honey moon






        『     良いときも悪いときも
              富めるときも貧しきときも
              病めるときも健やかなるときも
              死が二人を分かつ迄
              愛することを誓いますか      』





「……まさか、本当に式を挙げるなんて…思ってませんでした」
「……実は、俺も」
スーツよりも晴れやかな衣装を着て、祭壇の前に立つ。
航太郎は淡いグレイ。その隣に立つ深津はピンクにも見える薄い紫で纏めてあった。
胸元にあるのはブーケから取り出したような一輪の花。
「誓います」
躊躇いなくも答えてから、勧められる前に綻んだ顔を寄せ合った。見ているものが呆れるような濃厚なそれが、誓いのキスだった。



『……当機をご利用頂きまして、誠にありがとうございます。機長の羽柴です。本日の天気は地上も晴れ……』
機内アナウンスを聞きながら、深津は収まらない高揚感のお蔭で睡魔が全く襲って来なかった。
時差を考えると眠っていたほうが良いことも解かるのだが、昨夜から嬉しさのあまり緊張してあまり眠れなかった。
それが今も持続してしまっている。
思えば、この旅行を決めたときから深津は嬉しくて楽しみで、まるで遠足を待つ子供のようだ、と自分で呆れるほどだった。だから実際にこうして飛行機にも乗り込んでみても、それが半減することはない。
深津は仕事の段取りもスムーズに付き、一週間も休暇が取れてしまった。
GWの最中は、深津の店は休業にしているものの、さらに多くの休みが確保出来たのは安心して頼れるスタッフたちのお陰だ、と今からお礼を考えていた。
そんな深津とは裏腹に、早くから予定していたにも関わらず、実のところ家を出て空港に着く直前まで仕事に追われていたのが隣で目を伏せる航太郎だった。
会社にも同僚にも部下にも頭を下げて、どうにかもぎ取ったらしい休暇を、航太郎は絶対に手放すことはなかった。
昨日まで帰宅するのは深夜に近く、朝も早くから出社して精力的に仕事を片付けて、休暇中は絶対に連絡するな、と触れまわり、その反動なのか、機内に乗り込みシートベルトを締めたとたん落ちるように眠ってしまった。
一人で起きているのが寂しいとは思わないのは、深津との旅行のために航太郎が頑張ってくれたと解かっているからだ。
そして、キャビンアテンダントが掛けてくれた膝かけの下で、しっかりと深津の手を放さないように握られているせいでもあった。
掌からの温もりに、深津はすでにこの旅行に満足してしまっていたのだった。

    *

ビジネスシートにしたのは、航太郎は眠ってしまうことが予測出来たからで、ならば長身の身体を狭い中に押し込めて安眠は出来ないだろう、と思ったからだった。
その通り、疲れのせいもあって航太郎は上空で半分以上寝て過ごしてしまった。
ふと目が覚めた機内は夜なのか薄闇で、かすかに起きている客もいるようだが他の客に迷惑にならないように静かに呼吸が聴こえる程度だった。
ぼんやりとした明かりの中で、隣の深津もようやく睡魔が来たのか目を閉じて航太郎側に頭を傾けている。
忙しくて眠れなかった航太郎とは違い、深津は楽しみで眠れなかったようだった。
それは航太郎としては嬉しくもあるが、旅行先での体調を考えると眠っていて欲しかった。
先に眠って申し訳ないと思いつつ、柔らかな毛布の下でこの座席に座ったときから握られた手は、放されることはなく繋がっていた。それと隣で目を閉じる相手にどうしようもない愛しさが込み上げて、少し身体を起こして額に唇を当てた。
「…………、」
その体温が伝わったのか、眠っていた深津がゆっくりと目を開く。
目を合わせてから、声を殺すようにおはよう、と囁いた。
深津はまだ夢の中にいるような微笑みを返し、唇を動かすだけのような声を向ける。
「……お腹、空いてないですか?」
航太郎は機内食を食べずずっと眠っていたのだ。優しそうなキャビンアテンダントは、いつでも用意するので起きたら教えて下さい、と言ってくれた、と深津が囁く。
空いていないわけではないが、このままもう一度眠れそうな航太郎は首を振った。
「いいよ……もう少し、寝ようか」
はい、と呟いた深津の声は、誰にも見つからないようにそっとした口付けの中に消えた。
毛布の下の手をもう一度握り直し、頭を寄せ合い同じ夢を見られるように目を閉じたのだった。


