| 微熱薬 「懲りないですね、航さんも」 深津の顔は怒っていた。それでいて、困っていた。 「・・・・うん、こんかいは、だいじょうぶかと、おもったんだけど」 「それも、いつもの台詞ですよ」 航太郎の声は普段より遅く、そして聞き取りづらいものだった。 いつも周囲が聞き惚れる活舌の良い美声とは程遠いものだ。 それにも深津は呆れた溜息を吐いて、航太郎の額に貼った冷却シートを新しいものと取り替えた。 ベッドに大人しく納まる大人の男。 航太郎は、また風邪を引いたのだ。 客商売をしているためか、深津は体調管理は人一倍気を遣う。 季節の変わり目には充分な準備をするし、航太郎も営業職とはいえ仕事の都合で直接客と触れ合うためそれに倣う。 が、そのシーズンを乗り越えたとき、気を抜くのが深津の癖だった。 そして毎年、思わぬ時期に高熱を出す。それが、深津の風邪だった。 ちょっと慌てるほどの熱を引き起こすけれど、安静にしていればすぐに引いてゆくのもいつものことで、深津自身も慣れたものだった。 そんな深津を甲斐甲斐しく世話をするのは航太郎以外にはいない。 仕事があっても出来る限りは深津の傍に居る。そう決めているらしかった。 熱の引いた深津にほっとして、航太郎は熱のせいで熱い吐息を漏らす唇に触れる。 「・・・移りますよ」 「大丈夫」 掠れた抵抗の声を上げる深津に、航太郎はさらに煽られるようにその唇を啄ばんだ。 そして、今に至るのである。 「どうして、あそこで止めないんですか・・・」 航太郎のベッドに腰を下ろし、温くなった冷却シートを触りながら深津はまだ熱がある、と溜息を漏らす。 航太郎の赤い顔を見ると、全て自分の熱を奪ってくれたお蔭だ、と深津は後悔する。 深津があまり抵抗しないのを良いことに、航太郎は舌を絡めるまで口付けを止めない。 お蔭で風邪の菌は綺麗に航太郎に移動してしまうのだ。 ベッドから天井を見上げながら、 「うん・・・つい、みつが・・・いろっぽくて、」 「目が潤んでるのは熱のせいです! 息が熱いのも熱のせいです! 航さんを誘ってるわけじゃないんですから!」 「・・・・・・・」 言ってしまって恥ずかしそうに顔を染める深津を、天井から視線を移した航太郎は動かない身体に舌打ちをした。 可愛いと抱きしめてやりたい。 もう大丈夫だから、と腕の中で安心させてやりたい。 そしてそのまま甘い空気に包んでしまいたい。 航太郎は想像したけれど実行には移せないことを悔やんで眉根を寄せる。 自分で描いた妄想に表情を歪めていると、いつの間にか深津は洗面器にはったお湯とタオル、そして着替えを用意していた。 「航さん、起き上がれますか? 着替えてください・・・ついでに、身体拭きますから」 「・・・・・いいよ」 身体がだるくて面倒くさい。 航太郎はその理由で顔をそれから背けて見せるけれど、グイ、と深津にそれを戻されて唇を尖らせた顔を目の前にされて、 「駄目です! 熱を下げるコツは良く汗を掻くこと、それから着替えは何度でもすること、です。航さんだっていつも僕にそう言ってしてるじゃないですか!」 「おれはあれだ・・・・」 航太郎は引き寄せられた顔に幸い、と近づいて、 「おまえのせわをするの、すきだし・・・・からだをみるのが、めあてで・・・うぷっ!」 素直な言葉を口にした瞬間、深津は温タオルを航太郎の顔に乗せてそのままベッドに押し付けた。 「・・・っ馬鹿!」 「うー、ううー、ううー、」 タオルの下で力なく航太郎が呼んでいるのは自分の名前だ、と深津は解かるからさらに羞恥に染まる顔を隠したくて暫くそのまま押し付けておいたのだった。 改めて航太郎の身体を起こし、子供のように駄々を捏ねる航太郎に深津は実は嬉しい、と思うのだ。 いつもいつも世話をかけてばかりだと思うので、母親になりたいわけではないがこうしてしてあげられることが嬉しいと感じる。 パジャマ代わりにしている薄手のジャージとTシャツ。それを脱いだ背中に深津は温かいタオルで何度も拭く。 「あー、きもちいい・・・」 「そうですか?」 一日中動いているような航太郎が、体調が悪いとは言えやはりずっとベッドの上というのは別の疲れも出てくるようだった。 その声に深津は笑みを浮かべながら、何度か拭いた広い背中を眺めて、ゆっくりそこへ唇を触れさせた。 「・・・・・・みつ?」 ちゅ、と音を立てて放した仕草に、航太郎は驚いたような訝しんだような顔で肩越しに振り返り、そこにあった悪戯をしました、と妖艶に笑う深津を見つけた。 「良くなるように・・・おまじないです」 「・・・・・おまえっ」 だるい身体で、それでも力を振り絞るような航太郎の声は、憤りが見える。拳を震わせながら、 「そんなこと、いま・・・いま、おまえな、」 熱のある身体で煽られて、航太郎は脳みそが沸騰しそうだ、と目が眩む。 それに深津は少し眉根を寄せて、 「航さんが、悪いんですから」 「え?!」 「僕の風邪が治ってたら・・・いつでも大丈夫だったのに、わざわざ、いつも僕の後で風邪を引く、航さんが、悪いんです」 身体を合わせない期間がそれだけ長引く。 それをもどかしく思うのは、航太郎一人だけではない。 「・・・・・・・っ」 航太郎は後悔した。 今初めて、心から自分の早まった愚行を後悔したのだ。 「つぎは、ぜったい、しない・・・・!」 心に誓うように決めた航太郎は、こんな風邪もすぐに治す、と言わんばかりにすぐにベッドに戻った。 熱くも寒くもならないように、肌布団を掛けてその上から深津は子供へするように何度か叩いて、 「早く、良くなってくださいね?」 にっこりと微笑んだ。 航太郎は何度も頷き、病人へは看病だけに徹すること、と自分に箇条を作った。 これで今度深津が体調を崩しても、手を出すことはない。 微笑の下で深津が勝利を収めていることに、航太郎が気付くことはなかった。 |
fin.