある隈を見てまた視界が緩む。 「いいえ、僕が・・・意固地になってたんです、本当は、全然、怒っても、なかったんです」 「解ってるよ」 震える声でどうにか気持ちを伝えようとすれば、航太郎は穏やかに微笑んで握り締めた深津の手に唇を当てた。 その温かさに、深津はようやく呼吸が出来た、と思うほどほっとする。 「お前をそうさせた、俺が悪い」 「・・・航さんは、悪くないです」 「悪いんだよ、悪いってことにしておいてくれ・・・でないと、俺は本当に、情けないから」 航太郎は上体を起こし、ベッドに寝転んだままの深津に覆いかぶさるように、しかしその身体を動かさないようにそっと手を付いて顔を寄せた。 今までのすれ違いが嘘のように、それだけで深津には気持ちが伝わってくる。 そろりと腕を動かして、その背中に回した。 重みを感じない抱擁に、深津は久しぶりに口許を緩めながらもう一度謝った。 「け、ケンカ、したかったわけじゃ、ないです」 泣き声になってしまうのに、航太郎は苦笑を交えて、 「解ってるよ、俺だってしたいわけじゃない。でも、言いたいこと言ってもらえるのは、嬉しいから」 これからも我慢するなよ、と続けた航太郎に、深津はどこの痛みも感じない、と目を閉じた。 |
fin.