     * * *


空港に着くと、真っ先にホテルに向かった。
日本は春から新緑に変わる季節だというのに、ここは南の国、と言うだけあって夕方の時刻にも関わらず日差しがきつい。
日本人観光客も多いこの国で、周囲から聴こえる声は英語と日本語が混ざったものだ。
海外に来ている気分はどこかなかったけれど、誰に遠慮することもなく自然と手を繋いだのは、やはりこの旅行がただの旅行ではない、とお互いに意識しているからかもしれない。
ホテルに着くと、夕食には早い時間なので目の前に広がるプライベートビーチへと降りた。
さすがに他の客が入り乱れるホテル内は手を離したけれど、ちょうど夕陽の沈む頃だというのにプライベートビーチはまばらに人が点在するほどだった。そのせいもあって、航太郎が伸ばした手を深津は少し恥じらいながらも取った。
「すごい、綺麗……」
「うん、でも深津、暑くないか?」
そう航太郎が訊いたのは、Tシャツにハーフパンツというラフな格好になった航太郎に対して、深津は長袖のパーカを羽織り軽そうな麻とはいえゆったりとしたロングパンツだったからだ。
下にはシャツを着て、腰をベルトではなく同生地の紐で結んでいるのが益々細さを強調しているようで、航太郎は思わずそこに手を回したくなる。
その視線を暑そうだ、と取ったのか、深津は自分を見直して首を振った。
「いいえ、今はちょうどいいくらいです…焼けるものなら、焼きたいですけど」
「まぁ…火傷するよりましか」
「はい」
体質的に、深津は日に焼けると真っ赤に腫れあがってしまう。
もちろん少しくらいの夏の日差しなら最近は慣れたけれど、紫外線のきついこの場所ではこの恰好がベストだった。
「こんなところまで、父さんに似なくてもいいと思うんですけど……」
ぼやきに近い呟きに、航太郎は苦笑した。
よく間違えられるが、深津の外見は全くの父親譲りだった。黙って立っていればモデルだってこなせそうな父親は、内面と外見のギャップが激しく、その腕に倒されたのは両手でも追いつかないだろう。
スーツに身を包めば英国紳士にも見えるのに、その職業は長距離トレーラのドライバだ。
気の荒い人間が多い中で、この外見は嫌でも目立つ。そのせいでからかわれたり見下されたりすることはしょっちゅうで、しかしその度、みかけにはよらない腕にものを言わせて黙らせてきた。
性格だけは母親似だ、と言う深津は、強い父親に憧れながらもこんな外見だけを引き継がせて、少し憎まないところがないわけではない。
あまり家にはいない深津の父親を思い浮かべて、航太郎は少し考えながら、
「……そろそろ、殴られに行こうかな」
「え?」
どういう意味だ、と深津が隣で俯く航太郎を見返せば、不安を滲ませながらも楽しそうな笑みを返される。
「深津をくださいって、正式に」
「せ…っ正式、って、」
「サービス業だから、顔は勘弁してもらいたいが…何発くらい我慢したらいいと思う?」
「…………っ!」
海辺を染める夕日よりも顔を染めた深津は、思わぬ言葉に声を失くす。
それでもぎゅっと握った手が、冗談ではなく本気だ、と教えて、動揺を出しながらも深津も一度息を飲んで、
「……母さんは、たぶん、気付いてますけど」
「うちも、気付いてるよ。てか、いつ嫁に貰うんだって、前に言われた」
「は?! 聞いてませんよ、そんなこと!」
「言ってない。言って深津が怯んで嫌だって言うのが怖くて」
「嫌、って……」
「言わないか?」
学生の頃からの付き合いで、お互いの家族とも顔を合わせたのは一度や二度ではない。
今更な気もするけれど、一度はっきりとしたほうがいいのかもしれない、と航太郎は考えていたことを打ち明けた。
深津は尋ねられながらも、答えなどひとつしかない、と知っている。
深津が知っていることを、航太郎も知っている。
だから悔しさを顔に浮かべて、精一杯意趣返しに手を握った。
「嫌以外の言葉を、今度考えておきます」
深津の最大限の捻くれた返事に、航太郎は嬉しそうに目を細めて、
「期待して待ってる」
「ま、待たなくていいですっ」
「いや、待ちたい」
「それより…っこれから夕食、どうしますか?」
深津はもうこの話題を消してしまいたい、と背後に見えるホテルを見返すと、航太郎は少し考えて、
「んー…一番大きなレストランで、夜にショウがあるらしいから…それを見ながら何か食べようか」
「あ、いいですね」
「明日は一日、観光ツアーになるしな」
あまり予定を入れずに決めたこの旅行で、明日だけは現地のバスツアーに参加することにしていた。
「じゃあ、ご飯食べて、明日のために今日はゆっくり疲れを取って…」
「寝るのか?」
まるで異議があるような声に深津が瞬き返すと、ただ握っていた手が動いて指が絡んだ。
「航さ……」
「このまま? 寝てしまうって?」
「ちょ……っ」
手を引くように、顔を深津の耳へと近付ける。
慌てる深津を気にもしないで、
「飛行機の中で寝たから、結構体力余ってるんだけど……?」
その意味を、深津は顔を染めて理解する。素直に受け入れられないのは、羞恥のためだ。
「あ、の……ですけど、明日、だって……」
「じゃ、これで決めよう」
「え?」
足もとの砂浜を指し、航太郎が身体を屈めて落ちていた一本の小枝を取って見せた。
引っ張る様に深津を砂の上に座らせて、自分も向かい合って座る。その間に温かくなっている砂をかき集めて小さな山を作り、真ん中に拾った棒を立てた。
「倒したほうが負け、な?」
「航さん……っ」
子供の遊びをいきなり始めたことに深津が呆れているのに、航太郎は全く気にせず、
「深津が勝ったら、すぐに寝る。俺が勝ったら、ちょっとだけさせて」
「ちょっとって……っ」
「ん? ちょっとじゃ気に入らないのか? 俺はちょっとでいいんだけど…じゃ、欲張りな深津はがっつりしたい、と」
「航さんっ!」
「俺が勝ったらちょっとで、深津が勝ったらがっつりで、ほら、深津の番」
「だから、そういう意味じゃ……っ」
外側の砂を両手でごっそり取った航太郎が差し出す山は、頼りなく小枝が揺れていて深津がそこに手を触れただけでも倒れてしまいそうだった。
深津が倒せば航太郎の勝ちで、結果はちょっと、になるけれど、こと色事に関して深津は航太郎に勝てた例がない。その先は想像するより明らかで、深津は砂に触れる前に負けられない、と航太郎を睨んだ。
「僕が勝ったら、条件の変更をお願いします!」
「ん? 変更?」
「そう……はい、航さんの番です」
「あ……」
深津が倒すだろう、と予測を立てていた砂山は、細い指がそっと外周をなぞっただけで棒は倒れなかった。
驚いたものの、航太郎は笑ってまた両手で砂を掻き寄せた。
ぽとり、と倒れた棒に、
「俺の負け。で、条件って?」
「ええと……」
あっさりと倒されたことに、深津は慌てて頭を動かす。
航太郎が反論出来ないくらい理が通っていて、絶対に深津が勝てるもの。
それをすぐに考え出すことは不可能で、深津も新しく砂山を作る航太郎に手伝って手を砂に絡めた。
「えーと、航さんが勝ったら、さっきのでいいです……」
「うん、深津が勝ったら?」
「僕が、勝ったら……」
二人で囲んだ砂を三角にしながら、深津はさらさらで温かい砂の感触が気持ち良いな、と手を砂の中に埋めて思考の中に落ちる。
その手を、砂の中で絡めたのは航太郎だ。
「……勝ったら?」
言葉の続きを促しながら、航太郎は一本ずつ指を確かめ、手の甲をなぞり砂の中で肌を確かめる。
「勝った、ら……」
深津の意識はそれだけで手に集中してしまう。
考えていることなど全て消え去り、太陽で暖まった砂より熱い手をどうしたらいいのか、と動揺して砂の上に視線を彷徨わせる。
「……深津、」
「航、さ……」
身体を前に屈み込ませて、俯いた顔を上げろ、と呼べばその意味を確かに受け取った深津が戸惑った視線で答える。
「誰も見てない」
「…………っ」
「な……?」
だから、と促す言葉のない誘いに、深津は吸い込まれるように自分の身体も前に出した。
砂の中で絡まる手の上で、上体が重なる。が、
「だから! 何が気に入らねぇんだ!」
渇いてしまった唇を重ねる瞬間、耳に第三者の声が届いてビクリ、と動きを止めた。
それは怒声に近く、そして日本語だったものだからはっきりと理解し、雰囲気を持っていた二人を現実に引き戻した。
至近距離で目を瞬かせた後で、同時に笑ってしまう。
仕方ないな、と身体を離したものの、砂の上に座って聴こえた声を確かめた。
航太郎と深津がいる水際の砂の上よりも、風除けの林に近い場所で二人の男女が向かい合っているのが見える。
少し離れているのだが、向こうの声は辺りを気にしないのか大声なのでしっかりとその内容を聴いてしまった。
「だからっいきなり言われたってどーしようもないでしょって言ってるの!」
「何がだよっ驚かそうと思って…こうゆうのは驚いて喜ぶのがフツーじゃねぇの!」
「心の準備があるでしょ?! いまどきサプライズなんて流行んないよっ」
「準備って、予想付いただろ?!」
「付かないよ! 想像もしてなかった!」
「ここまで来てそういうこと言うか?!」
「勝手に進めたのそっちでしょ!」
「俺が悪いのかよ!」
「悪くないって言うの?!」
「ああそうかよ、じゃあもういい!」
「もういいってなに!」
「もういいはもういい!」
どうやら痴話喧嘩らしかったのだが、話の内容があまり穏やかではないほうへと進んでいく。
意図的にではないものの、それを聞いてしまう航太郎と深津のほうが居た堪れない気持ちになって落ち着かない。
日本人の二人ならここへ旅行に来たのだろうけれど、その旅先で派手に喧嘩してそのまま別れてしまうのでは、と深津は他人事に不安になって、そっと視線を林のほうへ向けた。
沈んでいく夕陽の中に、男女の姿がはっきりと見える。
男の姿は航太郎と変わりない恰好で、女のほうは薄いキャミソールワンピース一枚だ。肩先まで伸ばした髪が揺れて、整った顔をはっきりと怒らせていた。
その顔をしっかりと見て、深津は驚いた。
「――翔子ちゃん……?!」
いるはずのない名前を呼んで、愕然と身体から力が抜けた。
その深津に気付いて、航太郎もその二人を見てさらに驚いた。
「依島っ?!」
とうとう、別れる別れない、という会話に発展しそうだった二人の怒声より大きな声は、喧嘩を中断させるものに充分だった。
航太郎の声に驚いた二人も砂浜に座っていた第三者に気付いたのか視線を向けて、負けないくらい驚いた声が響いた。
「――航太郎?!」

