| mead ―蜂蜜酒― ――これは、いったいどういう状況だ? 航太郎は視界の隅に見つけた相手を、間違えようもない、と瞬いて確認した。 街中のビルの前で――確かあそこはレストランモールだった――深津はスーツ姿の男と向かい合っていた。 その相手は、航太郎は見たことがない。 何しろ、日本人に見えなかったのだから記憶を探っても出てくるはずがない。 身振り手振りを加えて、何かを深津に伝えようとしている男に、ただ深津は困ったように笑って立っているだけだ。 たまたま道を訊かれたとか、声をかけられただけではないというのは、深津の様子を見れば解る。 相手を真っ直ぐに見て、その言葉を聞こうとする姿勢は今の職業に就いてからの深津の癖だった。 それが無意味に相手に期待を持たせるのだと、航太郎は知りつつ苛付きつつ、直せとは言えない。 どちらかと言えば引っ込み思案で相手に遠慮ばかりしていた深津が、どれほど努力してそれを身に付けたか誰よりも知っているからだ。 ただ、その状況を声も届かないような場所から見てしまって、動けずにいた。 ――秋葉さんと、買い物だって・・・昨日は、 申し訳なさそうに、仕事へゆく航太郎に告げたのはつい夕べのことだった。 休日に仕事を優先しているのは航太郎のほうだ。 だからそれについて深津に何かを言えるはずもなく、ただ、気にせず楽しんでおいで、と言うしかない。 けれど、以前航太郎の職場に取材と称して来たことのある小説家には、その男はどうしても見えなかった。 航太郎の位置からは後姿しか見えなかったけれど、あの細い身体でブライダルサービスは大丈夫だろうか、と心配したくらいの深津がすっかりファンになっている小説家には、見えない。 「――主任? どうされたんですか?」 少し下から声をかけられて、航太郎は現実に戻った。 「・・・ああ、悪い」 ぼうっとしていたのを、大きな紙袋を抱えた部下が不思議そうに見上げていて、航太郎は営業用の笑みを見せてその手から袋を取る。 「あ、私が・・・」 「いいんだ、一人で行かせて悪かった。荷物持ちくらいはさせてくれよ」 「別に・・・いいですよぉ」 「良いのがあったか? 悪い、一緒に入れたら良かったんだが・・・どうしても俺が入ると目立つからな」 「あはは! そりゃレースショップですから〜良いんです、こういうの、私結構好きですから」 「有難う、助かったよ」 「でも主任、企画サンプルに使うからって、レースまで買っちゃうんですね」 「ああ、結構なんでもするな・・・以前は、どうしても欲しい像があって、同期に手伝わせて石膏まで使ったことがある」 「本当ですか?! ええ〜見てみたかった〜」 「用意したご夫婦に喜ばれてね、貰われていったからなあ」 二人で肩を並べて歩きつつ、航太郎は記憶にしっかりと焼きついた情景が離れなかった。 何でもないように部下の相手をしながら、動揺と苛立ちが身体中を駆け巡るのを必死で押さえ込み背中から意識が離れなかった。 「・・・・おかえり」 深津が家に帰ってきたのは、仕事を終えた航太郎が帰ってから一時間も後だった。 玄関で何か話し声が聴こえたのは、きっと夕飯を深津の顧客であり有名なモデルで優秀な医師でもある先生と、その恋人である小説家がここまで送ってきてくれたからだろうと推測した。 夕食も、三人で食べてくる、と言うこともちゃんと聞いていた。 けれど、航太郎はダイニングのテーブルにビールの缶を並べて、出迎えることもしなかった。 リビングと繋がったそこに深津が少し頬を染めて入って来たのに、たた小さく呟いただけだ。 ――飲んだな。 ビール一杯ですぐに頬が上気する深津が、目元も少し赤くしていた。 余程楽しい食事だったのか、アルコールも進んだのだろう。 何度か一緒に飲んだことのある先生を思い出し、その趣味の良さに滅多なものは飲まされてはいないはずだ、と信用していた。 