| 初春 「明けましておめでとうございます」 囁きのような声を聞いた。 しかし航太郎はそれになんと返したのか覚えていない。 夢の中だったのだ。 夢だったのかもしれない。 けれどきっと、それは本当に言ってくれたことなのだろう。 今も最愛の恋人は、そういう人間なのだ。 年末、31日。 航太郎・深津宅は、一年で一番の来客を迎える。 それでも年々少なくなってきている。 昔からの付き合いの友人たちは、それぞれに結婚したり家族と過ごすようになって、自然と独身たちが集まるようになってしまうのだ。 リビングの広い家に越したのは、良かったのかもしれない。 ソファを中心に屯いテレビを見ながら今年最後のお酒を飲むものもいれば、食事のテーブルにマットを敷いて今年最後の麻雀をするメンバもいる。 深津は慣れたもので、つまみを足したりお酒を補充したり、適当な接客をするだけだ。 そのつまみを作るのは、航太郎の仕事だった。 顔の広い航太郎と、学生時代からの友人。 誰もが航太郎と深津の仲を知る、気の合う友人ばかりだった。 出入りが多いため、今日だけはドアを開放もしてあった。 深夜12時、もはや残った友人は泊まっていくメンバしかいない。 除夜の鐘を聞きつつ、近くの蕎麦屋から年越し蕎麦を配達してもらって、乾杯の音頭で年を明ける。 毎年恒例の行事に、深津も慣れたようにその中に入った。 それが終わると、深津は一足先に寝室へ戻る。 明日――もとい、今日の朝のために、睡眠をとっておかなければならない。 師である奥の店舗へ、五時半の集合だった。 「深津、寝るのか?」 赤い顔をした航太郎が座を辞そうとした深津を目ざとく見つける。 深津は申し訳ないような顔をして、頷いた。 「はい・・・ごめんなさい、先に、」 リビングを出た深津を追って、航太郎も寝室まで入る。 ドアを閉めれば、向こうの部屋の騒音はかなり抑えられて聴こえた。 「防音設備、やっぱりしてて良かったよな・・・」 赤い顔を冷ますように航太郎が呟くと、深津は思わず微笑んだ。 「はい、・・・朝、僕早いので・・・そっと出ますね」 「うん・・・毎年、大変だな、」 美容師なのだ。 特に業界で名の知れた奥は指名が多く、深津よりも一年中忙しい。 その弟子であるのだから、イベントには当然のように借り出されるのだ。 Gパンからパジャマに着替えた深津を、航太郎はそっと抱きしめた。 「深津」 「・・・航さん?」 「・・・・また一年、宜しく、」 腕の中に納められて、優しく囁かれる。 深津はそれだけで心が温かくなって、融けてしまいそうだ、と頬を染める。 コクン、と小さく頷いただけの深津の頬を取って、航太郎はそっと顔を寄せた。 「・・・んっ、」 一年で、初めてのキス。 深津は毎年、この唇が忘れられない、と目を閉じてそれを受け止めた。 元旦、航太郎が本格的に目を覚ましたのは正午を回っていた。 朝方まで飲み明かし、泊まった、と言うよりそのまま寝てしまった屍のような友人たちを横にキッチンに立つ。 用意するのはおせちとお雑煮。さすがにおせちはデパートで買っていたものだけれど、お雑煮だけは一人暮らしを始めてから鍛えた腕で出汁から手作りする。 お餅は、深津の好物なのである。 きっともうすぐ立ちっぱなしで働き詰めた深津が、お腹を空かせて帰ってくる。その時に用意して出迎えてやりたい。 立ち動く音で起きてきた友人たちも、甲斐甲斐しい航太郎を最早呆れたように眺めるだけだ。 この万年新婚夫婦が、と罵っていたのはとうに過ぎた。 呆れながらも、どこか羨ましく思っているのも事実なのだ。 高校から出会って10年以上、強い結びつきの二人を、毎年変わらないのを眺めているのもどこか安心してしまう。 居るだけで場を華やがせる深津が一緒にいる、というのが羨ましくもあるけれど、それを口にはしない。 やきもち焼きのこの男が、どれほど根性が悪いかを知らないのは深津だけだからだ。 ついでとは言え、美味しい料理にもありつけるのなら黙っていよう、と自然とそうなってしまった。 30を過ぎても独身が多いのは、深津のせいでもある。 だが知っているのか惚けているのか、航太郎は何も言わず友人たちの訪問を受け入れるのだ。 「餅、何個食う?」 キッチンの中から向けられる声に、口々に答える。 「二個」 「俺、三つ」 「おかわり込みで、四個!」 「食いすぎだろ、お前」 「だから腹出るんだよ」 「ほっとけ!」 その応酬を航太郎は笑って聞いているだけで、しかし次の瞬間には耳ざとく顔を上げた。 「ただいま帰りました、」 玄関からドアが開いて、待ちわびた恋人の声がする。 鍋の火を消して、航太郎はすぐに出迎える。 体力を消耗した深津が丁度靴を脱いだところで、しかし疲れていた顔も航太郎を見て笑顔になる。 「・・・明けまして、おめでとうございます」 航太郎は返す前にその身体を抱きしめて、 「・・・もう聞いたよ、それは・・・おめでとう、深津」 耳に囁く。 「起きていたんですか?」 確かに深津は、出かけるときにリビングで転がっていた航太郎に囁いた。 けれど完全に眠っていると思ったのだ。 「いや、夢の中で聴こえた」 「・・・航さん」 甘い囁きを続ける航太郎に、深津は赤くなった顔をどうしよう、と見上げる。 その唇がもう一度重なる直前、リビングから友人たちの喧騒が聞こえた。 彼らにしてみれば、年が明けて初めに見たいのは深津の顔であって航太郎の料理ではない。 けれど、それは決して口に出せないから口々に「腹が減った!」と騒いだのだ。 唇を重ねられなかった二人は、その声に微笑んで一緒にリビングに入る。 仕事明けの深津の顔を見て、新年の挨拶を交わして航太郎のお雑煮を食べる。 夕方になって人も少なくなってから、近くの神社へ初詣に出かける。 毎年恒例の年越しに、変わらないことに釈然としないながらも、どこか安堵した―― 明けまして、おめでとうございます。 今年も一年、宜しくお願いします。 航太郎・深津 |
fin.