     *

「依島友昭です」
航太郎の同期で同僚の男は、場所をホテルのレストランに移して一応挨拶を交わす。仕事上、深津も顔は知っていたけれどあまり話したこともない。
そして相手の女のほうが深津は驚いていたのだ。
「東涼子です」
そう言うのは、深津の知る顔より少し大人びていたけれど、驚くほどそれに似ていたのだ。
まるで彼女が生きていたら、こんな風になっていただろう、と深津は戸惑いを隠せない。
涼子もそれは解かるのか、苦笑しつつ現状を確かめる。
「お姉ちゃんにそっくりだって、よく言われます」
「うん…ごめん、びっくりしちゃって。あのときは、小学生だったよね?」
涼子は翔子――深津の親友である辰彦の、付き合っていた相手の妹だった。
しかし翔子は高校生の時に事故でもうこの世にはいない。その葬儀で会っているはずだが、成長した今とすぐには結び付かないのだ。
「はい……辰彦くんは、元気ですか?」
葬儀の時、家族と同じ悲しみに落ちていたのが辰彦で、それは涼子にも伝わっていたようだった。今は疎遠となってしまっても、涼子としては気にならない相手ではない。
深津は今現在の親友の恋人も思い出し、優しく微笑んだ。
「元気だよ……そう、今、付き合っている子もいて、楽しそうだから」
「ああ…そうですか、良かった」
ほっと息を吐くほど、当時幼かった涼子の目にも辰彦の悲しみは深かった。
同じテーブルについて、穏やかに近況を話す二人とは対比して、依島は同僚の男を強く睨んだ。
「まさかここでお前に会うとは……」
「俺だってまさか、だ。お前休み取るって言ってたけど、旅行に行くとは全然言ってなかっただろ」
航太郎も負けじと同じ強さで睨み返す。
「そんなこと言う必要ないだろ、ちゃんと仕事片付けて休み取ったんだ」
「お前は船曳に押しつけてたろうが!」
「そんなことどうでもいいが――大事なのは、航太郎、お前がいつから俺らを騙してたんだってことだ!」
「人聞きが悪い、騙してなんかない」
バツの悪そうな顔をしつつも、航太郎は白を切り通そうとしかめっ面を続けた。
しかし付き合いの長い同僚が、それに誤魔化されるはずもなく、
「新婚旅行だっつって、浮かれてさんざんのろけて……っ」
「のろけてない」
「相手が長谷川さんなんて聞いてねぇぞ!」
「……言ってないだけだ」
航太郎は恋人と同棲していることを隠してはいない。結婚はしていないものの、ずっと付き合っていることも周知だった。
ただその相手が、航太郎たちの勤めるブライダル会社と何度か仕事をしたことのある深津だとは教えていなかった。
「高校んときからっつってたな?! てことは、初めっからじゃん! サイテーだぞ航太郎!」
さっそく船曳にも教えてやらねば、ともう一人の同僚と吊し上げにするのを決めた依島に、航太郎も顔を顰めて、
「お前だって、こんな彼女がいるなんて聞いてないぞ?! ついこの間も合コンがあるとかどうとか……っ」
「ああああっそれはただの飲み会だよっお前だって参加する予定だろ!」
「俺は行くとは言ってない!」
慌てた依島は隣に彼女が座っていることを意識して、航太郎も隣の深津を思い出して言い返す。
喧嘩腰になった二人の横で、和やかに話していたほうからひんやりとした空気が流れて、
「航さん?」
「友昭くん?」
低く名を呼ばれたことに、さっきまでの勢いは一瞬にして霧散した二人は小さくなって返事をした。
「……はい、すみません」
コースではなく、単品を注文した料理が運ばれてきて、飲み物を飲み始めてからようやく席が落ち着いた頃、
「しかし、意外な繋がりがあったもんだな」
依島が驚きながらも受け入れて、深津と涼子を見比べた。
「私もびっくりだよ、長谷川さん、高校生のころから変わってないみたい」
幼い頃の記憶にある深津と、今が変わらない、と言うのに深津は苦笑して、
「まさか、あれからどれだけ経ってると……」
「高校からっていうと、お姉ちゃんも辰彦くんも知ってたの?」
航太郎と深津の関係を、だった。
深津は素直に頷いて、
「うん、翔子ちゃんにも、いろいろお世話になってた」
「そうなんだー」
全然気付かなかった、という涼子に、依島が航太郎に視線を向けて、
「お前が誤魔化してばっかりだからだ!」
「誤魔化してねぇよ」
「なんで黙ってたんだよ?」
同性と付き合っていることを隠すのは自然のことかもしれないけれど、入社からの付き合いの長さの依島が偏見を持つことがないのは航太郎も知っていることだ。
しかし航太郎も依島と涼子を見比べて、
「お前だって、彼女がいるっつーのを初めて聞いたぞ、俺は」
お互い様だ、と憮然とするのに、依島は少し怒っているのを隠さず答えた。
「航太郎が黙ってるからだろ」
「え?」
「相手をさ、一回も紹介もしてくれないから…俺も船曳も、教えてくれるまで黙ってようって決めたんだよ」
「……待て! てことは、あいつも今いるってことだな?!」
「いるよ? いないわけねぇじゃん、あいつに」
ここには居ないもう一人の同僚を思い出し、航太郎は親友とも思っていた二人を並べるようにして睨む。
「どっちが酷い!」
「だぁから、航太郎が隠さなかったら秘密になんかしてないっつうの」
「仕方ないだろ、見せたくなかったんだよ!」
「見せたくないって、仕事でサロンで何度も顔合わせてるだろ?!」
結婚式や披露宴に駆り出される美容師の深津と、その式場の人間である依島たちが知り合わないはずはない。
「それに例えバレたって、お前には紹介したくないし」
さらりと同僚に言われて、航太郎はさすがにさっと顔色を変えた。
お互い気を遣う相手でもなく、何でも言い合う大事な仲間だと思っていた同僚にそこまで言われて、航太郎は実は嫌われていたのだろうか、と動揺したのだ。
それを見て依島が違う、と困惑に照れを含ませて、
「お前を紹介したら、誰だろうと掻っ攫ってくだろ」
「……んなはずねぇだろ」
「お前はそうでも、女はそうじゃねぇの! 飲み会で女全員持ち帰れるような顔して、これで恋人がいるからって日々のろけられなかったら俺は友達辞めてるぞ」
「女全員って…俺はどんな男だよ」
「恋人にメロメロで馬鹿なヤローだよ」
「それの何が悪い」
「開き直んな!」
その会話にすでに怒りはない。
言い合いながらもそれが普段の穏やかなものだ、と判断して、それまで傍観していた涼子が年上の彼氏を少し睨み、
「友昭くん、それって私を信用してないってこと?」
「いや…そうじゃねぇけど、サロンに来る客だって、一緒にいる男ほっぽって航太郎に夢中になる人だっているくらいだぞ?」
しかし航太郎指にはしっかりとリングがあった。
それは客との揉め事を起こさないように、と上司からの言い付けでもあり、航太郎としては誰に遠慮もなく嵌めているものだった。
「私にだって好みがあるでしょ」
涼子が唇を尖らせるのに、依島が少し嬉しそうな顔をして、
「それって……」
俺のほうがいいってことか、と浮かれる前に、涼子は異性の三人を見渡して、
「この中なら、長谷川さんがいいな」
「え……っ」
全くの傍観者で通していた深津に視線が向けられて、
「キレイな人って大好き。ずっと見てても飽きない」
「涼子ちゃん……」
「浮気な男なんてほっといて、私と一緒にいませんか、長谷川さん」
グラスを持っていた手を、細い手に握り込められて、深津は隣から刺さるような視線を受けて力なく溜息を吐く。
「大人をからかうもんじゃないよ……」
「私もう、26ですーっ」
「そっか、もうそんななんだ…ってそうじゃなく、依島さんが本気で怒る前に、ね?」
「怒ってるの、私です!」
そこで涼子は砂浜での怒りを思い出したと、きっと目を吊り上げる。
深津は航太郎と視線を合わせて、そういえば怒鳴り合いまでしていた喧嘩が宙に浮いたままなのを思い出した。
喧嘩はこのまま流れてしまってもいいのでは、と思っていたのだが、涼子の中では終わっていないらしい。
「どうして喧嘩してたの? せっかく旅行に来てるならさ……」
もしや婚前旅行なのかな、と深津が和ませようとからかうと、依島は複雑そうに顔を歪め、涼子は子供のように唇を尖らせた。
「ひどいのよ、友昭くんてば!」
彼女をこんなに怒らせる、いったい何をしたんだ、と航太郎が同僚を睨むと、涼子は誰もが共感してくれるはず、と怒りを口にした。

