| 誓日 自分の命日が、何百年以上も時間を経てこんなイベントになっていようとは、 ヴァレンタインさんも夢にも思っていなかったはず。 客足が一段落するのを知っているのか、宅配荷物はその時間に集中していた。 「長谷川さーん、お届け物です」 オフィス街にある深津の店、shear vesselに飛び込んで来たのは見慣れた宅配業者ではなく、一抱えほどもあるバラの花束だった。 驚いている深津も気にしないで、店名の入ったエプロンをした相手は住所を確かめるように伝票を見て、 「ええと、長谷川深津さん?」 「あ、はい。僕です」 呼ばれて我に返った深津はその花束を渡されて、濃いほど香る匂いに包まれた。 「依頼主は――伊集院さまです。少々早いですが、との言付けで」 「・・・・・・」 言われなくても、この決して店先のバケツに入れられて売られているようには見えない花束を見ただけで予想はついた。 「それからこの封筒と・・・受け取りにサインをお願いします」 「はい・・・ご苦労様です」 「じゃ、お邪魔しました」 店内にすでに満ちるほどのバラを残し、颯爽と出て行った後姿を深津はその香りを抱えつつ見送った。 いったいこの状況はなんだ、と正直驚いて動けなかったのだ。 それに好奇心をいっぱいにして助手である海が、 「深津先生、すごいバラ!! 似合う!」 「何言ってるの、海ちゃん・・・」 「さすがは伊集院さんー! それで、なんなんですか? まさかバレンタインを目前に、深津先生に乗り換えたのかな!」 「またそんな適当なこと言って・・・僕だって解らないよ」 「手紙があるじゃないですか! 読んでくださいよ!」 「ああ・・・うん、なんだろうね?」 深津はとりあえずカウンタにバラを置いて、綺麗に封をされた手紙を開けた。 そこに記された丁寧な文字に、深津もそして海も驚いたのだった。 帰宅した航太郎は、どこか興奮したものを見せる深津に驚きながら首を傾げた。 「お帰りなさい、航さん」 「ただいま・・・どうした?」 嬉しそうだな、と続けると、 「航さん、Petalってレストラン知ってますか?」 「え・・・」 言われて、どうして深津が知っているのか、とうろたえたけれど、焦った航太郎に気付かない深津はそのまま、 「海ちゃんが言うには、予約を取るのが難しいくらい人気のお店で、」 「海ちゃん?」 「特にバレンタインの夜は一年前からの予約が必要なんですって」 驚いて固まった航太郎に気付かない深津は少しだけ表情を曇らせて、 「あ、でも、海ちゃんに誕生日がバレてしまって・・・」 今日は大騒ぎでした、と昼間の出来事を話した。 深津の誕生日でもあるバレンタインディを一週間後に控えた今日、深津の顧客である美貌の医者から早すぎることの侘びを入れたメッセージが届いた。 内容は同封されたあるレストランの招待状で、頂き物であることを断りつつも自分は行けないので無駄にするよりは、とこの日が誕生日である深津への贈り物を告げるものだった。 「うわぁ! Petalのしかもバレンタインの予約券!! てか深津先生! バレンタインが誕生日なんですか?!」 なんで黙ってたの、と驚きと喜びと怒りを見せる器用な海に、 「海ちゃん、このお店知ってるの?」 「知ってるもなにも・・・っ私、予約すら取れたことないんですよー!」 「美味しいの?」 「料理もそうですけど! サービスも一流ですけど!」 この店が有名なのはそれだけではない、と海は手を握り締めて力説する。 「好きな相手とこのお店に行くと、必ず幸せになれるって言われてるんです! 帰りに渡されるポプリになった花弁は今ネットオークションで万単位ですよ!? 深津先生行くんですよね? 行きますよね? そのポプリ持って帰ってくれますよね?!」 