| 入知恵 「ねぇねぇ深津先生」 平日の午後、いつも客の引いた時間に深津はアシスタントの海と休憩を入れていた。 お気に入りの大きなマグカップに甘いカフェオレを入れて、レジ前のカウンタへ肘を付いて少々甘い海の声に、深津は変わらない笑顔で、 「なに?」 カップに入ったコーヒーに口を付けながら首を傾げる。 「深津先生て、本当は何歳なんですか?」 「・・・・はい?」 「30歳超えてるとか、嘘ですよね? キョウくんなんか絶対信じないって言うんですよ?」 少し眉を寄せて、幼さのある少女のような顔立ちの海は、仲の良い恋人を思い出して唇を尖らせた。 言われた深津はまだどういう意味なのかを理解できず、 「えっと・・・なにを、信じないの?」 とりあえず解かろうとして最後に耳に残った疑問を口にする。 「深津先生が30歳ってことです〜!」 正確にはすでに32歳になっている深津である。 海は身長差のある深津を背伸びするように覗き込んで、切りそろえた爪先でその肌を突付いた。 「この肌・・・! 絶対おかしい!」 「・・・・海ちゃん?」 深津は困りきった顔で溜息を吐き出し、そのピンク色に塗られた爪のある手をそっと退けた。 またいったい、何を言い出すのだ、と深津は諦めたように笑って、 「あのね、僕は本当に32歳です。免許証、見せようか?」 諦めるかと思ったのに、海はそこでまた大きく目を見開いて、 「ええ?! 深津先生、運転できるの?!」 違うところでまた驚かれた。 深津はただもう刺激しないように、と大人しく頷いて、 「出来るよ。車で出かけたとき、二人とも運転できたほうがいいでしょう。疲れるし・・・」 「こーたろーさんとですね?!」 「・・・・・・」 相手を指定したわけではないけれど、海の目はもう他の誰を言っても信じない、とキラキラと輝いているので深津はもう一度諦めた。 それにしても、やはり海の発音は全てを伸ばして聴こえる。 航太郎が一番嫌っている呼び方なのだ。 理由は、犬のようだから、である。 深津の恩師である奥が、それを知りながらも言い直そうとしないことを航太郎は諦めていた。 そこで海は手をうって、 「そうそう! 思い出しました、本題なんですけど!」 今までの全てが本題ではなかったのか、と深津が驚いているのにも海は気にせず、にこやかに口を開く。 その内容に、深津はまた大人とは思えないほど赤面してしまった――― 航太郎が珍しく残業もなく帰宅して、その夜にベッドの上に倒れ込んでからだった。 「ま、待ってください!」 戸惑いながらも、しかし力強く肩を押し返す深津に航太郎は少し首を傾げて、 「どうした?」 したくなかったのか、と体調を気遣うように問われて、深津は照明の落ちた部屋で真っ赤な顔を背ける。 「え、えっと・・・今日は、その・・・・」 「なんだ?」 「ど・・・どうしても、し、ますか・・・?」 「・・・・・・」 暗闇に慣れた目で確認すれば、いや、するまでもなくこんなときの深津の顔は解かりきっている。 染めた頬と、潤んだ瞳。震える唇。そんな顔で見上げられれば、どうしてももなにもない。 「何だっていうんだ」 航太郎は舌打ちをしたいのをどうにか堪えて、その理由を訊く。 そんな顔をしていて、何が厭だというのかが解からない。 昨日今日の付き合いではないのだ。本気で嫌がっているかどうかなど、解からないはずもない。 深津はそれでも視線を合わせられない、と俯いて、 「いえ・・・その、昨日も・・・・・したし」 「それが?」 航太郎にすでに遠慮などない。 相手の身体を気遣うことはあるけれど、まったくもって病気も怪我もなく万全なときにしないという選択肢はもうない。 「・・・・・だから」 言い澱んだ深津に、その羞恥は可愛いとは思うけれどお預けを食っている今は正直苛立つ。 航太郎は身体を背けた深津を後ろから抱きしめて、その首筋に顔を埋めた。 「あ・・・っ航さん!」 「理由は? なんだ? ないんだったら・・・このままする」 「あ、あ・・・っや、いい、ます! 言いますから!」 薄いシャツの上を、熱を持った手で這わせると深津はあっさりと白旗を揚げる。 航太郎が背後に居るのを良いことに、深津は躊躇った言葉を真っ赤な顔のままで告げた。 「その、良い歳をして・・・・どうして、毎日出来るのか、って・・・せ、せい、精力、・・・・って、いつ・・・・・・なくなる、んで、しょう・・・っ」 後ろから見ても、深津は赤い。 髪の間から覗く耳も、その誘うような細いうなじも、全てが染まりきっている。 航太郎は普段決して口にしないようなことを聴いて、少し呆れた。 深津が自分からこんなことを考えるとは思えない。 どうせまた、誰かからの入れ知恵なのだ、と航太郎はあっさりと看破して溜息を吐いた。 「・・・・あの助手の子だな?」 「え・・・っ」 驚いた深津は、どうして解かったのだろう、と赤い顔で不思議そうに振り返る。 航太郎はそのまま身体を返して、最初のようにベッドに押し付けた。 そこで上からきつく、真っ直ぐに視線を落とす。 「いつまでがいい」 「・・・・・はい?」 「いつまで、こうして抱いて欲しい?」 「う、え・・・・っ?!」 「お前が望むなら、そりゃ死ぬまで抱いてやりたいが、俺もそこまでは分からないな」 「あ・・・っあの、えっと!」 「だけど、今衰えるはずもないだろ」 「航さん・・・っ」 「・・・・こんなに、綺麗なままのお前を前にして、精力がなくなるなんて有り得ないな。毎晩がっつきそうなのを、必死で堪えてるくらいなのに」 「・・・・・・っ」 もう抵抗することも言葉もない、と深津は声を失くした。 海が訊いてきたのは、30歳を超えたら精力って落ちるものなのか、という疑問だったのだけれど、実際にそうなってもまだ航太郎に触れられるだけで、囁かれるだけで、その視線を感じるだけでこんなにも熱を持つ身体はいつ衰えるのか深津が聞きたいくらいだった。 すぐに航太郎の愛撫に落ちてしまった深津を抱きかかえながら、航太郎は最近余計な入れ知恵をする若い深津の助手を、どうにかしなげれば、と目を細めて考えた。 しかし今は、本当に30を越えているのか、と未だに航太郎が一番疑う身体を貪ることに集中したのだった。 |
fin.