「こっちで結婚式を挙げるって言うの――!」


* * *


晴天の中、似たような観光客に交じって露店の店にはしゃぐ涼子とそれに付き合う深津を、疲れきった風で離れた場所のベンチに座り込んで見ていたのは航太郎と依島だった。
二人っきりでハネムーン――の予定だったはずなのに、いったいどうして南の国まできて同僚と肩を並べて座らなければならないのか、と同じ気持ちを抱える二人の視線は自然と据わってくる。
昨夜、最早料理を楽しむのも派手に催されたショウを楽しむことも出来ないまま、結婚式をサプライズされていたことを怒る涼子に、誰も呆然として何も出来なかったのだ。
それは喜ばしいことではないのか、と深津も思うのだが、涼子の言い分としては、
「そんな大事なこと! 一人で決めちゃうなんて友昭くんがもう何考えてんのか解かんない!」
深津にしてみれば七つ、航太郎と依島からすれば九つも違う年下の異性の気持ちこそが、三人の男には理解出来なかったのだが、涼子はその怒りを消してしまうつもりはないらしい。
「……結婚式ってさぁ……喜ぶもんだと思ってたんだけど……俺がおかしいのか?」
ぼんやりと口にする依島は、もうどうしていいのか解からず何もかも放棄したものだった。
仕事上、他の男よりは女の気持ちが解かる、と思っていただけに、それを拒否された依島のショックは大きいらしい。
航太郎はその嘆きに近い呟きを隣で聞いて、
「……あの子が特殊なんじゃないか?」
そしてその涼子を選んだのは依島自身だ、と航太郎は押しつける。
「こっちで手配すんの、結構大変だったんだけどなー……」
もう諦めの境地にいる依島に、航太郎はあまりに同僚が不憫にも感じて、
「いつだ? お前ら明後日帰るんだっけ?」
同じホテルに泊まりながら、どちらもツアーには入っていない。なるだけのんびり過ごそうと決めていた結果だが、今日一日はそのホテルの主催するバスツアーに参加を決めていたことまで重なったのが二人の不運でもあった。
昨日の夜、レストランでその予定を知ると、涼子が誰よりもはしゃいで深津と一緒にいることを喜んだのだ。
「航太郎は? 確か一週間休み入ってるよな?」
「お前らより一日後。今日は同じホテルに泊まるけど、明日は違うとこに移動するぞ」
「なんで?」
「……いや、別に、それは置いといて、教会どこの? いつだよ?」
長期の休みを取っているものの、航太郎と深津は早めに旅行を終えて、あとは自宅でゆっくり疲れを取るのだ、と決めていた。
仕事明けに旅行疲れを出すのは嫌だ、という意見が一致したからだ。
依島は同じバスツアーの観光客の向こうを見るようにして、
「……明日だけど、」
でも無理だよなぁ、と溜息を吐いた。
「ホテルからさ、車で一時間くらい走るんだけど、周りにあんま何もなくて、教会だけがぽつんとあるとこ」
「よく見つけたな、そんなとこ」
「かなり探したよ、日本人ばっかりみたいなここで、人の居ないとこだぜ? こう、真似事ってかさ、ちょっと、雰囲気でもって思ったんだよなぁ……」
それもこれも相手の、涼子が喜ぶだろう、と考えてしたことだった。
それがこんなに怒られて、果てはなかったことにされようとしている現実に、依島は誰より打ちのめされていた。
そして旅行から帰ってから、正式にお互いの家に挨拶に行く予定で、と航太郎は真剣な依島と、楽しそうに深津といる涼子を見比べる。
「まだ、26だもんな……」
若さを理由にする航太郎に、依島は深く溜息を吐いて、
「まだそんな気持ちになれないって? 浮かれて焦ってんの、俺だけかよ……」
自分たちの年齢を見れば、早いことはない。
航太郎は今は何を言っても追い詰めるだけだ、と思い、
「深津に、あの子がその気になるように勧めてやれって、言っとくから」
半分は無理かもしれない、と思いつつも、それしか言えなかった。
依島はその深津を見て、
「しかし……長谷川さんて本当に俺らより二つ下なだけか? しかも航太郎となんて……ありえねぇ」
「ありえねぇってなんだよ。お前に認めてもらわなくっても結構だ」
「でも……悪かったな」
小さな声だったけれど、真剣に謝罪しているのが付き合いの長さの分航太郎には解かった。
いきなりどうした、と航太郎が隣を振り返れば、
「お前、新婚旅行だって、楽しみにしてたろ、この旅行……なのに俺らに巻き込んで、」
ごめん、ともう一度謝った友人に、航太郎は顔を緩ませるしかない。
「いいさ、行こうと思えばいつでも行ける。俺らはいつでも新婚らしいから、旅行に行けばすぐにそれになるしな」
日々、のろけるな、この新婚野郎が、と理不尽な罵りを友人から受けているのを逆手に取って航太郎が笑えば、相手も気持ちを緩めて笑うしかない。
「あんまりのろけばっか言ってると、俺も考えがあるからな」
「考えって、なんだよ?」
「長谷川さんが知らないことだって…あるだろ?」
「ば…っんなこと言ったら、俺だってあの子に言うぞ!」
「俺はもう怒られ慣れてるから平気だ」
「今怒られて落ち込んでたやつのセリフかそれが!」
「あってめ、繊細な男ゴコロを解かってねぇな!」
「繊細って誰がだ」
いつもの調子を思い出したように応酬を繰り返す二人を、露店に並ぶお土産を見ながら涼子が気にするのを、深津も心配そうに見つめた。
「涼子ちゃん…大丈夫?」
「あ…はい、なんでもないです。それより、ごめんなさい長谷川さん」
「え?」
「新婚旅行、なんでしょ? これ。お邪魔しちゃって、本当ごめんなさい」
「いや…そんなこと、気にしなくていいよ。旅行は大勢のほうが楽しいし」
「でも、二人っきりでいたいんじゃないのかなぁー」
少なくとも木崎さんは、と続ける涼子に、深津は苦笑するしかない。
拗ねていながらも、大事な友人を放っておける航太郎ではないことを知っているからだ。
航太郎が大事にしているのなら、深津にとっても大事にすべきものだった。だから相手を窺うようにしながらも、
「涼子ちゃん……本当に、依島さんが式を予定してたの、嫌だったのかな?」
涼子は少し顔を歪めて、小さく首を横に振った。
「友昭くん、すごくいい人でしょ。私にはもったいないくらい」
「そうかな……」
「そうなの。飲み会で知り合ったんだけど、年上なのに子供っぽいとことか、口もちょっと悪いし、でも時々すごい大人なんだってとこ見せてくれるし、」
「……ごめん、僕今、のろけられてる?」
「あはは、ううん、ええと、うーん、そうかな? とにかく、友昭くんは、すごく素敵な人ってことは解かってるの」
笑顔で肯定しながらも、深津は涼子の顔に陰りがあるのに気付いて続きを促す。
「……それに、お姉ちゃんを知らない人だったし」
「涼子ちゃん……」
「……今でも、時々、お姉ちゃんを知ってる人とかに会うと、やっぱり比べられちゃって……お姉ちゃん、大好きだったけど、こんなとき……」
涼子は俯きながらも、
「薄情な妹だよね、ひがんでばっかで、私全然大人になれなくってどーしようもないなーって、解かってるんだけど」
深津は翔子を知っている分、涼子の言いたいことも理解できた。
だから俯いた頭にそっと手を置いて、
「翔子ちゃんと、涼子ちゃんは違うよ。比べるとこなんて、ないでしょう?」
姉妹であっても、違う人間なのだ。
それぞれに良いところがあって当然だ、と深津が笑うと、涼子も顔を上げてゆっくり微笑む。
「友昭くんも、そう言ってくれた。それがすっごく嬉しいってこと、友昭くんは解かってないみたいだけど」
その笑顔に、深津は安堵して、
「……やっぱり、のろけだったの?」
茶化してしまおうとしたけれど、涼子は笑顔のままで、
「あのね、結婚式、嬉しくないはず、ないの。むしろ、大声で言いたいくらい、嬉しい。もうすぐにでも一緒に暮らしたいくらい」
「なら……」
「でも、結婚式は、私みんなの前でしたかったの」
「え?」
「二人っきりじゃなくて、親とか、友達とか、今までお世話になった人…みーんな呼んで、見せつけたかったの」
「それは……」
「私、お姉ちゃんじゃないけど、こんなに幸せなのよって、見せつけたかったの」
我がままだよね、と涼子は歪みそうな顔で笑みを作る。
「そう思ってたから…ちょっと、びっくりしたのもあって、怒っちゃった」
「涼子ちゃん……」
「ごめんなさい、ちゃんと、仲直りするから。ちゃんと気持ちを伝えたら、解からない人じゃないって知ってるのに、私が子供だったの」
巻き込んでごめんなさい、ともう一度言う涼子に、深津はふわり、と笑みを作ってその腕に涼子を包んだ。
「結婚式、僕も呼んでもらえる? 腕によりをかけて、涼子ちゃんを綺麗にするの、僕がしたいな」
「えっ本当?! 長谷川さん、だってすごい美容師さんだって友昭くん言ってたよ?!」
「すごいかどうかは知らないけど…誰よりも涼子ちゃんを綺麗にする自信はあるよ」
「やった! 嬉しい!」
人ごみの中でいきなり抱きあう抱擁を始めた二人を、周囲は仲の良いカップルだ、と思ったのか見て見ぬふりをしているけれど、涼子は深津の腕の中から離れたところにいる二人を見つけて、
「わー、長谷川さんどうしよう、友昭くんと木崎さんがこっち睨んでるー」
それでも楽しそうに教える涼子に、深津は腕を解かないままで、
「いいよ。翔子ちゃんとも、よくこうしてたから、涼子ちゃんとしちゃ駄目ってことはないよね」
「ええっそれって…木崎さん面白くないんじゃ……」
「うーん…辰彦も、そういえば複雑そうな顔してたなぁ」
もう昔話になるような過去を思い出して、顔を合わせて笑う。
そして手を繋ぎ直して、不機嫌な相手のいるところへ足を向けた。