テンションの上がってしまった海に押されて、深津はまだ解らないけれど、行ったら絶対にそれを持って帰り海にあげる約束をされてしまった。 その海のテンションが移ったのか、深津も頬を染めてそれを語る。 「それで、航さん・・・来週なんですけど、」 「行きたいのか」 低い声に言葉を遮られて、深津は少し戸惑いつつも気持ちはすでに動いていたので素直に頷いた。 「出来れば・・・あの、もしかして、航さんが他にどこか予定してくださってるのなら――」 バレンタインの日、航太郎の盛り上がりようは年々手を付けられなくなってしまうほどだった。 金銭面にしても深津が後で知って目眩を起こすほどで、何度も簡素でいい、とお願いしても航太郎は聞く耳を持つことはない。 深津にしても、困惑しつつも誰よりも何よりも祝って貰えることが嬉しくないはずもなく、今年も例年に漏れることなく航太郎が何か予定を入れているのでは、と危惧したのだ。 しかし航太郎はただ首を振り、 「いや、深津がそこに行きたいなら、そこでいい」 「航さん?」 「風呂に入ってくる」 「あの・・・」 素っ気無い航太郎に訝しんだ深津も振り切って、奥へ消えた。 ――やっぱり、嫌だったのかな・・・ 深津は確かに相手が機嫌を悪くしたのを知った。 何度も顔を合わせて飲みあうまでの中になったとしても、航太郎はやはり実のところ、綺麗すぎる医者である相手と深津が懇意にするのは喜ばしくないようだった。 けれどその相手に深い意味合いなどは欠片ほどもなく、完全な善意である、と深津は知っているから困惑してしまうのだ。 深津がこの件を喜んだのは、有名なお店の予約を貰ったことではなく、「必ず幸せになれる」というジンクスのある場所に航太郎と行けるからだ。 今でも充分過ぎるほど幸福の中に居る、と知っているけれど、この先もずっとそれが続いて欲しい、と毎日願った。 そのためならそのジンクスに乗ることだって厭わない。 深津はどうしたら良いのか答えも見つけられず、航太郎の消えた廊下を見つめた。 辰彦が慣れた様子で店に入ったとき、客用の笑顔で出迎えた深津の中に翳りがあるのを長年の付き合いのお蔭ですぐに知った。 「どうした?」 訊きながらも、絶対航太郎のことだろう、とは感じていた。 案の定、 「別に・・・なんでもないよ」 無理に笑顔を作って誤魔化すのは、航太郎とのことを隠そうとする深津の癖だった。 そんなことも見通して、今更隠すな、と辰彦は呆れた溜息を吐く。 「またケンカか」 「け、ケンカじゃないよ! そんなこと、してない」 「してないって顔かよ、また先輩はなにしたんだ?」 「航さんは、何もしてない・・・」 「じゃ、お前何したんだよ?」 「・・・何もしてない」 「はぁ?」 「何もしてない、んだ・・・けど、」 深津ははっきりと困った顔をして、航太郎の最近の機嫌の悪さを教えた。 正確には、バラの花束とフライングなお祝いを貰ったあの日から、だった。 そのせいで機嫌が悪いのかもしれないけれど、航太郎にそう訊いても「怒っていない」と素っ気無く答えるだけで、深津にはどうすれば良いのか解らない。 航太郎が毎年、楽しみにしている当日はすでに明日に迫っていた。 こんな空気の中で、例年のように楽しく過ごすことが出来るのだろうか、と深津は不安だけが襲う。 「Petalってお店、辰彦知ってる?」 「あれ? 先輩、当日まで黙ってるって言ってたけど・・・結局教えたのか?」 「・・・・え? なにを?」 「なにって、その店、行くんだろう?」 「行く、けど・・・」 辰彦はその何でケンカをしたのだ、と不思議そうに、 「一年も前から予約してたんだぜ? 先輩すげぇ楽しみにしてたはずだけど・・・」 「・・・・・ええ?」 