「・・・・・・帰りました」 笑顔で、送ってくれた二人と別れただろう深津は、スーツを着崩しただけの航太郎を見るなり不機嫌そうに顔を歪ませる。 その態度の変化はなんだ、と航太郎もますます目を据わらせた。 その視線にも負けないように深津はじっと航太郎を見てから、 「・・・どうぞ、伊集院さんから、です」 「なんだ?」 「頂き物で、伊集院さんもユウさんも飲まれないから、と」 テーブルに置かれた紙袋から覗くのは、航太郎が以前潰れるまで飲んだウイスキーで、本当に美味しい、と相好を崩してしまったものだった。 そう言う深津の表情は硬い。 航太郎の喜ぶことならなんでも嬉しい、と目元を緩ませる恋人は、今日は何故かむっつりとその綺麗な顔を固まらせていた。 航太郎はその紙袋をちら、と見て、 「楽しかったか?」 低く溜息を吐くように言った。 「・・・はい、すごく、美味しかったので、今度は航さんも一緒にって、おっしゃってました」 「ふぅん、今度、ね」 「・・・航さん、今日・・・」 「なに?」 「・・・・・仕事、忙しかったんですか」 「まぁな、お前は買い物って、何を買ったんだ。秋葉さんと一緒だったんだろ」 「・・・そうですけど、欲しいものが、なくて、なにも」 「ふぅん」 「・・・・・」 テーブルに向かったままの航太郎と、その隣に立ち尽くした深津。 当たり障りのない会話をしながら、お互い本心には全く触れていないのは解っていた。 気のない返事を航太郎がして、重いだけの沈黙が落ちる。 それを破ったのは、深津だ。 「・・・航さん、夕食は?」 「・・・・食ってないな、そういえば」 深津の視線はテーブルに向いている。正確には、テーブルに綺麗に並べたビール缶に、だった。 「何も? 食べてないのに、これだけ飲んだんですか?」 「ああ、悪い、冷蔵庫の中、もうない」 「そうじゃ・・・何か、食べてからせめて、」 「食べたくない」 「航さん! 身体、壊しますから」 「いいよ、別に」 「航さん・・・っ」 どうでもいい、と顔を背けたのに、深津が本気で怒りを滲ませて睨みつけているのが解る。 ちらり、とそれを見ると、航太郎はもやもやと胸が落ち着かなくなってしまう。 そんな顔をして、と苛立ちも隠せず舌打ちをしてしまった。 「航さん・・・僕が、心配するの・・・鬱陶しいですか?」 舌打ちをされたショックで心なしか赤い顔がさっと色を失くすのに、航太郎は不機嫌さを隠しもせず、 「心配、するのか」 「し、しますよ! 当たり前でしょう?!」 「じゃあ・・・」 航太郎は一度躊躇って、しかし真っ直ぐに睨みつけてくる深津の視線に負けたように一日蟠っていた言葉を口にした。 「今日、誰と会っていた?」 「・・・え? ユウさんと、伊集院さん、ですけど・・・」 知っているでしょう、と思いもよらない質問だったのか目を瞬かせたのに、 「昼間は?」 「え・・・・っ」 「Gビルの前で・・・熱心に口説かれてたじゃないか」 事実はどうか解らないが、航太郎にはそうとしか見えなかった。 深津はどうして、とびっくりした顔をさせて、 「み、見てたんですか?」 「・・・・見たかったわけじゃない」 低く、不機嫌な声に深津は慌てたように、 「あれは、ユウさんも一緒でした! ちょっと、お手洗いにって一度離れましたけど、今日は本当に、ユウさんと一緒で・・・」 「その離れた隙に、口説かれた?」 「・・・・・・っ」 赤い顔で目を逸らすのは、事実だ、と航太郎に教えていた。 「・・・ふぅん、良い男だったよな。身形も良かった。サラリーマンにも見えないし」 「あの人は・・・っ先日行った、ROSEのベトナムでの仕事の・・・」 「どうでもいい」 「・・・・・・」 言い訳を始めた深津を、先に塞いだ。 