     *

「とんだ伏兵だった……」
夕食をやはり一緒に取った四人は、ジャズの流れる穏やかなバーに移動して時間を過ごした。
機嫌を直した涼子に、依島も気持ちを切り替えて旅行を楽しむことにしたようなのだ。
そのバーで、新しく飲み物を取りに行った航太郎とレストルームに行った涼子のいない席で、依島が溜息のような声をだした。
「え? 何がですか?」
訊き返した深津に苦笑して、
「長谷川さんの外見に騙された…うーん、こう見れば、航太郎と似たもの同士なのか?」
「はい?」
「綺麗でも、長谷川さんも男だもんなぁ」
その呟きが、昼間の抱擁のことを責めているのだと気付き、深津は慌てて手を振る。
「や、あの! あれはちょっとスキンシップっていうか…翔子ちゃんとも、僕よくしてたんで、つい、」
弁解する深津に、また依島は笑って、
「涼子、そのお姉さんと比べられるの、すごく嫌いでしょう?」
「ああ……そうですけど、でも、依島さんは、そんなこと言わないからすごく好きだって言ってましたよ」
さらりと深津が涼子の気持ちを代弁すると、依島は驚きながらも嬉しさを隠さず、
「だって俺、本当に知らないですからね、その翔子っていう人は。長谷川さんは、仲が良かったんでしょう?」
「僕の……友達が付き合ってたので。中学も同じだったし、辰彦――友人は、高校も一緒のところに行きたいって言ってたんですけど」
「違うんですか?」
「レベルが、違い過ぎて」
結局、辰彦は深津と同じ高校へ進学したのだ。
「レベルっていうと……」
「翔子ちゃんの、IQて知ってます?」
「……ちょっとまって、頭が良いとかじゃなくて、IQとかの話?!」
「そう、どうして高校へ進学するんだって、なんか大学の偉い先生とか、海外の研究室とかからも嘆かれてました」
「…………そんな子と、付き合うのは大変でしょう」
苦しそうに、依島の出した感想はそれだけだった。
深津もそれは解かるのか苦笑して、
「辰彦は、翔子ちゃんを誰よりも普通の子として見てましたから、翔子ちゃんも、それが嬉しかったんじゃないかなぁ……」
記憶にあるのは、仲の良かった笑顔の絶えない二人だ。
「俺は頭が悪いですからね、涼子がちょうどいいんだって思います」
「航さんが、依島さんたちにはいつも助けてもらってるって言ってますけど?」
「そりゃ俺らを立ててくれてるんだ、航太郎は、同期の中でも一番の出世頭だからなー」
「そうなんですか?」
「そう。しかも、こんな綺麗な恋人までいる……絶対、いつか天罰下るぞ、あいつ」
半分真剣な顔で呟く依島に、深津は笑って、
「僕が、今の僕なのは、航さんのおかげなんです」
「え?」
苦笑しながらも、その笑みにはどこか暗いものがある。それは昼間涼子が自分のことを話していたものと同じものだった。
「僕は、昔っから後ろ向きで、引っ込み思案で、いつも俯いてるばかりで、誰にも気付かれないようにひっそり生きるのが目標だったくらいで」
「長谷川さんがですか?」
どこかずれた目標に、依島が笑う。
「はい。人前に出るのとか、すごく苦手で、初対面の人と話すことなんて、とんでもなかった」
しかし深津は美容師というサービス業が身についているし、顔を伏せて歩くこともない。
「子供のころ、僕はすごく色素が今よりもっと薄くて」
「ああ……もしかしてそれで苛められてたとか?」
「はい。クオータなのに、全然日本人のところなんて見えなかった」
いつも俯いて、人の目を避けていた。
中学の頃を思い出して、今はいない誰よりも目立っていた友人を思い出す。
「翔子ちゃんはすごく強かった。それに憧れて、友達って言ってもらえたことがすごく嬉しかった」
この容姿を褒められたこともあったけれど、見なれた自分の顔はどこも良いところなどないように深津は思っていた。
いつも生き生きとして、誰よりも強く自信に溢れていた存在が近くにあったからこそ、ますますそう思ったこともある。
しかし深津は航太郎と出会った。
「航さんが……僕を変えたんです」
深津が好きだと言った。
深津を知れば知るほど、ネガティブで暗い人間なのだと解かるはずなのに、そうして他の人間は離れてゆくのに、航太郎はその全てが好きだと言った。
自分の嫌いな深津を、じゃあ深津の分まで好きになる、と言ったのは本当に昔のことなのに、深津は今でも忘れられない。
「僕が今、こうして前を向いていられるとしたら、航さんが僕を好きでいてくれるからなんです。航さんが好きだっていうから、僕はもっと頑張れる」
嫌われたくないんです、と深津は笑った。
好かれ続けるために、必死に生きているのだ、と深津は誰にも言ったことのないような告白をした。
依島は真正面からそれを受けて、頭を抱えそうになってしまった。
「……まいったな」
「え?」
「世界最大ののろけを聞かされた気分だ……いつもの航太郎ののろけなんて目じゃない」
「ええ?! そ、そういう、つもりじゃ、なかったんです、けど、」
慌てて自分の言葉を改めようとする深津に、依島はただ笑った。
「幸せ者だな、航太郎は」
深津はそれは違います、と微笑み返した。
「僕が、幸せ者なんです」