困惑したように眉を寄せた深津は、その意味を理解して愕然と表情を失くしてしまった。 ――航さんが、予約、してた? 一年も前に、ということは、深津が嬉しそうに貰った招待状を見せたときはすでに航太郎も同じものを持っていたことになる。 深津が喜ぶ顔を見たくて、航太郎がしたことは誰より深津が知っていた。 そのサプライズを、深津自身が壊してしまったのだ。 「僕・・・」 真っ青な顔で後悔しても、深津にはどうすることも出来なかった。 溜息を吐きながら家に戻ると、リビングで深津が青い顔のまま座り込んでいた。 「・・・深津? どうした?」 体調でも悪いのだろうか、と不安になるほどの顔色だ。 最近、航太郎は自分でも大人気ない、と呆れるほどの態度を取っていた自覚はあった。 つまらない自分の意地と、情けなさで、いい年をして拗ねてしまっていたのだ。 しかし明日は一年のうちで一番楽しみにしている日に違いはない。 深津があの店に行くことは楽しみにしているのだし、誰の予約であろうと料理やサービスが変わるはずもない。 せっかく二人っきりで過ごすことにしているのだから、航太郎は明日のために自分の気持ちを切り替えた。 その航太郎の前で、深津が今度は落ち込んでいるように見える。 「深津?」 その顔が良く見えるように、テーブルの下から覗き込むように床に膝を付いてしゃがみ込んだ。 「航さん・・・」 青い顔のままで、深津が震える唇で名前を呼んだ。 「どうしたんだ、本当、大丈夫か?」 「・・・ごめんなさい、」 本当に体調が悪いのか、と心配してその身体に手をかけたけれど、返ってきたのは思いもしない謝罪で航太郎が驚いた。 ここ最近の態度を見れば、謝らなければならないのは航太郎のほうだ。 「なにが・・・」 「すみません、ごめんなさい・・・僕、」 「深津、どうした? 何かしたのか?」 「Petalの予約を・・・航さんが、してくれてたって、辰彦が今日、」 教えてくれた、と深津は後悔をいっぱいにした表情で航太郎を見つめる。 ――バレたのか、ってか、辰彦も余計なことを・・・ 機嫌の悪い理由を知られて、居心地の悪さを感じながらも後輩を恨みつつ、 「なんだ、そんなこと・・・気にするなよ」 「だって! だって、航さん・・・っ」 大人の余裕を見せるけれど、暫く機嫌の悪い子供っぽい態度を見せてしまっていた事実は変わらない。 深津が後悔して、辛そうにするのは航太郎の気持ちを理解してのことだ。 深津のことを考えていた航太郎の気持ちに、深津が気付けなかった、と悔やんでいるのだ。 こんな顔を見れば、航太郎に先日までの不機嫌などなかったことになるのも当然だった。 「悪い。俺が、勝手に拗ねてただけなんだ・・・お前が悪いわけじゃないだろ? 元はと言えば、俺がちゃんと言っておけば良かったんだ」 「だけど、航さん、僕が・・・」 「深津は、悪くない。誰の予約だろうと、あの店で、二人で過ごせるならそれで良いんだ。最初からその気持ちはあったのに、ちょっと大人気なかった俺が悪い」 今更の弁解のような気もするけれど、航太郎は目元を潤ませる深津を見れば、何もかも許せて不安も怒りもなかったことにしてしまえる。 ごめんな、ともう一度謝ると、悲しそうにしていた深津の表情が引き締まり、強い視線で航太郎を捕らえていた。 「航さんが、好きなんです」 唐突にも聴こえる告白に、今度は航太郎が声を失くす。 深津の表情はどこか怒りを含んでいるようにも見えて、真っ直ぐに航太郎を睨んでいた。 「初めて見たときから、ずっと、航さんだけが好きなんです。誰かを好きになったのなんて、航さんが初めてだし、こんな気持ちが本当に好きっていうものなのか不安になるときもありますけど、これからもこんなに苦しくなるのは、航さん以外に有り得ないし」 「・・・・・み、つ、」 漸く出てきた航太郎の声は、掠れて巧く言葉にならなかった。 