| 嫌いな日 「深津先生、今年は何を貰うんですかぁ?」 きっと今日最後の客になるだろう女性の栗色の髪にブローをかけながら、アシスタントである海がドライヤーの音に負けない声を上げる。 カウンタの片づけを始めていた深津は振り返ると客とも鏡越しに視線が絡んだ。 「何の話ですか?」 聞き返すと会社帰りに寄ってゆく常連の客が笑って、 「バレンタインですよ」 それに思い出して深津は壁にあった大きなカレンダーを見る。 「ああ、もうそんな時期でしたか」 「そんな時期って、深津先生〜、二月にもうなってるんですよ?! 早く決めて用意しないと・・・」 「海ちゃん、深津さんは男の人だから・・・貰うほうでしょ? 何をあげるか決めるのは海ちゃんじゃないの?」 鏡の中で困ったように笑う客に、深津も苦笑してしまう。 恋人も男であるとき、この場合はどうすればいいのだろう、と返事を考えていると仕上げにかかった海が真剣な顔で、 「今は男の人だってあげなきゃ! 欧米では男の人のほうがあげる行事ですよ?! チョコレートをあげるだけなんて、お菓子会社の戦略にはまってます!」 その意気込みに深津は女性客と鏡越しに笑ってしまった。 「じゃぁ、海ちゃんは何をあげるの、キョウくんに」 「ノイハウスのチョコです!」 意気込んで返ってきた言葉に思わず吹き出してしまった。 まさにお菓子会社に乗せられている答えだった。 その意味が海にも分かったのか、少し頬を膨らませて、 「違いますぅ、キョウくんがそこのチョコが好きなんです! あと、新しい抱き枕が欲しいって言ってたから、それとセットです!」 「・・・っ、ふぅん、そうなんだ」 深津はむきにに答える海に笑わないよう必死に堪えたけれど、鏡の中で女性客は盛大に笑っていた。 その客が帰ってから、店を閉める。 二人で片づけをしながら海は答えを諦めていないのか箒を片手にもう一度繰り返す。 「それで、先生は何をあげるんですか?」 言われて深津は苦笑してしまう。海が喜んでくれそうな返事が出来ないのだ。 それでも答えない限りは逃げられはしない。 「・・・あげたことないんだよ、僕は」 かと言って、貰ったことがないわけではない。 驚いた海の表情にそれは黙っておくことにした。 追求されれば、とてもじゃないが答えられないことになってしまう。 深津はまたそんな季節なのか、と暖冬なのか雪の降らない外に視線を向けた。 一年で一番、嫌いな日が近づいていた。 最近航太郎の機嫌が一段と良い。 理由はなんとなく知っている。 深津は夕食後にも鼻歌を歌いそうな航太郎に、努めて真面目な視線を向けて、 「・・・航さん、もう何度も言いましたけど、」 「ん?」 「毎年言ってますけど、あんまり――度を越さないようにしてくださいね?」 航太郎は何を指しているのか知っている、と口端をあげて笑いながら、 「なにが?」 「航さんっ!」 去年は、フルボトルのワインだった。 とても美味しくて、二人で一気に空けてしまった。 愛情に尽くされた航太郎の料理も美味しかった。 けれど後日冷静になって、そのボトルにあったラベルを調べて、思わず空のそれを落としそうになって慌てて抱きしめなおした。 もう、飲み干してしまったけれど、深津の生まれた歳のワイン。 ネット検索したその金額に眩暈がしそうになって――実際にクラリとなったがボトルは落とさなかった――倒れそうだった。 深津が怒ることも航太郎はあっさりと腕の中に納めてしまえるのか、 「年に一度のことだろ? 俺の気持ちだから、気にするなよ」 「気になります!!」 バレンタイン。 その日は世界中で愛が囁かれる一日。 しかし深津はその日に誰かに何かをあげたことはない。 深津の――生まれた日だからだ。 海にはまだ気付かれていないので、深く詮索されずにすんだけれど、バレたときが突っ込まれそうで怖い。 さらに行事に高じて航太郎のプレゼントが年々度を越して行っていることが怖い。 深津は頭を抱えながら、 「お願いですから――僕は、寧ろ何も要りませんから、航さんが居るだけで、それでいいんです」 「うん、そうだな、ずっと一緒に居るからな?」 だから毎年お祝いをするのは自分だ、と航太郎は笑顔を止めない。 「俺もたっぷり、貰ってもらうから」 航太郎の何を、と深津は訊き返せれない。 その意味を理解した、と真っ赤になった顔を見られたくなくて俯かせた。 「深津の喜ぶ顔、俺一番好きだよ」 にっこりと、これもまた深津の一番好きな笑顔で笑う航太郎を悔しそうに睨みつけながら、告白されて嬉しいやら困るやらで何も言えなくなるのだった。 バレンタインなんて、なくなってしまえ。 深津は毎年の悪態を心の中で呟いたのだった。 |
fin.