     *

ホテルの部屋は中の上くらいで、良すぎることも悪いところもない。窓はベランダも付いている海に面した大きなもので、しかし今は夜の中でカーテンに遮られていた。
夜景も綺麗だ、と思うものの、室内に明かりを点けてしまうと開けたいとは思わない。
「航さん、お風呂……」
先に入りますか、と部屋に戻りすぐに訊くと、後ろから抱き締められた。
驚いて、その腕の中でじっとしていると温かい体温が背中に伝わる。
「航さん……?」
「深津、」
「はい」
呼びかけられて、素直に答える。
「好きだ、深津」
「――――――」
突然の告白に、深津は腕の中で固まる。
それを解かっているはずなのに、航太郎は抱きしめる腕を緩めず、後ろから耳に、項に熱い唇を寄せた。
「こ…っ航、さ、ん……っど、どうしたん、ですかっ?」
熱い吐息が身体に触れて、性急な航太郎に深津も追い上げられてしまう。
それでもいきなりだ、と驚いて腕の中で振り返れば、答えを聞く前に唇を塞がれた。
「ん…っ! ん、ん……っ」
「……深津、」
「こ、ぉ…んっ」
両手で頬を包んで、貪るように唇を奪われる。その手にしがみ付くように手を添えて、眩暈のするような口付けをただ受け入れた。
航太郎の舌が執拗に深津の中を探って、歯列から苦しい奥まで暴かれる。舌を絡めればもっと欲しい、と咬み付くように引き出される。
混ざった唾液が溢れて、飲みこめないのを航太郎が吸い上げる音を、深津は頭の奥が痺れる中で聞いた。
「こ、う、さ……っ」
立っていられない、と膝から崩れるのを、航太郎が腕の下から背中に手を回して引き寄せる。
「ん、は…っ」
「深津……」
苦しい抱擁をした後で、まだ力の入らない深津を抱えるようにしてベッドへ運んだ。
寛ぐスペースを広く取っているものの、窓辺にあるベッドまでは航太郎の足では五歩分もない。ツインの部屋ではあるが、ベッドはそれぞれセミダブルの大きさで二人でも眠れないことはなく、深津をベッドに倒して、その上から抱き締める。
「航さん……?」
少し呼吸の落ち着いた深津が問いかけるが、反応はない。
深津の首筋に顔を埋めて、ただじっと抱き締める航太郎に、何も言えなくなってしばらく深津もそのままでいることにした。
「――深津、」
「はい……」
ゆっくりと顔を上げた航太郎に答えて、深津は驚いた。
「深津、」
「航……さん?」
「……ん?」
「ど、どう、し……」
微笑む航太郎の顔は何よりも穏やかで、深津をいつも惹きつけるそれだった。しかし目が、視界を滲ませるように濡れている。
涙は零れていないけれど、瞬きをすれば溢れそうだ、と深津は驚いて、震える手でその顔に触れた。
「な、なんで、どうしたん、ですか……?」
何よりも幸せそうに微笑んでいるのに、涙の理由が解からない。
そもそも、航太郎の涙など滅多に見ることのない深津は動揺を隠せなかった。
「ああ…嬉し泣き」
「はい?」
「なんだろうな…いい歳をして、どうかって気もするけど、なんか、止まらないんだ」
「航さん……なんで? なにか、ありました……?」
涙の理由は解かっても、泣く理由が解からない。
戸惑う深津が面白い、と航太郎は潤んだままの目で笑って、
「幸せ者だな、って、思った」
「――――っ」
その言葉に、深津はすぐにさっきの依島との会話を思い出した。
航太郎はいなかったはずだ。
だから、いつもなら恥ずかしいようなこともすんなりと口から出た。
気持に嘘はないけれど、それを聞かれるとは思ってもいない。
「航さん、さっき、聞いて……っ?!」
「うん…悪いと思ったけど、入って行きにくい内容だったから」
つい、とテーブルのそばまで帰ったが、そのまま黙って聞いてしまった、と悪びれもなく答える。
それに深津は顔が、全身の体温が一気に三度は上がった気がした。
「――ひ、人が悪いですよ! 盗み聞きなんて!」
「うん、ごめん」
謝りながらも、航太郎から笑みは消えない。
うろたえる深津がまた愛しい、と髪をかき上げ額に唇を付ける。
「誰より、深津が好きだ」
「航さん……っ」
箍が外れたように気持ちを口にする航太郎に、深津はもうどう答えればいいのか解からず真っ赤な顔で見上げるだけだ。
「深津が俺を好きじゃなくなっても、深津の分まで好きだ」
「……航さん、それ、意味が解りません……」
「うん? 深津がもう嫌って言っても、手放さないって意味」
二人分、自分が好きだと言う。
どうしようもない航太郎の言葉に、深津はただ熱い顔で悔しさを滲ませて睨み上げる。
「そんなの…っおかしいです、だって、そもそも、僕が航さんを好きじゃなくなるなんて……ありえないでしょう? 航さんのこと、すごく好きなんですから…っこんなにした責任は、航さんが最後まで取ってくれなきゃ……っ」
「もちろん…他の誰にだって、譲らないし、分けるつもりもない」
「僕だって! 航さんを一番好きなのは僕です! だから、他の誰にもあげません!」
言いきってから、深津はその激しい告白を自覚した。
真っ赤になった顔で、視線を航太郎と合わせられない、と彷徨わせると、
「深津……」
囁きと一緒に、唇が落ちた。
「ん――……」
もう一度深く口付けながら、航太郎の手が性急に深津の身体を這う。
片足を深津の間に押し込めて、腰を揺らすようにそこを押しつける。
「んっ……ん、あ、こぉ、さ……っ」
違う意味で、目に涙が浮かぶ深津に、航太郎はすでに呼吸が荒いのをゆっくりと吐きだして、
「悪い……優しく、してやれないかも、」
「ん……」
唇を食んで、頬を舐めて、耳から首筋へと咬み痕を付ける。
その間も、深津の感情もすぐに追い上げようと身体を揺すった。
「あ、あ……っ航さ…っん!」
「深津……」
「あっ! ん……っ」
薄いシャツの上から胸の上をなぞり、ぷつん、と膨れた突起を掌で、指さきで執拗に捏ねる。
「あっあっだ、め……っ」
「……本当に?」
「ん…っも、だ、って、」
我慢出来なくなる、と深津はすでに降参の色を見せた。
「んな顔…するなよ、すぐ、欲しくなる、」
このまま、今すぐに、深津の奥まで挿りたい。
何度も押しつけらる腰に、その想いが冗談ではないのを深津も教えられている。
深津は自分と重なる身体を見つめて、小さく頷いた。
「……深津?」
「……僕、も……」
「え?」
「ほ…しい、すぐ、航さん、が……っ」
羞恥に染まりながらも、深津は高ぶる感情を抑えられなかった。
望まれるだけではない。自分が欲しいと望む。それが叶えられるなら、痛みなど快楽のきっかけに過ぎない。
深くもう一度唇を合わせて、もどかしいようにお互いの服を剥いでゆく。身体だけはもう充分に火照っていて、今にも発火してしまいそうだ、と眩暈がした。
それでも航太郎はすぐに押し込むことはなく、鞄から取り出したオイルを充分に手に絡めて深津の内を探る。
「んー…っあっあ!」
「深津……」
解すまでも我慢出来ない、と深津の片足を自分の足に絡めて腰を押しつけた。その間も指で内側を擽る様にしていれば、深津がもういい、と首を振る。
肌の上から航太郎を感じる。
足に押しつけられるものが即物的で、どうしようもない、と思いつつも欲しいと感じる。
指が身体の中を弄るのも、深津にはもどかしい。
「もう……っもう、いい、から、もう、」
「……深津、」
しかし、濡れただけでしかない場所はまだ無理だろう、と航太郎が抑える。
「いい! 傷ついても、いい、から! 早く、もう、我慢できな……っ」
航太郎ならば、傷つけられたって構わない。
ただこの焦りに似た気持ちをどうにかするには、航太郎を埋めてもらうしかないのだ、と知っていた。
自ら足を開いて、航太郎を引き寄せる。
どうなっても、航太郎のせいではなく自分のせいだから、と深津は狂いそうな感情に揺れた。
これを治めるには、航太郎が必要なのだ。
「深津……っ」
「ん、あ、あっあぁ―――ッ!」
「っく……っ」
固く閉じた蕾へ指を埋めて、それに沿わせるように航太郎自身を潜り込ませる。
きつい、と思いながらも、航太郎も我慢出来ず、細い腰を引き寄せるのと同時に自分の腰を押しつけた。
「深津……深津?」
気持ちが高ぶっていた分、苦しくもあるけれど傷つけることはなかった、と安堵した航太郎が、自分の下で意識をどこかへ飛ばしたように視線を虚ろにする深津に気付いて今度は慌てた。
「深津っ?!」
「ん……っは、あ、」
頬に手を当てて、顔を覗き込むとゆっくりと瞬いた視線が今度は航太郎を捉えて、ビクン、と身体が揺れたのに連なるように目を閉じた。
「あ……っあ、ん、ん、こ、ぉ、さ……」
掠れるような声で、止まってしまうのではないか、と思うような吐息で、けれど深津は身体を捩るようにして続きを訴える。
「み、つ……っ」
「航、さ……っはや、は、やく、も、ちょ、っと…で、あと、す、こし、」
何を強請っているのか、航太郎にはすぐに解かる。航太郎を包む内壁が、きつくあるが熱く絡んで深みへと誘う。
壊してしまいそうだ、と航太郎はすでに理性が飛んだような深津に置いていかれて、一人で葛藤してしまった。
そして自分も、すぐに果ててしまいそうなのは解かっている。性急に動けば、きつい入口を裂いてしまいそうで航太郎は唇を噛み締めた。
「ん……っ」
じわり、と口の中に血の味が広がるのを感じながら、深津の中心へと手を伸ばす。
濡れた感触を確かめながら、深津がすぐに反応する場所を狙って扱く。
「ん…っあ、あっ! ん! や、それ、し、たら、や――……っ」
深くに埋めたまま、航太郎は動かないけれど、深津の内側が誘うように蠢くのを感じて、このままでもいいや、と深津の身体に顔を落とす。
首筋から肩へ唇を這わせて、身体を屈めて胸の上までなぞる。固くなった突起を執拗に舐めて、指で掌で、深津を追い上げた。
「あ、あ、あっ! や、やだ、も、い、っちゃ、あ!」
「……ん、いい、イけよ、」
「だ、め、らめ、やって、航さ……っん!」
「だいじょぶ……俺も、イける、」
止められない、と深津が腰を揺らすので充分、合わせられる、と航太郎は苦しそうに目を細めた。
「あっあっああぁ……っ」
「……っ、」
身体中で追い上げられるのに、もう駄目だ、と深津が気持ちを吐きだすように白濁を溢れさせると、航太郎も息を詰めて自分は本当に動くことはなく果てて見せた。
「ん……っん、」
「はぁ……深津?」
びくびく、と達したことに身体を震わせる深津が、苦しそうに眉根を寄せるのに、さすがに大丈夫か、と顔を覗き込むと、涙が溢れた目が航太郎を捉え、ゆっくりとそれが強い視線に変わった。
「こ、う、さ……っ」
「ん?」
睨みに似たそれに、航太郎はどうした、と零れる涙を拭ってやって首を傾げる。
それも腹立たしい、と深津は気持ちを隠さずやはり航太郎を睨んだ。
「どうした?」
「ゴ、ム……っ」
「え?」
「つ、着け、ました、ね……っ?!」
「あ…ああ、うん、それが?」
深津の身体を考えてのこともあるし、避妊具のぬめりも必要だ、と判断して先に着けていたのだが、気付いたのか、と首を傾げると、
「ほ、しいって…言った、のに!」
「……はい?」
くしゃり、と顔を歪める深津は、悔しさを見せていて航太郎はすぐにその意味が解からない。
「すぐ、欲しいって、言ったのに、航さんは、そんな、余裕が……っ!」
焦れて焦れて、どうしようもなくなっているのが自分一人なのだ、と思うと深津は悔しさと悲しみも混ざって怒りを相手にぶつけるしか出来ない。
「僕だけ……っなんか、ずる、い!」
欲しがっているのが自分だけなのが嫌だ。
同じだけ想うのなら、同じだけ乱れて欲しい。
そのままの気持ちをぶつけられて、航太郎は呆気に取られながらもすぐに頭を抱えそうになった。
悔しい、と睨みつけるその顔は、達した後の火照りもまだ逃げておらず必要以上に艶を放つ。まだ繋がったままの身体も、苦しそうに身体を動かすことに煽られて航太郎は深く溜息を吐いた。
「あのな……深津!」
「……はい」
「さっきは、すげ、やばかったの、解かってるか?!」
「……はい?」
頼むから理解してくれ、と航太郎は身体を屈めて深津の両脇に腕を付き、大きく腰を揺らした。
「あっあ!」
達したせいなのか、綻びを帯びるように柔らかくなった深津の身体はもう航太郎が思うままに動いても痛みはないようだ。
避妊具の内側で、自分の出したものが濡れてぐしゅぐしゅとなって取れてしまいそうだ、と思いながらも腰を止めないのは、すぐにまた固くなって気にならなくなるだろう、と解かっているからだ。
「んっんぁ、あっ!」
「さっき……っ動かなくても、イけたくらい、やばかった、頭、キレるかと思った……」
「んー……っ!」
「またすぐ、こんなになるのに…っ余裕なんか、あるはずないだろ?!」
「あ、あああ!」
怒りが欲情に追加されて、組み敷いた細い身体が悲鳴を上げても航太郎は治まらない。
「あっあぁ、あ!」
「もう、ずっと…っ挿れててやりたい……っ!」
「んーっん! んぁっあっ」
ベッドが悲鳴を上げても、止めてやれない。
苦しい、と涙を零しながらも、深津がもっと欲しい、と腕を伸ばすからさらに煽られてしまう。
好きだと口で伝えて、この腕に抱いて、思うままに身体を繋げても、航太郎はまだ足りない、と苦しそうに顔を歪めた。
どうしたら、この気持が全て深津に伝わるのか。
どうしたら、深津の想いが受け止められるのか。
動かなくなるまで身体を重ねても、答えはないと知っているけれど、これ以上の何かを知らない。
もどかしさを抱えながらも、それを探すのに一生をかけるのもいいかもしれない、と深い思考の中で考えたのは航太郎も深津も同じだった。