航太郎が不機嫌なのは、またそれか、と落ち着かなくなったからだ。 元々、晴れやかな舞台に居る深津だったけれど、あの医者兼モデルに関わって以来、一層周囲が騒がしくなった。 それがただ――航太郎には、面白くないだけだ。 ただのヤキモチ、いい年をして、と思うけれど、未だに深津に関しては想いが穏やかになることもない航太郎は怒りを鎮めれなかった。 「航さんだって・・・っ」 その声に落としていた視線を上げると、悲しそうな顔に怒りを見せた深津が赤い目で睨みつけていた。 「なに、」 「今日、仕事、してたって」 「してたよ、俺は」 「じゃ・・・っあの人は、誰ですかっ」 「・・・あ?」 「今日! TOSOビルの前で、仲良さそうに一緒に歩いてた!」 「・・・・・は? TOSOビルって・・・ああ、森下は部下の一人で、買い物を、」 「二人で?!」 「・・・サンプルを買いに行くのに、付いてきてもらったんだ。見てたのか?」 丁度、Gビルとは斜向かいの位置にあるビルの前を、確かに航太郎は通った。 航太郎と同じく、その距離で深津も気付いたのか、と驚くと、 「と・・・っ当然、でしょう?! サンプルって、買い物って、二人で・・・っあんなに仲良さそうで、僕が今日、どんな気持ちで・・・っ」 「・・・おい、深津?」 「あのコーディネータには、お世話になったから一度だけ食事をって付き合っただけで、それにもユウさんが心配して付き合ってくれて、あの後で落ち込んだ僕に、ユウさんは必死に慰めてくれて! 伊集院さんにも気を遣って貰って、とても楽しい日だったのに僕は航さんだけしか考えれなくて、すっごく失礼な態度だったのに、二人とも何にも気にしないで付き合ってくれて・・・っ」 「み・・・深津、深津? 落ち着け、」 珍しく、堰を切ったように言葉を繋げる深津に、驚きながらも航太郎はその言葉に自分の中の怒りが消化されていくのを感じた。 ――単純、だよな、俺も、 自分に嘲笑いつつ、すでに怒りで周囲の見えていない相手を落ち着かせようと顔を覗き込む。 「悪かった、俺が、早とちりした・・・」 「大体、あの人にお世話になったのだって、元はと言えば航さんの・・・・」 そこまで言って、深津は思い出したように言葉を止めた。 その不自然さに航太郎は眉を顰めて、 「俺の?」 「・・・・・・あの」 「深津? 俺の、なんだって?」 形勢逆転、とばかりに目を据わらせた航太郎に、動揺を隠せない深津が視線を彷徨わせるのを逃がさない、とその手を掴んだ。 「深津」 「・・・・・・・」 赤い顔なのは、アルコールを飲んだだけではないはずだ。 それを下から覗き込むようにして、身体の向きを変えて開いた膝の間に引き寄せた。 「・・・ごめん、好きだよ」 「・・・・・っ」 「今日、一緒に行けなくて、ごめん。嫉妬深くて・・・ごめん」 「・・・・・ず、るい、です」 「許してもらえるなら、何度でも謝る」 「だから・・・っだから、ずるい、って」 「何が?」 「そ、んな顔で・・・そんな声で、言われたら」 「深津に、嘘はつきたくない。誤魔化したくもない」 やっぱりずるい、と深津は赤い目の縁で航太郎を睨む。 けれどそれはさっきまでのものとは違って、許されるならそのまま崩れ落ちて縋りそうなほど弱く甘いものだった。 ――そんな顔して俺をずるいって・・・よく言うよな。 航太郎は呆れつつももう一押しだ、と目元を和らげた。 「嫉妬されるのって・・・不謹慎だけど、嬉しいな」 「・・・・・航さん」 もう駄目、と深津は重く閉じていた口を開いた。 その身体を膝の上に抱えるようにして、深津が隠していたことを言わせたのは、また別の話だ。 それを聞き終わって、やっぱりROSEの仕事は好きになれない、と航太郎はテーブルの上に置かれたままの紙袋に視線を移した。 ――これ一本じゃ、割に合わないんだけど・・・? |
fin.