突然すぎる深津の告白に、航太郎は驚きを通り越して思考が止まった。 鋭い目は感情が真剣なことを確かに示していて、それに偽りも恥じらいもない、と航太郎を絡める。 「航さんにしてもらうことが全部、僕には嬉しいことで、一緒に居られることが、何より幸せで、僕はそれが怖い」 「・・・怖い?」 「航さんが、居なくなってしまうことを考えてしまうと、すごく怖い」 「深津・・・」 「僕の全ては、航さんが居てくれるだけで完結するんです。嬉しくなるのも、喜ぶことも、幸せになる全てのことは、航さんが居てくれたらそれで終わってしまうんです」 知ってますか、と深津の目が漸く気持ちを和らげたのか揺らいで、潤んだ。 「今でも、不安になれば、僕は怖くて、でもどうすればいいのか解らなくなって、結局航さんが折れてくれるのを待つしか出来ない」 好きなんです、と深津はもう一度口にする。 「本当に、どうしたら、いいですか・・・あと何回、言ったら、航さんがどこにも行かなくなるのか、教えてくれたら、僕は死ぬまでかかっても言い続けたい」 不安なままで、どうしよう、と顔を伏せる深津に、航太郎は漸く息を吹き返したように深く溜息を吐いて、 「・・・・・まいった」 「・・・え?」 頭を抱えたい、と額に手を当てて、航太郎は綻んでしまう顔を隠した。 全身に、電撃が走るような衝撃でいて、そして暖かいものに包まれているような気持ちだった。 実際、体温が上がっているに違いない。 完敗だ、と呟いて、航太郎は深津の身体を座っていた椅子から引き摺り下ろすように抱き寄せて唇を奪った。 「ん・・・っ」 ただ重なるものではなく、熱い舌を絡ませて吐息と唾液が混ざり合うまで深く口付けた。 「ん・・・んっは・・・ぁ、ん、」 深津の苦しそうな息遣いを耳にすると、ますます抑えられなくなってしまう。 頬を撫でて、髪に指を絡めて、耳を擽る。 深津の手が肩から背中に移って、抱き寄せなくても離れなくなってから、漸く唇を離した。 それでも名残惜しそうに濡れたそれを舐めて、 「おかしいな・・・」 笑みを含んだ声で呟くと、深津がまだキスの余韻を引き摺った目でその意味を尋ねてくる。 「明日、俺がお前に告白する予定だったんだけど」 「え・・・?」 「最大の、プレゼントを貰った気分だ」 こんなに嬉しくて、幸せなことはない、と航太郎が囁くと、深津が漸く自分の告白を思い出したように顔を真っ赤に染めて、 「こ、航、さん・・・」 「深津が好きだ。何度言っても、足りないくらい」 「・・・っや、ちょ、っと、」 「俺が何度も言いたいの、解るよな?」 「あの・・・航さんっ、ま、って、」 「言葉だけで、全部終わればいいけど・・・それでも足りない」 「航さん・・・っ」 床は冷たいフローリングだと知っているはずなのに、身体を重ねたまま深津の背をそこに付けた。 額を合わせて、戸惑いを見せる深津に笑いかけた。 「こんな際になって申し訳ないけど、貰った予約券は先生に返す。お礼と、お詫びも一緒に。それでいいよな?」 明日は、自分の予約券で行こう、と囁くと、返事の変わりに染まった頬で了承する目に唇を落とす。 「こ、航さ、んっこ、こ・・・っあの、向こう、部屋・・・」 寝室は隣だ。 隙間もない身体で、啄ばむように口付けを繰り返すと深津が最後の抵抗を見せた。 「知ってる。でも、待てない」 「航さん、」 立ち上がって、隣へ歩いて、ベッドへ倒れる。 その時間すら惜しい。 お前もだよな、と気持ちを確かめるように目を覗き込むと、そこにあったのは恥じらいからの躊躇いだけだ。 正直に深津が頷くのと同時に、もう一度唇を奪った。 |
fin.