* * *


翌朝、昨日の名残を確かめるように指を絡めて、今日の予定はこのままでもいいな、と決めている航太郎と深津の部屋を、友人たちがノックした。
「今日も付き合えってのか? 明日お前ら帰るんだろ、二人で満喫しろよ」
自分たちも二人っきりになりたい、と含ませて同僚に航太郎が言えば、
「そう言うなよ、二人っきりもいいけど、やっぱ誰かに祝ってもらうのもいいかなって思ってさ」
「え……」
驚いたのに、依島は楽しそうに笑った。
「式、するから、来いよ」
航太郎と深津はそれから慌てて用意をした。
今日の夕方には次のホテルへと移動しようと思っていたので、チェックアウトをしてしまおうと荷物をまとめて、依島のレンタルした車に乗り込む。
海岸沿いを走りながら、
「帰り、ついでにホテルまで送ってやるから」
「それは別にいいけど、本当に俺らがいていいのか?」
「いいよ。向こうで着替えるからさ、付き添いの分も用意してくれって言ってあるから頼むな」
「付き添い?! 俺らがなんで?」
「いいじゃん、花嫁にエスコートは必要だろ」
「俺が?」
「いや、涼子の付き添いは長谷川さんがいいな。お前は俺の」
「なんで俺が野郎の付き添いを……っ」
「そう言うなよー」
前の席でいつもの応酬を繰り返すのを聞きながら、
「長谷川さん、一緒に歩いてくれますよね?」
後ろでは涼子が深津に頼んでいた。
驚きながらも、深津は断るに断れない。
「あの、でも…僕でいいの? それに、二人でしていいの?」
「はい。でも、日本に帰ってから、もう一度ちゃんとします。その時も来てくださいね?」
「それは、もちろん……」
深津は頷きながら、もう断れないな、と溜息を吐いて受け入れることにした。
喜ばしいことは確かで、祝って欲しい、と言われれば是非もないことなのだ。

     *

教会は依島の言ったとおり本当に小さく、参列者が居ても二十人も入れないほどのものだった。
海岸から少し内側に入り緑の多い場所でもあり、教会のすぐ隣にある家が牧師の自宅らしかった。その自宅の部屋を使わせてもらい、着替えを済ませて深津は眉根を寄せた。
「……あのさ、涼子ちゃん?」
「はい、なんですか?」
目の前の涼子のドレスは、淡いオレンジ色でウエディングドレスと言うよりもカクテルドレスだ。
注文通りに薄くメイクをして髪をまとめ、シンプルに仕上げたのは深津だけれど、それを見てから自分を見ると、どうしても納得できかねるものがある。
薄い紫色の衣装は、スーツと言うよりタキシードだ。
胸元に生花を飾られ、まるで新郎のような恰好だ、と深津は躊躇ったのだ。まだ依島の恰好を見ていないけれど、涼子の恰好も大人し過ぎる。
「ドレス、それしかなかったのかな…他にさ、真っ白なのとか、せめてピンクなのとか……」
「やだー、それは長谷川さんが着てるから大丈夫!」
いったいなにがやだ、なのか理解できない、と深津が頭を抱えていると、
「それより、もう時間です、待たせちゃってるから行かなきゃ!」
「あ、うん。はい」
涼子に腕を取られて、深津は牧師の自宅を出て隣の教会へと向かう。
入口は当然閉まっていて、それを深津が開ければ式が始まる合図だった。
「はー、緊張しますね、」
腕を組んだ隣から微笑まれて、深津も初めてなことに動悸が高鳴っているのに気付く。
それでも、主役を落ち着かせよう、と微笑み返して、
「大丈夫、ちゃんとエスコートします」
「……ふふ、木崎さんに、悪いなぁ」
「僕も、依島さんに悪い気がしてる」
そろって笑ったところで、深津は呼吸を落ち着けて目の前の扉を精一杯引いた。
狭い、と感じた教会内は、天井からのステンドグラスから日差しが入って屋外よりも輝いて見えた。
キラキラと光るその向こうに、祭壇の奥に牧師が、その前に新郎と付き添いが立っている。
依島は黒のタキシードで、航太郎はその隣で淡いグレイのタキシードに身を包んでいた。
顔がどことなく硬く見えるのは、やはり緊張しているのかもしれない。
婚礼は誰より慣れているはずなのに、と深津は思わず目を細めてしまった。
宙で視線の絡んだ航太郎が苦笑するのを見て、深津は涼子を促して足を進める。
一歩一歩、ゆっくりと歩いてもやはり小さな教会で、すぐに祭壇へ辿り着いた。
そこから涼子の腕を取り、新郎である依島に渡すはずが、先に涼子に手を取られて前に促された。
「……えっ?」
思わず声を上げて振り返ると、涼子の隣で依島が笑っている。
祭壇は深津の前で、どうして新郎と新婦が後ろにいるんだ、と軽くパニックになる頭を回せば、隣に航太郎が立っていた。
「……え、あの……っ」
驚いて依島と涼子、航太郎へと視線を回すと、隣から深い溜息とともに声が聴こえた。
「……諦めろ深津、はめられた」
「……はい?!」
それでもまだ、事態が把握できない、と混乱する深津に聴こえたのは、祭壇の向こうに立つ牧師の声だった。
「Koutarou Kizaki?」
「yes.」
素直に返事をした航太郎を見てから、牧師は深津を見て、
「Mistu Hasegawa?」
「あ……イ、yes.」
戸惑いながらも、深津も答える。
答えを受けて、顔に深い皺を持つ老牧師は目がなくなるように微笑んだ。
後ろで椅子に下がった依島と涼子が笑っているのを見て、深津は隣で真正面を見る航太郎に視線を移し、その視線を追った。
前を見つめるそれに深津はようやく状況を理解し狼狽したけれど、ゆっくりと視線を向ける航太郎の優しい目に、肩の力を抜くように自分も笑ってしまった。
なるようになれ、こうなれば楽しんでしまえ、と覚悟を決めたのだ。
はめられた、という航太郎の気持ちも解からないでもないが、心地よい緊張と、嬉しさがないわけでもない。
牧師の声が心地良く耳に届く。
「For better or for worse,for richer,for poorer,in sickness and in health.To love and to cherish in heaven and earth,and are you promise to be faithful to you until death do you part?」
映画の中で聞いたような言葉を、まさか直にこの耳に聞くことになるとは、と深津はじわじわと胸の奥が熱くなるのを感じながら、航太郎が誓います、と言うのに続いて同じ言葉を告げた。
「You admit that two people are a married couple here.」
長い、と言われる口付けを交わして、間近に見える相手に微笑みかけた。
本当に、結婚したのだ、と実感して、顔が先に綻んだのだ。

     *

「俺に感謝しろよ、航太郎」
教会を出た瞬間、付き添ってくれた――はめた、とも言う――二人から祝福を受け、深津はただ嬉しさが込み上げて視界が滲んだ。
航太郎が支えてくれなければ、そこにへたり込んでしまいそうなほど身体から力が抜ける。
その航太郎に、自分の仕事の出来に満足した依島が笑う。
「新婚旅行のくせに、式を予定してないってツメが甘いんだよ、お前は」
「……うるさいな、式は別に、良かったんだよ」
そこまで考えていない、と航太郎が同僚に照れを隠して言い返すと、それも解ってる、と言いながら、
「あんな部屋を予約しながら? いや、あの部屋で充分とか思ってんじゃないだろうな?」
「お前! 調べたのか?!」
「調べたとも! お前がホテル変わるなんて言うから。おかしいと思ったんだよ、予定も立てずのんびりすごすだけなら、同じホテルでいいはずだもんなぁ?」
「――――ッ」
悪びれもせず、航太郎のことなどお見通しだ、と言う同僚に、咄嗟に言い返すことも出来ず声を詰まらせた航太郎に、深津はどうしたのか、と首を傾げる。
「……航さん?」
次に移るはずのホテルは、とても綺麗で泊まってみたいから、と航太郎が言って予約したのだが、それ以外に理由があったのだろうか、と訝しむ。
その視線を受けても、航太郎は視線を彷徨わせて、何度か言おうとした言葉を飲み込んで、
「……い、けば、解かる……」
苦しそうな言葉に、誰よりも楽しそうに依島と涼子が笑っていた。
深津は式を譲ってくれた涼子に視線を向けて、
「涼子ちゃん、あの…良かったのかな? こんな……」
躊躇った深津に、涼子は綺麗に笑ってみせた。
「私は、やっぱりみんなに見てもらいたいから。そう言ったら、友昭くんが二人にあげようって」
喜んでもらえましたか、と言われて、深津は熱くなる瞼を我慢しながら、素直に頷いた。
「……ありがとう、」
「……その顔、私が見ちゃってもいいのかなー……」
深津の視線を真正面から受けた涼子が、顔を染めながら溜息を吐くと、航太郎がすぐに深津の腰を持って引き寄せた。
「駄目に決まってる!」
はっきりと嫉妬を見せた航太郎に、依島と涼子は顔を見合って笑い、深津は困惑しながらも独占欲が嬉しい、と染まった顔を伏せた。
「さて、じゃ、二人をハニースイートに送り届けようかな」
「依島!」
面白そうに呟いた依島に、航太郎が黙ってろ、と強い視線を向ける。
それも面白い、と笑う依島に、深津は不思議そうに航太郎を見上げて、
「ハニースイート…? って、なんですか?」
「………………」
答えられない航太郎に、依島と涼子の笑い声が届いた。
深津の真っ直ぐな視線を受けながら、航太郎はどうすればいいのか、この旅行で一番の難関を迎えていたのだった。


航太郎が予約したホテルは、古めかしいけれど趣を感じるあまり大きすぎないホテルで、一日の宿泊客が決められている格式のある場所だ。
そこでさらに、一日一組しか泊まれないハニースイートルームが、新婚夫婦専用の部屋だと深津が知るのはもう少し後のことだった。





旅行を終えて日本に帰れば、いつの間にか周囲に結婚式を挙げたことが広まっていて、一気に祝福を受けるのも、――また後日の話になる。


fin.



↓小説工房未来亭の未来さまより、ステキおまけを頂きました!がんばってバラを追いかけるのよ!



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